第百十四話 あなたの支えに

 ソフィアとナサニエフ曰く、こういったことの交渉術はシムノンが適任だということだった。自分達はあくまでもそれのフォローだとも言っていた。


『得意分野が違うのよ、それぞれね。それを支え合って私たちは成り立っている』






「とは言ってもなあ……」


 話が済んでお開きとなり、顔を付き合わせていた面々は思い思いに過ごしている。夕食の支度をするというレノアをソフィアとレスカが手伝い、ルークはリュードとリヴェを連れて遊びに出掛けた。ナサニエフは気になることがあると言い、アマルの森へと入っていった。




 ネスはと言えば──。



(アンナを助ける術があるってのは分かったけど、どうも落ち着かない)



 自分がこうしてのうのうと野原に寝そべっている今でさえ、アンナは地獄の底で苦しんでいるかもしれないというのに。そう考えるだけで胸の奥でもやもやと気持ちの悪い感情が渦巻き、ネスの心を踏み荒らした。



(いても立ってもいられないけど、どうすることも出来ないなんて……なんて無力なんだ、俺は)



「……くそっ!」


 野草を掴み、拳を地に叩きつけた。こういう時アンナだったらきっと──。



「落ち着きなさいよ」



 そう、きっとこんな風に声をかけてくれる──。


「え」


 振り返る。そこにいたのはエプロン姿のレスカだった。


「アンナさんだったらこう言うのかなあって」

「驚かすなよ」

「ごめんごめん」


 言いながらネスの隣にレスカは座る。ツインテールの毛先がネスの肩に触れるほど、二人の距離は近かった。


「食事の支度、手伝ってたんじゃなかったのか?」

「ネスの様子がおかしかったのが気になって……来たの」


 レスカの姿も態度も、出会った頃とは比べ物にならないくらい見違えていた。出会い頭に「子作りを手伝って」と言われたことを思い出し、ネスは小さく苦笑した。不思議そうにレスカが首を傾げたが、「何でもないよ」と言って誤魔化した。


「ねえネス……アタシ言ったわ。アンナさんがいない今だからこそ、あなたを支えたいって」

「……うん」

「迷惑、なのかな」


 野草を掴んでいたネスの手に、レスカの手が重なった。フッと顔を上げ──重なる視線。同じ色の瞳に吸い込まれそうになる。


「迷惑じゃない、ありがとう。恥ずかしいけど、心細いのは事実だし……でも俺には──」


 故郷に、この村に心に決めた人がいるから──そう言った刹那、レスカの表情が曇る。


「ごめん、アタシ」

「……レスカ?」

「アタシ、あなたのこと好きになりかけていたみたい。ごめんね、たった数回抱いてもらっただけなのに。割り切ってるつもりだったんだけど」


 すく、と立ち上がったレスカは両手で顔を覆い、深い溜め息を吐いた。大丈夫、大丈夫と呟くと、顔を覆っていた手を下げて力無く笑った。


「……誰」


 手を下げて正面を見据えたレスカが冷たい声で言う。ネスは彼女の視線を辿る。そこにいたのは──



「──サラ」



 会わせる顔がないと、内心では再会を躊躇っていた愛しい幼馴染みが、怪訝そうにこちらを見ていた。


「ネスなの……?」


 ネスの姿は村を出た二ヶ月半前とは似ても似つかぬ程、変貌していた。レスカの成長の比ではない。二十センチ近く伸びた背、それに雄々しくなった肉体。茶色だった髪は橙色に変化し、声も別人のように低くなった。

 にも関わらずネスを判別出来たサラは流石といったところか。


「俺がわかるの?」


 子供のような声が出てしまう。黙って頷いたサラに向かってネスは一歩──二歩と踏み出した。


「ねえあなた、いつから聞いていたの? アタシ達の話を」


 前進するネスの背に、レスカの声が突き刺さった。からかうような、試すような──聞いていて酷く不快な声色だった。


「初対面なのに挨拶もなしだなんて、失礼なのねライル族って」

「え、サラどうして……」

「レノアさんに教えて貰ったのよ。ルーくんが村を襲って……騎士団に助けられた後でね」

「……そうなんだ」


 神石ミール浅葱あさぎを手入れ、ブース破壊者デストロイヤーとなるために、故郷を破壊し母を脅し傷付けた兄のルーク。



(サラも兄さんに傷つけられたんだよな……)



「ごめん、サラ……兄さんが、酷いことを」

「なんでネスが謝るのよ? さっきそこでルーくんに会ったわ。ネスもいるって聞いて来たの。二人も子供を連れてて驚いたけど、ちゃんと謝ってくれたからもういいの」



(あの天然バカ兄……! 余計なこと教えやがって!)



 心の中で悪態をつきながら、ネスは努めて冷静な顔をサラに向けた。


「切り替え早いんだな」

「済んだことだもの」


 そう言ってサラは小さく微笑んだ。



(ああ、この笑顔だ。この笑顔を手に入れたくて俺は今日まで──)



「思い出すと怖いって気持ちもあるけど……もうネスがいてくれるから大丈夫。傍にいてくれるんでしょ?」


 縮まっていた距離をゼロになるまで詰めたサラは、ネスの胸にそろりと顔を埋めた。戸惑いながらもネスはその背に腕を回した。


「再会の挨拶は済んだ? あなた、アタシの質問に答えてくれる?」


「『あなたのこと好きになりかけていたみたい。ごめんね、たった数回抱いてもらっただけなのに。割り切ってるつもりだったんだけど』」


「……っ!」


 レスカの息を呑む小さな声がネスの耳に届いた。それが恐ろしくて振り返ることが出来なかった。


「たった数回抱いてもらった? 何の為に? 一人の夜が寂しかったから? それとも色仕掛けにでも落ちたのかしら。何にしても私には関係ない」

「あなた……っ!」

「ネスだって寂しかったでしょうよ。見ず知らずの戦士様と急に村を出ることになって。旅先であなたみたいな色っぽい子に迫られて我慢が出来なかったのも、私には分かるわ。でもね」


 ネスの腕の中から抜け出したサラは、レスカと正面から対峙する。ネスに振り返る勇気は──ない。


「ネスは私の所へ戻ってきてくれた。色欲にまみれていようが、後ろめたい気持ちを抱えていようが、戻ってきてくれた。その事実さえあれば私は……」


「呆れた。若いくせして重すぎる愛情ね。アタシはネスの……ライルの血さえ、子孫さえ残すことが出来ればそれでいいんだから。愛情なんて、ないわ」


「負け惜しみに聞こえるわ」


「勝手に言ってろ」


 レスカの気配が遠ざかっていく。恐る恐る振り返ると、悲しげな面持ちのサラと視線がぶつかった。


「ごめん、びっくりした?」

「あ、いや……」


 咄嗟に否定の言葉が飛び出したものの、かなり驚いたのは事実だった。自分をめぐる女同士の口論に足がすくみ、指一本動かすことが出来なかったのだから。


「怖い女だって思った?」

「知らなかった一面を見れてラッキーだったよ」

「嘘ばっかり」


 目元を綻ばせ嬉しそうに笑ったサラは、ネスの腕の中に飛び込んだ。


「なあサラ、本当にいいのか? 俺は……」

「言わないで」

「ごめん」

「いいのよ、私は。こうやってネスが戻ってきてくれたことが嬉しいんだから。カスケは行ってしまった……」


 ネスとサラの関係を知り、村を出て騎士団に入ったカスケ。親友だった彼にこそ合わせる顔がないのだと、ネスはうつ向き溜め息を吐いた。


「サラ、俺は……まだ村に帰ってきた訳ではないんだ」


 カスケのことは考えても仕方がないと、母に言われたことを思い出す。今目の前にいる彼女に、真実を告げることが先決だった。


「まだやり残したことがあるんだ。いや、違うな……まだやらなくちゃならないことが……えっと……」


 せかいのおわりのこと、アンナのこと──部外者であるサラに真実を話していいものかと、一人混乱するネス。


「いいのよ、話さなくたって。全部終わって、全部片付いたら──ゆっくり話して」


 顔を上げたサラが、先程よりも大人びて見えた。胸の奥で疼き出した気持ちを押し込めて、ネスは目一杯笑って見せた。


「ありがとう」





 家に戻りルークに愚痴を垂れ、全員揃って夕食を取った。顔を会わせたレスカはいつも通りで、その態度にネスは驚き目を丸くした。




「ライル族の女はね、切り替えが早いのよ」


 深夜になってネスの私室にやって来たレスカは、口許に余裕たっぷりな笑みを湛えてそう言い捨てた。


「着いていけないよ、全く……」



 彼女の態度に呆れた声と、己の行いに呆れた吐息が、口から同時に溢れ落ちた。その意図を知る者は、ネス本人以外誰もいない。


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