第九十話 一人目の敵

 転移魔法──それは魔法使いが使用する空間移動魔法だ。鍛練すれば習得が可能な中級魔法だが、移動出来る人数、場所、距離は本人の力量、つまりは魔力量によって大きく異なる。

 魔力の少ない魔法使いは複数人、その上行ったことのない場所に移動することは不可能なのだ。



「──っ!」


 体が浮く感覚の後、ネスが目を開けるとそこは鬱蒼とした森の中。どこかアマルの森を彷彿とさせるこの場所には、不思議と生き物の気配が全くしない。

 繋いでいた手を放し首を捻ると、木々の開けた後方にという雰囲気の洞窟がある。


「遅いぞ、総団長」


 聞き覚えのある声に、今度は反対側に首を捻る。そこには騎士団の制服──光沢のあるグレーの軍服に身を包んだ三人の団長達がいた。



 黒く長い髪を一纏めにし、どこか落ち着いた雰囲気の人間──第十騎士団長 カクノシン・カキツバタ。


 短髪で背が高く、目付きの悪いエルフ──第二十一騎士団長 ファヌエル・フランネルフラワー。


 そんなファヌエルよりも更に目付きが悪く、制服の袖を捲り上げた橙頭のライル族──第十七騎士団長 ローリャ・ライル・ローズ。


 そしてその列にとことこと駆け寄り加わった、小柄な魔法使い──第二騎士団長兼騎士団総団長 ベルリナ・ベルフラワー。


「ちょっと色々あって遅れました。すみません、ローリャ」

「別にいいけどよ」


 長い三つ編みを翻し、ローリャは「ふん」と鼻を鳴らした。


「あ! ローリャ伯母さん!」


 明るい声を上げローリャに駆け寄ったのはレスカだ。彼女が戦争の道具として人に売られ、ローリャと離ればなれになってから実に四年ぶりの再会であった。


「レスカ! お前……よく無事で」

「エディンのところでお世話になってたんだー!」

「へぇ……」


 姪子の手を取りながら、意味ありげな視線をエディンに向けるローリャ。彼女はエディンに、彼の娘達の事を話すという約束をしていた。が、それをレスカに聞かれる訳にはいかない──エディンがライル族であると、レスカに知られる訳にはいかないのだ。


「げ……あ、はい」

「レスカを助けてくれてありがとう。ちょっとあっちで話さないかい?」

「う゛……分かりました」


 エディンの首に片腕を回し、皆と距離をとるローリャ。彼女はエディンに彼とレイシャの間に生まれた双子の娘達の写真を見せてやろうと、懐にそれを忍ばせていた。


 そんな二人の背を見送りながら、不思議そうにレスカが首を捻る。


「話……?」

「礼でも言うんじゃないの?」


 気まずそうにこちらを伺うエディンに助け船を出したのはアンナだった。彼女もまた、エディンがレスカに正体を隠しているということは知っていた。


「おいそこ、緊張感がないな。何をごちゃごちゃ話している」


 冷たい声が背後から飛んでくる。鬱陶しげにアンナは振り返った。


「悪かったわね、緊張感がなくて」

 

 声の主はファヌエルだった。威嚇するような目付きで、アンナを睨む。


(敵意剥き出しって感じね)


「ちょっとファヌエル、アンナさんと仲良くしなさい! 総団長命令です!」

「……総団長」

「仲良くしないと降格です!」

「勘弁して下さいよ、こんな時に」

「じゃあ仲良くしなさい」

「……分かりました」


 渋々返事をしたファヌエルは、目の端でまだアンナのことを睨み付けている。その態度から彼女のことを嫌っているのは明らかだった。


「作戦会議しますよ、皆さん集まって下さい」


 手を打ちながら号令をかけたベルリナの周りに皆が集まる。エディンとローリャはまだ話が済んでいないようだ。


「悪いベルリナ、片耳で話は聞いているから、先に始めてくれ」

「分かりました」


 ローリャに返事をし、ベルリナは腕を組み口を開く。


「作戦、と言っても細かく何か決めるわけではありません。無名が一人一人現れて戦闘になるのか、待ち伏せされて一気に戦闘になるかも分かりません」

「待ち伏せ? こちからが攻め入るという情報が漏れているんですか?」

「それはないと思います。しかしこの人数ですし、今ここにこうして集まっていることは流石にバレているかもしれませんね」


 ネスの問に丁寧に返すと、ベルリナは再び口を開く。


「一対一又は多数対一の場合は、他のメンバーはそのまま前進しましょう。一気に戦闘になった場合、ファヌエルはあまり無理をしないように。治療者が怪我したら洒落になりませんから」

「分かりました」

「相手を倒したら身ぐるみを剥がしましょうかね。神石ミールを持っているのかどうか、分からないですし。持っていなければ無理矢理にでも聞き出して下さい。出来るだけ殺さないように。まあ、死んだら死んだで仕方ないですけど」

「いいんじゃないの」


 兄を殺す気しかないくせに、アンナはベルリナの作戦に首を縦に振った。ネスがアンナに視線を送ったのも無視し、気が付いていないふりをする。


「一つ気掛かりなことかあるんです」

「と、言いますと?」


 それまで押し黙っていたカクノシンが、口を開いた。と、このタイミングでエディンとローリャが合流する。


「無名のメンバーがボスと呼ぶ存在のことです」

「ああ、例の」

「ええ、その人物については全く情報がないんです」


 確かにここに至るまでの道のり──交戦した無名のメンバーの中に、それらしき人物はいないようにみえた。


「実力も全く未知数……皆さん、気を付けて下さい」

「はっ!」


 騎士団長達はベルリナの言葉に返事を、アンナとエディン以外の者は静かに頷く。


「じゃあ、行きましょうか」


 腰の刀の柄にゆっくりと触れながら、洞窟へとベルリナが足を進める。他の者はその後に続いた。





 洞窟なだけあって内部は薄暗く、気温は外よりも低い。ティリスやエルフはルース神力ミースで体温を調節しているのか平気な顔をしているが、他の者は寒気を感じ、手で体を擦る。

 幸い足元はそれほどゴツゴツとはしておらず、歩きにくいということはなかった。


「洞窟全体を暖める程の寒さではないでしょう?」

「うーん、そうですかねえ? でも移動しながら皆の周りを暖めるより、洞窟全体を暖めたほうが手っ取り早くないですか?」

「総団長、人を暖房扱いしないで下さいよ」


 さらりと簡単にファヌエルは言ったが、これほどの規模の洞窟全体を暖めるというのは、並の者では成し得ない。それほどファヌエルの神力ミース量が多いのだということを表していた。


「いいじゃないですか、ファヌエル早く早く」

「はあ……」


 言いながらもファヌエルは神力ミースを高め、洞窟内部の気温を上昇をさせた。


「暖か~い! ありがとうございます!」

「え、あ……ふん!」


 笑顔を向けたレスカに、ファヌエルは照れているのか、無愛想に返す。


「おーおー、どうしたよ。仲良くやれよ、ファヌエル?」

「うるさいな、君にどうこう言われる筋合いはないな、ローリャ」

「お得意の緊張感はどこにやったんだよ、あ?」

「そこ、喧嘩しない」


 ベルリナの叱責に二人は口を噤む。


(本当にこの面子で大丈夫なのか……?)


 ネスが心配げにその様子を見ていると、先頭を行くベルリナが足を止めた。


「……誰」


 刀の柄に手を掛け、現れたその人物を見つめる。



「やれやれ、大所帯だな。とりあえずこっちは三人なんだが、誰が相手をしてくれるんだ」



 暗がりから現れたその人物の背中で、一纏めにした黒髪が揺れる。この寒さだというのに、彼のトップスはノースリーブで、そこからは顔に似合わず筋肉質な腕が伸びている。左手で鞘を持ち、右手は柄に添えられていた。


「へえ……あなたですか」


 ベルリナが言うと、現れた彼は小首を傾げた。


 そんな彼の後ろに控えるのは、笑顔を浮かべた桜色の短髪の少女、そしてモーブカラーの髪を肩のところで切り揃えた、見るからに青年。


 アンナはばつが悪そうに顔をしかめ、ウェズは期待に満ちた顔で目を見開く。


 ネスは────


「あ……」


 戦う決意を胸に、この場に来たつもりだったネスは────


「にい、さん……」


 兄の姿を見て、揺らぎかける決意。なんとか踏み止まるも、冷や汗が背を伝う。



「……」



 アンナは自分の後ろに立つネスが、動揺していることに一人、気が付いていた。

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