訓練初日前夜
その夜、ハルは自室にて明日からの指導方針をまとめていた。
英雄候補たちの指導を命令されたのは昨夜のことだ。
アルンケファラーのお願い、もとい命令を最初は拒否しようとしたハルだったが、人員選びを優先させると言われては断る理由はなかった。
(しかし……流石に眠いな……このままだと明日に響くな……)
そろそろ切り上げようと椅子から立ち上がった時だった。部屋の扉が叩かれ、馴染みのある声が聞こえてきた。
「ハル、今いいかい?」
「マークか、構わないぞ」
お邪魔するよ、という言葉とともに一人の青年と幼女が部屋に入ってくる。
「久しぶりね、ハル。相変わらず無愛想な顔ね」
「ドロシー、お前もこっちに戻ってきていたのか」
「ちょっとした野暮用でね。しばらくはここにいるわ」
金色の髪を持つ長身痩躯の好青年、マーク。
そして、鮮血を思わせるほどに赤い長髪と瞳、低身長ではあるものの、どこか大人の雰囲気を漂わせる少女、ドロシー。
両者ともハルと同じく英雄であり、同時期に儀式を受けた同時期でもある。
そしてこの二人は人間ではない。
マークは天の使いとしても崇められる有翼種であり、ドロシーは悪魔などと同列視される吸血鬼である。
二人は、ハルの数少ない、心を開いている友人である。
ちょっと待ってろ、と立ち上がったハルはこの部屋に隣接されているミニキッチンに向かう。そこで魔法で手早く湯を沸かし、お茶を入れる。以前作ってあったクッキーも、内部の状態を保存する魔法のかかった瓶から取り出して皿に並べる。
この三人が集まった時の恒例だ。
部屋に戻ると、ドロシーはハルの机の上に置いてあった資料に目を通していた。
「お前、人のものを勝手に読むな」
「少しぐらいいいじゃない。他人と積極的に関わらないあんたが、見習いの教官をするなんて珍しいんだから」
盆に乗せたお茶やクッキーを置いてハルはドロシーの手にしていた資料を奪う。ドロシーは取り返そうとするが、高い位置にやられてはドロシーの身長では届かない。
諦めたドロシーは不服そうにしながらも、部屋の中央に置かれた椅子に座り、ハルの入れたお茶を飲む。
ちなみにマークは、ドロシーが資料を取り返そうとしている間に席についてクッキーをつまんでいた。
「ローフィアーズさんから聞いたんだ。あの人、随分驚いていたよ」
何故知っている、とハルが疑問を口にする直前、マークが先に答える。
どうしてマークとドロシーがここに来たのか納得したハルは、二人に事の成り行きを話した。
「なるほどねー……エミリアちゃんも遂に僕たちと同じになるのか……」
「最初の頃はハルにいじめられて、泣いてばかりだったのにね」
「……いじめてはいない。戦いで死なないように訓練していただけだ」
静かに異議を唱えるハルに、冗談よ、と笑いながら、ドロシーはクッキーを数枚まとめて口に放り込む。
「ほれで? 、んっ……見習いちゃんたちはなんとかなりそうなの?」
「……どうかな、最近は異世界人の召喚人数が多いせいで各地での被害が拡大している。ここに来てるやつのほとんどは異世界人に復讐を望んでる」
「確かにね……この前も、異世界人が森の守護者の魔物を倒したせいで、周囲の村に魔物が流出してるらしい。被害もかなりのものだ」
「何も考えずにやるだけやって、後のことは知らんぷり。復讐の一つや二つしたくなるわよ」
「だが、その復讐心を原動力とにして戦ってはいけない。あれは……確かに起爆剤としては優秀だ。けど、制御ができない。最後には周りを巻き込んで自爆するのがオチだ。俺が教官になった以上、そんな爆弾は残らず排除する」
改めて決意するハル。しかし、ハルを見るマークの目は、どこか悲しげな表情をしていた。
「ま、二人だけだけど、ハルの理想の子がいるみたいだから大丈夫なんじゃない?」
ハルとマークがドロシーに目を向けると、ドロシーはまたもやハルの資料を読んでいた。おそらく、資料を取られる前に隠していたのだろう。
二枚の写真にはそれぞれ、犬の獣人の少年と人間の少女の写真が貼られており、その写真には丸印がしてあった。
「獣人の子がエリアスで、女の子はノエルねー……あ、この子私の好みかも」
「「おい」」
ノエルの写真をまじまじと見ながらよだれを垂らすドロシーを半眼で見るハルとマーク。
しばらくして、ハルは諦めたようなため息とともに話し始めた。
「確かに、そいつらはあの英雄候補の中で最有力候補だとは思う」
「理由は?」
「決まってる。復讐の有無だ」
きっぱりと断言するハルを呆れた表情で見るドロシー。
「多少の復讐心はあった方が良いと僕は思うけどね。僕もドロシーも、そしてハルも、無いとは言い切れないだろ?」
「……それでも、無いに越したことはない」
ハルはそう、苦々しげに呟いた。
悪い、続けてくれ、とマークは促す。
「……そこにも書いてあるが、十中八九、エリアスは生まれながらの英雄だ」
「へぇ、
この世界に存在する英雄には二種類がある。
一つは、英雄化の儀式によって英雄となった者。
もう一つは、生まれた時から英雄だった者だ。
英雄である者は前者の方が圧倒的に多い。
忘れられし英雄に所属する十五人の英雄のうち、十三人が後天的に英雄となった者だ。
祝福されし英雄は数は少ないが、その分、後天的に英雄となった者とは比べ物にもならないほどの力を持っていることが多い。
「じゃあ、もう一人の方は?」
「ノエルは……普通の人間だ。北国の貧困層。領主になった異世界人の政策で路頭を彷徨っていたところを保護したらしい」
「……この子で大丈夫?」
ドロシーはノエルの資料を読みながら微妙な表情をする。
「いくら復讐心が無いとはいえ、各種値は平均より少し下。異世界人と直接戦闘するには厳しくない?」
「能力は後からでも十分追いつく。それにだ、担当が気づかなかったんだろうが、おそらく魔眼持ちだ」
「え、そうなの?」
「あぁ、妙な魔力反応があった。微弱だから大した能力じゃないだろうが……魔眼の能力は千差万別だ。予測できない分、異世界人相手にはなんであれ有効だ」
話がひと段落したところで、ハルの口から欠伸が漏れる。
それを見たマークとドロシーは顔を見合わせて立ち上がる。
「気づかなくてごめん。僕たちはこの辺りで失礼するよ」
「ま、明日から頑張りなさい。必要なら助けてあげるわ。百人全員の指導にあなた一人だと手が足りないでしょうからね」
「すまん、助かる」
また明日、という言葉とともに二人は部屋を後にする。
残されたハルは食器を片付け、早々とベットに潜り込と、疲労の溜まっていたためか、直ぐに眠りについた。
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