5-2
おじさんのカメラ屋を出たあたしは、肩を落として深くため息をついた。
空はもう、日も暮れて群青色が染み出してきている。西の山の上には宵の明星が明るく輝いていた。
しつこい残暑の中を道行く人は汗を流しながら歩いているのに、あたしは汗を掻くどころか、暑さすら感じる余裕もなかった。
カメラが壊れてたことによって今日の天文部の活動は中止になっていた。活動と言っても、ただ部室で駄弁っているだけだけど。
智幸さんは明日来てくれるらしく、全ての問題が明日に持ち越された形だ。それまでにどうにかして代用のカメラを手に入れられないかと、あたしは町を自転車で走り回っていたのだった。
前かごに入れた通学鞄が重い。家に帰る事もせず、あたしは制服姿のまま町中を走り続けた。街中の商店街にまで足を運び、辺りをきょろきょろと見回す。
どこかにもっと安くカメラが買えるところは無いだろうか。
あたしの、普通の高校生のお小遣いなんてたかが知れている。カメラを変えるほどのお金は少しも持ち合わせていなかった。
探してみてもなかなか見当たらない。大型量販店は電車で数駅行ったところにしかないし、小さな専門店の場所は良く知らない。カメラになんてまったく興味がなかったため記憶にも留めていなかった。
町中を歩いている時も、ずっと宗也くんの物憂げな表情が頭の中に浮かんでいた。
今日の放課後まで。ほんの数時間前まではいつもの宗也くんだったのに。あたしがカメラを壊してしまったことで全てが崩れ去ってしまった。
宗也くんと一緒に過ごせた天文部の時間が途方もなく愛おしく思えていた。それが今は、自分を苦しめるだけでしかない。たった一度の間違いで何もかもが終わってしまったかのような気がした。
あたしは嫌われる。
宗也くんに嫌われてしまう。
――そんなの、イヤだ。
宗也くんのことを思うと、あたしは自分から言いだすことができなかった。宗也くんに嫌われたくない一心で保身に走ってしまった。
「……ほんと、あたしって最低だ」
言いだせない。もう、自分からは。
でも言わなくちゃ。あたしがやりました、って。
二つの想いがあたしのなかでせめぎ合う。
胸が痛くなった。
泣きたくなった。
けど、涙は出なかった。
どうすればいいのかわからない。
――あたしを助けて、宗也くん、宗也くん!
届くはずもない気持ちを胸の中で何度も反芻しながら、あたしは夕闇に覆われた町中を走り続けた。
結局、見つけたどのカメラ屋さんもあたしの手が届くようなところではなかった。
夕食時の七時を迎え、あたしは家に帰った。夜がいつもより暗く見える。自転車のペダルは驚くほどに重たかった。
おかえりなさい。家に帰るといつものようにお母さんが出迎えてくれた。それが嬉しくて、また苦しくもあった。
ただいまと答え、あたしは一目散に部屋へと上がる。リビングのテーブルに並べられていた夕食を食べる元気はなかった。
部屋に入り、扉を閉める。
鞄を机の上に置くと、胸元のリボンを解き、シャツの一番上のボタンを外した。首元が解放されて僅かに涼しくなる。
あたしはそのままベッドに倒れ込んだ。低反発のベッドに柔らかく押し返され、身体が沈み込む。天井がいつもより高く見えた。
付けたばかりの電気をリモコンで消し、目を閉じる。
このまま寝てしまおうか。シャツがしわだらけになるけど、まあ、いいや。代えはいくらでもある。あ、でもスカートはこれひとつだ。仕方ない、着替えよう。
重たい身体を起き上がらせ、薄暗い部屋を歩く。十年以上も過ごしてきた部屋は、さすがに視界が悪くても自由に動きまわれた。箪笥からパーカーの付いた半袖と短パンのパジャマを取り出した。薄地で着心地も良く、水色のボーダー柄が可愛らしいお気に入りのものだ。
着ていたシャツをハンガーに掛ける。下着も交換しておいた。
洗濯物は明日の朝にでも持っていくとしよう。
そのついでにシャワーも浴びればいい。
とにかくもう寝ることにした。
イヤな事から逃げてしまうように。
でも、まったく眠りにつくことができない。どれだけ瞼を強く閉じてみても、眠気はやってこなかった。だからといって起き上がろうとも思えない。
十六年生きていた中で一番苦しい夜だった。寝付く事もできず、真っ暗な部屋で天井だけを見つめ続けた。
時間の経過がひどく遅い。
このまま明日が来なければいいのに。
暗闇に溶けて逃避をしてみても、耳元に置いた目覚まし時計の針を刻む音が、夜が明けるその時へと迫っている事を一秒ごとに告げてくる。
まるで、あたしを責めているかのよう。
あたしの願いも届かず、カーテンの敷かれた窓の外はやがて明るくなっていった。
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