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     *


 テニスを始めたのは、小学校二年生のときだった。


 理由は単純だ。

 親が通い始めたから、俺も一緒に付き合わされることになった。


 運動は嫌いじゃなかったし、スクールには同い年くらいの友達も居た。辞める理由も無く、俺は小学校高学年になっても続けていた。


 気付けば、親や友達もすでに辞めていた。それでも俺が辞めなかったのは、おそらく、テニスを楽しいと思って続けていたからじゃない。


「宗也、上手くなってきたな」


 五年生くらいのとき、コーチが俺に言った。


「バックハンドの打ち方もよくなってきたし、サーブもけっこう速い球を入れれるようになってる。成長期で背が伸びたから余計にかな。いい調子だぞ、宗也」


 その頃の俺は、人並み以上の技術を身につけることは出来ていた。同じクラスの同年代の子達よりも、僅かにだが確かに抜きん出ていた。


「すごいね、宗也くん。かっこいい!」


 テニススクールの同じクラスに通っていた秋川美晴という女の子が、よく俺にそんな事を言ってくれていた。通っている小学校も違ったし、特別仲がいいわけでもない。だが彼女はテニスが上手い俺を羨ましがっていたようで、よく話しかけてきた。


 他の子たちからも賞賛の言葉をたくさんかけられた。


 俺はきっと、それで思い上がったのだ。

 周りに評価されるようになって以来、テニスの練習をより励むようになった。そして俺は、夢を掲げた。


「僕の将来の夢は、プロテニスプレイヤーになることです」


 小学校の文集や卒業アルバムで俺は繰り返し言った。その時の自分にとって、それになれることが当たり前だと思っていた。だから、俺は躊躇なく言い放った。


 事あるごとに、それを言い続けた。


 誰もが「凄いね」と褒めてくれる。気分がいい。


 そうして俺は中学にあがると同時に、より本格的なレッスンを受けることになった。スクールが数年前から設けている、プロ養成コースだ。コーチの承認が無ければ入ることは出来ず、俺はやっと許可をもらえたのだった。


 週に一回だったレッスンが、毎日になる。

 それだけの話だ。別に恐いとは感じない。


「宗也くん、養成コースに行くって本当?」


 通いなれたクラスでの最期のレッスン日。中学校に入学する二週間ほど前だ。練習後、美晴は俺に声をかけてきた。


「ああ、ほんと」

「すごいね。だって練習、毎日あるんでしょ。夕方から三時間も。わたしにはきっと無理だなぁ」


「大したことないよ。ちょっと厳しくなるってだけだし。それに俺は『プロ』になるんだから」


 胸を張って俺は言った。

 そんな俺に、美晴は笑顔を浮かべて嬉しそうに拍手してくれた。


「応援してるね!」


 やっぱり、いい気分だ。

 プロテニスプレイヤーになるのは、俺の中ではもう確定事項だった。


 でも、俺は知らなかったのだ。


 自分がどれほど怠慢で情けないのかということを。

 自分自身の身の丈というものを。


 いつものスクールを終えたその日。インドアのコートでレッスンを終えた俺は、外の夜間照明に照らされた下で懸命に汗を流す上級生達の姿を見た。


 プロ養成コース。

 俺達、趣味どまりのスクール生とは違って、本気で練習をし続ける人たち。


 一時間だけだった俺達とは違い、彼らはずっと長いこと練習を続けていた。


「見学しとくといいぞ。中学からあそこに混じるんだからな」とコーチが言った。


「みんな真剣にプロを目出して頑張ってるんだ。だから宗也も頑張れよ」

「…………はい」


 俺は思わず息を呑んでいて返事が遅れてしまっていた。


 絶え間なくなり続ける打球音。荒い息遣い。飛び散る汗。ひどく疲労を重ねているのに、けれど鋭く打ち込まれるストローク。


 そこはまるで別世界だった。

 小学生が遊びの延長のように通っていたレッスンではなく、そこに人生をかけた人たちが懸命に打ち込む姿があった。


 養成コースの中学生たちはみんな、ひどく疲れた様子を見せている。けれども弱音は吐かず、足を止めず、ひたすら練習に取り組んでいる。どう見ても俺よりずっと上手い。


 俺はあんなに早く走れないし、綺麗に打ち返せないし――俺って何が優れていたのだろうか。

 わからなくなる。


 圧倒的熱意。

 その光景は、ぬる湯でお山の大将を気取っていた俺に現実を突きつけるには十分すぎた。


 途端に怖くなった。足が震えた。


「応援してるからな、宗也」


 コーチの優しい言葉が俺を圧しつけた。



 次の日。

 俺はスクールを辞めた。


     *

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