英雄候補

「うわー……すごく大きなお城……」


 不可視化の結界を抜けた少女は、その茶色の瞳で、目の前に現れた城を立ち止まって見ていた。

 それは彼女だけではない。結界を抜けた者の半数は、初めて見る城に目を向け、その場で立ち止まっていた。


「みなさーん、もう少しですからちゃんと付いてきてくださいねー」


 少女が声のした方を見ると、古ぼけたローブを着た一人のエルフがこちらに向かって手を振っていた。

 ローフィアーズと言う名のこのエルフは、言ってしまえば冴えない学者のような容姿をしていた。

 空色の長髪は紐で強く縛られ、手入れをしていないせいで傷んでおり、エルフ特有の美貌も髪と同じ空色の瞳も、かけている丸メガネのせいで霞んで見える。

 だがそういった姿と優しい性格おかげか、一番近くの街からここまでの一週間の間で、この場にいる百人―種族も階級も年齢も異なる―の英雄候補全員と打ち解けていた。


(着いたら教官からの指導があるって聞いたけど……ローフィアーズさんみたいに優しい人ならいいなぁ)


 そんなことを考えている間にみんな先に行ってしまったことに気づいた少女は、腰まで伸びた栗色の髪をなびかせながら長い慌てて追いかける。

 それから二十分ほど歩き、ついに古城の広場にたどり着いたのだった。


「はーい、皆さんお疲れ様です。しばらく休憩していてくださーい」


 ローフィアーズの言葉で、少女を含め大半がその場に座り込む。

 危険な魔物の住む森、足場の狭い切り立った山を、比較的安全な道を通ってきたとはいえ、肉体的にも精神的にも疲労がたまっていたのだ。

 座り込んだ少女は荷物を置き、古城を眺める。


(近くで見るとさらに大きく見える……これが二千年前に造られたなんて信じられない……)


 そんなことを思いながらしばらく待っていると、古城の方から黒髪の青年が歩いてくるのに気づいた。

 ローフィアーズもそれに気づき、青年のところに行くと何か言葉を交わし始める。

 ここからでは何を話しているのかよく聞き取れないが、雰囲気から察するに知り合いだろう。


(あの人が教官、なのかな?……なんだか怖そうだなぁ……)


 少女は青年が教官でないことを願おうとした。その時だった―


「ぶっ!」

「「「「「⁈」」」」」


 ローフィアーズが突然吹き出し、咳き込む。

 座り込んでいた英雄候補のほとんどはその音を聞いて、何事かと視線を二人にむける。

 しばらく咳き込み続けたローフィアーズは、呼吸を整えると青年に向かって何かを言う。

 青年も口を動かすが、声はこちらまでは届かない。

 しばらくすると、ローフィアーズは何か納得した表情で古城の方に去って行ってしまう。

 残された青年に目を向ける英雄候補たち。

 ローフィアーズを見送った青年は振り返ると、こちらに歩いてくる。

 英雄候補たちも慌てて立ち上がり、整列する。

 青年は声の届く範囲まで来ると口を開いた。


「ようこそ、英雄候補諸君。俺の名前はハル。これから一ヶ月、お前たちの教官を務めることになった者だ」


 感情の一切がこもっていない声と表情。それが英雄候補たちに不気味な印象を与える。

 

「さて、明日より座学を含め訓練を開始するが、その前に一つだけ、お前たちに言っておくことがある」


 そう言った青年は、厳しい目で英雄候補たちを見た後、言葉を続けた。


「お前たちは全員、異世界人によって家族や友人、恋人を殺され、それまで持っていた地位や名誉を全て奪われた者たちだろう」


 青年の言葉に英雄候補たちは静かに頷き、その目に怒りと憎しみを写す。

 そう、彼らは異世界人によって奪われた者たちだ。

 ある者は家族を目の前で虐殺され、ある者は恋人が制御を失った魔法に巻き込まれ、ある者は奴隷を持っていたというだけで標的にされた。

 許せるわけがなかった。

 それが、全く違う世界、全く違う常識、全く違う正義感を持った異世界人の自己満足で行われたとするならば尚更だ。


「そんなお前たちは異世界人に復讐したいと強く願った」


 しかし、彼らには復讐するための力がなかった。

 何もできない。

 忘れられし英雄に保護されたのは、そんな無力感に苛まれている時だった。


「だがな――」


 その後、彼らは、異世界人と戦うことのできる、英雄になれる可能性を見出され、ここへやってきた。

 復讐できる。ただそれだけを希望にして。

 だからこそ―


「英雄になるために、その復讐心は邪魔だ。今すぐ捨てておけ」


 ―その希望を捨てろと言った青年に、彼らが激怒するのは仕方のないことだったかもしれない。


「ふざけるな!」


 どこかで声が上がる。

 少女が視線を向けると、声の主であるエルフの男は怒りをあらわにしていた。


「何が気に入らない」


 この状況でなお、不気味なほど感情のない声を発する青年。

 それが気に入らないのか、エルフの男はさらに怒気を高める。


「俺たちは、俺たちの全てを奪った奴らに復讐するために、英雄になりたいんだ!なのにその復讐心を捨てろだと⁉︎」

「そうだ。英雄の本分はこの世界を、そこに住まう人々を守ることだ。復讐などという私的な感情に流されてはならない」


 青年の言葉に、英雄候補たちはより強い怒りの声を上げる。

 そんな中、少女は一人、周りから発せられる怒りの荒波に怯えていた。


(一面赤い。すごい怒り……気持ちはわからなくない。でも、あの人が言ってることは、きっと正しい)


 今はもうほとんど失われてしまったが、少女が見た伝承の中での英雄たちは、世界を、人々を守るために戦っていた。たとえ大切な人を殺されても、それを乗り越え、復讐による戦いだけはしなかった。

 少女は青年の姿を


(灰色……復讐も怒りも……喜びもない)


 その時だった。青年と少女の目が合う。


「――ッ⁉︎」


 少女は慌てて視線をそらす。


(今、私を見ていた?でもどうして……)


 もう一度青年を見るが、すでに青年の視線は正面に向けられていた。

 少女がホッと安堵の溜息を吐く。


「俺からの忠告は以上だ。案内は俺の部下たちが行う。しばらく待機していろ」


 そう言うと、青年は怒号が飛んでくるのを気にせず、英雄候補たちに背を向け、城の奥へと姿を消した。

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