第百十三話 まだ知らぬ世界
転移魔法を使ったナサニエフと共にルークが姿を消してから、およそ二十分が経った頃。
「おまたせ~!」
登場と共に軽快な声を上げたのはナサニエフだった。気まずそうな顔のルークの後ろには、リュックサックを背負った息子が二人、恥ずかしそうに隠れていた。
「あ!」
ルークの後ろに隠れていたリュードが、知った顔を見つけた駆け出す。ぺたりとネスの足元に張り付くと、嬉しそうに抱っこをせがんだ。
「あらかわいい! ルーク、この子が……」
目を輝かせたレノアが身を乗り出す。それに対し少し怯えたリュードは、抱きかかえられたネスの膝の上で身を丸めた。
「リュードだ。もうすぐ三歳になる」
「そっちの子は?」
「リヴェだ。そこにいるレスカの実弟で……」
ルークが言いかけた所で恐る恐る姿を現したリヴェは、レノアの顔を見ると行儀良くぺこりと頭を下げた。
「初めましておばあ様。リヴェ・ライル・ユマと言います。父はランディル、母はリンネイです。今年で十一歳です」
「初めましてリヴェ。私はレノア・ライル・ラハ。ルークとネスのお母さんです。三十八歳です」
三十八歳にして「おばあ様」となったレノアだったが、本人はそんなことを気にしている様子は全くなさそうだった。寧ろ、可愛らしい孫息子達を見つめる彼女からは、幸せそうな空気が滲み出ていた。
「泊まっていくんでしょう?」
「え」
「寧ろここに住みなさいよ、ねえルーク?」
「え」
お決まりの冷静な表情だったルークの額に汗が浮かんだ。レノアが口角を上げるごとに、彼の表情は崩れていく。
「リュードとリヴェはどう?」
「泊まる!」
「とまるー!」
「はい決定!」
「え」
ネスとレスカがお茶を啜る隣で、トントン拍子に話が進む。ナサニエフはその様子を面白そうに見つめている。
「住みたい人!」
「住む!」
「すむー!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ母さん」
身を乗り出したルークが、息子たちとレノアの間に割って入った。ここまで焦る兄の顔など見たことがないなと、ネスは興味深げにルークを観察している。情けない姿の義父を睨みながら、レスカは勝ち誇ったように口の端を吊り上げた。
「俺は……村の人々をあんなにも傷付けた。それなのに今更ここに住むなんて」
「謝ればいいじゃない」
「え?」
「悪いことをしたと思っているのなら、ごめんなさいって謝ればいいのよ」
「そんなことで許されるわけが……」
うつ向くルークの足下に、リュードとリヴェが駆け寄った。何も知らぬ息子たちは目を輝かせ、ただ父を見つめていた。
「リヴェ、お前は──」
「お邪魔しまーす」
ルークが言いかけた刹那、転移魔法で姿を現したのはソフィアとレフだった。不機嫌そうな顔の魔法使いは、こちらの様子など気にも留めることなく、すぐにファイアランスへ戻って行った。
「あら、ソフィアちゃん」
「レノアさん、ご無沙汰してます」
挨拶を交わし、他愛ない会話を交わす二人。レノアに促されてソフィアはソファに腰を下ろす。
「おや? ちびっ子?」
ルークの足下に張り付く二人を見つけたソフィアは、嬉しそうに目元を弛緩させた。
「すみません、俺の息子です」
「へえ、ルークの……」
「若父様、ぼくたちお外に行ってようか?」
何か感じ取るものがあったのか、リヴェは小声でそう言うと父を見やった。
「あまり遠くに行ったら駄目だよ」
「はあい!」
返事をすると兄は弟の手を取り、ぱたぱたと部屋から出て行った。
「さてと……ナサニエフ、話はどこまで進んだの?」
「アンナが死んでることだけ話したよ~」
「それだけ? なんでよ?」
「ソフィアが来るの早すぎなんだよ」
「全く……」
呆れ顔のソフィアは、溜め息を吐きながらソファに深く腰掛けた。
「私から話せることは話しておくわ。とりあえずアンナちゃんを救う方法よね」
話があちらこちらに派生して、結局ナサニエフの口からそれについての説明がなかった為、ネスはなんとなくそわそわとしていた。待ち望んでいた情報をやっと知ることが出来る。
「教えて下さい、ソフィアさん」
「理屈だけなら簡単なの。アンナちゃんは地獄の門より地獄へと落とされた──生きたままね。これが兄のように死んでいたら駄目だったんだけど、生きたままだったからよかったのよね。つまり地獄の門をもう一度開ければ帰ってくる」
「そ、それだけでいいんですか?」
思わず身を乗り出したネスを、ルークが制する。
「それだけとは言っても、それが大変なのよ」
「どうしてですか?」
「地獄の門を開けれらるのは、魔術師だけなの。アンナちゃんを地獄へと落したフォード本人が、門を開けるとは思えない」
「……確かに」
「魔術師ってのは本当に数が少ないのよ。殆どが『俗世に嫌気が差した』とか言って地下に行っちゃってるの」
「地下?」
「ん?」
ネスの問いかけにソフィアは不思議そうに首を捻る。それを見たナサニエフはくすりと笑った後、口を挟んだ。
「ソフィア、普通の人間がドワーフなんて知らないって~」
「えっ、そうなの?」
「いや、名前くらいなら聞いたことありますけど。ええっと……」
聞いたことがあるといっても、それは本当に御伽噺の世界──「せかいのおわり」の絵本よりも更に幼児向けの絵本に出てくる、毛むくじゃらな小人達のことだった。絵本の中でドワーフは、洞窟よりも更に地下深い世界で、採掘をしながら豪快に暮らす。
「まあネス君のイメージ通りよ、ドワーフってのは。彼等は魔法とエルフを酷く嫌っているから、滅多なことがない限り地上には出てこないけれど」
「え、ドワーフって空想上の種族じゃないんですか!?」
「まさか、存在しているわよ。私は会ったことないんだけどね……ルーファは会ったことがあるとか言ってたかしら」
「ルーファ?」
聞いたことのない名前だった。雰囲気からしてライル族のようだなとネスが考えていると、ソフィアがニヤリと笑って「正解」と言った。
「話が逸れちゃったけど……ドワーフの住む地下とこの地上は、簡単には行き来出来ないのよ。だから魔術師は皆地下に行っちゃってる」
「地上に残っている魔術師は……」
「フォード以外には、一人だけ。それにクセのある奴だから、頼んで応じてくれるかわからない」
「そんな……」
なんとかしてアンナを救ってみせると意気込んでいたネスであったが、こればかりは魔術師でない自分にはどうすることも出来ない。
「大丈夫なんじゃないの~? 騎士団としても
「そう簡単にいくとも思えないけど。第一、地獄の門を開いてアンナちゃんを助けたとして、フォードがそれに気が付かない筈がない。そうなったらまた奴と戦わなきゃ──」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
目の前で加速する会話の早さに着いていけなくなる。堪らず両手をわちゃわちゃと広げ、ネスは会話を止めた。
「騎士団? どうして騎士団が……」
「騎士団にいるんだよ~、魔術師」
「私はあまり会いたくないわ」
「僕もニガテ」
顔をしかめた二人の賢者に、ネスは催促をする眼差しを向ける。騎士団に魔術師がいるなんて話は初耳であった。
「第二十四騎士団長 オルテリア・オステオ。政府に飼い慣らさせた、腹黒い魔術師だよ」
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