第637話 止める必要のない理由
マリアンヌは困惑する
そして、マリアンヌの頭の中で考えが纏まったのか、
「レイラはケビンがどういう経緯で皇帝になったかを知っているかしら?」
「いえ……教団にいた頃の座学では、教会を潰してまわる“悪しき魔王”としか教えていただいておりませんでしたので……」
「そう……ケビンってね、昔は心が壊れていたらしいの。そんな風には見えなかったのだけれどね」
「心が……?」
その言葉によって
「あの子が初めて人を殺したのは8歳の時よ」
「8歳っ!?」
「しかも相手は冒険者を含めた大人のゴロツキたちよ」
「人攫いのグループでね、子供のケビンを執拗く尾行していたみたい。それで、ウザいという理由だけでケビンが殺したの。スラムの路地裏に引き込んでね」
「8歳で人殺し……」
未だに信じられない
「その後くらいかしら……ケビンがとある出来事で憤慨したのよ」
それから語られるのは、公式には魔導具の暴走という発表がなされているが、知る人ぞ知る、ケビンがフェブリア学院生時代に引き起こした無差別威圧事件である。
「それはもう、王都は大混乱よ。まぁ、結局はそれをサラが収めたのだけれど」
「それほどまでの……」
「その後は後遺症なのかどうなのかはわからないけれど、ケビンが記憶をなくしたの」
「き、記憶喪失っ!?」
驚きの内容を聞いてしまった
(やはり8歳で人を殺すなんて異常なのですわ。その時の精神的負担が無自覚に心を蝕んでいき、記憶を封印するに至ったのでは……)
「それも結局はサラのおかげで戻り始めたのよねぇ……」
(またサラ様のお名前が……)
「それからはのびのびと過ごしていたわね。15歳までは」
「また……何かあったのですか?」
「カゴン帝国、アリシテア王国、ミナーヴァ魔導王国の三国が参加した戦争が起きたのよ。今となってはいがみ合ってたみたいにして三国戦争なんて言われているけど、実際はカゴン帝国が大陸制覇を目指してアリシテアやミナーヴァに対して戦争をしかけてきたのよ」
マリアンヌが語る三国の国名のうち、
そのことから鑑みて、カゴン帝国は力を付け始めた中小国家の一国ではないのかと当たりをつけてみたが、マリアンヌの話を思い返し、それはないとすぐに否定することになる。
仮にも大国であるアリシテアとミナーヴァの二国を相手取って、中小国家の一国が戦争を吹っかけるとは思えないからだった。
そうなると、
(カゴン帝国というのは二国との戦争に負けて滅ぼされた……? その後釜にケビンさんが皇帝の座に就いたのかしら? ケビンさんは元々帝国の皇太子だった……?)
ケビンの過去を知らない
「そして、その戦争中に事件が起きたの。これもよくある話なんだけど、カゴン帝国って武力国家だったのよね。一人一人の兵士の練度が高くて、更には大軍だったものだから最前線にいた辺境伯が敗走したのよ。その時に殿を務めたのが、ケビンの実家でもあるカロトバウン家から派出された兵たちよ」
「カロトバウン家……」
その時にカシャンと陶器のぶつかり合う音が響く。それを耳にした
だが、すぐさまプリシラが駆け寄り後始末を始めていたので、
「シーラ、辛いのなら席を外していても構わないのよ?」
その言葉を聞いた
「大丈夫です。もうケビンに癒してもらっていますから。それに……あの時、一番辛い思いをしたのはケビンだから……」
(ケビンさんが辛い思い……? もしかして、殿を務めていた兵の中にいたのかしら? 15歳で成人として扱われるのなら、兵士として参加していた? 仮にそうであるのならば、目の前で自領の兵たちが倒れていく様を見てしまうのは、確かに辛いですわね)
事情を知らない
そして、マリアンヌがシーラに向かって詳細を話してもいいのかどうかの確認を取り、シーラが了承したことによってマリアンヌは当時のことを端折ることなく語り出した。
「さっき言った殿の部隊には、シーラとその兄のカインも加わっていたの」
「え……」
それを聞いた
「その2人や兵たちのおかげで、辺境伯は命拾いをしたわ。だけど、カインは捕虜として捕まり、シーラは皇帝への貢物として帝都へ送られた」
「貢物って……」
「言わなくてもわかるわよね? 女としては最悪の展開よ」
「そんな……」
マリアンヌの話を受け、戦争において捕まった女性がどういう扱いを受けるのかは、
そして、恐る恐る
「まぁ、結論から言うとシーラは性的な意味で手を出されていないわ。鞭でいたぶられてはいたみたいだけど」
その言葉を聞いた
「そして、そのことをケビンが知ってしまったの。それからのケビンは戦場跡地で痕跡を探しつつ、砦に囚われているカインを見つけたわ。そこからはケビンによる殺戮劇ね。砦にいた帝国兵を一人残らず殺し、カインを救い出した」
「一人残らず……」
「たった一夜にして砦は生者のいない拠点となったわ。いるのはケビンに惨たらしく殺された死体だけ」
「それが止めなくてはいけないほど怒った時の状態なのですか?」
「いいえ、ここで終わりではないわ。この時はまだ、シーラを助け出していないもの。それで、カインを助け出した翌日になると、今度はサラを連れて戦地へと赴いたの」
(ここでもサラ様が……)
「カインの受けた傷を見たサラが怒り、アリシテアの戦地で暴れたわ。たった1人で何万という兵士に立ち向かって。サラだからできることよね」
そのことを想像してしまった
その圧倒的数の暴力を前にして自分は1人で立ち向かえるだろうかと考えてはみるものの、すぐに頭を降って自分では足がすくんでしまい無理だということを理解した。
「それでサラが暴れている頃ケビンは何をしていたかと言うと、隣国のミナーヴァに向かっていたのよ。そして、王城で国王や王妃を攫って戦場へ連れていったの」
「えっ!?」
(く、国のトップを誘拐したんですの!? ケビンさん、やることが無茶苦茶ですわ!)
「それからミナーヴァの戦地に到着したケビンは、国王たちに兵士が邪魔をしないよう伝えるように言ったの。それだけのために国王や王妃を攫っていくなんて、さすがケビンね」
「さすケビだな!」
そこで急に相槌を打ったのは我が道を行く九十九だ。静かに抹茶を飲んでいるかと思いきや、いつの間にケビンへ注文したのか、九十九の前にはミートソーススパゲティがあった。いつものことながら抜け目のないことである。
(な、なぜ……ミートソーススパゲティが……ということは、まさか!?)
九十九へ視線を向けていた
(
相も変わらずな2人を見てしまった
きっとシリアスというものに自我があったとすれば、2人のことは気にするだけ無駄という諦めの境地に至っていたのかもしれない。
「それで、ケビンもミナーヴァに攻めてきた数万の敵兵を相手に、1人で戦うことになったのよ」
(マリアンヌ様がスルーしましたわ!?)
「ケビンがそこでしたことと言えば、数万の敵兵が誰一人として逃げられないように結界の中に閉じ込めたの。そこからは相手にしてみれば地獄よね。身動きの取れない自分たちの上空から、ケビンの魔法である光線が降り注いだんだもの」
(数の暴力に対する大規模魔法……コズミックレイ……)
「そこには恐らく……上からの命令で仕方がなく戦争に参加していた兵士もいたでしょうね。だけどケビンは、相手が泣き喚こうが何をしようが関係なく全てを殺したわ」
「もしかして、それが止めるべき時なのですか? 大量殺人を犯さないために……」
「違うわね」
その返答を聞いた
そして、好い加減ケビンを止める時とはどのような時なのか、結論を伝えて欲しいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。
これが仮に高齢者相手なら、
だがここで、思いもよらぬ救世主が現れた。
「マリーさん、結局いつケビンくんを止めたらいいの?」
そのような発言をしたのは、口元に生クリームを付けた
「んぐぅ」
「
「んー……でも、ケビンくんはクリームついてるのが好きみたいだよ? ペロって舐めてきて、その後に舌が口の中に入ってくるんだよ」
「なっ、破廉恥ですわ!」
いきなり起こってしまった
「それよりも続きだよ、続き。ケビンくんをいつ止めるのか聞いておかないと」
自分の発言で
しかし、それを受けたマリアンヌは怒るようなこともせず、ニコニコとしながら
それもひとえに、気を許した相手限定ではあるが、人懐っこい
「ふふっ、キョウカが待ちきれないみたいだから続きを話そうかしら」
それから語られたのはケビンがミナーヴァの戦争を終わらせ、その後にアリシテアの戦争も終わらせてしまったことだ。
それを耳にする
「そして、とうとうケビンがシーラを助け出すために帝城へ乗り込んだの。当然騎士たちが無法者を止めようとして襲いかかってきたらしいけど、全て返り討ちにして殺しているわね」
もう
「それからケビンが皇帝と相対したのだけれど、相手がただの人ならケビンの圧勝だったわ。だけど、結果は違った……」
「え……?」
そして、マリアンヌが語る内容は、
「相手は人の身にして魔王となった皇帝だったのよ。確か……【強欲】という称号持ちだったらしいわ。そして、この時のケビンはまだ魔王になっていない人の身。勇者ではないケビンでは勝ち目がなく、倒れてしまったの」
「そ……それで……」
いつしか
「それで……ケビンの力をもっと引き出して能力を奪おうとしていた皇帝が次に目をつけたのは、ケビンが助けようとしたシーラだったのよ」
「シーラさんが……!?」
「それから皇帝がシーラのドレスを破ったことによって、シーラは泣き叫んだわ。そして……ケビンが激怒して、手をつけてはいけない力に手をつけた」
「手をつけてはいけない力……?」
「その力の概念は“死”らしいわ」
「え……“死”って……?」
「ありとあらゆるものの“死”よ。レイラもさっき見たでしょう? ゴブリンヒューマンの剣が朽ちていくのを」
マリアンヌのその言葉によって、
「まさか……あの漆黒の……」
「その力の由来はケビンの過去に関することだから、本人に尋ねるといいわ。私の口からは言えないし、このことを知っているのはごく一部の妻たちだから、適当に尋ねて回っても空振りするか
「……わかりましたわ」
「それじゃあ話を戻すけど、その力に手をつけたケビンは皇帝を圧倒したわ。当たり前よね、あらゆるものの“死”を操るんだから。だけど、当時はその力を制御できていなかったから、ステータスアップした力で圧倒したという感じかしら」
「圧倒するほど力が増したのですか?」
その話によって
「そうよ。最初は互角の戦いからスタートして、皇帝が力を解放してからは均衡が崩れ、皇帝有利になったところでのケビンのパワーアップ。皇帝側に傾いていた天秤は一気にケビン側へ傾き、一方的な戦いになったらしいわ。そして、ケビンは皇帝を殺すに至った」
そこで話を区切ったマリアンヌはプリシラに紅茶のおかわりを頼むと、未だゴブリンヒューマンを痛めつけているケビンへ視線を向ける。そして、新しく入った紅茶を一口飲むと、再び口を開いた。
「カゴン帝国の国色は実力至上主義。今あるケビンの治世もそうだけど、今と違うのはカゴン帝国では武力だけが認められていて、皇帝の地位すら武力で決めていたわ。だから兵士の練度が高く、武力国家と言われていたのだけれど。そして、その国で一番強い皇帝を倒したケビンは、当然のことながら次代皇帝となるはずだった……だけど、そうはならず皇帝の座は空位となった」
「え……それはどういう……」
だが、そのような
「わかった! ケビンくんが面倒くさがって皇帝にならなかったんだ! それで、みんなから説得されて、渋々引き受けて皇帝になったんだ!」
元気よくそう解答したのは
よって、皇帝などという如何にも面倒くさいことになりそうなことからケビンが逃げてしまい、皇帝の座が空位になってしまったのだと予想したのだ。
「ふふっ、キョウカはケビンのことがよくわかっているのね」
マリアンヌがそう告げた言葉によって、
物事をあまり深く考えない
「でも、空位になった理由はそれじゃないの。確かにケビンは面倒くさがって、妻の1人であるケイトを暫定で女帝の座につけたわ。そして、私たちが皇帝になるよう仕向けたのも事実。だけど、空位になった理由は皇帝との戦いでケビンが傷ついたからなの。恐らくあの戦争でケビンが殺した敵の数は10万人を超えるでしょうね。そして、心を痛めてしまったケビンは、周りが気を使わないでいいようにひっそりと誰もいないところで療養するに至ったのよ」
想像もつかないほどの人数を殺したというケビンの過去話を聞いた新妻たちは、一様に顔を俯かせ暗い雰囲気となる。自分たちも人ではないが、人型の魔物を初めて殺した時には気分が落ちたのだ。それを考えると同じ人間のうえ、たった一人殺しただけでも心にのしかかる重圧は計り知れないだろうと誰しもが思った。
「だから、私たちは二度とケビンが傷つかないように、手をつけてはならない力に手をつけようとしたら、何がなんでも止めなきゃならないの。これは第1夫人が決めた、私たち妻が守るべき最優先事項よ」
こうしてマリアンヌはケビンの過去話とともに、今の現状でケビンを止める必要性がないことを、質問者でもある
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