九本目 IDの紙を持った俺は、妹にその紙を隠し切れないのでした
帰宅した俺は、玄関でいきなり窮地に立たされていた。
「紙だして、お兄ちゃん?」
「ははは、今日はテストは無いよ」
「IDが書かれた紙をあの雌から貰ったでしょ?」
仁王立ちのマリーは少しお怒りだ。
どうして行動が完璧に把握されているんだ。
あの時周囲を見渡してもマリーの姿はなかった。
それにしても会話の内容まで知られているという事は……。
「マリー、もしかして――盗聴してるのか?」
「そんな事は今はどうでもいいの、早く渡して」
「いや、これだけは知りたい! 教えてくれ!」
「お兄ちゃん、私に意見するの?」
マリーさん、その刀身を最大限に伸ばしたカッターは下げて貰えませんかね?
とても怖いです。
「も、申し訳ありません。しかしながら、紙をお渡しする前にひと作業させて貰えないでしょうか?」
「登録するつもりでしょ、そんな隙は与えないよ?」
金色の眼が俺の行動を予測してそれを抑制する。
俺は頭をフローリングに激突させ、マリーにお願いする。
「お願いですマリー様! この藤麻の生涯において、ただの一度もまともに女子と話したことがありません。そんな哀れな兄に、どうかお慈悲を!」
「マリーがいれば他はいらないでしょ?」
その一言で、俺は放心してしまった。
全てを否定されたような感覚に陥り、玄関にも関わらずその場で倒れ込む。
世界はこんなにも残酷だとは……。
「さあお兄ちゃん、渡して?」
「神はいないのか……」
「神も仏いないけど、マリーがいるよ」
マリーは優しい言葉を掛けて俺のネクタイを掴むと、ズルズルとリビングに引っ張った。
もう少し兄を大切に扱ってほしい。
「まあ態々出させなくても、何処にあるかはわかってるんだけどね」
リビングのソファーに俺を座らせ、マリーは一切の迷いなく俺のスマホを奪う。
そしてスマホケースを外し、その裏に隠してあった紙を手にした。
「何でわかるのって顔してるね? お兄ちゃんの事なら分からないことはないんだよ?」
「あ、悪魔め……」
「お兄ちゃんの為なら悪魔にだってなれるよ」
もう既に悪魔です。
それとその愛はいつからそんなに歪んでしまったのか。
兄としてとても不甲斐ないよ。
しかしまだ手は残されている。
そのチャンスを逃さなければ俺は花ちゃんとメールができる!
「じゃあお兄ちゃん、このスマホは没収しておくね」
「え、何でだよ! 紙も渡したし、もう許してくれ!」
「あの雌のID、紙を見なくても覚えてるでしょ?」
そう。
俺はこういうことが起きると予想して予め記憶しておいたのだ。
だから仮に紙を奪われても、スマホさえあれば登録できたのだが……。
「今日はお兄ちゃんの好きな唐揚げだよ、ご飯食べて元気だして!」
差し出された手を取り、テーブルに腰掛ける。
目の前の唐揚げを見ていると、不思議と悲しさが消えて行く。
何故こんな目に遭わされているのに、マリー特製の唐揚げを見ただけで――心がこんなに満たされるのだろうか。
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