第1話 空 (後編)

 放課後。

 何事も無かったかのようにホームルームが終わり、才人は、神威に後で集まるように指示された場所へ足を運ぶ。

 生憎、授業をサボったことに対して、お咎め無しだった。もう教師たちから見放されたのだろう。

 まあ、その方が助かるのだが。

 学園を出て、隣の素朴な木々を眺めながら街道を歩く。

 特に理由は無いが、木々を見ているだけで少しは心が落ち着ける。

 それに人通りも少なく安心した。

 俺は人を眺めるより、自然を眺める方が楽しい。

 その方が、心が洗われる気がする。

 本当は空を眺めながら歩きたいが、さすがに通行人の邪魔になってしまう。

 ゆっくりと歩き、漠然と木々を眺めては楽しむ。

 だが、目の前にいるだろうと思われる人の足音のせいで、才人の足が止まった。

 気配的に自分の存在感を丸出しにしている印象を受けるから、大体予想はついていた。

 才人は、木々を眺めることをやめた。

「ねえ。いつもそうやって歩いているの?」

 腰に手を当てて眉を吊り上げた緋色が、正面に立ち尽くしていた。

 やはり、というか緋色の存在は意識していないにも関わらずわかってしまう。出会ってそんなに経ってもいないのに。

「まあな……」

 意識がぼやけているのか、才人はそのままのぼやっとした感覚でこたえた。

「危ないわよ。ぼうっとして歩いていたら」

「そうだね」

「なんかその物言い、気に食わない」

「どうして?」

「別に。ただ冷たいなって……思って……」

「冷たい? 俺はいつもこういう感じだ」

「わかってるわよ!」

 緋色は口をへの字に曲げる。

「なんか不機嫌そうだね」

「まあね。さっき説教を食らったのよ」

 腕を組む緋色。

「サボったから?」

「それもあるけど……神威によ……」

 死霊との戦いで諸突猛進する自分の身勝手さを思い出して恥ずかしくなり、視線を下に落とした。

「神威が君に?」

「どういう意味?」

 怪しむ目で、才人を見た。

「い、いや。きっと神威は君のことを心配しているんだ」

「そうかしら。わたしが役立たずだから文句言いたかっただけよ」

「それはないと思うけど……」

 才人は苦笑する。

「まあいいわ。じゃあ先に帰るね」

 緋色は右の狭い通路に足を向けて、手を振るった。

「おい、俺に用があったんじゃないのか?」

「えっと。もう解決したから」

 顔色を変えた緋色は、いそいそと狭い通路に走り出した。

 見送るように呆然と立つ才人。

「なんだかな……」

 気を取り戻して、才人は歩き出した。


 指示された場所は、海が見える丘。

 周りを見渡しても何も無い。

 ただ地元の人が散歩で立ち寄る見晴らしの良い場所でもあり、12月25日の夜になると地水火風の元素が集合し蒼く輝き始める。

 昔はこの日をクリスマスと呼ばれていたらしいが、今は誰もそう呼ぶ者はいなくなった。

 才人は丘の先端に近づいて背伸びする。

 眠気を誘うような、生暖かい風が体に当たる。

 同時に、後ろからゆっくりと足音が鳴る。

「来たか……来るとは思わなかった」

 才人は後ろを振り返る。

「お前が呼んだじゃなかったのか? だから来たんだ」

「そうだったな」

 神威はそれ以上は近づかずに、足を止めた。

「緋色、言ってたぞ。怒られたって」

「そうか……」

「でも、反省してた」

「…………」

「何か言ってくれ。神威が呼んだんだ」

 才人は顔だけ振り向き、神威の様子をうかがった。

 神威は目を逸らして、

「お前の体に、異変が生じなかったか?」

 そう言った。

「特に今は……何も……」

「ならいい」

 神威は振り返り、その場から立ち去ろうとすると、ばたばたとこちらに走り向かう女性がいた。

 その人の名は天野優子。神威の実の兄妹であり、ロングヘアで華奢な女の子だ。

「兄さん探したんだよ? 今日の晩御飯を頼もうとしていたに――あ、才人さん、こんにちわ」

 優子は才人に一礼する。

 才人は微笑み、軽く手を挙げた。

「なんか三人でここにいるのって、久しぶりじゃない? えっと、確かね……いつ以来だったかな……?」

 才人は肩をびくりとさせ、自分の顔が強張っていることを知らなかった。

 察した神威は優子の肩を掴む。

「……昔のことだ。それよりも晩御飯買いにいくか?」

「もう晩御飯買っちゃったよ? あっそうだ! これから才人さんを呼んで家で食事しない?」

「いや、俺は……」

 才人は動揺した。

 その姿を一瞥した神威は、目を閉じた。

「せっかくだ。僕の家に来ないか?」

「ねえ。兄さんもオッケー貰ってるし、行こうよ」

 優子は丘の先端まで歩き、才人の腕にしがみついた。

 小さい胸の感触が腕に当たり、才人は妙な恥ずかしさを覚えた。

「わ、わかったから……いくよ」

「よかったぁ。じゃ先にいって準備するね!」

 才人から離れた優子は二人に手を振り、颯爽と場を立ち去っていた。

 優子の姿が見えなくなることを確認し、神威は才人に視線を変えた。

「才人……」

 神威は口を開いた。

「なんだ……?」

「俺の妹は……料理が壊滅的だ」

「えっ?」

 ぽかんと空いた口が塞がらなかった。


 白兎神社。

 オノゴロ島の神武学園から徒歩10分で着く位置にあり、この島の唯一の神社である。白兎を神と称えて皮膚病に霊験のある神として信仰されている。

 もう一つ、特定の人と縁結びの神としてかなわぬ恋をかなえ、人と人との親交をより深める神としても信仰される。

 遠国の人もこの兎に願えば早く国に帰れるという話もあるが、それは昔の話。

 今では『恋の聖地』として注目を浴びている神社である。

 そして、『白兎の巫女』である雪音は掃除を終えて、ひと段落したところだ。

 雪音はホウキと塵取りを掃除用具入れに片づけて、客席用のベンチに座って背伸びをする。

 少々疲れ果ててしまったのか、雪音は小さく欠伸をした口を手でふさいだ。

 その時、冷たい鉄のような感触が頬に触れる。

「雪音、お疲れ様」

 缶ジュースを差し出す緋色が、そこにいた。

 缶ジュースにはオノゴロ島特性のラベルが張っていた。この島の名物の一つである普通のブレンドコーヒーである。少々糖分の分量が目に入るが、甘くておいしい飲み物だ。

「ありがとうございます」

 雪音は受け取って、丁寧な手癖で蓋をあける。

 一方、緋色は蓋をあけてがぶ飲みする。

「少し甘ったるいけど、糖分が必要なときは助かるわ」

「そ、そうね」

 雪音は苦笑した。

「それはそうと、いつもこんなことしているの?」

 緋色は神社の周辺を眺めた。

「そうですね。もう日常みたいなもの。とは言っても最近は掃除ばかりですけどね。ところで、今日は私に何か御用ですか?」

「御用が無いと来ちゃダメなの?」

「べ、べつにそういうわけじゃないです。緋色がここに来るなんて、珍しいと思いまして」

「そうね……前だったらわたし、あなたと一緒にいると苦痛に感じちゃうもの。だから珍しいかもね。こうして二人で座っているのも」

 緋色は空を漠然と見上げながら、そうつぶやいた。

「そ、それは私も一緒です」

 雪音は不安と苛立ちが混ざる声調で言った。

「ごめんごめん。別にこの話のために来たわけじゃないから。ただ気になったのよ……何というか……」

 緋色は言葉を濁らせ、決意したかのように顔を引き締めた。

「才人のことが……好きなの?」

「えっ!?」

 思わずコーヒーを吹き出すところだったが、雪音は驚きの目と共に口を押えた。

「緋色、何を言い出すのですか?」

「才人に対して、態度違うし……」

「才人さんとは、まだ出会ったばかりですよ? そういう感情はありません!」

「そ、そう? ちょっと拍子抜けかも……いや、こっちの話」

 緋色はすとんと肩を落として、言った。

「……緋色は好きなの?」

 雪音が小さく、細い声で言う。

「何が?」

「緋色が才人のこと、気になっているんじゃないかと……」

 雪音は視線を落として、缶コーヒーをゴミ箱に捨てる。

「い、いや……わたしは別に……」

「そう?」

「そうよ」

 その後、二人はしばらく黙りこくった。


 その頃。

 緊張を隠す才人は、優子と神威の間に挟まれて、晩飯を終えた。

 特に味噌汁やオムライスが美味しく感じた。盛り付けは少々不慣れな感じではあるが、味は保証できる。

 才人の食べ終わった皿を、優子が手に取る。

「優子、誰かに学んだのか?」

 神威は横目に、コップに注がれたお茶を飲む。

「少し友達に教わってもらったの。才人さんはお口に合いましたか?」

 優子は食べ終わった皿をまとめる。

「ああ。おいしかったよ。神威が言うほど壊滅的ではなかった」

「ちょっと! 変なこと言ったでしょ!?」

「悪かった。手伝うか?」

「いい。兄さんは黙ってそこで座ってなさい」

「…………」

「俺、手伝うよ」

 才人は椅子から立ち上がる。

「いいのよ。才人さんは客ですから」

 優子が才人の肩を掴んでは座らせ、まとめた皿を持って台所に向かった。

「良い妹さんだな」

 隣の神威に話しかけた。

「そうだな。昔はどちらかというと暗い性格だったのだがな……」

「とてもそうには見えないけど……」

「あいつはいつも学校から帰ってくると疲れた顔していた。友人と思っていた奴にいじめを受けてな」

 優子が台所で食器を片づけているのをよそに、神威は小声で語りかけた。

「そうか」

「すまない。つまらない会話をした」

「そ、そんなことはない」

「どうしたの?」

 丁度優子が台所から顔をひょっこり出して、才人たちを見た。

 優子の声に、才人は慌てて首を振るった。

「き、気にしないでくれ。なあ、神威」

「その態度では怪しいと言っているのと一緒だぞ」

 神威は才人の右肩を叩いた。

「ふふっ」

 優子は笑った。

「良かった……」

「どうした? 何か変か?」

「ううん。別に」

「……俺、そろそろ帰るよ」

「僕が送っていこう」

 了承した優子は手を振って、二人を見送った。


 夜のオノゴロ島の風は冷たく、肌寒い。

 隣を見渡すと海が広がっている。

 だがらだろう、肌がじわじわと染みるのも。

「……何だか悪いな」

 ポケットに手を入れたまま、言う才人。

「いや、久しぶりに楽しい食事が出来た」

「でも、お前、優子といつも食べているんじゃないのか?」

「しばらく古典部を拠点に閉じこもっていたからな」

「古典部に入部していたのか?」

「そうだな。正しく言うと古典部の部室を使わせてもらっている。二人にも伝えたが、明日の放課後地下一階の古典部に集まってくれ」

 神威は才人に視線を向けた。

「あ、ああ」

 そういえば古典部って廃部したんだ。

 去年の夏ごろ、だったかな? 

 才人はふっと去年の夏を思い浮かぶ。

 競技大会? 文化祭? (文化祭は秋頃だったような)

 緋色と雪音の険悪な関係だった頃、生徒会長の神威がせわしなく学園中を走り回っていた、噂で聞いた内容を自分の脳内でイメージを作り上げていた。決して自分の目で見た記憶じゃないから何とも言えない。

 けど、その頃の俺は何をしていたのだろうか。

 また、サボって空でも見上げていたのだろうか?

 学園の行事ぐらい、サボるような性格じゃない気がする。

 俺は何をしていたんだ?

「……おい、才人。聞いているか?」

「ごめん。ぼうっとしていた」

「そうか……隙あればぼうっとしていたからな、お前は」

 神威は呆れた。

「俺、そんなぼうっとしていたか?」

「自覚ないのか?」

 神威が言うころには、才人が住む古めかしいアパートが目に見えていた。

 入り口の隣には錆びついた自転車が一台置いたままなのが、神威の懐かしい思い出を甦らせていたのだった。

「まあな。それじゃ俺はここで」

「ああ。優子のために付き合わせたな。すまない」

「別に構わないさ。楽しかった」

「そうか」

「ああ」

「…………」

「……じゃあな」

 二人はぎこちない口調で言い、才人から別れを切り出すように軽く手を振るって、家まで走り去っていった。

 才人と別れ、一息つく神威は振り返って来た道を戻る。

 その時、左目の古傷に痛みを感じる。

 空は一瞬だけ赤く染まり、海の波や空を舞う鳥、周囲の動作に対するものが止まった。

 まるで時間が止まるかのように。

「死霊が来るというのか……?」

 神威は左目を手で支えて、顔に下にうつむいた。

 これからまた、死霊が動き出す。

 当然、また彼らの力を借りなければならないのだ。

 彼らの責任を負うプレッシャーは、神威の心を重圧させるのであった。

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