第百十五話 さだめ

 翌朝。ネスが目を覚ますと何やら部屋の外が騒がしい。壁掛け時計で時刻を確認すると七時を少し過ぎたところだった。


(誰が怒鳴ってるんだ……あれ、父さん?)


 身を起こして身支度を整えリビングへと向かう。騒がしいのは扉の向こう側。ネスは恐る恐る扉を開けた。


「おはよ……うわ……」


 室内にいたのは父のシムノン、母のレノア、兄のルーク、それにレスカとソフィアだった。ルークの息子たちとナサニエフの姿はない。


「ネス、おはよう」


 床に正座した兄の前に、屈み込んだ父がいた。伏せている兄の顔を下から覗き込む表情は、非常に険しい。

 その隣にはそれを宥める母。ネスに挨拶をしたレノアは、少し困り顔で夫と息子の顔を交互に見ている。


「全くお前はぁっ! さっき言ったことは本当なんだろうな?」

「ああ」

「ああ、じゃねえよ全く! 母親よりも年上の女に手ぇ出すなよ!」

「だからそれは、」

「わーった、わーったよ! 息子の惚気なんて何べんも聞きたくねえよ」


 どうやらルークの「身の回りに起きたこと」がシムノンに露見したらしい。それについて父自ら説教をしている、といったところだったようだ。


「おー、ネスか? 久しいな! こっちこい!」


 朝から元気すぎる父が派手に手招きをする。ダイニングチェアに座るソフィアとレスカの横を通りすぎ、ネスは兄の隣に立った。ルークが若干憔悴しているように見えたが、見なかったことにする。


「デカくなりやがって、この野郎。ライル族の血ぃ半端ねえな!」

「あの、父さん」


 数年ぶりに再会する父は、太い腕をネスの首の後ろにがばりと回した。頭ををわしゃわしゃと撫でられ、何故か抱き締められた。


「え、なに、気持ち悪い」

「ひでえ、再会の挨拶だってのに。あ、ルークにはしてやらねえ」

「不要だ」

「可愛くない奴!」


 立ち上がったルークは「子供たちを起こしてくる」と言って部屋から出ていった。


「父さん、あの」

「おーおー、わかってるわかってる。話は朝飯を食ってからだ」

「……うん」


 ぽんぽんと頭を叩かれ、すれ違いざまにシムノンはぼそりと呟いた。


「……すまねぇ、ネス」


 父が何故謝ったのか、話を聞く前のネスには全く見当もつかなかった。





 一同揃っての朝食の後、リビングに残ったのはネス、シムノン、ルーク、レノア、ソフィア、ナサニエフの六人だった。内容が内容だからという理由で、他の者達は席を外している。


 ネスが朝一番にリビングに姿を表す前、ルークはシムノンから母と故郷を傷つけたことに関してもこっぴどく叱られたようだった。兄が珍しくあまりにも項垂れているので、小声でネスが訊ねたところ、ぼそぼそと消え入るような声で兄は教えてくれた。


「……リンネイのことは別として、俺だって自分のしたことは反省はしている。流石にこの歳になって親からあそこまで叱られるのは恥ずかしいな」


 弟と目を合わせるのも気まずいようで、顔を伏せて溜め息を吐く兄。そんな兄の斜め前の席で煙草を吹かしながら、シムノンが口を開いた。


「とりあえず何から話すかな──めんどくせぇけど話さなきゃならねぇこと沢山あるしなあ……」


 天井を向いて煙を吐き出すと、灰皿の中に灰を落とし、シムノンはネスに視線を投げた。


「アンナのことについては聞いたんだよな?」

「うん」

「そうか。じゃあネス、アグリーの発生率が世界で一番高いのはアマルの森なんだが、知ってたか?」

「……初めて聞いたよ」


 寧ろネスは、そのようなことは気にしたことがなかった。この近辺の村の子供達は幼い頃から「アマルの森には一人で入るな。アグリーが出るぞ」と言い聞かされて育てられるので、まず森に入ることはない。度胸試しで入ろうものなら遺体すら出てこないと皆わかっているので、誰一人として言いつけを破る者はいなかった。


 今回アンナに連れられて村を初めて出たネスにしてみれば、外の世界にもアグリーは普通に居るものだと思い込んでいた常識が覆されたというだけであった。


 シムノンは吸いかけの煙草を揉み消し、新しい煙草に火をつけながら続ける。


「二十年近く前だ。調査を続けた結果、その事実が判明したんだよな。何故アグリーが多いのか、その原因はにもわからなかったから、森の近くのここガミール村に住居を構えて調査を進めることにしたんだ。まあ、大賢者様の務めとしても、害成す者は駆除しねえとじゃねえか」

……?」


 世界一と呼ばれる大賢者という意味合いなのだろうか。隣に座るルークと顔を見合わせると、兄も怪訝そうに眉をひそめていた。


「その説明は後だ。まあ、とにかくだ──俺はアマルの森の外周に強力な結界を張って、アグリーが外に出ねえよう細工をした。しっかしなあ、これが時々解ほつれるんだよ。俺が村にいねえ時はレノアに修復してもらいながら、森から溢れ出たアグリーを村の奴等にバレねえよう、退治してもらってた」

「村の人達に不安を与えないよう、こっそりとってこと?」

「そうだ。昨日ナサニエフに確認を頼んだんだが、また少し結界が解れててな……修復してもらったばかりなんだ」


 昨日ナサニエフがアマルの森に入って行ったのはそういうことかと、ネスは一人納得をする。


「でも、父さんこの前村に大型のアグリーが出て

……」


 アンナが退治したあの大型のアグリー。近辺の村人が何人も行方不明になっていたにも関わらず、レノアはそれを狩らなかったというのか。


「気配がね、読み取れなかったのよ」


 ソファに腰掛けていたレノアが、こちらを見据えながら言う。続けてそれを補足するように、正面に座るソフィアが口を開いた。


「ここ数年、アグリーの動きが活発化しているのと同時に、奴等は進化をしているの。端的に言えば人為的に──恐らくは無名のボスの手によって」

「……無名」

「せかいのおわりに利用するために、アグリーを生け捕りにして研究をしていたみたいね。改造型のアグリーがいたのも実験の成果なんでしょ、ルーク」

「……ああ」


 無名に所属していたルークに話が飛び火する。うつ向き加減だった顔を少しだけ上げて、彼は首を縦に振った。


「ボスは……一人で部屋に籠っては実験を進めていた。俺たちは間接的に関わることがあっても、直接実験に関わることはなかった」

「まあ、詳しいことは今となってはどーでもいいんだがな」

「どうでもいいって、父さん……」


 適当というかなんというか。ざっくりとした父の性格に、息子二人は揃って溜め息を吐いた。それを見てレノアはくすりと小さく笑う。


「ちょっと話を戻すがな、アグリーが生まれる原因は知ってるか?」

「人の負の感情が寄り集まって生まれるって、知り合いの月の雫の研究員が言ってたけど……あ」


 これは果たして他言してよかったのだろうか。ウェズに叱られやしないかと、背に汗が伝ったが、シムノンは涼しい顔をして煙草を灰皿に押し付けた。


「月の雫め。やぁぁあっとそこまで辿りついたか」

「え?」

「んなこと俺はずうっと前からわかってたってんだよ。頭の固いあちらさんが遅れてるだけだ」

「そうなんだ……」


 ウェズやイダールが知ったら何と言うだろうか。


(とりあえずは黙っておこう……)



「それでだ、何故かその負の感情……エネルギーとやらが、アマルの森に集約されてるんだ。これは意図的なもんじゃねえ。どうしようも出来ねえ。現れるアグリーを地道に消すしかねえんだよな」

「でもシムノン、無名が意図的に増殖させてたアグリーについてはもう考えなくていいんだから、現状よりも七割は発生率が減るはずよ」

「そんなに減るのか!?」

「なんであなたが知らないのよ……」


 呆れ顔のソフィアは、足を組み直しながらやれやれと首を横に振った。


「俺はそっちの専門じゃねえんだよ」

「そっちってなによ、そっちって」

「数字だよ!」

「はいはい」

「お前、俺が結婚してから絶対冷たくなったよな。子供らが生まれてから更に冷たくなった」

「それが何か?」

「別にぃ?」

「話戻しなよ~?」


 腹を抱えてその光景を見ていたナサニエフが口を挟む。


「シムノン、遠回りし過ぎじゃない? さっさと本題にいけばいいのにさ」

「うっせえなナサニエフ。俺はぜーんぶ話しておかねえと気が済まないんだよ」

「左様でございますか」


 おどけたポーズをとるナサニエフに向かって、シムノンは歯を剥き出して「いーっ!」と可笑しな表情を張り付けた顔を向ける。息子のネスから見ても子供っぽいったらない。


「全くどいつもこいつも……さてと、随分と遠回りしたがネスよ」

「……なに?」

「俺はアグリーが増えることも、結界が壊れることも全部わかっていた」

「……え?」


 先程までの幼稚な態度は何処へやら。真剣な面持ちの父は眉をきつく寄せ、鼻の頭を指先で掻いた。


「……」


 ルークは気がついていた。これはいつもおちゃらけている父が大事な話をする時の癖だと。


 場の空気が一気に重々しくなった。


「あら? 結界が壊れるのは私にもわかっていたわよ」

「ああ? なんでだよ」


 ソフィアが茶々を入れる。口の端をつり上げて、面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべている。


「だってシムノン、結界張るの下手じゃない」

「うるせえよ! 俺が言いたいのはそういうことじゃねえよ!」

「ふふふ、からかい甲斐のある奴」


 それだけ言うとソフィアは片目を瞑って顔の前で両手を合わせ、レノアに向かって謝罪の意を示した。シムノンに対しては何もしないようだ。


「ったく……ついでに言えばアンナが地獄に墜ちることも、世界がこんなことになるってこともわかっていた」

「わかっていたってどういう、こと……?」

「さらっと凄いことを言ったな、父さん」


 押し黙っていたルークまで、身を乗り出して父に問う。当のシムノンは煙草を吹かしながら、灰皿の中をじいっと見つめていた。


「わかっていた。知りたくもねえ過去や未来が見える……違うな、見せられるんだ。俺は、いや、俺たち水の破壊者デストロイヤーを継ぐ者こそが……予言者なんだ」

「え……は……? 予言者!? 予言者だって?」



──予言者



 人間なのか、エルフなのか、それとも魔法使いなのか不明だが、いつのころからかこの世に現れて、ことあるごとに正確な予言をしてきた。

 世界中の誰もが、物心つく頃には耳にするその名。



──予言者



 ここ数十年で特に有名な彼の予言は、十一年前のハマの大水害だろう。その予言を信じたものだけが生き残ったと言われる、未曾有の大災害。


ブース破壊者デストロイヤーになるものは代々予言者を引き継ぐんだ。これはあの気まぐれな神が決めたことだ。逃れることはできない運命なんだよ。お前も聴こえたんじゃねえのか、神の声が」

「神の声……?」

「中性的なガキみてえな声だよ。過去や未来はフッと見えることもあれば、神が無理矢理見せたり、耳打ちして教えてくれることもある。時々からかいにきたりして鬱陶しくなかったか?」

「中性的な……子供みたいな声…………あっ」


 アマルの森でアグリーをに追われた時、深い意識の底で誰かが自分の名を呼ばなかったか?


 無名との最終決戦でアグリーの大群を目の当たりにした時、あの声にこの身を委ねたではないか。


「あれは……神様の声だったのか?」

「そうだ。俺たちブース破壊者デストロイヤーにだけ聴こえる、悪魔のような神の囁きだ。破壊者デストロイヤーを降りた俺にはもう聴こえないがな」

「神の……声」

「ネス、大丈夫か?」


 隣に座るルークがネスの肩に手を添える。体は震えていなかったが、ネスの顔は真っ青だった。

 

「そんな……そんなこといきなり、信じられない……」

「信じられねえかも知れねえが、事実だ。それと……まだ大事な話がある。心して聞いて欲しい」


 これ以上どんな錘を背に乗せられようというのか。吐き気を堪えながらネスは静かに父の顔を見た。


ブース破壊者デストロイヤーは転生するんだ。それも二度もな。これは神の意思だ──いや、神のきまぐれだ」






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