5-3

 朝食をとってからあたしは学校へと向かった。


 昼前である上に土曜日という事もあってか、通学路ではまったく他の生徒と出くわさなかった。


 念のため、からっぽの通学鞄に財布だけは入れている。


 駐輪場で宗也くんと出会った。一緒に部室棟へと向かう。まるで覇気が感じられない宗也くんを他愛のない会話で元気づけようと思ったのに、あたしの努力はただ気まずい沈黙に終わっただけだった。


 宗也くんに続いてあたしは部室に入った。


 そこにはすでに菜摘ちゃんが居た。おはよう、と声をかけられ、あたしは声を上ずらせながらも挨拶を返した。


「今日も暑いね」

「そ、そうですね」


 何気なく菜摘ちゃんは話しかけてくる。あたしがカメラを壊した犯人だと知ればどうするだろう。彼女の夢の理由を知っているが故にその罪悪感は余計に膨れ上がる。


 新星を見つけて周りの人に評価してもらう、という夢。

 きっとその夢は、ただそれだけを意味するのではないのだろう。菜摘ちゃんなりの想いがそこには詰まっている。


 あたしがそれを挫いてしまったのかと思うと思わず身の毛がよだつ。


 考えるのも恐くなり、慌てて頭から取っぱらった。


 机の上にはケースにしまわれたカメラが置かれていた。

 昼から智幸さんがやってくる。そのために今日は集まっているのだ。


 あまり昼間に活動する必要もないあたしたちが、こうして土曜日に集まるのは珍しかった。時間も詳しく決めていなかったため十一時を回っても智幸さんが来る気配は無かった。


 菜摘ちゃんと同じ部屋に居る状況は、今のあたしにとっては拷問でしかなかった。あたしが犯人で、菜摘ちゃんは被害者だ。


 謝るべきなのに、その言葉があたしの口からは一向に出てこない。


 あたしは逃げるように部屋の隅へと椅子を持っていって座った。

 それからは、ただ時間だけが虚しく過ぎていく。あとは智幸さんを待つだけだ。


 苦しかった。吐き気がした。

 頭が痛くて、何も考えられなくなりそうだ。


 宗也くんたちに打ち明けなければいけない。あたしの不注意でカメラを壊してしまったことを。でも宗也くんに言うのは恐い。


 言うべきか、言わないでおくべきか。


 葛藤が渦巻き、脳が破裂しそうになる。

 暑さの籠もった空気にもあてられ気分は悪くなる一方だった。


「どうかしたのかな?」


 突然、菜摘ちゃんがあたしに声をかけてきた。


 反射的に身体が反応し、びくりと肩が震える。自分のおかしな様子に気付かれたのかと思い背筋に冷たい汗が伝った。


「な、なんでもないです」


 そう答えるのが精いっぱいだった。

 声は上ずり、情けない。顔全体が熱く汗がだらだらと湧くように流れ出た。


 菜摘ちゃんは心配そうに眉をひそめあたしを見つめてくる。


 その好意が苦しかった。

 今はあたしに構わないでほしい。でなければ余計に頭がおかしくなりそうだ。


「きつかったら、保健室にでも行くかい? 確か今日は先生も居たと思うよ」

「あの、大丈夫ですから」


 壁にもたれ掛かっていた菜摘ちゃんに、あたしは間髪いれず言葉を返していた。自分の言葉に説得力を持たせるため、無理にでも笑顔を作ってみせる。頬がぴきりと張るような感覚がして上手く笑えなかった。


「ほんとに大丈夫です」

「そうは見えないぞ。せめて水でも飲んでこいよ」


 窓際に座っていた宗也くんにも言われ、さすがに苦しくなる。潔くあたしは好意に甘えることにした。


「あ……うん。じゃあ、ちょっと」


 呟くように声を漏らし立ち上がる。

 足がふらつきながらも、あたしはそそくさと部室を出ていった。


 廊下に出ると、開けられた窓の風が強く吹きつけてきた。深く息を吸い込み、それから逃げるように走って階段を下りた。


 部室棟から出て校舎の裏を歩いた。中庭だと部室の窓から見えてしまうからだ。建物の陰に隠れながら歩いていった。


 宗也くんもあたしを心配してくれてるんだ。

 そう思うと幾分か冷静になることができた。


 つくづく、あたしは宗也くんに弱い。

 彼の一言はあたしにとっての全てのように感じる。


 宗也くんと出会わなければ、あたしはどうしようもなく他人を恐れ、自分に塞ぎこんでいただろう。


 内気な性格を直すためと言われ、あたしは母親の通っていたテニススクールに通わされる事になった。だけどそんなことで簡単に人見知りが直るはずもない。あたしは友達もできないままただクラスで孤立していった。


 週に一回のレッスンが、あたしは大嫌いだった。


 ある日、一人の男の子が入会してきた。同い年の、別の小学校の子だった。彼はとても上手く、すぐに上達していった。そのせいか彼の周りにはいつも人だかりができていたほどだ。


 羨ましかった。

 近づこうとする勇気など無く、かといってあたしには妬むような度胸もない。ただ遠目で指をくわえながら見ている事しかできなかった。


「テニス、嫌いなの?」


 突然、彼があたしに声をかけてきた。あたしは驚き、恐怖から足がすくんで逃げることすらできなかった。


「……へ、下手だから」


 必死に喉を絞り、声を出す。

 嫌悪感を示されるかと思ったが、彼は何ともない表情であたしを見つめていた。


「じゃあ、上手くなれば好きになるの?」

「え……あ、その。わから、ない」


「美晴ちゃん、だったよね? 打つ時のフォームがすっごく綺麗だから気になってたんだ。こんどいっしょに打とうよ」

「……え」


 生まれて初めて褒められたような気がした。それくらい嬉しかった。彼への好意はもうこの時から芽生えていたのだろう。


 もしかすると、あたしを励ますためのお世辞なだけだったのかもしれない。それでも良かった。


 あたしは彼を好きになった。

 嫌いだったテニスを続けられたのも彼が居るからだった。


 以降、あたしは彼のことをずっと見続けた。友達になれるように努力を始めた。小学校高学年になったころには、ちゃんと面と向かって話せるようになっていた。


 あたしは彼に憧れた。いつもレッスンを一生懸命に取り組み、みんなの輪の中心に居る。彼こそがあたしの理想であり、目標だった。


 彼はいつもあたしの前に居る。憧れで居てくれる。


 あたしにとって、かけがえのない存在なのだ。


 将来はプロテニスプレイヤーになるんだって、何度も聞かされた。あたしも、精一杯に応援した。


 頑張ってね、宗也くん――と。

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