空の死霊
ウォズ
第1話 空 (前編)
2050年。
日本という国は滅び、ある孤島だけが唯一の人と文化が集まる場所でもあった。
その島の名はオノゴロ島と名付けられた。
古事記にもそういう島の名はあったが、それとこれとは別の話。
オノゴロ島の外は広い海に囲まれて、日本から外れた島である。日本と文化を象徴する神々が作り出したといわれる世界最初の島。自ずから凝り固まってできた島との意味でもあるらしい。
人類は島に集まっては暮らして、数年。
島に隠された古代のペンダントによって魔法が実現し、適性のある魔法、地水火風の属性が人間の脳神経に記憶を刻み、年齢が上がるともに使用できるようになった。
そして、同時に空にも異変が起きる。
まるで世界の終わりを示すような前兆なのかもしれない。
4月10日。月曜日。
オノゴロ島の中心地にある神武学園は平和な日が続いていた。
机からこつんと音が鳴る。
「今日も神木の奴いないのか……まあいい。嶋中、次の中から完全数を選んでくれ」
教科書を乱暴に机の上に叩いた教師の声が教室に響く。
「はい」
嶋中は椅子から立ち上がる。
嶋中が返事する中、後ろから数えて一番端の左の二列目の席に座る一人の男性が欠伸をして背伸びを始めた。
神武学園で在学する10代半ばの背が高くそれなりに整った顔立ちをしたざっくばらんな黒髪の男性は、椅子から立ち上がり、最初の授業である数学を抜け出して1年B組の教室から出る。
「おい、お前どこに行く!」
「トイレ」
「授業中トイレ行くなって言っただろうが!」
教師の声が耳に入るが、男性は無視した。
そして、教室から見て東の位置にある階段へ向かう。
俺が抜けだしたところで周囲は口で文句言うほど困りもしないし、教師も周りの生徒も立場上の建て前以外はとやかく言ってこないのだ。(教師や生徒たちの陰険な愚痴なら言いふらされていると思うが……)
廊下に出た男性は足音を立てずに階段を蹴っていく。
三階、屋上へ。
心地の良い風が体に当たる。
屋上に辿り着いた男性は、ばたりと思いっきり背をつけるように倒れて、晴々とした青空を眺めた。
「奇麗だ……」
咄嗟に独り言をこぼした。
ぼんやりと目を開いては青空を眺めていた。
人によって貴重な授業を捨てて、その時間を空を眺めるのに消費するのはお利巧ではないと思われるかもしれない。
だが、男性にとっては一番の心のケアとなり、安心感を覚えるのだ。
同時に、陰鬱な授業雰囲気に馴染めないのだ。
男性はしばらく空に浮かぶ雲を数えていると、やたらと目がパチクリと開く様が可愛らしく、活発で元気な笑顔を見せる女性が男性の視界を埋めた。
風で靡く黒い髪は奇麗で、後ろ髪に結ぶ白いリボンが可愛くワンポイントとして効かせている。
「才人ってまたサボってるの?」
男性は名指しで言われ、顔には出さないが心の中では焦りを見せていた。
才賀才人。
それが俺の名前であるにも関わらず、人に名前を呼ばれると何だか落ち着かない気分になる。
決して嫌いというわけではないのだが、どうも慣れない気がしてならないのだ。
才人は渋々体を起こして、地面に座るような姿勢になる。
合わせて前かがみ姿勢の女性は、顔同士ぶつからないように距離を離した。
「……お前もサボりか?」
才人は女性の顔を見て言った。
「あんたと一緒にしないでよ! それにわたしは柊緋色って名前があるんだからね!」
緋色は声を大きく荒げた。
「緋色。少し声が大きい。周りに聞こえたらどうする」
「ご、ごめん……」
緋色は慌てて口を手でふさぐ。
「でも、やっと名前で呼んでくれたんだ……」
頬が赤くなる緋色をよそに、才人は回転率の悪い脳に意識を集中させた。
いつから人を名前で呼ばなくなったのだろう。もちろん必要なときは人の名前で呼びかけてたりはしたはずなんだが……それとも緋色という女性には名前で呼んでいないのだろうか?
「なあ……」
「なに?」
今度は柔らかい声で反応した緋色。
「そんなに俺は名前で人を呼んでいないのか?」
「そうね。わたしといつも屋上で会っているというのに、一度も呼んでくれなかったわ。まあ最初のころに比べてすごくマシになった気がする」
「マシ?」
「だって、最初のころはこうして声をかけても無視じゃなかった?」
悪戯な笑みを浮かべて、顔を近づける緋色に、
「そうだったか……?」
尻を地面につけながら、思わず才人は後ろに足を引きずった。
「もう……そんな嫌な態度取らないでよ」
「そんなつもりじゃない……だが、どうして君はここにいる?」
「わたし? わたしは……ほら! ここで休憩してたのよ。今文化祭が近いでしょう? 小物の出し入れや仮装大会の準備やら、みんな私に雑用押し付けてきて……抜け出してきたの」
「けれど、今の時間は普通に授業のはずだが?」
「べ、別にいいじゃない! たまに……ていうか才人に言われたくない!」
緋色はむすっとした表情で、そっぽを向いた。
「そうか」
才人はそう返事した。
「…………」
「…………」
二人は沈黙する。
「……ねえ、なんかしゃべってよ」
沈黙に我慢できずに、緋色は口を開いた。
「あ、ああ……そうだな」
才人はごほん咳払いし、重い腰を上げた。
屋上を囲うフェンスに近づいて、ふいに東の空を見上げた。
「緋色」
「な、なに?」
「あの空、何か変じゃないか?」
「どこ?」
才人に名を呼ばれて、少し照れ臭くなっている緋色は、フェンスに寄ってとりあえず言われた通りに空を見上げた。
特別変わった様子はなさそうと判断した緋色。
「そう? 変ってわけじゃなさそうだし……普通に見えるけど?」
「本当に言っているのか?」
「ええ」
「もう一度見てみろ! あの空が普通に見えるのか?」
才人は東の位置に値する空に指を刺した。
まるで目立ちたがり屋のように、東の空の周辺だけ虹色に光り輝いていた。
虹色の空は穴が開いたように空間を作り出していたが、すぐに消えて元通りになっていた。
首をかしげる才人。
「あれ?」
「あれじゃないわよ!」
緋色は眉をひそめて疲れた表情を見せた。
「すまない……俺の気のせいだ」
目を瞑った才人は目頭をぎゅっと掴み、ゆっくりと目を開けた。
目の辺りがすっきりしたような感じは受けたが、空をはいつも通りに青々と広がっていた。
やはり、俺の気のせいなのだろう。
目の使いすぎなのだ。
きっと。
才人は小さくため息をこぼした。
「ボケちゃったわけ?」
緋色は才人に視線を向けて言うと、屋上の扉からぎっと軋む音が鳴った。
俺たちの声が漏れてしまったのだろうか。内心焦り感じた才人は緋色を一瞥し、扉に視線を移した。
「今日はえらく突っかかるのね」
緋色と同じ同級生である雪河雪音が、背の半ばまである艶やかなストレートの銀髪を靡かせて現れた。
可憐で神秘的な才色兼備と、クラスで噂になっていた人物とはこの人のことだったのかと改めて才人は知った。
緋色と雪音は同じ1年A組であり、生徒会役員だ。
もちろん、才人にとって初めて会う人物でもある。
「突っかかってないわよ。雪音こそどうしてここにいるのよ」
「私はただ……」
雪音は少しだけ空を見上げ、すぐさまに緋色に視線を戻した。
「誰かに呼ばれたような気がしたので……」
「つまり、授業を抜け出したのね」
「ええ……」
気まずい雰囲気を醸し出して、頷いた。
「わたしもそう」
緋色はとやかく言わずに、自分も同じだと言った。
「そうなのですか?」
「でも、さっき……」
才人は口を挟む。
「あ、あまり細かいこと気にしないでよ。でも、本当よ?」
「そうだね。こんなことに嘘ついても意味がないからな」
「なんか棘のある言い方ね」
「決して、そんなつもりで言ったわけじゃない……」
内心慌てる才人だったが、口調は思うより落ち着いていた。
「わかってる。あなたはそんなに悪い人には見えない」
「そうか……」
才人がこたえると、雪音が近づいてきた。
「ところで、才人さん……えっと……はじめまして。雪河雪音と申します」
「才賀才人だ。よろしく」
「はい。よろしくお願いいたします。才人さんも誰かに呼ばれてきたのですか?」
「才人はただ授業サボっただけよ」
緋色が変わりに口を挟んだ。
偉く不機嫌な物言いに、疑問を感じて困惑する才人。その様を横目で見る雪音。
「まあ。そうでしたか。おサボりはよくありませんよ?」
「肝に銘ずるよ」
「うふふ」
雪音は口に手を当てて、上品に笑って見せた。
そして何故か、二人のやり取りを見て口を尖らせる緋色。
「でも、結局何もなかったわね」
緋色は言った。
「そうですね……やはり私の気のせいだったのでしょうか……」
「二人は気づかなかったのか?」
才人は自分の目で見た空を思い起こし、問いかけた。
「気づかなかった? とは何のことでしょうか?」
雪音は首を傾げた。
「いや……忘れてくれ」
才人は空の異変を言及するつもりだったが、口を閉じた。
言葉にしても、信用できないだろう。
けど、嘘になると思っていた出来事がまた起きたのだ。
「空の色、変じゃない?」
緋色は空を見渡す。
「才人が見た空って……」
「ああ。だが、さっきよりも明らかにヤバそうな雰囲気だ」
「もしかして、災厄が起きる前兆なのかもしれませんね」
雪音は声色を変えずに、ただ空を見上げた。
全体的に空の色が変化していた。青い空は朱い紅色に染まって、まるで血の雨が降り出しそうな勢いだ。
「ちょ、ちょっと不吉なこと言わないでよ」
「何か来ます!」
雪音は声を上げた。
紅色の空は割れて、一体の生命体が現れた。
黒く禍々しく、光沢のある輝きを放っていた。
生命体はゆっくりと学園の屋上へと降下していく。
「なによ!? あれは!?」
緋色は目の前の存在にびっくりして、思わず叫んだ。同時に屋上の扉がばたんと閉める音が鳴り響く。
「遅かったか……!」
一人の学園の制服を着た男が現れた。整っている顔立ちに女性のような長い茶髪を靡かせて、立ち尽くしていた。そして、左目に線のような傷跡が残る鋭い目が特徴的だった。
男は全体を見通して、前髪をくしゃくしゃとさせた。
「どうしてここにいる!?」
男は才人を見て言った。
「神威……なのか?」
才人は驚いた。
天野神威。才人と同じクラスの男性である。
昔はよく公園で遊んでいた仲である。今は何というか、近寄りがたい存在だ。
距離を置かれているのか、それとも俺が距離を置いているのか。自分でもわからなかった。
「才人……どうして君がいるんだ……」
才人を睨み、神威は苦虫を嚙み潰したような顔つきで言う。
「神威、お前は何を言っているんだ?」
「どうしてここにいるんだ! 才人!」
「ここにいては悪いのか!?」
「ちょっとここでケンカしても意味がないでしょ!」
「その前に、何か方法を探さないと……あの存在は私たちを取り込もうとしています」
雪音が言うと、神威は雪音を睨みつけた。
「雪音。お前は奴を〝敵〟と認識するのか?」
「それは……でも、明らかに私たちを受け入れるような雰囲気じゃありませんよ」
「お前たちは奴のことを知っているのか?」
神威は才人と緋色に向かって言葉を走らせた。
「知らない。雪音は知っているっぽいけど。でも、だからって……このまま放っておくことはできないわ」
「つまりお前たちの〝敵〟として認識しているんだな……才人」
「なんだ?」
神威の呼びかけに、才人はこたえる。
「お前もそう思うか? 何故死霊がオノゴロ島に来襲したのか……考えたことはあるのか?」
「考える何も……俺は初めて死霊を見た」
「そうか……あの頃のこと、何も覚えていないんだな……」
「あの頃?」
「いや、無駄話をした。最後に一つ聞きたいことがある」
神威はその場にいる3人の顔を見る。
3人は神威の口が開くまで、黙り込んだ。
「奴と……死霊と戦えるか?」
神威の言葉に、雪音が首を縦に振るった。
「私はこの日の為に、巫女としての修行を積み重ねたのです」
「わたしも付き合ってあげる」
「才人。お前は戦うことができるのか?」
神威の冷たい視線が、才人の思考を停止させた。
だか、才人はその場しのぎで頷いた。いや、脳にそう指示されたのだ。
神威は無言で肯定し、地に魔法陣を描いた。
地に描かれた魔法陣は光を放ち、剣や弓、レイピアと武器が召喚された。
その光景はまるでファンタジーの世界を見ているようだった。
「あなた、魔法が使えるの?」
「ああ。だが、俺の魔法は特殊だ。お前たちにこの武器を託す」
雪音は弓矢、緋色はレイピア、そして才人は両刃が光り輝く剣を手に取る。
緋色はレイピアの先端を見て、燥ぐ。
「これなら戦えそうね」
「けど、俺は剣なんて使ったことない」
「他の武器とは違う。Lフィールド内では自分の思うままに扱えるはずだ」
神威は手を差し出して、空間から複数の電子モニターを呼び、神威の周囲を囲う。
「Lフィールドって……この赤い空のことを言っているのか?」
才人はその瞬間、赤い空――Lフィールドの存在や死霊や魔法や剣の扱いなどの様々な情報が、神経を通して直接脳を刺激した。
多少だか、漠然と理解が取れる。
理由は不明ではあるが、神威によるサポートのおかげだろう。
「ああ。すでに脳に伝わっているはずだ。これから君たちのサポートする。来るぞ!」
四人の目の前に、死霊が着陸する。
死霊は黒いマントを羽織って赤い目を覗かせていた。
黒く光沢のある独自のフォルムは奇麗で一つの美学を感じさせる。奇妙な雰囲気と何か引き込まれるような、吸い込まれそうな勢いだ。
「ぼうっとするな……! 奴に引き込まれたらお前たちは自分を失う」
脳の神経回路から直接リンクして、神威は三人に声を届かせていた。
これが神威の言う魔法を応用したリンクシステムなのだろう。リアルタイムに神威の情報が脳に流れ込む。緋色や雪音の気配も大きく感じ取れる。
三人は我に返るように目を開いて、緋色はレイピアを握りしめた。
「いくわよ!」
「はい!」
緋色の声とともに雪音は弓を構えて矢を放つ。
矢は直線上に走る。
突き刺さる死霊。
だが、死霊は矢を吸い込み、無効化させる。
地を蹴って緋色はレイピアを突き刺す。
レイピアは死霊の腹部に突き刺さるが、吸い込まれるように緋色を引き込まれる。
「勝手なことを……才人、救援を!」
「わかった!」
才人は走り出した。
取り込む緋色を離し、柄を握りしめた。
「きゃあ!」
緋色はレイピアを手から離さずに地に倒れた。
「目を狙え!」
才人は指示に従い、赤い目に狙いを定めて剣を振りかざした。
赤い目は血のような涙を流して、体制が崩れた。
神威は雪音と脳をシンクロさせて、指示を伝える。
「雪音。もう一度目を狙って矢を放て」
「わかりました」
雪音は死霊の動きが止まる瞬間を狙い、矢を放った。
矢は目の中心に刺さり、硬直する。
死霊は石化するように固まり、砂のように消えて去っていく。
「倒したのか……?」
「ああ。運が良かっただけだがな……」
二人は空を見上げた。
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