第598話 介助者ジョン

 ジョンがラバスの家に泊まった翌日。朝早くに起きたジョンは朝食を作り始める。そして、その美味しい匂いに釣られたのか、ラバスがベッドから起き上がってきたようでキッチンに顔を出した。


「おはようございます、ジョンさん」


「おはよう。何で起きてる? 病人の居場所はベッドだろ」


「あの苦いお薬が効いたようです。今日は立ち上がっても目眩がしないんですよ」


「そういう時が1番危ないんだ。いつもより動けるからって動くな。病人は大人しくベッドで寝ていろ。後で飯と薬湯は持って行ってやるから」


「ふふっ……何だか夫に怒られているみたいです」


「ちっ……」


 微笑みを向けるラバスに対する照れ隠しなのか、ジョンは舌打ちをするとそっぽを向いてしまった。それを見たラバスが更に微笑むが、これ以上ジョンの機嫌を損ねるわけにもいかず、素直にベッドへと戻っていく。


 その後、朝食の準備を終えたジョンがラズベリーを起こし、軽く洗面をさせてから朝食を摂らせて、その間にジョンはラバスに朝食と薬湯を持っていき、使っていた濡れタオルや桶を回収した。


 それから自身も朝食を済ませると、片付けはラズベリーがしてくれるようで、その間にジョンはラバスの容態を見に行くことにしたのか部屋へと向かった。


「ちゃんと食べたようだな」


「食べやすいものを出していただいたので。お薬もちゃんと飲みましたよ。苦かったですけど」


「苦いのは諦めろ」


 そう言うとジョンは、食器を下げるために1度部屋を後にした。それからラズベリーの所に食器を持っていき、ラバスが昨日よりも元気になっていることを伝える。すると、それを聞いたラズベリーはジョンにお礼を言って、先程以上に食器洗いに精を出すのだった。


 それからのジョンはダイニングのイスに座ると、今日の予定をどうするか悩み始める。一宿一飯の恩を返す前に一宿二飯になってしまったのだ。食事を作る際には食材の提供はしたものの材料全てではない。この家の備蓄を使ってしまった部分もある。


 このまま無視して立ち去るというのもありと言えばありなのだが、昨晩に常識というものを追加で教わってしまっていたので、どうにもこのまま立ち去るというのは、ジョンとしては後ろ髪を引かれる思いだ。


 結局のところジョンが出した結論は、ラバスの体調が元に戻るまでは居候をさせてもらい、代わりに家事をこなすという方法である。


 そうと決まれば善は急げと言わんばかりに、ジョンはラバスから滞在許可をもらうために部屋へと向かうのだった。


「――というわけなんだが……」


「構いませんよ。むしろ、こちらからお願いしたいくらいです。ジョンさんに出ていかれたら、苦い飲み物を作ってくれる人がいませんから」


 そう言って茶目っ気たっぷりに微笑むラバスを見たジョンは、もっと苦くしてやろうかと密かに思ってしまう。それを実行に移すかどうかは別として。


 その後、ジョンはラバスに常識の追加講習をお願いし、ラバスはラバスでただ寝ているだけなのが暇なのか、それを快く受け入れる。


 そして、2人が勉強会を開いていると、食器洗いを終わらせたラズベリーが顔を出し、外へ遊びに行くと言って出かけようとする。


「お昼には1度帰ってくるのよ」


「村の外には出るなよ。また魔物に襲われるぞ」


「うん!」


 ラバスとジョンから一言ずつもらったラズベリーが、元気よく返事をして外に出かけると、ふと先程の言葉を思い返していた。


「あれ……ジョンお兄ちゃん、魔物って言ってたような……んん? きっと聞き間違いだよね。お母さんも秘密にするように言ってたし」


 ラバスがジョンに昨晩色々と打ち明けたことをまだ知らないラズベリーは、大して気にもせずそのまま友達のところへ遊びに行くのであった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ラズベリーが出かけてからしばらくの間、ジョンはラバスから色々なことを教わる。それはもう子供が学ぶような段階からだ。


 そのようなジョンとてある程度の知識は旅の途中で手に入れていたが、それは日常生活において必要なことだけで、それ以外のこととなるとラズベリー未満の学力となる。今となってはラバスのおかげで、魔物と魔族の区別はついているが。


「ふふっ、それにしてもダークゴブリンが魔族ですか」


「それはもういいだろ。だいたい、あいつらが紛らわしいんだ。二足歩行なんてしやがるから」


「簡単な見分け方は言葉を喋るかどうかですよ。会話ができるなら魔族。できないのなら魔物です。ですが、魔物も進化しますので、上位種になると言葉を喋るようになります。他には元々知能の高い魔物とかですね」


「紛らわしい……」


「他の見分け方になると、魔族は総じて私たちのように人の姿をしているというところでしょうか。細かいところだと角が生えてたりしますが」


「そっちの方がわかりやすいな。つまり、人の姿に似ていて会話のできるやつは魔族ってことだな」


 その後も続くジョンのお勉強会。ラバスはラズベリーに教えていた時のように説明していくため、何も知らないジョンにとっても理解しやすい内容となる。


 そしてしばらくすると、ラバスが何やらモジモジと身じろぎを始めてしまう。


「どうかしたのか?」


「い、いえ……あの……」


「何か欲しいものがあるなら言ってくれ。泊めさせてもらっている上に、この世界の情報まで教えてもらってるんだ。何か取ってくるものがあるなら、それくらいするぞ」


 ジョンは善意からそう言うも、ラバスの方はゴニョゴニョと口を動かすだけである。


「……れ…………す…………」


「ん、何だ? 声が小さくて聞こえづらい」


「だか……ら…………れに…………す……」


「え? 何だって?」


 難聴系主人公ばりにジョンがそう問い返すと、とうとう我慢の限界がきたのかラバスはハッキリと口にして宣言したのだった。


「~~っ! トイレに行きたいと言ってるんです! このままだと漏れちゃいますっ! ……ぁ…………」


 真っ赤な顔をして涙目で主張するラバスによって、ジョンは気圧されてしまうが、ラバスはその主張が終わってしまうと、どこか呆然とするような表情へと移り変わった。


「まさか漏らしたのか?」


 ラバスの様子を不審に思ったジョンが、デリカシーの“デ”の字もなくそう問いかけると、ラバスはムキになって反論を始めるのだった。


「漏らしてません! ちょびっと漏れただけです! っ……く……」


「あ、ああ……」


 鬼気迫る勢いで“漏らした”のではなく、“漏れた”という受動的な主張を激しくするラバスだが、もう堪えるのに必死となっていてプルプルとしている。


 そのような状態のラバスにジョンは恐る恐る声をかけた。


「あ、歩けそうか?」


「……無理……です」


 堪えるのに必死で動こうにも動けないラバスがそう答えると、ジョンは『緊急事態だから仕方がないことなんだ』と自分に言い聞かせて、ラバスにかけられている布団をめくる。


「すまん、抱っこするぞ」


 一言そう詫びてからジョンがラバスをお姫様抱っこすると、持ち上げられる時に振動でも伝わったのか、ラバスは呻き声を上げた。それを聞いてしまったジョンは極力振動を与えないように動き、ラバスに部屋のドアを開けさせてからトイレへと向かう。


 そして、次に到着したトイレを開けさせたのはいいものの、ここは現代ではない。昨日にジョンも利用して見ていたのだが、ポットン当たり前のトイレ事情なのだ。


 場所によってはまともに見えるトイレもあるのだが、それは都会の極小数の中でのこと。このような辺境の村においては、木のバケツの中に用を足すというのが主流なのだ。まだマシだと言えるのは、直接バケツの中にするのではなく、長方形の木箱の中にバケツを置いてあるということだろう。


 この長方形の木箱。如何にもな丸い穴が2つ空けてある。1つは小用、そしてもう1つは大用なのだ。


 小用は当然のことながら土にそのまま染み込ませてしまえ理論で、バケツなどは置かれていない。そして大用に置いてあるバケツは、家の外から取り出せるようになっている。誰しもが汚物の入ったバケツを持って、家の中を歩きたくないという考えからだろう。


 とりあえずジョンはラバスを小用の方へ静かに下ろすと、そのままこの場に留まるわけにもいかず、いそいそと外へ出ようとする。


「終わったら呼んでくれ。声が届きそうな所で待機している」


 だが、そこでラバスから待ったがかかる。


「すみません、ぬ……脱がしてくれませんか?」


「…………は?」


 ジョンはラバスが何を言っているのか意味がわからない。というか、理解の範疇を超えている。


「お、お願い……早く……自分で動いたら漏れそうなんです……」


「いやいやいや、それはさすがにまずいだろ! 俺を変質者にするつもりか!? 殺人者と言われても別に構わないが、変質者と言われるのだけは断る!」


「は……早く……」


 既に限界が近いのか、ラバスは額から汗を流している。そのような姿を見せられては、ジョンも逃げるに逃げられない。そして、意を決したジョンはラバスに近づいた。


(これは介助、これは介助……看護師だってやっていることだ。俺は変質者じゃない!)


 ジョンは病人のお世話をしているのだと強く認識し、とりあえずラバスの正面に立ち自分の首に腕を回させると、そのままゆっくりと立ち上がらせた。それからスカートを捲りあげると再びゆっくりと座らせ、ラバスに声をかける。


「少しだけケツを浮かせられるか?」


「っ……が、頑張り……ます……」


 ラバスに負担をかけないために、ジョンが予めショーツの縁に手を添えて準備をすると、その時にラバスがビクッと反応してしまう。


「ぁ……」


 その溢れ出た声にジョンは嫌な予感がしないでもないが、ラバスに臀部を浮かせるように言うと、ラバスは木箱に手をついてプルプルとしながらも、少しだけだが臀部を浮かせることに成功する。すると、その隙にジョンはスルッとショーツをずらしたのだが、明らかにショーツには漏らした形跡が見て取れた。


 だが、ジョンがそれを見て固まってしまったことで、ラバスも何を見られてしまったのか感じ取ってしまう。それによりラバスの顔が一気に赤くなると同時に両手の力が抜けてしまい、トスッと臀部を落とした衝撃が膀胱に走ったのか、そのままジョーっと聖水を流し始めてしまった。


 その事態に対してジョンはショーツの件もそうだが、目の前で用を足しているのを見てしまい、更に固まってしまうのだった。


「う、うぅぅ……もうお嫁に行けない……」


 そう言うラバスが両手で顔を隠してしまうと、ジョンは慌てて何かフォローを入れなければと口を開く。


「ラバスはもう嫁に行ってラズベリーを産んだんだから大丈夫だ!」


 いったい何を口走っているのだろうかとジョン自身も思ってしまうのだが、このような事態に遭遇することが初めてなので、気の利いた言葉なんて思いつくはずもない。


 その後は気まずい空気が流れる中で、ラバスの聖水の音だけが響きわたるのであった。


 そして、用を足したラバスはもう堪える必要もないので自身で後処理を済ませると、汚れてしまったショーツをその場で脱いだら、丸めてから手の中で握りしめる。


「あ、洗おうか?」


 せめてもの償いと思ったのか、洗濯をしようとジョンが手を出して名乗り出たのだが、それが償いになるのかどうかは定かではない。


「お、お願い……します……」


 まだ家事をするには本調子でないことが自身でもわかっているのか、ラバスはショーツを握りしめる拳を前に出すと、ジョンの手のひらにそれを落とした。


 そしてジョンはショーツを握ったままで歩きたくないと思ったのか、ポケットに仕舞いこむと、ラバスの介助をしながら寝室のベッドまで連れていくのだった。


 それからラバスをベッドに寝かせると、ラバスが布団を頭の上までかぶってしまったので、ジョンはそれを指摘することはせずに洗濯物を片付けてしまおうとその場を後にした。


 その後、洗濯物を終えたジョンがラバスの所に向かおうとして、差し入れに飲み物を持っていこうかと思ったが、先程のことが頭をよぎってしまい、水分補給はまだいいだろと結論づける。


 そして、寝室にてラバスと再び相対したジョンは、とりあえずイスに座り、ラバスの危なっかしさを指摘することにした。


「いくらなんでも無防備過ぎだろ。俺とは昨日会ったばかりなんだぞ」


「それはわかってます」


「だったら何で――」


「昨晩にジョンさんと別れたあと、ジョンさんが襲いに来なかったからです」


「はい?」


「娘の命を助けていただいたので、もしそうなったとしてもお礼として身を任せるつもりでした」


「いやいやいや……そりゃおかしいだろ。何で助けたお礼が体を差し出すことになるんだ」


「男の人ってそういうことばかり考えていますから」


「断言かよ!」


「私が未亡人なのを村の人たちは当然知っています。まだ若いと自負していますし、言い寄ってくる男たちが後を絶たないんです。みんな体目当てですけど」


「最悪な男だな」


「だから、ジョンさんも襲いに来ると思って覚悟して待っていたのに、全然来ないんですもん! おかげで睡眠不足です! 私の覚悟と睡眠時間を返してください!」


「そりゃラバスが勝手にやったことだろ。俺は関係ない」


 プクッと頬を膨らませるラバスだったが、急にクスクスと笑い出すと続きを話し始めた。


「だから信用しているんです。それに……私の大事なところを見ても襲ってこなかったし……今度こそ襲われちゃうかもと思ってたのに、洗濯に行っちゃうし……」


「当たり前だろ。病人の看病にかこつけてヤる男がどこにいるってんだ」


「この村にはいますよ? 多分、私が『看病してくれたら体を好きにしていい』と言えば、いっぱい集まってくると思います」


「どんだけ最悪な村なんだ……よくこんな所に住んでいられるな?」


「それは強硬策に出てこないからです。村ですから悪いことをすればたちまち話が広まって処分されます。処分すれば食い扶持が減りますので、村全体の備蓄が増えますし」


「世知辛い世の中だ……」


 そのような会話をしつつ時間を潰していく2人であったが、お昼が近くなりジョンがご飯の準備をしようかと、イスから立ち上がった時にそれは起こった。


「きゃー!」


 その悲鳴に何やらデジャブを感じてしまうジョンだったが、実際にあったことなのでデジャブではない。だが、今はそんなことよりも、声の主が誰であるのかを確かめる方が先であった。


「あれってラズベリーの声だよな!?」


「はい! お願いします! あの娘を、あの娘を助けてください!」


 縋るようにしてジョンにしがみつくラバスだったが、ジョンは助けた子供に何かあれば寝覚めが悪いどころの話ではないので、二つ返事で了承する。


「わかった。ラバスはここで待ってろ! 俺はラズベリーの様子を見てくる。村の中だから魔物ってことはないはずだ!」


 そうラバスに対して答えたジョンはすぐさま寝室から出ると、家から飛び出して周辺を見渡し、異変らしきものがないかを確認し始める。


 すると、村の入口付近に人だかりができていたので、ジョンはそこへ向かって走り出すのであった。

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