第八十三話 グランヴィ家の人々

──────コンコン。


────コンコンコンコン。


──コンコンコンコンコンコンコンコン!


「は、はい」


 緊迫さの漂う物凄い勢いで扉がノックされ、一瞬呆気にとられたコラーユ。はたと我に返り返事をするも、その声は若干上ずってしまう始末。



 ガチャリと扉が開かれ姿を現したのは、眼鏡を掛けた長身の男だった。無地のシャツに淡いグリーンのベスト、それよりも濃い色のネクタイは少し緩められている。上がりきっていた息が下がりつつあるのか、彼は呼吸を整えながら、手でパタパタと顔を扇いでいた。


「失礼します──あ! やっぱりここにいた! 駄目だろう、勝手にいなくなっては!」


 エドヴァルド、コラーユ、ルヴィス、そしてネスとエディンに順番に会釈をすると、その男はルーティアラとスティファンの首根っこを掴み姿勢を正させると、エドヴァルドに向かって頭を下げるよう促した。



(誰だろう? あ、ひょっとして……)



「申し訳ありません父上。遊び相手をしていたのですが、逃げられてしまって」


 言って自分も頭を下げる長身の男。

 ふんわりとアップにした髪が少々乱れているのは、脱走した幼子二人を探し回っていたせいである。


「なに、構わんさ」

「お忙しいというのに、失礼致しました。ほら、二人も謝りなさい」


 頭を抑えつけられ、酷く不満そうに声を上げる幼子二人。


「え~おじいま~、まだ遊びたい~」

「遊びたい~」

「また後でな」


 先程までのデレデレとした態度は何処へやら。エドヴァルドは低い声で言うと、ニヤリと口角を上げ、ルーティアラとスティファンの頭を撫でた。


「──フォン様」


 咳を払い、コラーユはちらりと男を見やる。その視線の意図を察したフォンと呼ばれた男は、顔を上げネスとエディンに向き直ると、服装を正して愛想良く微笑んだ。


「御客人の前で失礼を致しました。フォン・F(ファイアランス)・グランヴィ、この子達の父親です。騒がしくしてしまい、申し訳ありません──えっと……」


 王族らしからぬ低い姿勢で謝罪をするフォン。そんな彼の態度に謝罪をされた二人は少々戸惑う。


「エディン・スーラです」

「ネ、ネス・カートスです」


 エディンが名乗り頭を下げたのにネスも倣った。


「マリーさんの旦那さん……?」

「あ、そうです。妻子共々お世話になりっぱなしで!」


 フォンは見るからに人が良さそうだった。眼鏡の奥の瞳なんてルヴィスよりも柔らかだ。

 二、三会話を交わすとフォンは再度エドヴァルドに頭を下げると子供達の手を握り、出口へと向かう。


「ネスさん、エディンさん、また夕食の時にねー!」


 言いながらルーティアラが手を振る。二人が手を振り返してやると、幼子達は満足そうに王の間から出ていった。




「さてと……とりあえず御二方」


 咳払いをしながら玉座に腰掛けるエドヴァルド。ネスとエディンの視線が自分に向けられたことを確認すると、再び口を開く。


「先程の俺の態度というか……振る舞いについては、アンナには黙っておいてくれ」


 話したら殺す、と言いたげなエドヴァルドの目線に、ネスはごくりと唾を飲む。

 同様に緊張した面持ちのエディンの額を、一筋の汗が伝った。



「あなた。御客人を脅してどういうおつもり?」



 透き通るような凛とした声が王の間に反響した。


「げっ! ネヴィアス!」


 玉座の向かって右手にある扉の奥から、美しく長い金髪を揺らしながら一人の女性が現れた。その姿を見てコラーユは、すっと頭を下げる。


「『げっ!』とはなんですか」


 不満げな顔にも関わらず、漂う気品。整い過ぎていると言っても過言ではない、美しい容姿。齢五十を目前にしても尚衰えるこのとのない、その肉体。


「ネス・カートスさん、エディン・スーラさん、ようこそファイアランス王国へ。わたくしはこの愚かな国王の妻でネヴィアスといいます」


 ネヴィアスは長い髪とドレスの裾を翻しながら、エドヴァルドのやや後方の玉座に着席した。


「愚かなって酷くないか……?」

「事実でしょう? 娘にいい格好をしたいからといって、本性を隠し続けるなど愚の骨頂ですわよ」


 これに対し何も言い返せないエドヴァルドは唇を尖らせると、ぷいっとそっぽを向いた。


「全く、あなたって人は……」


 完全に臍を曲げてしまったエドヴァルドを尻目に、ネヴィアスは溜め息をつく。


「さてと、仕切り直さなければね──ネスさん、エディンさん、わざわざ来てくれてありがとう」


 これに対しどちらが口を開くか、目を見合わせて逡巡するネスとエディン。目線と顎の動きだけで意志の疎通を図るも、どちらが口を開くか決まらない。


(俺は無理だって! エディン、大の大人なんだろ? 頼むよ!)

(無理無理無理! 王妃様だぞ? 無理だ!)


 と言ったところである。


「そんなに緊張する必要はないのよ。友人の母親だと思って接して欲しいわ」

「友人の、母親……?」

「違うのかしら? ネスさん」


 少しだけ首を傾げるネヴィアス。肩にかかった髪が、さらりと揺れた。


「俺とアンナが友人……考えたこともありませんでした」


 母のように、姉のように──家族のように、いつだって守り、支えてくれたアンナ。



(──友人か。悪くないかもしれない)



「あの子はほんっっとうに友人なんていないから、仲良くしてやってね」

「え、いや、そんな……こちらこそ」

「ふふ。……それよりあなた、何をしてらっしゃるの」


 ネヴィアスの言うあなたというのは、エドヴァルドのことであった。彼は目頭を抑え、俯き気味に背中を丸めている。


「いや……まさかあのアンナが、友人を連れてくる日が来るなんて、思ってもみなかったから」

「だからって泣かないで下さる?」

「情けない……」


 ネヴィアスに次いで脇で控えるコラーユも溜め息をついている。



(そういえば……)



 王の間に入った途端、バタバタとしたせいでネスはすっかり忘れていたが、エドヴァルドの脇に控えるこの人は、ルヴィスとシナブルの父なのだ。


(似て……るな、確実に)


 息子二人の美しい髪色は父親譲りなのか、コラーユの短い髪は濃い藍色だった。すらりと背も高く体格もそれなりに良い。顔付きはどちらかと言えばシナブルに似ているが、目元の鋭さは眼鏡で多少隠れていた。


(性格も確実にシナブル寄りだな)


 ネスは王の間に入る時のやりとりを思い出し、内心一人納得をする。


「そんなことより、ネスさん。わたくし達は今一度あなたにお礼を言いたいのだけれど」

「お礼、ですか?」

「ええ。正確にはあなたの父に、なのだけれど──今一度あなたからシムノンに、わたくし達の感謝の気持ちを伝えてほしいのです。少しだけお話を聞いてくださる?」





──血眼病けつがんびょう


 その恐ろしい病がファイアランス王国で流行のピークに達したのは、今から十年前のことだった。


 人を殺めすぎた者が──その目で血を見すぎた者がかかる、進行性の病。罹患者は徐々に視力が落ち、片目を失明し、全盲になり、最終的には命を落とすという恐ろしい病。


 ここファイアランス王国では王族をはじめ、かつては国民の中にも殺し屋と呼ばれる者が多く存在していた。

 現在は国王エドヴァルドが血眼病けつがんびょうの流行をきっかけにを廃止したので、国民に殺し屋はいないのだが。



 殺し屋達の末路──それが血眼病けつがんびょうだった。



 当時病に対する特効薬は無く、罹患者は死を待つのみ。この病気のせいで、命を落とした者は数知れず。

 罹患していた国王すら死を覚悟していたその時現れた救世主こそ、賢者として名高い男──シムノン・カートスだった。


『数年前からちょっと研究してたんだよな。俺のの戦姫さんの母国が、ちょっとばかし困ってるみたいだったからさ』


 そう言った彼は大量のあやしげな色の液体を取り出した。


『何千人と患者がいるんだろ? イチイチ飲ませてる暇はねえ。一刻を争う奴もいるかもしれねえ』


 シムノン曰く、

『この液体を俺の神力ミースを使って霧状にして上空から散布する。なあに、罹患していない奴が吸っても無毒だ』


 仲間と共に液体を抱えシムノンは上空に飛び上がった。


 その二時間後、ファイアランス王国では歓喜の声が国中を包み込んだのだった。





「なんだか凄い話だったね」

「だな」


 王の間を後にし、ネスとエディンはルヴィスに連れられ客室棟へと足を進めていた。


「父さんがここまで凄い賢者だったなんて……」

「世界で一番有名で実力のある賢者だと言われていますからね」


 ちらりと振り返りルヴィスが言った。


「確かに父さんは凄い……でも俺だっていつかは──!」

「目標を高く持つことは良いことだぞ」

「そうかな」

「俺はそう思うけどな」


 エディンが言い終えた所で、三人は客室棟の入口に到着した。棟の奥の方からは、海賊団の皆のどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。


「あいつら……飲み過ぎてないか?」


 腕を組み、立腹した様子の船長キャプテンは、ルヴィスに頭を下げ礼を言うと、指の関節を鳴らしながら宴会場と化した部屋へと踏み込んで行った。


「そうだ、ルヴィスさん」

「はい?」

「アンナが言ってた『壱番』っていう所に、十六時に行きたいんですが」


 アンナがシナブルに「あれをやるから来い」と言っていた時間と場所。ネスは「勉強になるから見に来い」とアンナに言われたものの、場所なんて分かるはずがない。


「ああ、先程の話ですね。かしこまりました、では十六時に間に合うよう、二十分前にはこちらに御迎えに上がります」

「え、いいんですか?」

「問題ありませんよ、よろしければ他の皆様にも是非声をお掛け下さい」


 そう言って微笑んだルヴィスに、ネスは頭を下げる。

 料理の匂いに誘われネスが部屋に踏み込むのを待って、ルヴィスはその場を後にした。



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