第269話 シーラの悔恨
朧気な状態の中で私は目覚めた。ぼやける視界に入り込んでくるのは見慣れた自分の部屋だ。
次第にはっきりしていく思考の中で、自分の身に何が起こっていたのかを理解していく。
そして愛する弟のことを……
「いやぁぁぁぁっ! ケビン、ケビンっ!」
「お嬢様、お気を確かに!」
カレンが私に何かを言っているが、そんなこと今の私には聞き取ることのできない意味のないものだった。
目覚めた私の途切れる前にある最後の記憶の中のケビンは、以前ケビンを無意識の悪意で追い詰めた時の表情と一緒だったのだ。
私はまたケビンを傷つけた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
目覚めたシーラが発狂している中、バタンという無遠慮な音とともにサラが部屋へ入ってくる。その瞬間、シーラは自分の死を強制的に意識させられた。
そして、シーラの意識はそこで途絶えてしまう。
「強制的に眠らせたわ」
「お手数をお掛けして申し訳ございません」
この時のサラはただの威圧ではシーラが耐えてしまうので、殺気を乗せた威圧を放ってシーラの意識を刈り取ったのだ。
「あとは任せるわね」
「かしこまりました」
サラがシーラの自室を離れると、カレンはまたシーラを看病する業務に戻る。
「お嬢様……お辛いでしょうがどうか乗り越えてください」
カレンの言葉は意識のないシーラに届くはずもなく、静かになった部屋の虚空へと消えていくのであった。
それから来る日も来る日もシーラが目覚めては発狂して、サラから強制的に眠らされるという日々が続いていた。
「死なせてっ! 私を死なせてよっ!」
「お嬢様!」
「穢された上にケビンを傷つけた私なんて、もう生きている価値なんてないのよ!」
この日もまた目覚めるなりシーラは発狂してしまい、とうとうケビンへの謝罪の言葉より死にたいという気持ちが勝って口から出ていた。
そしていつものようにサラから強制的に眠らされてしまう。
当然そのような生活をしていれば食事を摂る機会もなく、シーラは次第に衰弱していったのだった。
「まずいわね……」
「このままではお嬢様が……」
ケビンから頼まれている上に、ファラからもお願いされているシーラが弱っていく姿にサラはある決意をする。
「ケビンの話をしてみるしかもう方法はないのかもしれないわ」
「大丈夫でしょうか?」
「このままではファラさんに顔向けできない。あの人に託された子は何がなんでも救ってみせる」
シーラ自身の力で何とか乗り越えて欲しかった考えではあったが、生きることを諦め始めてしまった以上、サラは残る手だてとしてシーラが気にしているケビンの話をすることにした。
そして、その機会は遠からず来ることになる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
私はいつまでこうしていればいいのだろう。
目が覚めて思い浮かべるのも眠らされて夢に出てくるのも、あの日最後に見たケビンの顔だ。
そして私が発狂する度にお母様から強制的に眠らされてしまう。家族にも迷惑をかけるなんて私は本当に生きている価値はあるのだろうか。
いや、あるはずがない。
もう私には大声を出す気力すら残ってはいない。ただあるのは死にたいという気持ちだけだ。
私が生きているとまたどこかでケビンを苦しめてしまう。家族にも迷惑をかけてしまう。
どうしてこうなってしまったのだろう。どこで間違ってしまったのだろう。
ケビンを好きになったのがいけなかったの?
いくら近親婚が認められているとはいえ、弟と結婚したいと思ったことがいけなかったの?
他の貴族令嬢みたいに政略結婚をしていればよかったの?
ケビンのために戦争を終わらせようと参加したのがいけなかったの?
お父様の言う通りに家で待っていればよかったの?
そもそも、生まれてこなければよかったの?
私は自問自答を繰り返しても答えを出すことはできなかった。そしていつものように目覚めてしまう。
私が目覚めると近くにいるのはいつもカレンだ。他にも仕事があるはずなのに付きっきりで傍にいてくれる。
「お嬢様、紅茶でも飲まれませんか? 体が温まりますよ」
「毒薬も一緒にお願い」
本来ならお礼を言わないといけないのに、私の口から出てしまうのは死ぬための道具の準備だ。失礼にもほどがある。
だが今の私には魔法で自殺する方法も取れないのだから仕方がない。眠っている間に先を越されて魔封じの魔導具がつけられていたのだ。
気づいた時に外そうと思ったが制限があるのか、私では外すことができなかった。
「毒薬はご準備できませんが紅茶をお持ち致します」
カレンが部屋から出て少しすると、お母様が代わりに部屋へ入ってきた。私がカレンに毒薬を準備させようとしたのをお叱りにきたのだろうか。
「カレンに毒薬を頼んだそうね?」
やはりそうだった。私でも理解はしている。看病をしてくれている人に死ぬための道具を頼むだなんて頭がおかしいとしか言いようがない。でも、理解はしていても心は死ぬことを望んでいるのだ。
「貴女がそのようなままではケビンの価値を下げ続けるだけよ。その身を削って助け出したケビンを貴女は貶めているのよ」
私へのお叱りではなく、何故ケビンの話がここで出てくるのだろう。ケビンの価値を下げていることも貶めることも私はしていない。逆にこれ以上迷惑をかけないために死のうとしているだけだ。
「皇帝にされたこと、ケビンの身に起きたことを考えると死にたいのでしょう? でも、そんなことをしてケビンが喜ぶと思うの? 苦労して助け出した貴女が死んだらケビンの努力はどうなるの?」
お母様は酷い。せっかく忘れていたゲスな男を思い出させるなんて。あの男さえいなければ私はまだ綺麗なままでいられたのに。
自然と私の頬には涙が流れていく。
私だってケビンの努力を無駄にしたいわけではない。だけどケビンに愛して欲しくてもこの身は穢れてしまったのだ。もう元には戻らない。
お母様の話す言葉の1つ1つが私の心に突き刺さっていく。
「この際、以前のように元気にならなくてもいいわ。そのような姿はみんな望んでいないけど。だけどね、死のうとするのだけはやめなさい。ケビンの努力を無駄にすることだけはいくら貴女でも許さないわ」
私だってこんな結末は望んでいなかった。敵兵に捕まった私のせいでケビンが傷つく姿なんて見たくはなかった。
だけどお母様の言う通り、私が死ねばケビンをもっと傷つけてしまう。それだけはいくら死にたい私でも望んではいない。ケビンには幸せになって欲しい。
「ケビンはね、立ち去ったあとも貴女のことを気にしていたのよ。あとで届いた手紙にも書いてあったわ。貴女のことをしっかり見てて欲しいって。ケビンのことを想うなら逃げるのはやめなさい。その身でもって恩返しを果たしなさい」
「……ッ……ケビン……ごめんね……こんなお姉ちゃんでごめんね……」
どこまでいっても優しすぎる弟に私の涙腺は決壊してしまう。
何故こんなにも優しくしてくれるのだろう。そんなに優しくされたら諦めきれなくなってしまう。私はもうケビンに相応しくない女なのに。
「さあ、ケビンの優しさに気づいたならご飯を食べなさい。しばらく何も口にしていなかったのだから、消化にいいものを用意させるわ」
お母様がそう言うと部屋から出ていくのだが、出る直前にぼそりと呟いた言葉で私は更に涙をこぼしてしまう。
「負けないで」
ああ、やっぱりお母様は凄い人だ。私はお母様ほど強い人を見たことがない。お母様だってケビンがああなって辛いはずなのに、それをおくびにも出さない。その原因となった私にでさえ変わらず愛情を注いでくれる。
私は何をしているのだろう。ケビンの優しさや家族の優しさに気づかず死にたいだなんて……
もう死のうとするのはやめよう。お母様の言った通りケビンを裏切るような行為だけはやってはいけない。
そしてケビンへ「ありがとう」ってちゃんと伝えよう。まずはそれからだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ある日のこと、私が未だベッドでの生活を続けているところへカレンが部屋へ入ってきて声をかけてくる。
お母様からの言葉を受け取ったあの日以来、私が死のうとすることをやめたら付きっきりの看病はなくなったのだ。
「お嬢様、体調が良ければ髪を整えませんか?」
「髪……?」
「ええ、髪の長さにばらつきがありますので綺麗に整えましょう」
カレンからの言葉で今まで気にも止めていなかった髪の毛を、自分の手で触りながら確かめてみる。
ケビンが昔「空みたいで綺麗で好きだよ」って褒めてくれた私の長い髪は、途中からなくなっている部分があったのだ。
「――ッ! ケビンの好きな長い髪が……」
「そのままではケビン様も心を痛めてしまわれます。綺麗に整えて髪型の違うお嬢様を見せて差し上げましょう? ケビン様のことだからきっとお喜びいたしますよ」
「空みたいで綺麗だって言ってくれたのに……」
「髪の毛は女性にとって命と同等ではありますが、決して長いからといって大事なわけではありません。想い人が喜んでくれる姿が見られるから大事なのです。ケビン様も長さではなくお嬢様の髪の色がお好きなんですよ」
「短くても喜んでくれるかな……?」
「きっとお喜びになられます。もしかしたら綺麗なお嬢様を見て抱きつくかもしれませんよ?」
例えカレンのお世辞だとしても、ケビンが抱きついてくれる姿を想像すると私は胸が踊るのだが、そのようなことをされてしまえば諦めているこの気持ちが抑えきれなくなってしまう。
それから私はカレンにお願いをして髪を整えてもらった。不揃いの髪を整えるにはバッサリと切るしかなく、終わってしまえば腰近くまであった長い髪の毛は肩にかからない程度まで短くなってしまった。
相当量な髪の毛を失ってしまったのだが、久しぶりに頭の重さが軽くなった。僅かでも髪を切ったメリットがあったので、これはこれでいいものとして納得した。
「お嬢様、こちらを」
カレンは私にケビンがプレゼントしてくれた髪飾りの入った木箱を見せてくる。
「これ……」
戦場に捨てられて2度と戻ってこないと諦めていた物が今目の前にあることで、私は手に取ると胸に抱いて涙を流してしまう。
「……ッ……ケビン……」
「ケビン様が戦場を探し回って取り戻してくれたのです。旅立たれる前に枕元へ置いていかれたのですが、お嬢様が落ち着かれるまでは見せない方がよいだろうとサラ様からの指示で、勝手ながら眠っておられるお嬢様の手を使い木箱へと収めさせていただきました」
「……そんなことができたの?」
「はい。ケビン様の作られる魔導具はとても素晴らしいものですが、髪飾りをどう移動させるかサラ様と考えていましたら、試行錯誤の結果、意外な落とし穴があることがわかりまして、完璧ではないところがまたケビン様らしいとサラ様が微笑んでいらっしゃいました」
カレンの話を聞いて私も思い出した。この髪飾りを失うきっかけとなったのも、命の危険性がないことならば結界は発動しないという点だ。
だからと言って、私はその落とし穴のことでケビンを責めるつもりなんて毛頭ない。これがなければもっと早くに戦場で死んでいたかもしれないからだ。
「ふふっ、本当ね。ちょっと抜けているところがケビンらしいわ」
私は自分でも信じられないことに、助けられてから初めて笑みがこぼれてしまった。
ケビンは傍にいなくても私の心を癒してくれる。そんな優しくてカッコイイ私の弟へ一体何をお返しすればいいのだろう。
きっとどこかで体を休めているに違いないけれど、ケビンを癒してくれる人はいるのだろうか?
1人きりで寂しい思いをしていないだろうか?
願わくば女神様、どうか私の可愛い弟をお救いください……
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