第218話 天然最強説2

 当主が結論を出した中で予定にない来訪者が邸宅を訪れていたが、そのことを知る者はここにはいない。


 ドアノッカーの音が静かになった家の中で不気味に響きわたる。


「……誰かしら?」


 クリスの件が最悪の事態になりそうにないことを安堵してか、母親は絶望の顔色から少し立ち直ると何の疑いもなく玄関へと向かって行く。


 しかし、戻ってきた時にはドアのすぐ側で絶望の顔を再びしていたことに、場の空気は言い表しようのない緊張感に包み込まれた。


「あ、あなた……」


 愛する妻の声も体も震えていることに気づいた当主はただ事ではないと瞬時に見抜くが、理由を確認する前に来訪者が声を発した。


「夜分に失礼致します」


 震える妻の陰から出てきた者に驚愕する当主。その姿を見て当主同様に驚愕するクリス。誰かもわからずに首を傾げる弟妹。バージニア家は今日一番の混沌と化した。


「……う……うそ……」


 静まり返った中で声を発したのはクリスであったが、来訪者は気にもとめず淡々と貴族礼をとる。


「まずはご挨拶を。エレフセリア伯爵家当主、ケビン・エレフセリアと申します。約束もなく夜分に失礼致したことを先にお詫びします」


 突如現れたケビンの名乗りによって、先程まで話題に上がっていた人物が目の前にいることに、弟妹たちも家族が何故驚愕しているのかその事実を知ることとなった。


「あの……バージニア騎士爵殿?」


 ケビンの呼びかけに呆けていた当主が現実世界へと戻ってきた。ガタッと椅子から立ち上がり直立不動の姿勢を取ると言葉を発する。


「あ、いえ、その……」


 頑張って挨拶を返そうとするが絶賛混乱中である。家格の高い者から挨拶をされているというのに返さないとあっては不敬罪ではあるが、相手が相手であり先程まで話題に上がっていた人物なのだ。


「ふ、不敬罪だけはっ!」


 やっとの思いで必死につむぎ出せた言葉がこれであった。


「まずは落ち着かれて下さい。失礼を働いているのは紛れもなく約束もせずにいきなり訪問した私なのですから」


 いつものケビンの姿は見るかげもなく、完全によそ行きの対応であった。当主は未だ落ち着きが戻っておらず、空気を読まない、いや、当主を助けるという点ではある意味空気を読んでいるクリスがケビンに声をかけた。


「ケビン君、いきなりどうしたの? 遊びに来てくれて嬉しいけど」


 予想の斜め上を行くクリスの言葉に、『この時間に遊びに来るわけがないだろ』と思いつつも苦笑いを浮かべるケビンであった。


「おそらく起こっていたであろう問題を解決しに来たんだよ」


「問題? 何もないよ? 楽しくご飯を食べていただけだし」


 斜め上を行き続けるクリスの言葉に弟妹たちはジト目を向けるのだが、当の本人は気づきもしない。それを見ていたケビンは再び苦笑い。


「クリスさんの友人に頼まれてね、多分……というより確実にこうなっているであろうから助けて欲しいって言われてたんだよ」


 ケビンからの訪問理由のネタばらしに、クリス以外は『あぁ……』と納得の表情を浮かべる。クリスの友人で事情通なのは1人しかいないからだ。


 たびたびクリスのストッパーとなってくれていることもあり、バージニア家(クリス以外)では同志という仲間意識で認識されている。


 その同志が今回もファインプレーをしてくれていたようで、バージニア家では現在、着々と株が急上昇中である。むしろ今回に限って言えば天井知らずと言ってもいいほどの昇り具合だ。


「いつの間に話したの?」


「クリスさんが母さんと話している時だよ」


「あぁ、あの時ね」


「ということで、バージニア家当主殿。クリスさんのちょっとした癖については知っていますし、それが私に向けられていることも知っています。そのことに関しては咎めることはありませんので、ご家族一同と何もご心配なさらずにお過ごし下さい」


「あ、あの……サラ殿は……?」


「母も楽しそうにしていたので、何も心配することはありません」


「……感謝します」


 ケビンから伝えられた沙汰により、緊張していた空気が一気に弛緩するとホッとして強ばった肩をおろすのであった。そこで空気を読めない子が再び口を開く。


「ねぇねぇ、ケビン君」


「何?」


「一緒にご飯食べよ」


「いや、家で食べたし」


 突拍子もない発言に対してケビンは冷静に返すが、伯爵家当主を接待の準備もしていない食事中の食卓へ誘ったのである。家族からしてみれば『何言ってんだ、こいつ!?』と正気を疑っていた。


「クリス! 無礼だぞ!」


 当然当主は思いもよらぬ形で収まることになった懸念事案に、新たな火種を落とすのかとすぐさまクリスを窘めた。


 アリシテア王国の貴族からしてみればカロトバウン家の者を相手にするのは、ある意味自国の王を相手にするよりも緊張する瞬間なのである。


 それを近所の知り合いの如く軽い感じで食卓に誘うというクリスの暴挙に、当主のみならず家族たちはヒヤヒヤして気が気ではない。


「別に気にされずとも構いませんよ。学院にいた時からこの様な間柄でしたから」


 ケビンは当主の心労を慮ってフォローを入れるも、当主自身は発言内容に目も当てられないといった感じで頭を抱え込んだ。そんな当主のために安寧を確保しようと健気な娘がケビンに恐る恐る声をかける。


「あ、あの、ケビン様」


「何でしょうか?」


「お姉様の態度に対してお怒りになりませんの? こう言っては何ですが、結構な度合いで不敬にあたると思うのですが……」


「怒る理由がありませんし、それに元々私は冒険者です。伯爵という地位は後からついてきたオマケみたいなものですよ。冒険者の中には無礼な者もいっぱいいますし、それに私自身が権威を盾に威張り散らすような真似はしたくありませんので、学院にいた時もカロトバウンの名は極一部の人しか知らなかったでしょう。通称はFクラスの落ちこぼれでしたからね。まぁ、闘技大会に出るまででしたけど」


 ケビンの言葉にクリス以外の者はホッとして胸を撫で下ろすが、闘技大会というワードに今度は当主の息子がここぞとばかりに口を開く。


「あ、あの、私は父のような騎士になりたくて目指しているのですが、どうすればケビン様のように強くなれるのですか?」


「そうですね……簡単に言えば努力ですね。才能も確かに必要でしょうが才能だけで当主殿のような騎士にはなれないでしょう。才能を羨ましがる人もいますが、才能ある人でも努力をしないと強くなれないのです」


「そうなんですか?」


「簡単な話です。例えば生まれたての普通の赤子がいたとします。この子は育つと歩けるようになります。これは“歩くことができる”という才能を持っているからです。ですが、この子が歩きたいと願い努力しなければ歩くことはできません。ずっとハイハイの移動だけになるでしょう。物に捕まり立っては転んで痛い思いをして、それでもなお、立ちたい、歩きたいと願い努力しなければ実現できないのです」


「……」


「つまり才能だけで強くはなれません。そこには目に見えない努力があるのです。ある程度強くなって胡座をかくと、努力し続けている者から簡単に追い越されます。ですから貴方も努力し続けて騎士になって下さい。しかし、騎士になったからといって怠けると同僚や後輩から追い越されてしまいます。騎士になった後は当主殿を超える騎士を目指して下さい。わかりやすく言えば騎士団長とかですね」


「ありがとうございます」


 ケビンから受けた真摯なアドバイスに納得をして、当主の息子はいささか緊張がほぐれたようであるが、相も変わらずクリスは己の道を行く。


「ほら、ケビン君。ここに座って」


 クリスの中では既に“ご飯を一緒に食べる”ことになっており、隣の席を薦めてきた。


「いや、だからご飯は食べたんだって」


「少しくらい入るよね? 大きくなれないよ?」


 少し食べたくらいで大きくなれるのなら苦労はしないとケビンは思うのだが、クリスに言ったところで無意味なものであることも理解していたため、ため息をつきつつも当主に断りをいれる。


「当主殿、不躾ながらご相伴に預かってもよろしいでしょうか?」


「い、いえ、私どもの食事がケビン様のお口に合うかどうか……」


 クリスの強引さに混乱も一入の当主は上手く返答ができずに、もし口に合わなかったりした場合は首が飛ぶのではないかと気が気ではない。


「大丈夫だよ。学食を食べたりしてたんだから」


 クリスのわけのわからないフォローを受けつつも、『ん? 家の食事は学食並なのか?』と愛する妻の作る料理を卑下されたような感覚に陥る。


 単にクリスは学食のような豪華な食事でなくともケビンが食べていたことを教えて安心させようとしたのだが、全く通じてはいなかった。


「はぁぁ……クリスさん、こういう時はお母さんの料理は愛情たっぷりで一流の家庭料理だから心配しなくていいよって伝えるんだよ。学食に例えたらダメでしょ」


「そう? わかりやすいと思ったんだけど」


「クリスさんって本当にSクラスなの? とてもそうは見えないんだけど」


「失礼ね、ちゃんとSクラスだよ。こう見えても高嶺の花なのよ」


「……」


 まさか自分で自身のことを高嶺の花と言う人がいるとは思わずに、ケビンはSクラスどうこうよりもその言葉に絶句した。


「ケビン様、お姉様は間違いなくSクラスなのですが、残念なことに蓋を開けるとこうなのです。それを知らない殿方たちからは大変人気なのでございます」


「あぁ……そういうことですか……」


 ケビンは今の状態の残念なクリスしか見たことがないので、学院ではきっとよそ行きのクリスを男性陣は見ているのだろうと理解した。


「それよりもケビン君、ほら、座って」


 半ば強引に座らされてしまったケビンは当主に対して申しわけなさそうに頭を下げるが、当主は頭を下げられたことにより慌てて頭を下げ返すのであった。


 やがて極度の緊張のせいで手が震え、カチャカチャと音を鳴らして飲み物を置こうとする夫人に対してケビンは申しわけなさそうにする。


「難しいでしょうがあまり緊張なされないで下さい。私のことはそこら辺にいる子供と思って頂ければよいので」


「そ、そんな、滅相もない!」


 ケビンが座ったことにより食卓の団欒は何とも言いきれぬ雰囲気に包み込まれたが、クリスの持ち前の天然さで静まり返るようなことはなかった。


「ケビン君、これ美味しいんだよ」


 甲斐甲斐しく食事を取り分けてケビンの前に持ってくるクリス。それをケビンは静かに食べて感嘆をもらす。


「美味しい……」


 サラの作る料理とはまた違った品や味付けに対して、お世辞なしで美味しいと感じてしまったケビンであった。


「ほらね、お父さん。心配しなくてもケビン君なら美味しく食べてくれるんだよ」


 それからも食事は進み、クリスの相手をしているケビンに緊張のほぐれた弟妹たちも少しずつ話しかけて、無事に終えることができたのだった。


「それでは、これにて失礼させていただきます」


「え、ケビン君帰っちゃうの?」


「いや、帰るでしょ。普通に考えて」


「私の部屋でゆっくりしようよ」


「クリスさん、淑女がホイホイと部屋に男を連れ込むべきではないよ」


 ケビンの言葉に家族は「そうだ、そうだ」と言わんばかりに頷いている。やはり、クリスはどこかズレているのだろう。


「ケビン君しか誘ったことないからホイホイしてないよ?」


「はぁぁ……学院の寮に戻りなよ。友人が心配してるよ」


「それなら寮まで一緒に帰ろ?」


「いや、俺の帰る場所は寮じゃないんだけど」


「私、襲われちゃうよ?」


「Sクラスならそこら辺の荒くれ者なんか捻り潰せるでしょ」


「うーん……あ、そうだ!」


 何を思い立ったのかクリスは突然ケビンに抱きついた。それを見た家族は『やっちまった、こいつ!』と頭を抱えるのである。


「何がしたいの?」


「送ってくれるまで離さない」


「はぁぁ……俺にそれしても意味ないよ? 力の差は歴然なんだから」


「でも、ケビン君は無理矢理剥がさないでしょ? そんなことされたら私の腕は痛くなるもの」


「はぁぁ……」


 クリスの行動に呆れ果ててため息ばかり出てしまうケビンは、早く帰ってゴロゴロしたいがためにクリスの要望を聞き入れることにした。


「……わかった。寮まで送る」


「やった! ケビン君、大好き!」


 クリスの暴挙に当主は気が気ではなく、度重なる問いかけを恐れながらもケビンにするのである。


「あ、あの、ケビン様……不敬罪だけは……」


「大丈夫ですよ。クリスさんの横暴は学院にいた時からありましたので」


「そ、それと、卒業したら会いに行くと言っているのですが……」


「それは私が言ったことですから咎めることはありません」


「よかった……」


 当主はようやく肩の荷がおりた。ケビンからお咎めがないと告げられ一家が存続できることに安堵した。


「お疲れのようですね。本日の訪問のお詫びとして皆さんを回復します。《ヒール》」


 ケビンがヒールを唱えると当主たちは光に包まれて、今までのクリスによる心労がなかったかのような晴れ晴れとした気持ちになった。


「ケ、ケビン様! ヒールは怪我を治す回復魔法のはずですがどうしてですの!? 詠唱もしませんでしたわ!」


 クリスの妹が本来持ちえない効果を齎した魔法に食い気味で尋ねると、ケビンは驚くものの普通に返した。


「魔法は万能。重要なのはイメージです。詠唱はその気になれば必要ありません。弟殿にも伝えたように必要なのは努力です。貴女もきっと努力を続ければ至れると思いますよ」


「は、はい!」


「で、そろそろ離して欲しいんだけど、クリスさん?」


「何だか段々と離れたくない気持ちになっちゃうの。どうしてかな?」


 ケビンは思った。『あ、これ称号働いてんな』と。


 だが、当主は違った。『お前の性癖のせいだろ!』と。


 いつまでもこうしていてはゴロゴロにありつけないのも事実なので、ケビンはクリスに離してもらうように策を練る。


「一旦離れてみたら? そうしたらわかると思うよ」


「そうかな?」


 何の疑いもなくクリスが離れるとケビンはすかさず距離を取った。間違いなく取ったのだが何故か捕まってしまった。


「え?」


「あの……これは、その……」


 ケビンを捕まえたのはクリスの妹であった。思いもよらぬ人物から捕まえられケビンは呆然とする。


「あの……妹殿?」


 若干混乱しつつもケビンは尋ねるが、妹は自分でも何故そうしたのか理解していなかったが、しっかりとケビンに抱きついて離さなかった。


 その様子に当主と夫人は「今度こそ不敬罪だ」と、気が気ではなくオロオロとしてばかりだ。


「離していただきたいのですが……」


「はい、離します」


「「……」」


「離してませんよね?」


「私にもわからないのです。お姉様の言った言葉が事実であったとしか……」


「とりあえず離れましょう。淑女なのですから簡単に異性に抱きついてはいけませんよ」


「……はい」


 ようやくケビンは解放されると、早く帰るためにクリスを促すのであった。


「クリスさん、行くよ」


「わかったわ。ほら、あなたたちも帰るわよ」


「「はい」」


 ぞろぞろと子供たちが去っていく中で、当主と夫人は抱き合いながら生きていることを実感していたのであった。


 寮までの帰路は言わずもがなクリスに手を握られていたこともそうだが、何故か反対側の手はクリスの妹にしっかりと握られていたのだった。


「あの、ケビン様」


「何でしょうか?」


「姉たちをよろしくお願いします」


「ぶふっ!」


 クリスの弟が発した何気ない言葉に吹き出してしまうケビンであったが、今までの出来事を冷静に観察して分析していた弟は、クリスのことはわかりきっていたが、もう1人の姉の行動が正しく恋であると感じ取り、本人がまだ自覚していないにも関わらずケビンに託すのであった。


「ケビン様、私のことはアイリスとお呼びください」


「私のことはケントとお呼びください」


「……わかりました。アイリスさん、ケントさん」


 ケビンは諦めと共に3人のことを学院の寮までしっかりと送り届けたあと、何とも言いきれぬ気持ちを抱いてその憂さ晴らしをするため、夜の闇へと消えて魔物を狩りに行く。


 そんな理不尽の権化に魔物たちは次々と狩られてしまい、その命を散らすのであった。


 魔物たちに人と同じ思考があったならきっとこう思っただろう……


 『解せぬ』

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