第九十一話 氷の戦士(1)

 戦わなければならない。血の繋がった兄と。


 止めなければならない。彼の悪行を。


 全ては世界を救うために。世界の終わりを止めるために。


 でも──でも。


 兄は──ルークはあの時言っていたではないか、「死にたい」と。愛した人のいなくなった世界で、生きていたくないのだと。

 自ら命を断つことが出来ない。だから世界の方が滅びてくれればいいのだと──それがルークの願いだった。


(どうすれば兄さんを救える……? どうすれば兄さんは止まってくれる?)


 そんなネスの思いを知ってか知らずか、ルークは後ろの二人に手を出さぬよう忠告を済ますと、顔を正面に向けた。


「さてと、どうしようか。先に言っておくが、俺は神石ミールを持っている。ルース神石ミールだ」


 懐から取り出したのは、アンナが胸に下げていた青い石のペンダント。その細い銀の鎖を指に絡め顔の前に掲げると、ルークはらしくもなく仰々しく溜め息をついた。


「弟と戦いたかったのに……俺がこれを託されたということは、そこの血色の女と戦えということなのか……嫌だな……。ネス、どう思う?」

「え、俺?」


 唐突に飛んできた質問に、ぎょっとするネス。


「そうだなあ……」

「悩むよな、分かるぞ」

「うーん……」


「ちょっと、いいですか」


 スッ、と手を上げて歩み出たのはベルリナだ。白い眉を吊り上げ、ルークを睨む。


「時間の無駄です。さっさと死んで下さい」

「恐ろしいことを言う魔法使いだな」

「恐ろしくて構いません……どうします、ネスさん? 実兄と戦いたいのでしたら、止めませ──」



(──え?)



 何の前触れもなく目の前が白い光に包まれる。話していたベルリナの言葉も聞こえなくなり、次の瞬間──ネスは先程とは違う、別の場所に移動していた。





「無作為な転移魔法かしら」


 その場に取り残されたアンナは、後腰の刀──陽炎を抜き、ヒュン、と一度だけ振り下ろして空を切った。


「正解だな。術者は……」

「言わなくていい」

「そうか」

「あんたはネスと戦わなくてよかったわけ? ルーク」

「無作為な魔法なんだから、仕方がないだろう」

「どうだか」


 ルークが望んでこうなるよう術者に頼んでいたのかどうか──その真意は、彼と術者にしか分からない。


「まあ、どっちでもいいけど? あんたが望んでこの状況を作り出したっていうんなら大したもんね。あたしに勝てる自信があるってことなんでしょ」

「よく喋るな」

「十六年ぶりに話すのよ? 少しは付き合いなさいよ」


 ネスが生まれた十六年前。彼の誕生に立ち会っていたアンナは、その時──それから一ヶ月ほど、ルークとも生活を共にしたのだ。


「お前の顔など見たくなかった」

「ブエノレスパに着く前に襲撃して来た時には、完全にあたしのこと無視してたものね、あんた」



──ルークにとってみれば共有したその一ヶ月は、嫌な記憶でしかないのだった。



「ルーク様ぁ、そろそろ戦ったらどうです?」

「そうだ! そうですぞルーク様!」


 ルークの後ろに控えていた男女が、揃えて声を上げる。レスカに一度殺され、復活した改造型アグリーのテーベとナルビーだった。桜色の髪の少女──テーベに関して言えば、復活後も復活前とは性格も容姿も変わらなかったのだが、モーブカラーの髪の青年──ナルビーはといえば。


「ルーク様ぁがんばれ! ルーク様ぁがんばれ!」


 穏やかだった性格が激変し、さながら熱血漢のようになっていた。

 その姿を見てアンナは苛立ったように眉間に皺を寄せる。


「全く……うるさい奴……ッ!」


 トン──っと地を蹴ったアンナの姿が消えたかのように見えた、次の瞬間────


「ルーク様ぁがッ…………!」


 叫んでいたナルビーの首から上がスッ、と飛んだ。鮮血が四方に溢れ出したのも束の間、彼の背からは刃が飛び出す。前方から心臓を貫かれ、またしても溢れるのは夥しい量の血液。


「──ッ!」


 ナルビーの首が飛んだ瞬間、ルークとテーベは後方に飛び跳ねた──が。



────キィンッ!



 ナルビーの胸から刃を引き抜いたアンナの一撃が、ルークを捉える。二撃、三撃と振り下ろされる攻撃は重い。重いが、絶対に止められないというわけでもない。


 しかし、隙がないのだ。


 エメラルドグリーンの美しい色の瞳は、信じられないほど敏捷に動く。三百六十度──双眸の視界の外まで、見えているのではないかと思わせるその目の動き、体の動き。


「ルーク様っ!」


 アンナの左後方で叫んだテーベが、両目から獄光ヘラ──アグリーが放つ光線──を撃ち出した。ギュン、と鈍い音を立てたそれは、アンナとルークの間を通過し、洞窟の壁面に直撃する。アンナは上半身を軽く反らして、それを容易く躱した。


 テーベの作った一瞬の隙を利用し、ルークが体勢を整えアンナに迫ろうと足を踏み出した瞬間──


「ッ!」


 アンナの長い足がルークの鼻先を掠める。体を後ろに軽く引いて獄光ヘラを躱していたアンナは、更に半歩引いた右足を軸にして左足を振り上げた。


「避けんじゃないわよ」

「うッ!」


 直後跳び上がったアンナの両足蹴りが、ルークの鳩尾に入った。胃のものがせり上がってくるのを堪えながらルークは、空中で身を回転させたアンナの首を掴む。


「が……ッ……うっ!」


 掴んだままルークは、アンナの体を上方へ投擲した。三十メートルほど空を切ったアンナの体は、背中から洞窟の壁面へと衝突した。


 ガラガラと音を立て壁面が崩れ、アンナが身を起こそうとした所へ、無数の氷の塊が迫る──!


「無駄なことを」


 アンナの正面に出現した炎の壁が、容易くそれを阻む。阻み、役目を終えた炎の壁は、十本の矢へと形を変えた。アンナが立ち上がるのを待たずに、それらは目にも止まらぬ速さでテーベに迫る。


「わたし!?」


 目を剥いたテーベは、タンッ、と後方へ飛び退いてその矢を躱したが、即座に距離を詰めたアンナが──



──ザリッ!



 常人ならば目で追うことの出来ない速度でテーベに肉薄し、ぐっ、と踏みとどまる。そして、


「テーベ!」


 陽炎が彼女の胸を貫いた──だげに止まらず、アンナは──



────ズバンッ! ザシュッ!   ビチャン!



「ぅ、そ……」



 テーベの左腕を下から、首を横凪ぎに、そして右腕を上から、順に切り落とした。上半身から噴き出す鮮紅の作った血溜まりに、桜色の首が落下する。


 大量の血。その一部を身に浴びた緋い鬼は、照準をルークに定め飛行盤フービスで一気に加速する──!



──キイイイィン! キン! キィン!



「よくも」

「なにが」


 アンナと鍔迫り合いになりながらルークが言う。


「らしくない言葉を吐くのね」


 刀を振り切り、ルークの右肩に僅かに切りつけた。後方に飛んで距離を少し取るとアンナは、見下すような強者の目付きでルークを睨む。


「部下を殺されて怒ってんの?」


 僅かに顔を歪めたルークが飛行盤フービスも使わず、ドッ──と前方に飛び出す──


(──さっきより早いし、)


 アンナが両手で刀の柄を握った刹那、彼女の首をめがけて迫り来るルークの刃。



──キンッ!



(重いっ……!)


 己の刀でそれを受け止めるも、後退するアンナの両足。ブーツの足裏がザリッ、と音を立てる度、ルークの刃は彼女の首に迫る。


「く……ッ」


 戦闘民族ライル族──その半分の血が流れるこの男。


(まさかこれ程とは──!)


 ライル族は筋力、体力共にどの種族よりも優れている。戦闘に特化したその肉体──戦うために生まれてきたといっても過言ではないその体。


「く…………そ……!」


 ティリス──エルフと人間のハーフである彼女。ティリスはライル族と変わりないほどに好戦的ではあるが、その肉体はライル族に比べれば劣るのだ。

 ライル族のハーフであるルークとの差は如何程か。


「どうした」

「うっさいわね……」


 押し負ける──そう確信したアンナは、低く腰を落とし足に力を入れた。その、刹那──。


「────ッ!」


 腕が弾かれ、ぐらりとバランスを崩すアンナの体。そこへ、ルークの容赦無い上段の蹴りが入った。


「うぅ!」


 その蹴りを防ぐように構えた右腕。メキメキと枝が折れるような音を立て、それはあらぬ方向を向いた。


「よし、折れたな」


 向かって右側によろけたアンナの体──その左頬に拳を撃ち込み、前のめりになった鳩尾にもう一発。


「がはっ……げほっ……」


 せ込み吐血しよろめきながらも、アンナは素早く身を屈めると、ルークの足元を払い、バランスを崩した彼の顔面に拳を振り下ろした。



──ぱきん。



 顔面の骨が折れたのか。それとも歯が折れた音か。ルークは身を翻し立ち上がると、血に染まった歯を一本吐き出した。


「本気で戦わないと、死ぬぞ」

「誰が」

「お前がだ」


 ぐちゃぐちゃに折れ曲がったアンナの右腕は、少しずつ再生が始まっていた。それを見やりながらルークは言う。


「利き腕が再生する前に止めを指す」


 ルークが飛行盤フービスで駆け出すと同時に、氷の槍が無数に形成された。それは彼がアンナに到達するよりも早く、彼女を捉えた──が。


「やはり駄目か」


 またしてもアンナの前に現れた炎の壁により、氷の槍は無力化される。ルークが手をかざし、水渦を炎の壁に衝突させるも、炎が消えることはない。


「水で火が消えるとでも思ってんの? 蒸発させるわよ、そんなもの!」



 左腕で刀──陽炎を握ったアンナは、猛攻するルークをゆらりと躱し、そして、


「──な!」


 そのまま猛追してきたルークの上半身に斬りかかった。

 淡いグレーの服が斜めに裂け、肌が覗く。そこからつうっ、と血が滴り落ちるさまを、ルークは凝視する。


「お前……」

「なんであたしが右利きだって思ったの?」

「それは……」


 右手で刀を握り、身のこなしも右利きのそれだ。昔──生活を共にしていた時の記憶の中の彼女も、右利きだったはずだ。それなのに。


「利き腕でもないのに……そこまで刀を扱えるのか」

「だから、誰も右利きなんて言ってないじゃない。どちらかの腕が使い物にならなくなっても、どちらでも戦えるようにしておくのは当然のことよ」


 その身が朽ち腕一本になろうとも、ね。と付け加えるとアンナは、流血に身を押さえるルークにつかつかと詰め寄り彼の頬を左手で叩いた。ばちん、という乾いた音に、ルークは目を丸くする。


「なんのつもりだ」

「ネスから聞いたけど、あんた死にたいらしいわね」

「少し、違うな」

「同じでしょ。全くくだらない。世界の方が滅びてくれればいい、ですって? 馬鹿も休み休み言いなさいよね」

「黙れ」


 アンナの胸元を突き飛ばし、後方へ距離を取るルーク。


「お前に説教をされる筋合いはない!」


 感情を露にしたルークに驚きつつもアンナは、陽炎を握り直し身構える────と。



──ザザザザザザザザザザッ!



 二人の周囲の足元から壁に至るまで、一瞬で氷付けになっていく。侵食された地べたから這い寄る氷が、瞬きをする間もなくアンナの膝から下を氷付けにした。がちがちに固められたそれを瞬時に溶かそうと神力ミースを集中させるも、


(溶けない!?)


 壁や地べたの薄い氷とは違い、アンナの足を覆う分厚い氷は瞬時に溶かすことが出来ない。


「…………ッ!」


 アンナが顔を真正面に向けると、眼前には迫り来るルークの姿。


「言っただろう! 本気を出さないと死ぬと!」


 ルークの振り上げた刃が、身動きの取れないアンナに襲いかかる────

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