第九十三話 氷の戦士(2)

 振り下ろしたルークの刃が、アンナに襲いかかる────


「ッ!!」


 それは完全にアンナを捉えていたはずだった。刀──陽炎かげろうを握っていたとはいえ、不意を突き足を凍らせたのだ。神力ミースで氷を溶かそうともがいた姿も、ルークには見えていた。それが叶わず、動揺しているのにも気が付いていた。


 それなのに。



──キンッ!



 アンナはルークの刃を捉えていた。おかしな角度で足が固まっているのでぶん張りがきかず、ほぼ腕力だけでその攻撃を止めていた。


「くっ……」


 歯を食い縛り、苦しげな表情。眉間に寄せられる皺の深さから、アンナが苦戦を強いられていることは明らかであった。


──果たして彼女はいつまで耐えられるのか。


「さっさと諦めろ!」

「……誰が……ッ!」


 アンナの眼前にルークの刃が迫った──


「──────ッ!」



──刹那、息を呑んだのはどちらか。



 アンナの足を固めていた氷が砕けるのと、ルークが刃を振り下ろしたのはほぼ同時だった。



────ズバンッ!



 肉の斬れる音が二人の耳に届く。ルークに押し負けたアンナの左肩が裂け、鮮血が噴き出す。一瞬よろめくも傷は浅いのか、アンナは後転してルークと距離を取った──が。


「逃がすものか!」


 瞬時に距離を詰めるルーク。アンナは小声で悪態を吐くと、その傷をものともせず両手で陽炎を握りしめ、ルークを迎え撃つ。



──キィィィイインッ────キン──キィン!



 繰り返される剣戟に耳が痛くなりそうだ。その合間にもアンナは、生成したルースの矢をルークへと放つ。


「小賢しい!」


 剣を振るう手を止め、ルークは回避に徹する。予想通り火の矢は追尾型で、単純に避けるだけではどこまでも着いてくる。その矢の隙間を縫うように、容赦なくアンナの刃がルークの肉体を貫こうと攻めてくる。


「!」



────ドッ………………



 ルークの右脇腹を、陽炎が貫いた。すぐに身を引いて次の攻撃を回避するも、傷口からどくどくと溢れ出す赤──。


「くそ……」


 刀を横に凪ぎ、付着した血を払ったアンナは、だんっ、と大きく前に一歩踏み出す。形成し放った氷の礫も瞬時に無き物にされ、あっという間に詰められる距離。ルークは刀を構えて攻撃に備えるも──


(早い────!)


 形勢が逆転した。アンナの刃がルークを捉えた刹那、二人の距離が零になる。ルークは自分に向けられたアンナの目のおぞましさに、思わず足がすくんだ。


(────殺し屋の……獣の……目…………!)



──ザッ…………!



 アンナの刃がルークの左肩から真っ直ぐに振り下ろされた。傷口から溢れる血はルークの体を──アンナのドレスを──濡らす。


 

 攻防の末、膝を着いたのは──




「……俺の方が力が強いはずだ」



 膝から崩れ落ち、ルークはうつ伏せに倒れた。傷口が直に地に当たっているのでなかなかに痛む。


(──痛みが分かるだけいいのかもしれない)


「殺し合いはね、力じゃないのよ。経験値はあたしのほうが断然上なのよ──坊や」


 言いながらアンナは、うつ伏せに倒れているルークの脇腹を蹴り、仰向けに寝かせた。


「戦いはね、冷静さを欠いたほうが負けるのよ」


 そのまま、敗北した男の瞳を覗き込む。やっと感情の灯った、瑠璃色コバルトブルーの瞳を。


「──殺せ」

「嫌よ」


 あまりにも早すぎる否定に、流石のルークも目を丸くする。隣で腕を組んで立つ女の、なんと猛々しいことか。


「必要の無い殺しはしないわ。あんたは生きるべきよ」

「なんだと……」


 殺し屋のくせに、とルークは心の中で一人ごちる。


「話はネスから全部聞いてる」


 陽炎を鞘に戻したアンナは、感情を読み取られまいと顔を背け、髪をかき上げた。


「世界のほうが滅びてくれればいいなんて、他力本願にもほどがあるわよ」

「お前に……何がわかる……」


 声を発する度に、口の中には血の味が広がって行く。出血量の割にはルークの意識はっきりとしていた。きっとこのまま死ぬことは出来ないのだろう。


「あんたが愛した女も……あんたが死ぬことを望んでいるわけがないと思うけどね」

「…………!」

「誰だって、愛する奴に死んでほしくはないもの」


 ルークの脳裏に鮮明に思い浮かぶのは、リンネイが最期に見せた笑顔。そして──言葉。



「リンネイ……」


 涙を流し、手を伸ばす。


「リンネイ……」


 もうこの世にはいない彼女を想い、触れたいと、声を聞きたいと、腕を伸ばす。


(会いたい……会いたいんだ……)


 自分と、子供たちを守って散った愛しい人。自分にもっと力があれば守れたはずの命。何度も後悔した。何度も死のうと思った。でも、出来なかった。リンネイが残してくれた二人の子供たち──彼等を置き去りにして自分だけ死ぬ逃げることなんて、出来るわけがなかった。


 会いたかった。会えないことは分かりきっていた。それでも──会いたかった。


「ルーク」


 優しい声色で名を呼び、伸ばした手を掴んだのは、血色の殺し屋だった。先程見せた獣のような瞳はどこへ隠したのか──別人のような変貌ぶりに、またしてもルークは驚く。


「いつかその人に会えるまで……一生懸命生きてみなさいよ」


 温かな、手だった。


「アンナ……」

「あんた、子供もいるんでしょ。しっかりしなさいよ」

「俺は……」


 強く握り返し、身を起こす。傷は痛み、出血も止まらない。それでもルークは起き上がって、アンナの顔を見たかった。


「俺は……生きていてもいいのか」

「知らないわよ、そんなこと。でもね、ネスはそれを望んでる。あたしが言えることはこれだけよ」

「……ネスが?」


 傷付けて無理矢理、神石ミール浅葱あさぎも奪い取ろうとした、こんな出来損ないの兄。愛する人を失って、未だそこから動けずにいる、弱い兄。



『行って! 生きて!』



 リンネイは死ぬ間際、叫んだではないか。生きて、と────


「……あんたの人生、ここで閉じたら心残りの一つや二つあるんじゃないの」


 浮かび上がるのはリヴェとリュード──二人の子供たちの無垢な笑顔。それに娘の怒った顔。


「娘ともゆっくり話をしてみたいかもな……」

「娘? ……ああ、レスカのこと」


 あの娘は、ルークのことを父とは認めてくれないだろうが。


「生きて、成さなければならないこと……」


 ルークは震える手を見つめ、弱々しく握りしめた。血を流しすぎたせいで、力が入らない。


「リンネイ、俺は──」







「裏切るのですか、ルーク様」



 遅かった。


 暗闇からぼうっと浮かび上がり、背に張り付いた女の声。アンナとルークが顔を向けた時には既に、桜色の髪の少女の右腕がルークの腹を貫いていた。 

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