第635話 真打ち登場?

「どうした? さっきまでの威勢が見る影もないぞ」


 明らかに体力を消耗しており、肩で呼吸をしているゴブリンヒューマンは無敵の言葉に苛立ちを感じてしまい、奥歯をギリギリと鳴り響かせる。


 そして、それを目にしている無敵は【珀琥びゃっこ】を肩に乗せ、相手の出方を窺っていた。


 その一定距離の空いた2人を相対的に見ると、小城の中での戦いと違い、今は無敵が余裕綽々としている。


「…………るな」


 俯いているゴブリンヒューマンがボソボソと呟いた言葉を、無敵は拾うことができずに首を傾げながら返答する。


「ん……? 何か言ったか? 命乞いしても無駄だぞ。お前の命は支払いのために刈り取るからな」


「……ふ……ざけるなぁぁぁぁ! 魔王であるこの俺が、人族ごときのゴミに負けるわけがねぇぇぇぇ!」


 魔王であるというプライドが傷つけられたゴブリンヒューマンは、相対している無敵に向かって行くのではなく、何故か180度方向転換をし、走り去っていった。


「…………え?」


 そして、その様子に唖然とする無敵や、その他大勢。


「魔王が逃げたでありますな」

「あそこから、更に熱きバトル展開があると思ったのでごわすが……」

「一目散に逃げたですぞ」

「てっきりキレた魔王が変身するかと思ったでござる」


「「「それ、フラグ!!」」」


「あ……やってしまったでござる……」


 オクタの男子メンバーがそのような会話を繰り広げている中で、唖然としていた他の者たちの中から九鬼が声を上げた。


「おい、力也! 逃げられてんじゃねぇよ!」


「知るかよ! いきなり魔王が逃げ出すなんて、誰も想像できないだろ!」


「お前が余裕ぶっこいて、さっさと始末しないからこうなるんだ!」


「現状の力で、魔王にどの程度通用するのかを試すのは当たり前だろ!」


「てめぇの当たり前を常識にしてんじゃねぇよ!」


「んだとぉ! やんのかコラァ!」


「上等だ! かかってこいや!」


 そして、何故か殴り合いの喧嘩を始めてしまった無敵と九鬼。その様子を見る他の勇者たちは、更に唖然としてしまう。


 すると、唖然としている勇者たちは、ストッパー役と決めつけている十前ここのつに視線を向けるが、その本人は『無理だ』と心の声を表すかのようにして、首を横に振っていたのだった。


「あらあら、元気ねぇ」


 そのように呑気なことを言っているのは、ティータイムを楽しむマリアンヌである。気分は既に、演劇でも見ているかのようだ。


「あのっ……恐れながらマリアンヌ様!」


 そこで声を上げたのは、ティータイムの席についている勅使河原てしがわらだ。財閥令嬢として序列というものを身近で感じていたためか、完全にビビりあげている。


 これが、ケビンの嫁になる前なら、敬意を持って接するという範囲に留まっていたのだが、如何せん、今は身内となってしまったのだ。嫁姑問題とは違うかもしれないが、そのような関係であっても不思議ではないほどの年の差である。


 だが、その年の差はマリアンヌが年齢を明かしていないため、勅使河原てしがわらは見た目年齢を元にして、“若い”という判断をしているが。


 その見た目年齢も、そのままを基準にするのではなく“若く見えるだけ”というのを考慮して、予想年齢+5歳の範囲で考えていた。


 まぁ、その予想年齢をマリアンヌに言ってしまえば、ただ喜ばれて可愛がられるぐらいに大きく外れてはいるのだが、そのことを勅使河原てしがわらが知る由もない。


「“様”だなんて、他人行儀ね。“様”をつけるのなら、私じゃなくてソ――」


「お母様!」


 うっかりソフィーリアの名前を出してしまいそうになっていたマリアンヌだったが、アリスから声をかけられたことにより凡ミスを事前に回避した。


 まぁ、仮にソフィーリアの名前を出したところで、勇者たちは女神との初対面時に名前を教えて貰っていないので、どうということはないのだが。


 それでもひた隠しにするのは、ひとえにケビンの意志を尊重しているに過ぎない。新しく仲間入りした嫁にソフィーリアのことを紹介するのは、基本的にケビンの役目だからだ。


「――そ、そう! サラにつけるべきよね。なんと言ってもケビンの母親ですもの!」


 そのように苦し紛れに言葉を変えて答えていたマリアンヌの心はヒヤヒヤものであったが、勅使河原てしがわらとしてはマリアンヌとアリスの不思議なやり取りよりも、現状を打開する方が優先されてしまう。


「そ、それで、お願いがあるのですが……」


「お願い? 何かしら?」


「あの2人を止めることはできますでしょうか?」


「あの元気な2人のこと?」


「げ、元気……」


 なんとも近寄り難い壮絶な殴り合いをしている無敵と九鬼に対して、それを“元気”という言葉だけで片付けてしまうマリアンヌに勅使河原てしがわらは戦慄してしまう。


「そうねぇ……クララなら止められるんじゃないかしら? アブリルもいける? 当然の事ながら私は無理よ。あの2人を殺すのなら止められるけど、それをしたらケビンに嫌われてしまうもの」


「なんだ? アレを止めるのか? 元気のある男子おのこで良いではないか」


 そのような返答をしてしまうクララによって、勅使河原てしがわらは協力を得ることが難しいことを知る。マリアンヌたちにとっては、無敵と九鬼の喧嘩をじゃれあい程度にしか考えていないのだろう。


「てめぇ、その魔力を消しやがれ! このドーピング野郎!」


「うるせぇ! 勉強と反復練習するだけで、何でも身につけるチート野郎に言われたかねぇよ!」


「何でも身につけられるわけがねぇだろ! 俺はその魔力放出をできないんだぞ!」


「当たり前だ! 魔王の特権であるこれを使われたら、魔王をやってる意味がねぇだろ!」


 相も変わらず罵りあいながら喧嘩をしている2人だったが、勅使河原てしがわらはそれを目にしながら頭を抱えてしまう。いったい、魔王討伐の戦いは何処に行ってしまったのだろうかと。


 そのような出来事が魔王討伐をよそにして行われている中で、再び地面を割る音が鳴り響く。


 その音を聞いた勇者たちは発生源に目を向けると、そこには、いかにも古城の壊れた壁面から飛び降りてきましたと言わんばかりの、地面に着地しているゴブリンヒューマンの姿があった。


「逃げた魔王が戻って来たでありますな」

「トイレに行ってきたとかいうオチでごわすか?」

「満を持しての登場っぽいですぞ。今更感が拭えませぬが」

「何やら、今度は腰巻を装備してきたでござるな」


「ゴブリンの腰巻ね! 悪臭ランキングベスト3に入るドロップアイテムだわ!」

「アレは欲しくないドロップアイテムよね」

「魔王ゴブリンの腰巻……オークションで売れるかな?」

「ゲテモノ好事家が高値をつけそうね」


 オクタメンバーが平常運転でいる最中、再登場したゴブリンヒューマンが目にしたのは、自分のことをガン無視して九鬼と戦っている無敵の姿だった。


「どこまでコケにするつもりだ、このゴミ虫がぁぁぁぁ!」


 自分が逃げたことなど棚上げして、怒りをそのままに斬馬刀を振りかぶり襲いかかるゴブリンヒューマン。


 だがそこは、無敵と九鬼のタイマン勝負の舞台である。そのタイマン勝負を邪魔するというは、2人からしてみれば御法度の行為であるらしい。


「さっきからうるせぇんだよ、ゴブリンごときが!」


 そう言いつつ、喧嘩に割って入ろうとしたゴブリンヒューマンを、カウンターで九鬼が殴り飛ばしてしまった。


 そして、殴り飛ばされたゴブリンヒューマンは、頭が真っ白になる。何故、こうも人族にしてやられてしまうのかと。


「おい、泰次やすつぐ! そいつは俺の獲物だぞ!」


「獲物を取られたくないのなら、さっさとケリをつけろよ!」


 再び騒ぎ出す2人だったが、勇者たちは自分たちが恐れ戦いたゴブリンヒューマンを、いとも簡単に殴り飛ばしてしまう九鬼に対して戦慄する。いったい、どれ程の力を手にしているのかと。


 そのような中で、殴り飛ばされたゴブリンヒューマンがゆらゆらと立ち上がると、呪詛のようにして呟く。


「殺す殺す殺す殺す殺す――」


 すると、ゴブリンヒューマンがおもむろに腰巻の中に手を突っ込んだかと思えば、そこから魔王化の種を取り出して口の中に放り込んだ。


「せ、〇豆を飲み込んだであります!」

「いや、むしろ! 何処から出してんだ事案でごわす!」

「ばっちいですぞ」

「あんな所に仕舞っていては、ありがたみも激減でござるな」

「回復するのね! しちゃうのね!?」


 そして、あずまたちが緊張感の欠片もなく盛り上がりを見せる中で、ゴブリンヒューマンがけたたましく咆哮を上げた。


「――――――――」


 その耳をつんざくような咆哮によって、勇者たちはうるさいとばかりに耳を塞いでしまい、その発生源であるゴブリンヒューマンの姿を目にする。


 するとそこには、ゴブリンヒューマンが強大な魔力を吹き荒らしていて、如何にもパワーアップしていますと言わんばかりの姿が。


「Gryuaaaaaa!」


 既に言葉すら発することのなくなったゴブリンヒューマンは、地面を踏み抜くとその勢いのまま無敵に襲いかかった。


 そして、力任せに振り下ろされる斬馬刀が迫り来る中で、無敵は九鬼との喧嘩で【珀琥びゃっこ】を鞘に収めたままにしていたことにより、迎撃の対応に遅れてしまう。


「チッ……!」


 自分の拙さに舌打ちをしてしまう無敵だが、ゴブリンヒューマンの攻撃が力任せだったこともあり、初撃は何とか躱すことができた。


 だが、振り下ろされた斬馬刀は地面を軽々と砕き、その破片が辺りに飛び散る。そして、その破片は否応なく無敵に襲いかかるのだった。


「クソがっ!」


 完全に後手に回ってしまった無敵は、瞬時に可視化している魔力を高めて防御に回すと、腕で顔を守りながらその場から後方へ飛び、距離を空けようとする。


 しかし、ゴブリンヒューマンの攻撃は、そこで終わりではなかった。


 今度は振り下ろした斬馬刀を斬り上げる形で動かしてくると、それを見た無敵は破片に対する防御を捨てて、斬馬刀の通り道に防御用魔力を集中させる。


 そこまでやった無敵は距離が空いた後に刀を抜き、反撃に転じようと戦術を組み立てていたが、それを実行に移す機会がなくなる……いや、正しくはできなかったのだ。


 何故ならば、ゴブリンヒューマンの斬り上げた斬馬刀は、パワーもさることながら、スピードも増していたからである。それによって無敵はその斬撃を身に受けてしまい、軽鎧とともに体を引き裂かれる。


「ぐっ――!」


 そして、結果的にはゴブリンヒューマンとの間合いを空けることができた無敵だが、その代償として浅くはない傷を負わされたのだった。


「《ハイヒール》」


 すると、傷を負わされたの無敵を目にした弥勒院みろくいんがすかさず席を立ち、戦いの邪魔をしない程度の距離を保ちつつ回復魔法を発動させたのだが、どうやらそれは拙かったらしい。


 何故ならば、傷を負わせたゴブリンヒューマンが、それを目撃してしまったのだ。


 そして、雄叫びを上げるゴブリンヒューマンは無敵には目もくれず、回復役である弥勒院みろくいんに襲いかかる。


 その行動は後衛職の弥勒院みろくいんにとっては致命的であり、対処しようにもパワーやスピードが全くもって違いすぎるため、結果的に弥勒院みろくいんは反応できず、棒立ちのまま迎えることになる。


 その様子に無敵は拙いと感じ取り、すぐさま後を追うため行動に移したが、とてもじゃないが間に合うようなタイミングではなかった。


 そして、目で追えていない弥勒院みろくいんの眼前にゴブリンヒューマンが姿を現すと、斬馬刀を大きく振りかぶる。


 その時点でようやく弥勒院みろくいんは自分が狙われたことを自覚するが、対応しようにも今まさに殺されようとしていることに、体がすくみ上がってしまい悲鳴すら出せず硬直してしまう。


香華きょうか!」


 勅使河原てしがわらがガタッと席を立ち親友の名を叫ぶ中で、弥勒院みろくいんはどこかその声を遠くに感じてしまい、走馬灯が頭をよぎるのでもなくケビンの姿を思い浮かべていた。


(ケビンくん――!)


 振り下ろされる斬馬刀。


 最期を覚悟して目を瞑る弥勒院みろくいん


 更には、戦える男子の勇者たちは無敵と同様にゴブリンヒューマンを止めるべく足を踏み出しており、女子たちは斬られるところを見たくないのか、両手で顔を覆ったり、逸らしたりしている。


 ――ギンッ


 何かが当たる音を耳で拾った弥勒院みろくいんは、何故か一向に痛みが襲ってこないことに戸惑いを隠せない。


 更には、足を踏み出していた男子たちも戸惑いを隠せずそのまま硬直しており、ゴブリンヒューマンの後を追っていた無敵も同様である。


(…………?)


 そして、どこも痛くならない弥勒院みろくいんは少しだけ目を開けて見てみようと思ったのか、薄目で状況を確認する。


「…………え?」


 現在の心境とも言える戸惑いが、言葉となって口からこぼれてしまった弥勒院みろくいん


 その弥勒院みろくいんは驚きによって薄目ではなくなり、その開かれた視線の先には空中で停止している斬馬刀があった。更には、ゴブリンヒューマンが獲物を斬り殺そうとしているのか、未だ力を込めている姿を見せている。


 もう何が何だかわからない弥勒院みろくいんは、仲間の誰かが何かしてくれたのかと勇者たちを見回してみるが、その勇者たちも状況が飲み込めないのか困惑した顔つきとなっていた。


 そのような中で、あずまがカッと目を見開き、ここがチャンスだとばかりに口を開く。


「答え合わせの前に言っておくであります! 小生は今、未知の現象をほんのちょっぴりだけど体験しているであります。い……いや……体験しているというよりは、まったく理解を超えているのでありますが……」


 いきなり発言を始めたあずまによって、何か知っているのかと皆の視線が集まる。


「あ……ありのまま今起こった事を話すであります! 奴が雄叫びを上げたと思ったら、いつのまにか斬馬刀が振り下ろされていて……何故か弥勒院みろくいん氏は立っていた……な……何を言っているのかわからないと思うけど、小生も何が起きたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……催眠術だとか寸止めだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてないであります。もっと恐ろしいものの片鱗を味わっているであります……」


 そして、言い切った感を出しているあずまだったが、注目していた勇者たちは一部の者たち以外がポカンとしてしまう。何故ならば、ただ単にその勇者たちが思っていたことを、あずまが代弁したに過ぎないからだ。


 しかし、そこでポカンとしない者たちもいる。


 それは、あずまと同じ道を歩む者たちだ。


「この状況で言ってのけるあずま氏!」

「そこにシビれる、憧れるぅぅぅぅ!」

「確かにここぞというシーンでござるな」


 騒ぎ立てるオクタの男子メンバー。


 だが、当事者である弥勒院みろくいんは騒ぎ立てるオタたちをよそに、説明を求めて周りをキョロキョロと見渡していたが、他の勇者たちも同じくキョロキョロとしていたのだった。


 しかし、そのような状況の中でも、未だゴブリンヒューマンの攻撃は依然として継続中であるのだ。


 それを受けている弥勒院みろくいんは、このまま立っていても平気なのかどうかがわからない。今のうちに逃げた方がいいのかと考えてもしまうが、ここから一歩でも動けば斬られるのではないかという不安もある。


 ゆえに、事態は膠着状態となり、ゴブリンヒューマンの振り下ろす斬馬刀の弾かれる音だけが辺りに木霊する。


 そのような中で、静観していたマリアンヌたちの中から、クララが声を発した。


「キョウカよ、それは主殿の愛の護りだ。消えることはないから安心するが良い」


「ケビンくんの……愛……」


 自然と弥勒院みろくいんは、左手薬指に嵌められた指輪に触れてしまう。


 ――たとえ一緒にいなくても、ケビンくんが私を護ってくれている。


 そう思えてしまうと、目の前で斬馬刀を振り下ろしている醜悪な魔王を見ても、不思議と恐怖に包まれてしまうことがなくなった。


(ケビンくん……愛してる)


 未だ鳴り止まない斬馬刀の弾かれる音の中で弥勒院みろくいんがケビンのことを想っていると、不意に斬馬刀の弾かれる音が止まった。


 それによって、弥勒院みろくいんが指輪に向けていた視線を前に戻すと、そこには斬馬刀を掴んでいる一人の男の姿が。


「――ッ!」


 そう。そこにいたのは他の誰でもない、今しがた弥勒院みろくいんが思いを馳せていたケビンその者だ。


「おい、俺の嫁に何してくれてんだ?」


 ケビンがそう言うも、ゴブリンヒューマンは何も答えない。いや、答えられない。何故ならば、ゴブリンヒューマンは混乱中であるからだ。


 回復役を始末しようと襲いかかったものの、謎の現象により阻まれ、更にはそれでもいつかは壊れるはずと攻撃を続けていたら、今度は見知らぬ人族が自分の攻撃を素手で受け止めていたのだ。混乱するなという方が無理である。


「ぐ……ぎぎぎ……」


 そのような状況の中でも、ゴブリンヒューマンは斬馬刀を動かすべく力を込めていたが、全くビクともせずに力を込める腕に血管が浮かび上がるだけである。


「答える気は無しか……」


 ケビンがそう呟くのをよそに、ゴブリンヒューマンが魔力を迸らせる。膨れ上がる緑の魔力がゴブリンヒューマンを包み込み、全力でもって斬馬刀を動かそうとした最中、ケビンもまた斬馬刀を受け止めている左手だけに漆黒の魔力を形成する。


「っ……!」


 これにはゴブリンヒューマンもビックリである。つい先程まで戦っていた無敵が魔力を具現化した際も驚愕したが、またもや魔力を具現化する人族が現れたのだ。魔王の専売特許は何処へ行ったと、苦情を申し立てたいくらいである。


「朽ちろ」


 一言そう告げたケビンによって、ゴブリンヒューマンは更なる驚愕と混乱に陥る。


 それは、斬馬刀を掴んでいるケビンの左手から漆黒の魔力が侵食するかのように刀身に広がっていき、経年劣化を早送りで見せられているかのようにして斬馬刀が錆始め、ボロボロと崩れ落ちていくからにほかならない。


 次から次に起こる不測の事態によって、ゴブリンヒューマンの思考は休む暇もないが、休んでいないからと言って理解ができるかどうかは別であり、全くもって理解不能の事態に陥った状況に拍車をかけているだけであった。


 しかしながら混乱真っ最中のゴブリンヒューマンといえども、侵食している漆黒の魔力が危険なものであるということは本能的に察したみたいであり、すぐさま斬馬刀の柄から手を離すとケビンから距離を取った。


 それにより支えをなくした斬馬刀が地面に落ちたのだが、その姿は刀身の半分以上が既になくなっており、残りの部分を見てみれば、さながらそれは、はるか昔に戦場に打ち捨てられて朽ちた武器のようであった。


 ここにきて、初めてゴブリンヒューマンはすくみ上がる。たとえ無敵や九鬼と戦っていた時でも、そのような状況に陥ることはなかった。何故ならば、戦ってみた結果により底の見えない相手でもなかったからである。


 しかし、ケビンが現れたことによって、戦いはしないでも力の片鱗を見せつけられただけで、無意識に脚が震えだしていた。恐怖を感じ取ってしまったのだ。


 そのゴブリンヒューマンが見つめる視線の先には、自身のことなど歯牙にもかけないケビンが、弥勒院みろくいんを抱きしめている光景がただただ映っていたのであった。

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