第百十一話 懐かしき、青い三角屋根の家
鼻を掠めるのは嗅ぎ馴れた自宅の香り。耳に届くのは聴き馴れた鼻歌。
ネスが目を開けるとそこには、ソファに腰かけ洗濯物を畳む母の姿があった。
「え……あ……ルーク……? それに、ネスなの……?」
ラフな部屋着にエプロン姿のレノアは、立ち上がりひどく動揺している。自分を殺すつもりで刃を向けてきた長男と、成長し以前の姿など見る影もない次男が突然現れたのだ、無理もない。
「それに……ソフィアちゃんに、エフ君……と、あなたはライル族ね?」
レノアの視線はレスカに向けられた所で止まる。この不思議な面子──誰から何を聞けば良いのかとレノアが逡巡している間に、ルークがつかつかと彼女に詰め寄った。
「母さん」
「──ルー……」
「……すまなかった」
刹那、ルークの姿が小さくなった。身を屈めて膝をつき、頭を下げた彼は、額を床に擦り付けながら母に懺悔した。
「止めなさい、ルーク」
「しかし……俺は母さんを殺そうとした──本気でだ。ネスやアンナのお陰で己の過ちに気が付くことが出来たんだ。だから……謝らせて欲しい。申し訳なかった」
「馬鹿ね」
ルークに合わせて屈みこんだレノアは、息子の頭を撫でるとその手を頬に伸ばした。
「顔を上げなさい。私は大丈夫よ。息子にこんなことをさせているほうが辛いわ……止めて」
「こんな俺を、許すというのか」
「許すもなにも、初めから責めてなどいないわ。反抗期が遅れてやってきたって思えば可愛いものよ」
掠れて消えかかっているルークの声とは対照的に、レノアの声はひどく明るい。腰に手をあて、畳み掛けのタオルをヒラヒラと陽気に振っている。
「切り落とされた足も元に戻ったしね。あの騎士団長……ベルリナさんっていったかしら、その人の部下でね優秀なエルフの副団長さんに治してもらったのよ」
ベルリナという名に、ネスとルークそれにレスカは肩を震わせた。彼女はもうこの世にはいない。アンナを守って楯となり、命を散らした魔法使い。
「──亡くなったのね」
誰が言わずとも、レノアは理解したようだった。何故、という視線をネスはレノアに投げる。
「わかるわよ、そのくらい。私だって若い頃は戦場を駆ける戦士だったから────そうだわ、騎士団と言えば──」
話を派生させようとするレノアに向かって、遠慮がちに「あのー」とソフィアが声をかけた。
「すみませんレノアさん。お取り込み中の所悪いのですが、私は急ぎファイアランスに向かわねばなりません。詳しい話はナサニエフがしますので」
「ファイアランス? そういえばアンナちゃんは?」
「それも含めてお話します」
「……そう、わかったわ」
「後程、シムノンと共に戻ります」
直後、ソフィアと顔を見合わせたナサニエフの転移魔法が発動し、二人の姿はパッと消えた。が、次の瞬間ナサニエフだけが姿を表した。
「さてと、挨拶も無しにごめんなさいね、レノアさん」
胸の前で手を打ったナサニエフの明るく大きな声が広いリビングに響く。
「いいのよ──さて、なにがどうなっているのかきちんと説明して頂戴」
ソファに置かれた洗濯物を脇に避けたレノアは、二人の息子、それにナサニエフとレスカに向かって手招きをした。
*
「とりあえず……何から説明したらいいのやら」
コの字に配置されたソファの上座に座るのはレノア。ネスの隣にはレスカが腰を下ろし、ナサニエフはレノアの用意したコーヒーに口をつけ、一人でソファに腰を沈めている。
「……で、アンナちゃんは──」
「死にました」
「……死ん、だ?」
語尾が震えている。目を見開いたレノアは、ナサニエフを見つめた後、ネスに視線を投げた。
「アンナは……アンナは……」
膝に乗せた拳に視線を落とし、ネスはぽつり、ぽつりと語り始めた。
聖地ブエノレスパで行われた
「雷の
ネスが長々とした説明を済ませた後、神妙な面持ちのレノアはレスカに向かって問いかけた。
「いいえ──「私」はユマ家の者ですが、族長と
「ルーラン家が?」
「はい」
いつもとは違うレスカの口調に、ネスは驚きを隠せない。そんなネスにレスカは気が付いたのか、「このくらい出来るのよ」といった風な得意気な目線を送った。
「私は二十年も前に里を離れた身だから何も言えないけれど……どの家が継いでも、もういいのかもしれないわね。ライル族はもうほとんどいないんでしょう?」
「……そうですね」
レスカの顔に影が射したのを見てハッとしたレノアは、場の空気を入れ替えるように話を切り替える。
「ところであなたのお名前は? うちの息子とはどういうご関係?」
レノアの目がきらきらと輝いている。息子との関係に興味津々といったところか。
立ち上がったレスカは、胸に手を当てぺこりと頭を下げた。
「ランディルの娘、レスカ・ライル・ユマと言います」
「──ということはリンネイの娘なのね。どうりで顔がそっくりなはずだわ」
「……ああ、本当にこの娘はリンネイによく似ている。姉たちも似ていたが、レスカは本当にリンネイの生き写しだ」
白い陶磁のコーヒーカップから顔を上げたルークが、懐かしむようにぽつりと呟いた。
「……ちょっと待ってルーク。どうしてあなたがそんなことを言うの?」
目を剥いたレノアは、「まさか」という顔をルークに向ける。眉頭を寄せ困惑気味の
「レスカは俺の娘だ」
「いや、ちょっと待ってルーク」
眉間に手をやり、考え込むレノア。真実を知るネスとレスカからすると、「娘」だけでは圧倒的に説明が不足している──と口を挟みたくなってしまう。
「娘……娘娘……ランディルとリンネイの娘なのよね、レスカちゃんは」
「そうです」
レノアの言葉にレスカが頷く。
「レスカ、父さんが説明するから大丈夫だ」
「だから! アタシはあなたみたいなイケメン細マッチョ、父親だなんで認めてないんだから!」
「待って……待って待って、二人とも本当に待って頂戴」
青ざめたレノアは助けを求めるようにネスに視線を送る。ぎょっとしたネスが、「俺?」と指で自分を指すと、レノアは激しく何度も頭を縦に振った。
「ええっと……俺が説明していいのかな」
「いや、ネス。俺がちゃんと──」
「ルーク、黙ってなさい。あなたが説明下手な子だってことはわかっているから」
「そうか? なら……」
顔色ひとつ変えぬままルークは、再びコーヒーカップに口をつけた。
「まず母さん……ええと、レスカのお父さんもお母さんも亡くなってはいるんだけど、お父さん──ランディルさんが亡くなって何年か後に、お母さん──リンネイさんは無名の襲撃時に亡くなったんだ」
「……ランディルもリンネイも死んだのね」
当然といえば当然だった。狭い里なのだ、ライル族は皆顔見知り。レノアがランディルとリンネイの死に心を痛めるのは自然なことであった。
「ランディルさんが亡くなって、リンネイさんは一人になった。子供達がいるにしてもね。そこへ現れたのが、この村を出たばかりの兄さん」
ネスは確認をするように、ルークの顔を伺いながら言葉を紡ぐ。
「兄さんはリンネイさんとの間に、子供を授かったんだ。名前はリュー……」
「子供ですって!?」
勢いよく立ち上がったレノアは、ルークの胸ぐらに掴みかかった。
「待って、待ってよ……リンネイは私よりも年が上だった……」
「そうだな」
「リンネイはあなたの倍近く、歳が上だったでしょう?」
「ああ」
「……そんな人との間に子供を作るなんて」
「年など関係ないだろう?」
淡々と言ってのけたルークは、首を傾げながら母の手を取る。
「ネスにも同じことを言ったんだ。男と女が愛し合うのに、理由なんて必要ないだろう、母さん
? 俺はリンネイを愛していたし、彼女だってそうだった。だから──」
「……ごめんなさい」
ルークの胸から離した手で、レノアは己の膝を叩いた。拳を作り、何度も──何度も。
「忘れていたわ、私……私は」
「……母さん?」
「私が父さんに出会ったのは十七の時だった。父さんは二十三で──一目惚れだったの、お互い」
「アンナが関わったって言う、あの戦争の時のこと?」
「そう」
ネスの質問に、レノアは静かに頷いた。
二十二年前に勃発した第一次アブヤドゥ・ブンニー戦争。その戦争の最中、敵国に雇われていたアンナにレノアは目の前で家族を惨殺されたのだ。そこに割って入ったのが、アンナの味方であるシムノンだった。
「種族の壁を越えて、愛し合ったわ。彼との結婚を反対されるのは分かっていたから、一族の誰にも告げず、私はライルの里を去ったの…………だからもしも、自分の子が同じようなことを言った時には絶対に応援しようって、そう決めていたのに」
唐突な母の告白に、息子達は驚きを隠せない。ライルの里を去ったという言葉を聞いたレスカは目に涙を浮かべて俯いた。
「ごめんなさいルーク……私が一番わかっていたはずなのに、否定するなんて」
「いいんだ、気に病むことなどない」
「ところで、その……子供はどうしてるの?」
「今か?」
「ええ」
「二人揃って、うちで留守番をさせている」
ルークの言う「うち」というのは、ライランデ半島にあるあの家のことだ。ネスとレスカが訪れた、あの幸せの詰まった箱庭のような家──。
「いくつなの?」
「十一歳と、二歳だ。下の子はもうすぐ三歳になる」
「……ちょっと待ってルーク、十一歳?」
どう考えても年齢計算の合わない子供の歳に、レノアはまたしても頭を抱えた。
「ああ、すまない母さん。十一歳の息子リヴェの父親はランディルなんだ。リヴェはそこにいるレスカの実弟だ。下の息子リュードが俺とリンネイの息子なんだ」
「だからレスカちゃんが娘なのね……で、そんな幼い子供達をたった二人で留守番させるなんて、あなたはどういうつもりなの?」
「ええっと……?」
無名の召集がかかり、ネスやアンナ達と戦うために家を開けたとルークが説明をすると、レノアの雷が落ちた。
「お馬鹿! 今すぐ連れてきなさいッ!!」
「ど、どうやって……」
「エフくん!」
「ハ~イ」
立ちあがり、くるりとターンをしたナサニエフは、ルークに向かってウインクを飛ばす。
「家はどこなの?」
「ライランデ半島です」
「目を閉じて、その場所をイメージして」
ルークが目を閉じた五秒後、ナサニエフは彼の肩に手を添えた。次の瞬間、二人の姿は消えた。
「エフくんの転移魔法は相変わらず凄いわね」
感嘆の声を漏らしたレノアは、「さてと」とネスに向き直る。
「ネス、ごめんなさいね。あなたにライル族の血のことを話し忘れていて……驚いたでしょう?」
「かなり、ね。でもだいじょう……」
大丈夫ではなかったことを思い出し、カッと体に熱が走った。アンナと訪れたノルの町のムーンパゥルホテル。
あの時ネスは────。
「ネス、大丈夫?」
「ああ……ごめん、大丈夫」
怪訝な顔になり首を傾げるレノアだったが、深く気に止めることもなく話を次へと進める。
「さっき騎士団の話をしたときに言いそびれていたんだけど……」
「……カスケのこと?」
「知ってたの?」
「ああ」
ネスとサラの関係を知ってしまったショックが大きすぎた幼馴染のカスケは、ベルリナが団長を務める──務めていた第二騎士団に入団したとのことだった。
「ファイアランスを出発する時に、ベルリナ団長にカスケから通信が入って……」
「もう村には帰って来るつもりはないと言っていたわ」
「……そうなんだ」
いつか仲直りが出来ればと、そう思っていた。長い時を共に過ごしてきたのだ、きちんと話せばカスケだってわかってくれるはずだと、そう思っていた。しかしそれはもう叶わぬというのか。
「全てが上手くいくことなんてないのよ」
「……カスケのことは、諦めろっていうのかよ」
「真面目すぎるのが、あなたの悪いところよ。ネス、もう少し柔軟になりなさい。でないといつか──痛い目に合うわよ」
母の忠告にネスは俯く。言われずともわかっていた。否、わかっているつもりだった。
自分一人で全てどうにかしてみせる──出来るはずだという根拠のない自信。その自信のせいでこの先大火傷をする日が来ることを、ネスはまだ知らない。
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