第八十四話 大切であるが故に

 約束通り時間きっかり、ルヴィスは十五時四十分には客室棟のへ現れた。


「では参りましょうか」


 言われて着いてきたのはネスの他にウェズと船医のハクラ、それに船医助手のルイズだけだった。ほぼ全員が酒に酔っており、動ける状態ではなく──呆れて溜め息をついたエディンは、「こいつらのお守りをしなければならない」と言い、その場に残ったのだ。


「私が御世話致しますので、エディン様も行ってらしては?」


 と、ヴィウィが言ったがエディンは頑なで、とうとう首を立てに振ることはなかった。


 因みに皆の食事の世話をしていたシナブルは、準備がある、とのことで十五時には退席をしていた。口数少なく溜め息ばかりついていた彼に声を掛けるのは少々躊躇われたので、ネスは食事を口に運ぶことに徹していた。




 十六時になった。


「それで、こんな場所でアンナとシナブルは一体何をするっていうのさ」


 ネス達がルヴィスに連れて来られたのは、客室棟からもう一棟先にある、城の最西側。視線を遠くに投げると真っ青な海が一望できる、とても見晴らしのよい場所だ。


 そして視線を眼前に戻すと、そこにあるのは──


「ルヴィスさん、これは……?」


 高さは五十センチ程、縦横は一メートル程の白練色しろねりいろの石が、正方形状にびっしりと行儀よく敷き詰められている。まるで何かの舞台のように手入れの行き届いたその石の大群は、一辺がおよそ三十メートルはあろうかという面積であった。


闘技台とうぎだいですね」

「闘技台?」

「ええ。説明を加えるならば、要はこの上で戦うのです」

「た……戦う?」


 ルヴィスの説明によると、この闘技台と呼ばれる物は城内に四つあり、王族達が各々戦闘訓練をする為に使われているらしい。

 そしてこの海側に面する、白さ眩しい闘技台の名こそ『壱番』というらしい。


「戦闘訓練っていうのは……殺し屋として力を付ける為にってことですよね」

「勿論です」



(微笑みながら言われてもなあ……)



 ルヴィスの魅力的な笑みにネスは苦笑する。


 ネス達のいる場所から向かって斜め右側に闘技台の観客席の様なスペースがあった。座席などがあるわけではないのだが、簡素な石造りのベンチがあり、ルヴィスが皆に座るよう案内をする。


「お、あれは」


 身を乗り出したウェズの視線の先に現れたのはシナブルだった。ひょい、と闘技台に飛び乗ると、暗い顔のまま無限空間インフィニティトランクから刀を取り出し帯刀する。


「おーい! シナブルー!」


 ネスが声を上げ手を振るも、こちらを向いて頭を下げたシナブルの顔はまだ暗い。


「なんであんなに暗い顔してるんすかね、シナブルさん」


 口を開いたルイズの意見に、ネスも「たしかに」と漏らし、首を捻る。



「シナブルはアンナと戦うのが嫌なんだよ」



 新たに現れた声に皆が振り返ると、そこにはエリックの姿があった。彼は着替えたのか、白いシャツに淡いグレーのベスト、それに同系色の濃いネクタイにスラックス姿だった。


 そんなあるじの姿を見てルヴィスとシナブルはスッと頭を下げた。


「シナブルもそうだったけど……音もなく背後に立たれると、びっくりするんだよね」

「すまないね、一種の癖のようなものなんだよ──殺し屋としての」


 エリックはニヤリと口角を上げながら、ネスの独り言に言葉を返した。


「それで、どうしてシナブルはアンナと戦うのが嫌なんだ? というかどうしてこのタイミングで戦闘訓練なんだ?」

「へぇ、これがアンナが言っていた『ネスくんの質問コーナー』ってやつか……」

「なんかそれエディンにも言われたんだけど、どれだけの人にそれ話してるんだよ、アンナは」



「おまたせ」



 シナブルの真向かい側から現れたのは、渦中のアンナだった。彼女も着替えを済ませたようで、クロスホルターのタイトなドレス姿だった──色は勿論いつも通り真っ黒だ。注目しろと言わんばかりに、短い丈のドレスから伸びる長い足。


 エリックにしたのと同様に、頭を下げる臣下達。


「あれ……アンナ、痩せた?」


 ナゼリアの町でアンナに再会した時に「アンナ痩せた? それとも太った?」とネスは彼女に聞いたのだった。あの場でアンナは「後で理由を話す」と言ったが、そういえば聞き忘れていたことをネスは思い出したのだ。


「……身籠っている時は人にもよるんだけど、体がふっくらする人もいるんだよ」


 こっそりと耳打ちをし、小声でエリックが教えてくれた。何故こそこそと耳打ちをしたのだろうかと一瞬ネスは考えたが、恐らくハクラかルイズか──事情を知らない者がこの場にいるのだろうと仮定する。



(なるほど、『母体転移』の術をした後だから、体型が元に戻ったのか。)



「ああ、それで肩慣らしに戦闘訓練ってことか」


 ネスの小声が聞こえたのか、アンナは肯定するような視線をこちらに投げ掛けた。


「それで、どうしてシナブルはアンナと戦うのが嫌なんだ?」


 当のシナブルはというと、ネスのこの言葉を聞いて気まずそうに咳払いをしている。否、咳払いというよりもあれはせている。


「怖いだけでしょ」

「違います」


 あるじの言葉を即座に否定する。不満げな様子の主は、目線を後方のエリックへと向けた。


「大切な人に刃を向けたくないんだよ、シナブルは」

「大切な人……」

「ネスくんだったらどうかな? 大切だと想っている人に刃を向けられるかな。それが訓練だとしても、だ」

「うーん……」


 腕を組み瞼を下ろし、ネスは頭を捻る。



──大切な人。戦える、大切な人。



 脳裏に浮かび上がるのは、闘技台の上に立つ血色の殺し屋。


(どうだろう……)


 思い出したのは故郷ガミール村からノルへと移動をしている時のことだった。あの時アンナはネスに訓練だと言い、容赦なくその刃を振り下ろしていたのだった。


「俺なら……出来ると思う。訓練だと割り切っているのならば」

「俺も君と同意見さ」

「なんだかそれは意外だな」

「そうかい?」


 例のごとくポケットに手を突っ込んだエリックは、そこにいつもあるものがないことを思い出しネスの顔を見て苦笑する。どうやら彼の禁煙は順調なようだった。


「シナブルはさ、真面目過ぎるんだよ。


 含みを持たせるような言い方が少し気にかかったが、そういえばシナブルの兄ルヴィスも同じ様な事を言っていたな、ということをネスは思い出した。



「観客、話は済んだ?」



 明らかに苛立っているアンナの声に「済んだよ」と答えるエリック。



「体も軽くなったし、本気でいくわよ」

「はい」

「あんたも本気で来なさいよね」



 言いながらアンナは少し下を向き、髪を一纏めに括る。



「返事が聞こえないわね」

「……はい」


 先程の返事よりもかなり小さな声に、アンナの眉間に皺が刻まれる。


「ねえ、エリック。シナブルに本気を出させるにはどうしたらいいと思う?」

「うーん、そうだねえ……何か罰があったらいいかもしれないね」



「罰?」



 主達の会話に顔を上げたシナブルの表情は、相変わらず堅苦しいものだった。


「例えば?」

「うーん、そうだねえ……シナブルが嫌がることだよね」

「エリック、あんまり酷いのは止めてよ」


 顎に手を当て、悪そうな顔をするエリック。その表情にシナブルは嫌な予感しかしない。


「こんなのはどうだろう? これからアンナが出国するまで、姫、アンナ様と呼ぶのを禁止してを呼ばせるっていうのは」



「「……なっ!」」



 重なるのは主と臣下の声。二人の顔は控えめに言っても──否、明らかに紅潮していた。


「これなら本気になれるんじゃないかな」


 いやだろう? と言葉に出さずとも分かるエリックの意地の悪い顔に、シナブルは何も言い返せない。





──思い出してはいけないことを、思い出してしまった。





「で、どうなんだい? これでいいのかな」


 そんなことが罰になるのかと、事の真意を理解出来ない観客達は、揃って当事者達に視線を送る。


「エリック、それって罰になるの?」

「なるさ、十分に」


 相も変わらず堪えきれずに疑問を口に出してしまうネス。しかしエリックの返答だけでは、何故それが罰になるのか未だ理解が及ばない。


「……意地悪みたいなもんなの?」

「まあ、そんなとこだね」



 一瞬アンナが目を伏せ恥ずかしがるような表情になったが、それに気が付いたのはシナブル一人だった。


「それで、本気を出せるの?」

「出したくはありませんが……よろしいのですか? だって、あの……その……」

「あたしは……構わないわ」

「ひ、姫……」

「こんなことでぐずぐずしてないで、さっさとやりましょうよ」


 腰の陽炎かげろうの柄をトントンと叩き、シナブルを睨むアンナ。


「ほら、みんな待ってるわよ」

「……分かりました。それでは、よろしくお願い致します」


 フロックコートを脱ぎ軽く丸めて足元に置くと、シナブルは右手でネクタイを緩めながら利手で抜刀をした。じりり、と右足を後退させ姿勢を低くすると、二十メートル程離れた位置で腕を組んで佇むアンナに控えめな視線を飛ばす。


「さて、始まるよ」


 エリックが言った刹那、ネスは音を立てて唾を飲み込む。




──────ザッ……。


 同時に地を蹴った二人分の足音────



──────キンッ!


 刹那、耳をつんざく金属音────。




「「──────ッ!」」


 


 風の波だ。



 二つの刃が衝突した衝撃で、激しく振動する空気。そこから生まれた空気の塊が、波となり観客達へと押し寄せる。


「うわっ!」


 あまりの風圧にウェズとルイズは耐えきれずに後方へ転んでしまう。


「情けないの、お前たち」


 地に尻を着けた若造二人を見下ろすのはこの場で最年長のハクラだった。三百年以上生きているとは思えない程屈強な肉体。衣服で隠れてはいるが、それは健在であった。


「だってようハクラ──ってうわっ!」


 観客達の会話の最中にも、舞台で踊る二人の殺し屋達の攻撃の手は止まらない。


「すげえ……」


 ウェズとルイズにはそこで何が行われているのか、はっきりと目で追うことが出来なかった。何度も何度も衝突しては弾き弾かれる二つの刃。


「──埒があかない」


 言ってアンナは一度後転して距離を取り──瞬間、無限空間インフィニティトランクから飛行盤フービスを取り出し装着すると、勢いそのまま地を蹴りシナブルとの距離を詰める────!



 それと同時に横に凪がれる彼女の刀。


 

──キンッッ!



「ぐっ!」


 シナブルはそれを己の刀で防ぐも、ざざっと地を滑り後退する両の足。


「真面目にやれっ!」

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