第百十話 軽忽で冷酷な男
ソフィアの告げた事実に、場の空気が揺れる。フォード達は復讐をする為にファイアランス王国に向かった──それはつまり──。
「王家のみんなが危ない……!」
切迫したネスの言葉に、レスカが強張った顔を上げた。
「どうするのよ……エリックさんにシナブルさん、それに……マリーさんのお腹にはアンナさんの赤ちゃんだっているのに」
「……止めないと」
しかしどうやって止めるというのか。自分で口にした言葉にネスは頭を悩ませる。ここからファイアランスへ向かうにしても一体何日かかるのだろう。到着した頃にはとっくに国は滅ばされているだろう。今すぐ向かわなければ、何の意味もないのだ。
「余計なことは考えなくていいわ」
長い前髪をかき上げながらソフィアが言う。ネスに歩み寄ると得意気に唇の端を吊り上げた。
「シムノン達が向かっている。まあ、事後だとは思うのだけど」
「な……待って下さい! どうして父さんの名前が出てくるんですか」
「おっと、説明が色々抜けてごめんね。私はシムノンの仲間なの。あなたが生まれた瞬間にも立ち会ったのよ」
「ということはアンナと……」
「ええ、顔見知り」
レノアさんにこの話はしちゃ駄目よ、魔法が解けてしまうから──と唇の前で指を立てたソフィアの顔は、恐ろしいほどに険しい。
「レノアさんはアンナちゃんを相当恨んでいるから、事実を知ったら壊れちゃう」
ソフィアの言う事実というのは、アンナが己の手でレノアの胎内からネスを取り上げたということを指しているのだろう。その事実を魔法で隠蔽しているということか。
「すまない、取り込み中に悪いが……」
ネスとソフィアが振り返ると、エディンが小さく手を上げ控えめに自己主張をしていた。
「俺達はそろそろ行こうと思う」
「ファイアランスへ?」
「はい」
「それならちょっと待ってくれる? そろそろ来るだろうから」
ソフィアが言い終えるや否や、彼女の背後にパッと一人の男が現れた。
「お待たせ~」
「お疲れ」
「う~っす!」
(この人……魔法使いか?)
現れた人物はひょろりと細身で、その体に明らかにサイズの合っていない黒く大きなトレンチコートを着ていた。その色とは対照的に陽に照らされる髪は眩いほどの
「こいつに送らせるわ、転移魔法で」
こいつ、と呼ばれた男は金と藤色のオッドアイをぱちくりさせ、エディンとウェズそれにネスを順に見つめた。
「上玉……!」
「そこの橙色のはシムノンの息子だから、手を出しちゃ駄目よ」
「あとはいいの~?」
「本人たちに聞いてみたら?」
ごくり、と喉を鳴らした男は、エディンとウェズに詰め寄り二人の手を握った。
「僕はナサニエフ・マードックという」
「……エディン・スーラです」
「……ウェズ・レッダです」
「君たち、僕の恋人にならないか?」
エディンとウェズは反射的に握られた手を引っ込めた。身の危険を察知したウェズは、エディンの背後に隠れてしまった。
「遠慮しておきます」
「金髪の君は?」
「俺も遠慮しておきます……」
「そっか~残念! フラれちゃったよソフィア」
「そう」
「この歳でフラれるときついよね~」
そう言ったナサニエフの外見は三十代前半といったところか。魔法使い故、数百年生きているに違いなかったが、二十代後半に見えるソフィアよりは幾分年重に見えた。目鼻立ちのくっきりとした、女性と見紛いそうな美しい顔。それにそぐわない言動にネスは困惑しつつも声をかける。
「あの、ナサニエフさんはひょっとしてファイアランスから来たんですか?」
「へえ、よくわかったね~! 流石はシムノンの息子といったところかな?」
金の左目をぱちりと瞑り、指を立て謎のポーズをとるナサニエフ。ネスに駆け寄ると、慈しむように橙色の頭を撫で付けた。
「いっ……!?」
「ああ、気にしないで~。何か聞きたいことがあるんじゃないの?」
「ファイアランスは……皆は無事なんですか?!」
転移魔法でファイアランスへ向かったフォード、それにティファラとギルバートの三人。復讐をすると言っていたのだ、死人が出ている可能性もゼロではない。
「無事と言えば無事だし、無事じゃないと言えば無事じゃないし」
「皆生きてるんですか!」
「怒鳴らないでよ怖い怖い……そうだね、死にかけは何人もいたけど、僕とレフ、二人の魔法でとりあえずは食い止めたから大丈夫だよ」
「よかった……」
ここでようやくナサニエフはネスの頭から手を離した。死人がいないと聞き安心したネスは、大きく息を吐き出し両膝に手をついた。
「あ、でも~! ティファラ・マリカ・ラーズとギルバート・ウライトは死んだよ」
「……え?」
「その場に居合わせたエリック・ローランド……いや、エリック・F(ファイアランス)・グランヴィ曰く『ティファラは俺が殺した。お付きの
「エリックがティファラを殺したのか……」
(……アンナを奪われた報復ってところか)
「王族の者達は魔法でギリギリ命を繋いでる状態だからね、後でソフィアが行って治療するよ」
ちらりとソフィアを見ると、得意気に腕を組んでいた。そして急かすように手を打つと、ナサニエフの背中を軽く叩いて耳打ちをした。
「ああ、シムノンならエドヴァルド二世とお喋りしてるよ! ギリギリのところで命を救ったとかなんとかで……まああの二人は仲良しだしね、積もる話もあるんじゃないの?」
「父さんとエドヴァルド二世が仲良し……?」
想像のつかない光景にネスは首を捻る。あの軽く適当な風に生きている父と、厳格で恐怖を絵にしたようなエドヴァルド二世が仲睦まじく会話をしている光景など、どう足掻いても思い浮かべることが出来ない。
「あ、ごめんごめん君たちを送らないとだったね!」
くるりと振り返り、ナサニエフはエディンとウェズの手を取った。二人の顔が歪んだのは言うまでもない。
「ネス、恐らく今後の指針が決まり次第、翁から連絡があると思う。その時にまた会おう」
「……一旦お別れってことか」
「何暗い顔してんだよ」
つかつかと歩み寄ってきたウェズが、ネスの肩をがばりと抱いた。
「……レスカのことは任せる」
それだけ言うとウェズは元居た位置に早足で戻った。その背中にネスが声をかけることは叶わなかった。
「じぁあいい? ちょっと行ってくるから」
「早めに戻ってきてね。レノアさんの所に行って説明を済ませたら、私もファイアランスに行かなきゃならないんだから」
「わかってる、じゃ」
刹那、ナサニエフ、エディン、ウェズ三人の姿が消えた。転移魔法は高等魔法だが、転移する人数が少ないのと、ナサニエフの魔力量が多いおかげで、無詠唱で魔法を発動することが出来たのであった。
「あの、ソフィアさん」
三人の姿が消えたところで、ネスはソフィアを振り返る。
「なあに?」
「『レノアさんの所に行って説明を済ませる』って、一体どういうことなんですか?」
「ああそれね、これからガミール村に向かうから」
「──えっ」
ガミール村──ネスの故郷。約一月半前に村に当然現れたアンナに「せかいのおわり」を止める為に旅に同行しろと言われたのが、遠い昔のように思える。
(サラ……)
旅に出るまさにその時、想いを告げ恋人となったサラ。早く会いたいと願い続けてきた──レスカとあんなことになる前までは。
「会いたくない人がいるって顔をしているわ」
「えっと……」
このソフィアという人は本当に見透かしたようなことを言う。表情を少し変えるだけで、心の中を覗かれているような感覚に陥ってしまう。
「ああ、ごめんなさい……つい癖でね、こういう物言いになっちゃうの」
「大丈夫です、会いたくない人がいるのは事実ですから」
「ルークも同じような顔をしているしね」
ネスとソフィアが揃ってルークの顔を見ると、伏し目がちな彼は何処と無く落ち着きのない表情だった。
「……ソフィアさん」
「なあに?」
「俺も……ガミールに連れていってくれ」
「へえ、いいの?」
「……え?」
眉をひそめたルークは、不思議そうにソフィアを見つめる。
「私たちはあなたがあの村に何をしたのか知っている。だからこそ訊く、いいの?」
「何故知っているのか、訊いたら教えてくれるのか?」
「私の口からは話せないわ。シムノンに訊いて頂戴」
「それは一体……」
「お待たせ~!」
軽快な声と共にナサニエフが姿を現した。エディンとウェズを送り届け、転移魔法で戻って来たのだ。
「さてと、じゃあ行きますかガミール村!」
「待て!」
怒号を放ったのはローリャだった。明らかに苛立った顔、それに立ち姿。彼女はくるりとソフィアの方を向くと、彼女に迫らんと足を踏み出した。
「さっきから黙って聞いていれば勝手なことを。許さんぞ、今すぐエディン・スーラを連れてこい。ネス・カートスと共にブエノレスパへ来てもら……っ! 何だ!?」
「拘束魔法だよ」
くいっ、と顎を突き出したナサニエフの声は酷く冷ややかだ。先程までの彼と同一とは思えぬほど、氷のような声を放つ。
ローリャの動きを目線一つで止めた彼が瞬きをすると、今まさに動き出そうとしていたカクノシンの足もぴたりと止まってしまった。
「シムノンの邪魔はさせないから」
「マードック、貴様……ッ」
「色々決まったら爺さんが連絡してくるんだろ? それまでこちらは好きにさせてもらう」
「くそが!」
身動きの取れぬままローリャは叫ぶ。その声が消えると同時に、ネス、ルーク、レスカ、ソフィア、それにナサニエフの姿は消えた。
荒れ果てた戦場後に残されたのは動けぬままの二人の騎士団長、それに無名の残党達だけであった。
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