第5章

 「きゃー」

 マリンが抱っこしていたダイアンがパニクり、大きくジャンプした。

「ダイアン!」

 マリンは追いかけようとするが、揺れが激しくて、立っていることもできない。

 激しい揺れが続く。

「……」

 しばらくして、うそのような静寂がおとずれた。

「止まったわ」

 リカが机の下から顔を出すと、少し離れた机の下のハルトと目が合った。

「みんな、大丈夫か?」

「はい!」

 博士の声にみんな応える。

「震源地はどこだ?」

「気象庁から地震の情報が出ていません」

 スタッフがすぐに返す。

「施設に被害は?」

「異状ありません」

「いったいどうなっているんだ?」

 パソコンの画面を博士がみる。

 停電でダウンしたのか、画面は真っ黒だ。

「シンクホールです!」

 三島助手の声に、みんながテレビの前に集まる。

 画面には巨大なシンクホールの映像が流れていた。

「ハルト君、あたしたちの団地よ。団地がシンクホールに消えてるわ」

 リカの声が震えた。

「お母さん」

 ハルトの顔からスーと血が引いた。

「丸ごと消えた」

 スタッフ全員が凍りつくように固まった。

「何てことだ……」

 博士も声をつまらせる。

「マリン! マリン!」

 ハルトが落ち着きを失って研究室をうろうろしている。

「ハルト君、どうしたの?」

 心配したリカがかけよった。

「マリンとダインがいないんだ」

 ハルトは今にも泣き崩れそうだ。

「さっきの地震にびっくりして、部屋の隅のどこかに避難しているのよ」

 リカはそう言うと、四つんばいになって、机の下を探し始めた。

 ハルトをはじめ、職員全員が、書類や本が散乱した研究室をくまなく探した。

「まさか、パニクったダイアンを追って天文台の外に」

 ハルトの脳裏に悪い予感がよぎった。

「セキュリティードアだから、職員の認証がないかぎり外には出られないはずだが」

「システムヲ、フッキュウ、シマス」

 天文台を管理する、花子と名付けられたAIの、アナウンスが流れた。

「花子、マリンとダイアンの所在を教えてくれ」

 観測室の中央のPCに向かって、博士が問いかける。

「オフタリハ、マチヘ、ムカッテマス」

 花子はそう言って、観測室の丸テーブルの上にホログラムを写した。すると、下り坂を猛スピードで走るAIサイクルが浮かび上がった。

「マリンとダイアンだ!」

 ハルトはスマートグラスをかけたマリンの姿と、前カゴにダイアンの小さな頭と尖った耳を確認した。

「マリンちゃん、聞こえるか? マリンちゃん!」

 博士が必死に呼びかける。

「返事がない」

 音声とメッセージは、マリンのスマートグラスに流れているはずだ。

「花子、AIサイクルセンターにアクセスして、あの自転車を止めるよう依頼してくれ」

「カシコマリマシタ」

「マリンちゃん、危ないわ! スピードを落とすのよ!」

 リカがホログラムに向かって叫んだ。

「センターニ、アクセス、デキマセン」

「馬鹿な」

 三島助手がスマホから、AIサイクルセンターにアクセスを試みた。

「どうだ、三島君」

「駄目です。こちらも全く繋がりません」

 いくらスマホをタッチしても、センターのホームページにも、オペレーターにもアクセスできなかった。

「マリン!」

 ハルトは研究室を飛び出した。

「ハルト君、まって!」

 リカもすぐに後を追う。

「システムがトラブっている、AIサイクルは危険だ! だ、誰か二人を止めろ!」

 博士が職員に命じた。

「はい」

 慌てて数名のスタッフが、部屋を出て行く。

 そのとき、グラッと、大きな揺れが襲った。

「余震だ」

 激しい横揺れが天文台を繰り返し揺さぶった。

「さっきより大きい」

 壁に亀裂が入り、壁面のモニターや窓が割れ落ち、破片が飛び散った。

「やばい、地震だ!」

 二人は外に出たものの、前へ進もうにも進めない。

 駐輪場は目の前だ。

「ハルト君、自転車をオートで呼ぶのよ」

 地面をはうように、リカがやってきた。

「その手があったね」

 二人は地面にはいつくばり、やっとのことでスマートグラスをかけた。

「こっちだ!」

「早く来て!」

 二人の声紋を認識したAIサイクルが、鍵を解除して、オートドライブで迎えにきた。

「急ごう」

 ハルトとリカが自転車にまたがると、二台の自転車は急発進した。

「兄ちゃん、自転車が止まらないよ」

 スマートゴーグルに、マリンの声が響く。ようやく繋がった。

「マリン! 今、行く!」

「コンピューターが狂っているのかもしれないわ」

「どうしてそう思う」

「自転車が勝手に、自動運転に切り替わっているからよ」

 ハルトは試しに、ハンドルを思いっきり右に切ろうとした。

「あれれ」

 ハンドルがかたくて自由にあやつれない。

「さっきの地震で、壊れたのかな」

 ハルトがリカの方を見る。

 リカが、違う、と首を横に振る。

「誰かが、ぼくらの自転車をハッキングして、どこかに連れて行っているんだ」

「いったい、誰が、どこに?」

「わからないよ」

 カーブに入った。一つ下のカーブを曲がる、マリンとダイアンの自転車が視界に飛び込んできた。

「もう少しで追いつくわ!」

 マリンの自転車を先頭に、三台の自転車は、猛スピードで坂を下り続けた。

「国立サイクルセンターに、あの三台をすぐに止めるよう緊急要請したまえ!」

 天文台では、博士がスタッフに、次々と指示を出した。

 まるで自分の意志を持つかのように、三台の自転車は、険しいカーブをたくみなドライブテクニックで走り続ける。

 ようやく杉林が開け、見通しがよくなった。そのとたん、三人の目の前に巨大なシンクホールが現れた。

「危ない!」

 リカが叫んだ。

「マリン、自転車を止めるんだ」

「とまらないよ!」

 マリンの顔は恐怖で青ざめた。

 ダイアンの真っ黒な瞳が、より大きくなった。

 マリンとダイアンの目の前に、町をのみ込んだ巨大なシンクホールが、大きな口を開けていた。

「マリン、止まれ!」

 マリンの自転車が、シンクホールに飛びこんだ。

「マリンちゃん!」

 その瞬間、マリンのAIサイクルが、真っ白な光に包まれた。

「き、消えた」

 ハルトとリカの自転車に自動ブレーキがかかった。

「マリンちゃん! ダイアン!」

 リカとハルトの声がシンクホールにこだました。 

 ハルトの頭の中は、真っ白になった。

「ハルト君、私だ、木原だ!」

「博士! マリンとダイアンが」

「分かってる、モニターですべて見た」

「ぼく、シンクホールに入って、マリンとダイアンを捜します」

「ハルト君、聞いてくれ。二人は無事だ」

「なぜ分かるのですか!」

「光だ」

「光? 僕には理解できません」

「マリンちゃんとダイアンは、光になって太陽の所に行ったのだ」

「いくら僕がテストが悪くても、人が光になって、太陽に行くなんて信じられません」

「博士、マリンちゃんとダイアンは、シンクホールに落ちたんです」

 リカも博士の言葉に耳をうたがう。

「とにかく、天文台に戻ってきてくれ。すべてを説明する」

 ハルトとリカが、自転車のペダルを踏み込むと、アシスト機能が動作した。さっきの暴走が噓のようだ。

 AIサイクルはトラブルなく、二人を天文台まで連れ帰った。

「宇宙は心で出来ている」

 帰って早々、博士は難しい言葉を発した。

「心って、ここのことですか?」

 リカは右手で心臓のあたりを押さえた。

「リカちゃんその通りだ。さっきも言ったとおり、心を持つ光りが宇宙に存在するすべての命を創っているのだ」

「僕にはさっぱり分かりません。そのことと、マリンが姿を消したことと、どう関係があるのですか?」

「この世に存在する全ての生命や物質は心を持つ光の粒子からできていると言われている」

 博士は繰り返した。

「じゃ、博士、ここにいるみんなも?」

「人間だけではない、車も自転車もパソコンでさえも。いやいや、月、地球、太陽、宇宙のすべてだ。光りが全てを創っている。さっきの自転車の暴走も自転車の心が関係しているのかもしれない」

 博士は両手を大きく広げた。

「証明されたのですか?」

 リカも、まだ、よく理解できない。

「いや、まだだ、しかし、これから証明されようとしている」

 博士はモニターに映る太陽の映像をにらんだ。

「証明なんてどうでもいいよ。マリンとダイアンはどこにいるんですか!」

 ハルトはいらいらしてきた。

「マリンちゃんとダイアンは、太陽に招待されたのだ」

「ええ?」

 ハルトは、自分の耳をうたがった。

「さっきの瞑想で、マリンちゃんは太陽の心とコンタクトに成功したのだよ」

 博士の大きな目がひかる。

「マリンが太陽と?」

 ハルトは、言っててばかげた質問だと思った。

「マリンちゃんの何かが、太陽の心にふれたのだろう」

 博士の話は空想だと思う。いや、もっとひどい言い方をすれば、妄想だ。

「太陽の心にふれた」

 リカが繰り返す。

「あの子なら太陽を説得できるはず。わたしはそう信じている」

 博士は両手をにぎりしめ、天を仰いだ。

「ようするに、何もできないってことじゃないか」

 ハルトはひざまずき、こぶしで床をたたいた。

「ハルト君、そんなに悲しまないで、わたしも、お父さんとお母さんが無事かどうかわからない」

 リカもハルトの近くにぺたんと座り涙を流した。

 テレビのニュースは「シンクホールに吞み込まれた人々の生存は確認できません」とむなしく繰り返していた。

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