第九十二話 神に選ばれし者(1)
目の前を覆っていた白い光が消散すると、そこにはただ真っ黒なだけの空間が広がっていた。光の届かない洞窟の最深部──闇だ。
「あれ……?」
他の皆は無事だろうかとネスは周囲を見渡した。人の気配は少なく、皆が散り散りにされたのだろうと予想がついた。暗闇だが徐々に目が慣れてゆき、数秒もしない間に視界ははっきりと開けた。これもまた覚醒し始めたライル族の血のおかげか。
「……ネスか?」
聞き慣れた声にネスが顔を向けると、そこにはウェズの派手な金髪。普通の人間である彼はまだ目が慣れていないのか、視線をさ迷わせながら不安気な表情を浮かべている。
「全く……転移魔法か、こりゃあ」
新たな声の主はローリャ・ライル・ローズ──第十七騎士団長。橙色の三編みに結った長い髪、鋭い
「抜刀して構えな」
言うや否やローリャは
「
「へぇ、知ってんのか小僧」
「こぞ……ウェズっす……」
刀を握る手に力を込めながら、ウェズはボソボソと小声で名乗った。
「ウェズとネスか……お前たち、無理はしなくていい」
敵の姿も見えぬ状況で構えろと言ったローリャの真意を、ウェズはまだ理解出来ていない。暗闇に放り出され目も慣れぬまま、ウェズは心に湧いて出た恐怖の礫を必死に踏み消した。
「何か……いますね」
ウェズには見えていないものが、ネスには見えていた。時間の経過と共に、それははっきりと姿を形どってゆく。
闇の中で、何かが蠢いている。
「戦い
ローリャが腕を天に向かって掲げると、そこから
「…………嘘だろ」
呟いたウェズの背に、緊張で汗が吹き出す。彼が驚くのも無理はない。眼前一帯に蔓延るのは、数えきれないアグリーの大群。翼が生え鱗を持つ爬虫類のようなもの、昆虫のような体に人間の手足が生えたもの、人間の背丈の三倍はあろうかという二足歩行する毛むくじゃらのものなど様々だ。
その光景にたじろぐウェズとは対照的に、ネスは冷静であった。
「倒せますよね」
「ああ」
自信ありげに
「後ろの小僧とは違って随分と頼もしいな、お前は」
「……一応、特訓したんで」
兄と戦うため、兄を説得するための特訓──勿論それだけではないが、ファイアランス王国で様々な人々と手合わせをし、心身共に成長を果たしていたネス。
(それを生かすときが来た)
ローリャが腰を落として月欠を構える。バリバリと
────キィィィギャァァァァァアアアァッッ
聞くに耐えない呻き声を上げながら、アグリー達は次々にローリャの攻撃に飲み込まれてゆく。彼女の放った一撃により、アグリーの群れの半分が死滅した。
「一応言っておくが、うちの実力は騎士団一だ。つまりうちは騎士団で一番強い」
頭上で月欠を振り回し、だんっ、と地に石突を叩きつけるローリャ。
「騎士団……いち?!」
「そうだ」
「はは……なんとも心強いな……」
そう言ったウェズの顔は半笑い状態だ。ローリャの言葉に安心しているようにも見えるが、彼が己の非力さを痛感した瞬間だった。
「来るみたいだ」
仲間意識があるのか理解の範疇を越えているが、残りのアグリー達は悲歎にくれるように──先程よりも強烈な鳴き声を上げながら、こちらへと向かってくる。
(──集中するんだ)
『ネス』
(──まただ)
『聞こえる?』
(はっきりと聞こえる……君は誰なんだ)
『へぇー。やっとかぁ』
(だから、誰……?)
『まだボクの力は必要ないだろうしぃ。すぐに会えるよ。また後で、ね』
(……何だったんだ?)
何処からともなく聞こえた、ねっとりとこびりつく幼女のような声。過去に何度か──戦闘中にネスの心に現れた声だった。今までとは違い鮮明に聞き取れたその声の主は、ネスが正体を訊ねたにも関わらず霧のように消えてしまった。
(すぐに会えるよって……気になって仕方がないじゃないか)
「おいネス!!」
────ブチブチブチィッ!
逸れていた意識が引き戻される。ネスがハッとして目を見開くと、眼前には羽根を生やした虫のようなアグリーの首を断つウェズの姿。
赤紫色の体液を撒き散らしながら事切れる化物。
謎の声と対峙している間にも、アグリーの群れはネス達三人をめがけて突き進んでいたのだ。当然と言えば当然の結果だった。
「なにぼさっとしてんだよ! 俺は自分の身を守るだけでも精一杯だっての!」
さっきまでの威勢は何処にいったのだと、ウェズはまだ怒鳴り散らしている。
「ごめん! ぼさっとしてた!」
「だからぼさっとすんなって!」
「ごめん!」
言いながらもネスは
「
ウェズの言う通り、確かに
(いけ!)
轟音を立てネスの背後から立ち上る
「すげぇ……」
ウェズの感嘆の声を合図に、水の槍は疾風のごとく駆け抜けアグリー達を撃ち抜いた。
「ああクソ! うちの楽しみがっ!」
前方で屈んでネスの
「ひえぇ! すみません!」
ネスが頭を下げている間にも、アグリー達は次々に水槍に撃ち抜かれ、その命を消してゆく。
「アグリーばかり斬ってもつまんねえしな。まあ一匹残らず消せたから許しやる」
一匹でも残っていたら許して貰えなかったのか。というよりも、アグリーよりも何を斬るほうが楽しいのか──ということを考えるのは止めておこう。
周りを見ると確かにアグリーは一匹もおらず、断末魔の叫びは消え去り辺りは静まり返っている。
(なんつー奴だよ、こいつは……)
ローリャが抱いたのは驚愕というよりも恐怖──。
(
数々の戦場で様々な戦士と対峙してきたローリャ・ライル・ローズ。ネスの
(気を付けねーと、こいつは危険だ)
「おい」
「え、は……はい」
「お前のその
険しい顔つきのローリャに迫られ、
「
「ああ」
「いえこれは──ライル族の血が覚醒し出してからですね」
元々ネスの
「そういえばお前、見た目はライル族だもんな。親父はシムノンだろ、母親はどこのライルの奴だ」
「ご存知ないかもしれませんが、母はレノア。レノア・カートスです」
「レ……レノア!? あいつ生きていたのか!」
相当驚いたのか、ローリャは右手に握っていた月欠からうっかり手を放しそうになった。
「ご存知なんですか?」
「ご存知も何もあいつは軍に所属していた時の戦争で行方不明になって……まさかシムノンと結婚していたとはな」
故郷のガミール村でアンナとレノアが話していた戦争のことなのだろう。レノアの家族がアンナに殺されたのだというあの──第一次アブヤドゥ・ブンニー戦争。
「いやあ、しかし驚いたな……って、今はこんなことを話している場合でもなかったな、すまない」
「いえ」
「置いてきぼりだった俺の気持ちも考えろよ」
酷く不満げな顔のウェズが、ズカズカと近寄ってくる。
「ごめんごめん」
「平謝りかよ」
「敵陣で呑気におしゃべりとは、随分と余裕だねえ」
声のする方に三人は顔を向けた。洞窟の奥。暗がりの何故か高所から放たれたその大きな声は穏やかで、この場の空気に似つかわしくないものだった。
「たったあれだけのアグリーを殺したくらいで、終わらせたつもりー? 甘いねー、まだまだだねー」
どこかで聞いたことのあるその声──ウェズは思考を巡らせる。
(──誰だったか)
その人物の姿と、背後に潜むものを捉えたネスとローリャは、それぞれ武器を構えて腰を落とす。
「うわーサイアク! 一番強いのいるじゃん!」
姿を現したその少年はローリャの顔を見ながら
「うげぇ」と舌を突き出している。明るい茶髪に珍しくも真っ黒な瞳。暑苦しいファーのついた丈の短いローズピンクのコートは遠くから見てもよく目立つ。
彼の声が高所から聞こえた理由が明らかになった。彼は翼を持ちはためかせるアグリーの背に乗っていたのだ。だんだんと近づいてくる彼の後ろには、先程殲滅したアグリーの群の三倍──否、四倍近い数のアグリー。まるで彼が統率しながら前進しているように見える。
「はは……こりゃあすげえや」
ローリャの口から乾いた声が漏れる。彼女には見えていた。眼前に横並びしながら前進するアグリーの後ろにもまた同数以上の一群がいるということを。
そんなローリャの反応を見たネスも目を凝らし、状況を理解した。一瞬弱気を見せたローリャとは違い、ネスが纏っている空気は自信。自分でも何故これほどに自信に溢れているのか理解できなかった。それが少し恐ろしかった。
(さっきの声の影響なのか──?)
「……あ?」
「……はあ?」
人間である彼らが互いを認識出来る距離まで近づいた時、ローリャはすでにアグリーの群れに向かって飛び出していた。
「なんでお前が……?」
「いやいやいやいや……お前こそ、なんで……!」
アグリーの背に乗った少年、無名メンバーの一人セノン・ルイ。
それを見上げる少年、ミリュベル海賊団副船長ウェズ・レッダ。
そしてネスはその光景を目と耳の端で捉えながら、アグリーを殲滅してゆく。
「あいつは……どうなったんだ──
「お前こそあいつを見捨てて、どの面下げてここにいる──シロウ」
──彼等の脳裏に浮かぶのは一人の少女。
可愛らしい唇をいつも不機嫌そうにひん曲げていた──十七歳で逝った少女の姿。
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