第2話 死霊 (前編)

 晴々とした空。

 外で遊ぶにはうってつけの天気。

 小さいころの俺は、公園の砂場に立っていた。

 オレンジ色の半袖に青い短パンと、確かに昔着用していた衣類だ。やはり目の前の才人は、やはり俺に違いない。

 だが、才人は喉から声を出せずに、小さい俺を見守るしかない。

 当然、小さい俺はこちらを見ず、友達同士で集まってくる同世代が砂浜に集まることをよそに、ただ眺めるしかなかった。

 その様子を見る才人は、複雑な気分だった。

 そんなとき、ブランコに虚ろな目をした子供が一人。

 (神威なのか……?)

 驚きとともに、心が痛む。

 昔の思い出を復元されている気分で、気味が悪い。

(誰かが俺に悪戯でもしているのか?)

 そんなことを思ったところで、誰も答えてはくれない。

 吐き気するような気分のまま、才人は小さい神威を見た。

「あの子、友達いないのかしら」

「確か、天野さんの子じゃない?」

「あら、やだ。天野さんって確か奇妙な家族じゃなかったかしら。確か父は科学者で島の実験のために奥さんを利用したって聞いたわ」

「私が聞いた話だと、親揃って廃人になったって話。でも結局わからないのよ」

「天野さんって、どうやって暮らしているのかしら。気になるわ」

「やめなさいって。近寄ると大事な息子さんが汚れちゃうわ」

「それもそうね」

 三人の世間話に夢中になる母親が好き放題、神威を見ては言っていた。

(人の生活に干渉して、人を傷つけたいのか!)

 才人は憤りを感じたが、この夢のような空間では無意味だ。いくら口を開いても直接声が流れないのだ。

 唇を噛む才人は漠然と状況に流されるしかなかった。

 話を耳にしていたのか、神威は視線を落として興味なさげにブランコから降りて母親集団から離れた高台に通じる階段をのぼっていた。

 俺もやることなく、神威の動向が気になってついていく。

 もちろん先行で、小さい俺が淡々と距離を取りながら神威の後をつけていた。

 どうしてこの頃、俺は神威に近づいていったのか、わからない。

 似た者同士だと、思ったのだろうか。

 考えても仕方ない。

 足を止めた才人は、一旦神威たちから視線を外して振り返っては公園を全体的に見渡した。

(この公園って確か、もう取り壊されたような……やはり夢なのか?)

 かぶりを振り、足を動かした。

 久しぶりに階段を一段一段のぼっていく。

 思っていたより、小さい。

 階段が小さくなったというよりは、俺が大きくなったのだろう。 でも、体は大きくても、気持ちはあの頃のままだ。多少相応の年になっただけで、心は何も変わっていない。

 よく人に言われるが、別に変ろうとは思っていない。

 俺は俺だから。


 才人は高台にのぼって、木製の柱に隠れてベンチに座る二人を盗み見する。

「何か用か?」

 子供にしては大人びた声量で、小さい才人に声をかけた。

「……別に。特に用があって来たわけじゃない」

「用がないならどうしてここに来たんだ? 噂話を聞いて同情しに来たわけではなさそうだし」

「だから知らない……俺も公園に来て……でもやることないんだ……」

「つまりやることないからここに来たのか……公園で遊ぶのは嫌いなのか?」

 神威は視線を合わせずに聞く。

 そして、小さい俺も虚ろな感じで視線は別の方向へと向けていた。木々を見ていたのか、空を見ていたのか、この頃の俺は何をしたいのかわからない。それは今でも変わらないのかもしれない。

「嫌いじゃない。一応好きな方」

「じゃあどうして?」

「わからない」

「わからない……か。昔俺もわからないって言ったら父に自分で考えろって言われた。わからないものはわからないのに」

「昔って……君はまだ子供だろ?」

「そうだな」

 神威は少しだけ、口元を緩ませていた。

 そんな気がした。

「君、名前は?」

「才賀才人」

「才人……か。俺は天野神威だ」

「よろしく」

「ああ。よろしく」

「…………」

「…………」

 お互い紹介し合えると、咄嗟に黙ってしまっていた。

「俺もお前も……似た者同士なのかもしれないな……」

 神威は言った。

 その時、神威の心が透き通るほどのクリアな状態になり、思考停止させるぐらいに脳が空っぽになっていくような感覚に陥る。

 神威の左目に黒いオーラが纏わりついていた。

「おい、どうした!? 神威っ!」

 才人は神威の肩をゆする。

 神威は虚ろ状態で体が硬直し、ベンチに座ったままだった。

 脳の機能障害によって呼吸、循環、消化機能は正常に近いが、精神活動が欠如している。それは才人から見ても何となくだが、分かる事だった。

「しっかりしろ!」

 声をかけても、神威は微動だにしない。

 意思が遠くへと感じる――神威の赤い瞳がゆらぐ。

「才人……」

「俺はどうすればいい? その目、どうすれば……?」

「俺の目を……これで刻んでくれ……ポケットに……」

 口と片方の目だけ辛うじて動いた神威が言った。

「わかった」

 言われた通り、才人は神威の右ポケットを探る。」

 神威の右ポケットには、コンパクトなカッターナイフが隠されていた。

「お前……なぜこんなものを持っているんだ?」

「それ……は……」

 神威は口を濁らせていた。でも、それ以上は言わなかった。いや、口を開くことができなかった。

 そして神威が俺に指示しようとしたこと。

 何となくだが、わかる。

 いや、脳に響き渡っていく。

 同時に、才人は身の覚えのない苛立ちを感じていた。

「俺は……こんなことするために来たんじゃない……!」

 才人はカッターナイフを握りしめる。

「そんなに死にたいのか! 神威」

 才人は怒りの感情に身を任せて、カッターナイフを地面に投げつける。

 その状況の終始を見ていた才人は、限界を感じて柱から身を乗り出した。

「やめろ!」

 小さい才人に手を差し伸べようとするが、誰かの手に掴まれる。

 身の覚えのある手。

 その手にはナイフで刻まれた跡が残っている。

「無駄だ」

 隣に神威の姿が現れる。

 本人かあるいは幻なのか、確認しようがないが確かに神威がいる。

 神威はもう一人の自分、小さい才人を見て、

「お前が見ているのは過去の出来事を模造した幻に過ぎない」

 才人にそう語る。

「神威……!?」

「この後、お前は俺の目を傷つけた」

「ッ!?」

 才人は不安と恐怖を混じる顔で、神威を見た。

「俺はオマエヲ……」

「な、何だ!?」

「オマエヲ……!」

 隣にいた神威も黒いオーラに包まれ、赤い目で才人をのぞき込む。

 才人の心が不安と恐怖に押しつぶされる感覚に陥る。


 4月11日。火曜日。

「うわああああああ!」

 才人は起き上がると、頭に激痛が走った。

 屋上でまた、寝ていた。

 頭を支えて、顔を横に向ける。

 すると、おでこを支えた雪音が尻もちをつけて倒れていた。

 才人は思わず雪音の姿勢を見てどきどきする。

 スカートから流れる線の細い脚、素肌が白い雪のように神秘的で奇麗だった。

 見惚れずにはいられなかったが、顔に出さないように平穏を装った。

「大丈夫か……!?」

  寝起きのような声で、雪音に手を貸す。

「ありがとうごさいます」

 雪音は才人の手を掴み、頬を赤くする。

「どうした?」

「い、いえ。なんでも。それにしてもうなされていましたね」

「そ、そうか?」

 才人は寝ている姿を見られたと思うと、恥ずかしく感じた。

「そこにいたのか?」

「ええ。ぐっすり寝ていらしたので……」

「すまない」

「いえ。すごくつらそうに見えますけど」

「気にするな」

 才人は目を逸らす。

「ですが、汗かいてますよ?」

 雪音はハンカチをポケットから取り出して、才人の頬に当てる。

「い、いや……その……ハンカチが汚くなる……」

「汗かいたままですと風邪ひきますよ?」

「だけど……」

 そんなやり取りをしていると、神威と緋色が扉の前でごほんと咳払いした。

「そろそろいいか?」

「見ているほうが恥ずかしいんだけど」

 二人はそう言い放つ。

「違うそういう意味じゃ――」

「迷惑でしたか?」

 見上げる雪音を見て、才人は心臓の鼓動が高鳴ってしまった。

「ち、違う。うれしかった。ハンカチ……洗って返すよ」

「いえ。大丈――」

 雪音はそう言おうとしたが、一瞬だけ言葉を止めた。

 この機会に、もっと才人と話せるかもしれない。

 そういう口実がほしい。

 頭の中に、そんな邪な考えが過ぎっていた。

「どうした?」

「やはり洗ってもらってもいいですか? その……家の洗濯機、お祖母ちゃんが壊してしまって……」

 嘘をついてしまった。自分が計算高い女になっている気分で、罪悪感を得てしまった。だが、もう後に引くことはできない。

「わかった。それじゃあハンカチ預かるね」

 才人はそう言ってハンカチを受け取ると、雪音は口元が綻ぶ。

「……話をしていいか?」

 夢に出てきた神威を思い出しそうになったが、才人は夢のことを脳の隅に置いて神威をしっかりと見た。

 緋色は横目で、雪音を盗み見する。

 思わず眉が吊り上がっているが、緋色自身は気づいていなかった。

 その様子を察した神威は、

「ここで話をするのは都合が悪い。地下一階の古典部で集まってくれ」

 昨日古典部に来てくれと伝えたはずなのだが。と最後につけ足して神威は言うが、神威の言葉は誰の耳にも届かなかった。

 神威は屋上の扉を開けて、この場から離れた。

 残された三人は顔を見合わせ、神威の後を追った。

 

 横引きの扉をスライドさせる。

 鼻がむず痒くなって、才人はくしゃみをする。

「埃っぽいな……」

「掃除したのですか?」

 才人と雪音は古典部の部室を見渡した。

 乱雑に脇に追いやられたパイプ椅子と中央には業務用の机と椅子、そして机の上にはミル付きのコーヒーメーカーと紙コップが一式揃っている。

 そして神威が座っているのだろうと思われる机には飲み残しのコーヒーと古めかしいノートパソコンがごちゃごちゃと置いている。

「ずっとここで過ごしていたのか?」

「まあな。不測の事態に備えて動かなければならないからな」

「ですが、あまりにも……」

「質素よね」

 雪音に続き、緋色も言う。

「これでも便利な部屋だ。ここでは死霊の察知も関与だ。それに教師からの許可も下りている。問題ない」

「ノートパソコンもあるんだな」

 才人はノートパソコンを物珍しそうに見る。

「……初めて見た」

「僕も初めてだ。魔法の応用によって何とか動かせるようになった。前時代程のネットワーク機能は搭載されていないが無いよりはマシだ」

「でも、スマートフォンやノートパソコンの類って禁止なんじゃなかったの? この島に影響を及ぼすとかなんとかって」

「特別に許可は得ている。必要最低限の機能しか無いさ。それに過去の死霊のデータを調べるだけだ。プライベートでは使わないさ」

 このオノゴロ島では既にインターネットを用いた環境が朽ち果てていた。魔法を使っての類似品を開発しているらしいが、島の人たちには出回っていない。

 強いていうなら、前時代の前の――ネット環境が無い時代に逆戻りになったのだった。

「そう?」

「そうだ」

 神威は腕を組み、飲み残したコーヒーを口に運ぶ。

「お前たちも飲むか?」

「わたしは遠慮しておく」

 緋色は言った。

「そうか」

「ところで、私たちに何か用があったのでは?」

「ああ。これを見てくれ」

 机の引き出しから三枚の写真を取り出して、中央の机に置いた。

 その場にいる皆は写真に注目する。

「これは死霊?」

 映っていたのは前回討伐した死霊よりも大きく、まるで天使や悪魔といった類にの神話に出てくるような姿をしていた。強いていうならば神々しいイメージだ。

「随分とお上品な死霊なのね」

「……大きいな。想像以上だ」

「ええ」

「こいつがいつこの島に襲ってくるかわからない。早めに対処したいところなのだが……」

 神威は言葉を止める。

「どうかしたのか?」

「今回の死霊は直接攻撃は仕掛けない。だが、相手の脳に直接干渉し、過去や未来の不安を煽る幻覚を見せる厄介な奴だ。当然干渉された人間は極度の不安障害を起こす」

「被害は出たのか?」

「ああ。すでに一人が被害に遭っている。ここの生徒だ」

「卑劣なのね」

 緋色が言うと、神威は真剣な表情で視線を向ける。

「お前は今回の戦いから外す」

 神威の言葉に、緋色は驚きを隠せなかった。

「どうしてよ!?」

「どうしてもだ。お前は勝手な行動が多い」

「勝手って……初めてだから仕方ないじゃない! それとも足手まといって言いたいの?」

「……お前の適正上を考慮して言っている。それに今回の死霊と戦うには不向きだ。もちろん才人、お前もだ。今回は雪音の矢が必要だ。ただ、万が一の状態に備えて才人は雪音の守備に徹してほしい」

「俺が?」

「わたしだって……守備ぐらいできるわよ」

「才人、お前は既に死霊とリンクしたのだろ? 正しくされたと言った方がいいかもしれない。夢を見ていたはずだ」

「どうしてお前が知っているんだ?」

「漠然とだが、わかるさ……お前たちとリンクを切っても残りの神経回路が脳に伝わるときがある」

「それじゃあ私たちが考えていることも?」

 雪音は頬を赤くして、手で頬を抑える。

「安心しろ。Lフィールド外では早々わからない。才人の夢が通じたと言っても一時的なものだ。内容までは把握していない」

「ならいいのですけど……」

 雪音が安心すると、緋色は眉を吊り上げた。

「これじゃわたしのけ者扱いじゃない!」

「頼む。今回は大人しくしてくれ」

 神威は緋色の目の前に立ち、頭を下げた。

「べ、べつに……まるでわたしが……わかったから大人しくしてる」

 緋色は素直に引き下がった。

 意外と素直なんだな。という才人の感想をよそに。

「助かる」

 神威が言うと同時に警報が鳴る。

 そして窓から覗く空は赤に染まり、Lフィールドが形成されていく。

 恐らく狙いは俺たちの誰かが狙いなのかもしれない。一度つけこまれた才人か、あるいは雪音か緋色か。

 とにかく雪音を護衛することが大事だ。

 才人はそう心に誓う。

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