最終章 hope―希望―

第百九話 老巧の苦悩


『愛している』──と。



 人目を気にせず、最期にただ一言伝えられたなら、どれだけよかっただろう。何十年も時を共に過ごして来たというのに。人前ではその気持ちをひた隠し、生きてきた。彼女が死ぬまでに──いや、あの時何故もっとその言葉を、気持ちを、沢山告げなかったのだろうか。自分一人の胸に留めて何になるというのだ。

 身分の差かあるいは、種族差か──どちらにしてももう遅い。彼女はもうこの世界に存在すらしないのだから。





「うっ…………」


 己の体を包んでいた眩い光が消え、ファヌエルは目を開けた。腕の中にあるのは持ち主を失った血塗れでぼろぼろの軍服、ただそれだけだった。


「……ベルリナ様」


 総団長という役職名ではなく、本来の名で彼女を呼ぶと決まっていつもはにかんで「なあに」という声が返ってきた。あの柔らかな笑みはもう二度と目にすることが出来ないのだ。


「ここは……」


 ベルリナが騎士団総団長として使用していた部屋だった。ブエノレスパ内にある政府公認集団組織関連館──通称「血の館」。ファヌエルはその内部にある彼女の執務室に転移していた。

 ぐるりと室内を見渡す。彼女が愛用していたグリーンのティーカップ、会議の内容に不満があると殴り付けていた白色の丸いクッション、一目惚れしてオーダーメイドで作ったという青い薔薇柄のカーテン。


「俺は……俺は……!」


 腕の中の軍服を抱きしめた。ファヌエルは戦いの最中、身を守るため──ベルリナから受け継いだ魔法を守るために転移魔法で一人退避していた。退避と言えば聞こえはいいが、実際には傷付く仲間達を置き去りにして逃げ帰っただけであった。



「ベル姉様!?」


 バタン、と部屋の入口の扉が勢いよく開いた。肩で息をしている眼鏡を掛けたこの小柄な白髪はくはつ碧眼の男は、第十三騎士団長 ニノ・ニゲラ。ベルリナの弟弟子だ。


「お前……ファヌエルか?」


 ニノの後ろに続くアップヘアーの瞳の大きなエルフは、第十一騎士団長 ラビエル・ライラック。儀式の場で傷を負ったベルリナを治療した、あの辛辣なエルフだ。彼女も走ってきたのだろう、頭の高い所でお団子にした髪がやや乱れていた。


「ベル姉様の魔力を感じて駆けて来たんですけど、どうしてファヌエルが…………まさか」


「そのまさかだ、ニノ」


 ファヌエルの腕に抱かれた血塗れの軍服。二の腕の部分に着いている騎士団長の腕章、それに左胸の部分に着いた第二騎士団のバッチ。


「嘘だ……嘘だ……ベル姉様が……ベル姉様がそんな……」


 膝を震わせ、床に崩れ落ちてしまうニノ。長く大きな溜め息を着いたラビエルは、無理矢理にニノの腕を掴んで立ち上がらせた。


「こんなことをしている暇などない。一刻も早く翁に報告するんだ。行くぞ」


 よろよろと立ち上がったファヌエルの手も取り、ラビエルは男二人を引きずるように足早に廊下を進む。


「やはりニノ一人に向かわせなくて正解だったな」





「……そうか」


 血の館 東塔の最上階の翁の執務室。執務机で肘をつく翁の正面に並ぶのはファヌエル、ニノ、ラビエルの三人。翁の後ろには第二十二騎士団長 カッツード・カラーが控えている。


「ベルリナの魔力が一瞬弱まったのが気になっていたんじゃがまさか……戦姫を庇って死ぬとはな」


 ベルリナは翁の弟子の中でも群を抜いて優秀だった。自分の後継は彼女しかいないと考えていた翁は、大きく溜め息を吐くと執務机に突っ伏した。


「どうするかのう……儂の後継、それに新たな第二騎士団長……更には騎士団総団長。それにジョース破壊者デストロイヤーも死んだじゃと?」

「はい」


 返事をしたのはファヌエルだ。彼が転移魔法でここブエノレスパに転移をした時にはまだエディン・スーラは死んでいた。まさか自分が去った後で彼が生き返ったなど思いもしないだろう。


「全く……想定外の結果じゃな。無名のボスの正体がまさかフォード・レヴァランスとはな」

「その名を知っていたのですか、翁」


 エメラルドグリーンの瞳を細めながらラビエルが言う。ニノも興味深そうに翁を見つめた。カッツードは小さく息を呑み、一人驚きを隠せないでいた。


「あいつは昔、戦姫に仕えていた男じゃよ。内乱で死んだと聞いていたが──魔術師……そうか、生き返っておったのか」


 この世界において魔術師は大変貴重だ。数自体はライル族よりも少なく、大半はへと身を隠している。



──ジリリリリリリ!



 唐突に翁の通信機がやかましい音を立てた。あまりの煩さにその場にいた者は皆顔をしかめる。


「儂じゃー……うむ、ご苦労じゃったな」


 机から顔を上げ、翁は通信を受信して何やら会話を始めた。


「うむ、うむ──────なんじゃと!? ああすまぬ……ベルリナのことは今ファヌエルから聞いた。うむ、そちらに魔法使いを──タチアナを向かわせよう。転移魔法で帰還せい。ではまた後での」


 溜め息一つ。カクノシンからじゃった、と一言言うと翁は再び別の者へ通信を始める。


「タチアナ、儂じゃ。今から伝える座標にカクノシンとローリャを迎えに行ってくれ──────ああ、そうじゃな、頼んだぞ──────さてと、皆心して聞けい」


 いつもの飄々とした態度は何処へ隠したのか、険しい顔の翁は椅子に浅く腰掛け顎の下で指を組むと、そこへ顎を乗せ口を開いた。


「戦姫が神石ミールと共に地獄へ堕ちた。その上フォード・レヴァランスがファイアランス王国へ向かったらしい」


「なっ……一体何の為に」


 皆一同に息を呑む。声を発したのはファヌエルだった。自分があの場を去った後に一体何があったというのか。


「復讐なんじゃと。ファイアランスは滅びるじゃろう」


「そんな……」


ルース破壊者デストロイヤー……後継もいないこの状況……絶望的だな」


 驚き膝をついたニノの背中に、ラビエルが追い討ちをかけるように言葉を浴びせる。


「せかいのおわりが……止まらない……!」

「逸るなニノ、それをなんとかするのが我等の務めだ」

「なんとかって……どうするというのですかラビエル! 五人の破壊者デストロイヤーのうち二人は死んで……」

「二人は裏切った」

「翁!?」


 切迫するラビエルとニノの間に、翁が割って入る。


ヴェース破壊者デストロイヤーティファラの裏切りは皆知っておろうが、ブラス破壊者デストロイヤーはフォード・レヴァランスじゃった……つまりは、裏切りじゃ」




──コンコン




「どうぞ」



 翁が返事をすると同時に部屋の扉が静かに開いた。



「随分と絶望的な状況だな」


 扉の外に立つのは、第十九騎士団長 タチアナ・タチアオイ。長い白髪のポニーテイルを揺らしながら、彼女は執務室に踏み行った。その後ろに共に帰還した第十騎士団長 カクノシン・カキツバタと第十七騎士団長 ローリャ・ライル・ローズが続く。


「新しくルース破壊者デストロイヤーを擁立するにしても、ファイアランスがそんな状況では困難だろう。というよりも擁立したところで神石ミールがないのだろう? どうしようもないではないか」


 金色の瞳をぎらりと輝かせ、タチアナは翁の執務机に、ばん、と手を着いた。その瞳はただならぬ野心に満ちている。


「お主に総団長を任せるつもりはないぞい」

「ケッ、何でもお見通しだな、先生」

「お主にはまだ早い──そんなことよりも、じゃ」


 扉の外に立つカクノシンとローリャに、翁は視線を投げる。疲労の色の濃い二人の顔を見て、室内のソファに座るよう勧めたが、二人はそれを断りファヌエルとラビエルの横に並ぶ。


「失礼します翁、ご報告を」

「うむ」

「一先ず連行した無名のメンバーは地下牢に入れて参りました。後程聴取に向かいます」

「うむ」

「それと……」


 目を泳がせたカクノシンは、隣に立つローリャをちらりと見やる。どう報告したものかと助けを求めるように彼女に視線を送っている。


 溜め息をついてカクノシンの視線に応えたローリャは、普段の彼女とは打って変わって静かに口を開いた。


「翁、実は」

「なんじゃい」

「エディン・スーラが生き返りました」

「はあ? 生き返った?」


 魔法か何かかと翁は思考を巡らせるが、それを察知したローリャは「違います」と首を横に振った。


「神の気まぐれ、だそうです」

「神ぃ?」


 あの時──エディンが生き返った時に話していたことを、ローリャは翁に説明した。地獄へ向かって落下中にアンナとレンが落ちてきたこと──幼い破壊者デストロイヤーは好みではないから、生き返れと神に言われたこと──。


「幼い破壊者デストロイヤーというのはなんじゃ?」

「それは……エディンの娘のことでしょう。奴が死んだら双子の娘のどちらかに継承権が移りますからね」

「……ふむ」


 エディンがライル族であるという事実を、翁は把握している。というよりも、わかっていなかったのはレスカだけなのであったが。


「ちなみに『神の気まぐれ』と言ったのはカクノシンですからね。『この世界の神はそういう奴だ』と」


 その言葉を口にした時、真意を語らなかったカクノシンをローリャは睨む。まるで自身が神に会ったことがあるかのような口振りだった、黒髪の騎士団長。


「カクノシンや、どういう意味か説明せぇ」


 この場にいる誰よりも長寿の翁でさえ、神と対峙したことはないのだ。カクノシンはその神に会ったことがあるというのか。


「せっしゃ……失礼、私はこの世界に連れて来られる途中、神に会いました。その時の口振りがなんとも……神とは思えぬ程適当なものだったのです。本当に気まぐれな神だなという印象を受けましたので、そのように口入れしたのです」


 言い終えるとカクノシンは口を閉ざした。


「あまり詳しいことは他言するな、とでも言われたんか?」

「はい」

「ならば話さんでええ。ところでローリャ、ネス・カートスはどうしておる?」

「ああ、奴なら……突然現れたソフィア・メータが拉致して逃げました」

「なんじゃとおおお!?」


 短髪の女エルフ ソフィア・メータ。大賢者シムノン・カートスと肩を並べる賢者の一人である。


「懐かしい名じゃのう……ということは……まあええわ。大事なのはそんなことよりも……『せかいのおわり』をどう食い止めるかということじゃ」


 一人納得した翁は椅子に深く腰掛け、再度通信を始める。通信相手は────。


「ユミリヤ、儂じゃあ。大会議室に皆を集めてくれ一時間後に会議を……新たな騎士団総団長と破壊者デストロイヤーの選出、それにせかいのおわりをどう食い止めるか、話し合いをするのでな──ああ、頼むぞ」


 通信を終えた翁は、執務机に肘をついて一段と大きな溜め息をついたのであった。

 

 彼らがヴェース破壊者デストロイヤー ティファラ・マリカ・ラーズの死を知り、再び頭を抱えることになるのは、もう少し後のことである。


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