第104話 それぞれのその後の活動

――カロトバウン家・本宅


 ケビンがいなくなってから翌日、リビングのソファには一人佇むサラの姿があった。


 本来ならば、そばに最愛の息子がいるはずなのだが、今はいない……自ら捜しに行きたいのだが、男爵夫人という立場もあり捜しに行けず、堂々巡りのジレンマに陥っている。


(コンコン)


「……入っていいわ」


「失礼します」


 リビングに現れたのは、筆頭執事であるマイケルだった。


「捜索に関する経過報告に参りました」


 サラは、逸る気持ちを抑えながらも続きを促す。


「それで?」


「まずは王都内で、危険度の高いスラム地区から捜索にあたりましたが、スラムに立ち入った形跡はございませんでした。それから貴族街に子供を保護している者がいないか、使用人を通じて聞き込みを行いましたが、該当者はおりませんでした。今現在は平民が住む住宅街や商業地区にて、保護している者がいないかあたっている段階です」


「そう、わかったわ。引き続き捜索を頼むわね」


「御意に」


 マイケルがそのまま音もなく立ち去ったあと、サラは目の前にある紅茶を口にし、考えに耽るのだった。


(これだけ捜して見つからないのなら、アインの言う通りに記憶をなくしていたとしても、スキル関係の使い方は、感覚でわかっているんでしょうね。あの子はシーラから逃げたい一心で、気配を消すのが上手くなってしまったから、使用人たちが捜すのは苦労するわね。長丁場になりそうだわ……元気でいてくれるならそれに越したことはないのだけど)



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



――学院


 放課後、学院の図書室にて、積み重ねられた本の山に囲まれながら、1人黙々と調べものをしている生徒に、声をかける者がいた。


「兄さん、何かいい情報はあったか?」


 呼びかけられた者は、本に落としていた視線を相手に向けると、困った感じの笑顔を返す。それを見ただけで呼びかけた者は、状況を把握できたが、言葉を待つことにしたようだ。


「カインか……残念ながらいい情報はないよ。色々と過去の症例は書かれているが、どれも眉唾物だね。1番多いのは毎日家族が教会で、神にお祈りをしていたら治ってたってやつだね。数年から数十年掛かっている上に、確実ではないから現実的じゃない。確実にわかったのは、回復魔法では治せないということだよ」


「まぁ、あれは基本的に怪我とか病気を治す魔法だしな」


「「……はぁぁ……」」


 2人同時に溜息をつくと、先行き不安な気持ちだけが募る。


「マイケルの方も芳しくないみたいだ。別宅に行って近況を確認したんだが、少なくともスラムには立ち入ってないらしい。貴族街にもいないから次は平民街を捜すみたいだ」


 カインが報告すると、アインは考え込むようにして言葉を紡ぎ出す。


「マイケルが捜して見つからない……ということは……もしかしてケビンは、隠蔽系のスキルを持っているんじゃないか?」


「あの年で? 小さい時は、特にそんな訓練をしている様には見えなかったけど?」


「発想を変えるんだよ。訓練していなくても、似たようなことを繰り返していたら、それが訓練に該当する。そうなると……」


「うーん……ケビンが隠れるような日常……」


 2人は深く考え込むが一向に答えへとたどりつかない。ケビンの小さい頃は似たような年代の子が近くにおらず、子供たちでかくれんぼをするような事はなかった。


 それを知っているせいか、未だに答えを見いだせないでいるカインとは別で、アインが1つの仮定を導き出す。


「……シーラ……」


「シーラ? あいつがどうかしたのか?」


 未だに心の整理がついていないのか、カインは怪訝な表情を見せる。


「あの子は弟が出来たのが嬉しくて、よく実家に帰って追い回していただろ? 小さい時は逃げきれなくても、成長すれば走って逃げることもできるし、見つからないように隠れることも考える。まぁ、それでも見つかって抱っこされていたけど……」


 その時のことでも思い出したのか、アインは柔らかな笑みを浮かべる。


「あぁ、確かに。あの時は、微笑ましいぐらいにしか思っていなかったな」


「僕の考えうる限りでは、それが元となって隠蔽系スキルを、手に入れたんじゃないかと思ってね」


「ありえそう……というか確定じゃないか?」


 アインはカインの言葉に苦笑いで返す。


「多分、学院に入学してから、闘技大会以降は追い回されていたと思うよ。そのせいもあってか、スキルに磨きがかかったんじゃないかな?」


「ここでもやらかしてたのか……あいつは本当に……」


「今回のは、あくまでも仮定における結果論だよ。過程はどうであれ、シーラに責任はない。虐めたらダメだよ?」


「わかってるよ。シーラが小さい頃のケビンに、突撃しているのを止めなかった俺にも責任はあるしな」


「そうだね。僕もあそこまで弟にベッタリになるとは思わなかったけど。よほど嬉しかったんだろうね」


「それじゃあ、このことを別宅にでも行って、マイケルに知らせるよ。スキルを持ってるなら、捜し終わった場所にも、見落としがあるかもしれないし」


「悪いね。連絡係にしてしまって」


「構わないさ。兄さんみたいに頭が回るほうじゃないしな。身体を使うのが俺の仕事だ」


 そう言って図書室を後にしたカインは、別宅へと向かうのであった。残されたアインは、少しでも情報を得ようと、読みかけの書物に再び目線を落とした。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



――女子寮


 そこには今日も目的の場所へと歩く、1人の少女の姿があった。王都を騒がせた事件以来、足繁く通っているのだ。


 少女は、目的地へ到着すると、慣れた手つきでドアをノックする。


(コンコン)


「入るわよ」


 部屋の主の返答を待つでもなく、少女は中へ入ると、ベッドで起きている部屋の主が、力のない視線を返す。


 元気であった頃の姿は既になくし、瞼が腫れていたので、泣いていたのは誰が見ても明らかだった。


「また泣いていたのね。せっかくの綺麗な顔が台無しよ?」


「……」


 部屋の主は答えない。これもここ最近では繰り返されたやりとりだ。


「まだ登校する気にはなれないようね……学院としては今回の事件で、病欠している一部の生徒には、成績付与の方針を立てたわ。一部なのは体調不良者も続々と登校し始めて、中には仮病を使って、楽して成績を得ようとしている生徒もいるからよ」


「……」


「……ケビン」


 その言葉が出た時に、僅かに部屋の主の手元が動いた。


「あの子のことを知りたいなら、今のままではダメよ。元の元気な貴女に戻りなさい。そうしたら教えてあげるわ。じゃ、また来るわね」


 訪問者は、そのままベッド脇の椅子から立ち上がると、部屋を出て行ってしまった。それから部屋の主は、窓から見える外の景色へと視線を移し、ぽつりと呟く。


「ケビン君……」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



――初等部2学年Eクラス


 他のクラスとは違い、ここではある種のグループ争いみたいなものが生まれていた。


 1つは女子生徒中心のもの、1つは男子生徒中心のもの。最後は中立を保っている者たち。


 あの事件以降、男子生徒は女子生徒たちを責めた。主に野次っていた女子生徒たちに対して。


 女子生徒たちも、今は謝るべき相手もおらず、行き場のない気持ちを、反発するという行動に変えて争っている。


「だから、お前らのせいで、ケビン君がキレたんだろうが!」


「私たちのせいだって言うの! 女子を泣かせるのが悪いんじゃない!」


「自分たちの過ちを正当化するなよ! お前たちには関係のないことなのに、口を挟んで責めただろ! どう考えても理不尽だろうが!」


 どっちも引くには引けず、争いはヒートアップしていた。そんな中、1人の少女が声を上げる。


「いい加減にしてっ!」


 少女のその言葉に、クラスの生徒たちは視線を向ける。


「悪いのは全て私なんだから。ケビン君の優しさに甘えて、調子に乗った私が悪いのよ。お姉さんとその友人の人まで巻き込んでしまって……全部私が悪いのよっ!」


 この少女も謝るべき相手がおらず、行き場のない気持ちを、整理できずに悩んでいた。自分だけがのうのうと学院生活を送っていていいのかと。


「カトレアさん……」


 誰とはなしに、悲痛な面持ちをしていた少女に対して、その名を呟いていた。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



――とある空間


 1人佇み下界を観察していた女神の元へ、1人の老人が現れる。


「のう、ソフィーリアよ」


「なんでしょうか? 原初神様」


 特に驚く様子もなく返答する女神に対して、原初神は続きの言葉を発した。


「あの子の記憶を治してやらんのか? それが出来ないお主ではなかろうに」


「健の魂を調べた時に、心の奥底に闇があったのです」


「闇とな?」


「えぇ。人には少なからず闇はありますが、あの人の闇は深く、先が見えませんでした。なぜそこまでの闇を抱えることになったのか、後から調べてみたら、トラウマとも言うべき出来事が子供の頃にあり、そこで酷い憎しみの感情を抱いていました」


 悲しげな表情を浮かべながらも答える女神に、先を促すように語りかける。


「聞いてもいい事かの?」


「……本人はその時の記憶を思い出したくもないのか、心の奥底にしまっている感じで、もし、思い出しでもしたら全てが憎くなるのでしょうね、今回みたいに、本人も気づかぬ内に記憶を封印しているようです」


「それほどのものか?」


「それほどのものですよ。元凶に天罰を与えたくとも、当の本人たちは既にこの世を去っていましたし、私も行き場のない怒りを抑えるので精一杯ですから」


「お主がそこまでの怒りを覚えるとは、一体何があったのじゃ?」


「……」


 女神は静かに瞳を閉じた。その出来事を思い返しているのだろうか、握られた拳は僅かに震えていた。


 それから二、三度深呼吸をすると、ソフィーリアは失われた健の過去を静かに語りだした。


「私の管轄である地球の日本という国で、普通のありふれた家庭に健は産まれました。


 すくすくと育っていたのですが、小学校に通っているある時に事件は起こりました。父親がリストラされ酒に溺れるようになったのです。


 その後は父親による家庭内暴力が母親と健を襲い、耐えられなくなった母親は離婚し、健は母親に引き取られました。


 母親はそれから生活費を得るために働くようになり、そして、日々の生活で肉体的、精神的に追い詰められていた母親は、精神病となり父親と同じ過ちを犯したのです。


 それでも健は必死に耐えていました。たった1人の母親を失いたくはなかったのでしょう。誰にも相談せずに小さい身体で、母親からの身体的な暴力に留まらず精神的な暴力まで受け入れていました。


 でも、健の心は次第にすり減っていきました。泣いては余計に殴られ、泣かずにいてもやはり殴られ、笑いかけただけでも殴られる。


 健の顔からは段々と表情がなくなり、感情が表に出なくなったのです。学校でも不気味がられて、クラスメイトからも声をかけられませんでした。


 喜びも哀しみも楽しみさえ無くなっていき、残ったのは怒りと憎しみだけでした。


 そんな中、ある日学校から帰ると、家には自殺した母親の姿があったのです。その姿を目にした健は、父親をリストラした会社を怨み、次に父親を怨み、とうとう母親まで怨むようになりました。


 最後にはこの世の理不尽さを憎み、そしてその矛先は……神にも向きました。そして健の意識は途絶えました。


 神の存在を知る由もないのに、あれ程の濃密な憎しみを向けられたのは初めてです。


 その時に、調べなければよかったと後悔したほどに。例え本人の記憶にない過去の話で、神の存在を知らないのだとしても、愛する人からあれ程の憎しみをぶつけられると、居た堪れないのです」


 その時のことを思い出したのだろうか、女神の瞳には涙がうっすらと浮かび上がっていた。


「それから数日後、異臭に気付いた近隣住民が警察に通報し、駆けつけた警察官に保護された健は、衰弱しながらも一命を取り留めました。


 その後の調査で、健が日常的に虐待を受けていた事と、母親が精神疾患を抱えていて、他殺ではなく自殺だったことが判明したことで、事件は終わりをむかえました。


 その後の健は病院で目覚めましたが、警察の事情聴取で日常的な常識以外の記憶がないことがわかり、医師の診断の結果、多大なストレスが影響したのが原因で、家族に関する記憶を失ったのだろうと判断されました。


 その後、家族の記憶を失ったまま児童養護施設へと入り、里親が決まり次第、新しい家庭へと迎え入れられました。」


 これで終わりとばかりに女神が大きく息を吐くと、原初神は神妙な面持ちで声をかけた。


「過酷な運命を背負って生きておったのじゃな。ソフィーリアにも辛い思いをさせてすまなかった」


「いえ、私が勝手に健の過去を暴いたので、この気持ちは自業自得です。だから今は、転生後の健の記憶を戻すかどうかで悩んでます。地球でなくした記憶は、戻らないように神の力で封印をかけますけど、今回なくした記憶はどうしたらいいのかと……」


「戻してもよいじゃろ。今回は生前のフラッシュバックみたいなもんじゃろ? 理不尽さに耐えかねて、再発させてしまったのじゃろう。本人は記憶を無くしているから意図しておらぬじゃろうが」


 原初神は女神を元気づけるために、軽く会話をするが当の女神は気落ちしたままだった。


「それなら転生前の私とのやり取りの記憶が、無くなることはないはずですが、今回は無くなっていたのです。それで私のことも、忘れたかったのかと思い、踏ん切りがつかないのです」


 そう言ってさらに落ち込む女神に対して、原初神は1つの答えを教えることにした。


「そもそもその考えが間違っておる。無くしたい記憶など、消す時に自由に選ぶことは出来ぬ。それこそ外的要因で意図的に消さぬ限り。つまりじゃ、今回の件は意図せずに、死後の記憶をきれいさっぱり封印してしまったということじゃ」


「でも……今の健はとても活き活きしているし、それならこのままでもいいのかなって、思っている自分もあったりして……」


「それなら条件付きで、段階的に戻せばよかろう。条件は記憶に関係するものを目にした時や聞いた時、本人が強く思い出したいと思った時じゃな。そうした方が本人への負担も減るじゃろ?」


「徐々に思い出すなら、脳にもあまり負荷がかからないし、本人が思い出したいと思わないと戻らないから、気持ちを無視するわけでもないし……わかりました。そのようにしたいと思います」


 記憶を戻す解決の糸口が見えて、ちょっと元気を取り戻した女神を見れたことに、原初神は安堵するのだった。


「いつものお主なら、この程度すぐに思いつくのにのぅ。それほどあの子に惚れ込んどるということか」


 そう呟く声は、既に女神には聞こえておらず、当の女神はそそくさと作業を開始していたのだった。


「まぁ、少し元気になって良かったわい」


 その言葉を最後に、原初神はその空間から消えたのだった。

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