「ん……ふぁ〜」


 古城の地下に蟻の巣のように広がる空間。そのとある一室でノエルは目を覚ました。


(あれ?ここ……あぁそうだ、私たち、お城に着いて……)


 一瞬、ノエルは自分がどこにいるのかわからなかったが、脳が働き始めたことで、少しずつ思い出していた。


(グライファーさんたちに施設の案内をしてもらって……部屋を割り当てられて……)


 指を折りながら順に思い出していく。


(ご飯食べて、久しぶりのお風呂に入って、それから……そのまま寝ちゃったのかな?)


 寝る直前の記憶は曖昧だったが、それも仕方のないことだろう。

 なんの訓練も受けたことのない十五歳の少女が、一週間休憩もほとんど無しに危険な森を抜け、切り立った山を登ったのだ。疲れで気絶してもおかしくはないだろう。


(確か、起床は六時だっけ……?)


 時計を見るとまだ五時前だった。就寝時間よりもかなり早く寝てしまったせいだろう。

 ノエルはベットから出て、部屋を見渡す。

 二人分のベットと机とタンス。最小限の物しか無いこの部屋だが、そのせいで空きスペースがかなりある。結界のおかげで、洞窟特有の肌寒さはなく、壁や天井から土埃が落ちてくることもない。

 ノエルはもう一つのベットで寝る人物の姿を見る。

 妖精のような顔立ちと、若葉色の美しい長い髪を持ち、エルフほど長くは無いが、人間ほど丸みを帯びていない耳が特徴的な少女だ。


(確か、ソフィーさんだっけ?ハーフエルフの)


 同室になった時にした自己紹介を思い出そうとしていると、安らかな寝顔をしていたソフィーが急にうなされ始める。


「――お、父さん……お母さん……置いて、行かないで……あ、ぁぁ……」


 その声を聞いたノエルは、これ以上聞くのは悪いと思い、手早く寝間着から支給された制服に着替えると、静かに部屋を出た。

 部屋と同様、岩壁が続く廊下。天井はかなり高く五メルほど、横幅も五、六人並んでも少し余るぐらいはある。

 しかし魔法の灯りが廊下を明るく照らしているとはいえ、これだけ広い廊下に一人だけだと心細く感じる。

 ノエルは足早に、昨日教えてもらった食堂へと向かった。

 ある程度廊下を進むと、漂ってくる微かな匂いが鼻腔をくすぐる。


(あ、焼きたてのパンの香りだ……)


 食堂に近づくほど、パンの甘い香りが強くなっていき、だんだんと足取りも軽くなっていく。

 あっという間に食堂の両扉の前に来てしまった。


「お邪魔します……」


 一言断りを入れてから扉を開ける。

 三百人は入れる巨大な食堂。特別装飾などはないものの、壁や天井は無論岩や土なのでむしろそちらの方がいいのだろう。

 扉のある壁の反対側には厨房カウンターがあり、奥の方では何人かの料理人が忙しなく動き回っていた。

 扉の前でそれを眺めていると、ノエルに気づいた一人の料理人のおばさんが、ノエルのもとにやって来た。


「あら、あなた英雄候補さんね。随分と早起きなのね」

「は、はい……あのぉ――」

「ごめんなさいね、まだ朝食は出来上がってないの。もうすぐできるから座って待っててちょうだい」

「あ……」


 おばさんはそれだけ言うと、静止させようと伸ばしたノエルの手をすり抜けて厨房に戻っていった。

 ノエルはその場に立ったまま、おばさんに触れたはずの掌の感触を確かめていた。

 ここは亡霊たちが料理人の食堂。

 ここには昨日の夕食の時に案内されたが、歓迎してくれた亡霊の姿を見て、何人かは気絶してしまった。


(悪い人じゃないんだろうけど……慣れるまでは時間がかかりそうかな……)


 そんなことを思いながら、座る場所を探して席を辺りを見回す。どこの席も大差ないのだが、全席空いているとなると何故だか迷ってしまう。

 その時だった。視界の端に一つの影が映り込む。

 犬と同じ耳が頭部から生えた人間だ。髪と同じ焦げ茶色の尻尾がゆらゆらと揺れている。

 獣人。その名の通り、様々な獣の特徴を持つ種族のことだ。

 この世界において、人間に次いで二番目に数の多い種族である。

 しかし、その特徴毎に部族が分かれていることが多いため、国家を形成することはほとんどない。

 部族によっては閉鎖的な獣人もいるが、ノエルの目に映る獣人はその特徴からして、他種族とも交流がある犬の獣人だろう。

 ノエルがその獣人を何気なく見つめていると、急に、獣人がこちらに振り向く。


「あの、何か用かな?」

「え、あ、ごめんなさい!」


 獣人の少年――歳はノエルと同じ十五くらい――の言葉で我に返ったノエルは、羞恥心で顔を真っ赤にする。


「別に謝る必要はないよ。それで、何かな?」

「えっと……用があるわけではなくて……」


 まぁ、座りなよ、という少年の言葉に促されるまま、ノエルは少年の正面の席に座る。

 少年の手元には何かの資料が置いてあり、先程までそれを読んでいたらしい。


「ん?あぁ、これは昨日、資料室から借りたんだ。俺たちの教官の活動記録が載ってる」


 ノエルの視線に気づいた少年はそう言って、資料をノエルに渡す。

 資料には、昨日、ハルと名乗った青年の顔写真と、その活動記録が記載されていた。


「まぁ、これだけしか借りれなかったけど」


 少年の言う通り資料には、名前や年齢などの基本的な個人情報と、異世界人の討伐数などが記載されているだけだった。

 一通り目を通したノエルは資料を少年に返す。


「……どうして教官のことを調べているの?」


 ノエルは素朴な疑問を少年にぶつける。それを聞いた少年はゆっくりと立ち上がった。


「大した理由じゃないよ。ただ、昨日目をつけられたみたいだからね。君も気をつけていた方がいいよ、ノエルさん」

「え、どうして私の名前を――」

「おはようございます!」


 少年の言葉に、ノエルは勢いよく立ち上がった。

 その時だった。食堂の扉が勢いよく開き、人が雪崩れ込んでくる。

 驚いたノエルが、後ろの壁にある時計を見ると、六時を過ぎてちょうど十分が経過していた。一番近い部屋のメンバーなら食堂に来てもおかしくない時間だ。


「ハッ!あの、あなたはっ!」


 我に返ったノエルは、少年の方へと振り返る。

 しかしそこに、少年の姿はなかった。


「……どこに消えたの」


 食堂に入ってくる人を見ながら、ノエルはその場で立ち尽くしていた。

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