第八十話 妹から姉へ
王の間へと続く回廊を左手に進むと、王子や王女、臣下達のプライベートルームで固められた棟が二つある。内側の棟は臣下達が使用しているが、外側の棟は王子と王女達の私室で、部外者が立ち入ることなど出来ない場所であった。
その一階──短い渡り廊下を抜けた、一番手前の豪奢なドアの前。
「姉上、アンナです」
コンコンとドアをノックし、返事を待つアンナ。その後ろではレスカとベルリナが、背後の窓から降り注ぐ太陽光を背に受けながら、マリーとの対面を今か今かと待ちわびている。
ガチャリ、とドアが開いた、次の瞬間──
「アンナちゃーんっ!」
「げふっ!」
飛び出してきたのは二人の子供。四、五歳位に見える二人は、アンナの腰辺りにしがみついて離れようとしない。
「アンナちゃん、ひっさしぶりー!」
ライムライトの薄明るい金髪の少女が、丁寧に結われた長い髪を揺らしながら笑う。
「ひっさしぶりー! 遊んで、ねえ、遊んでえーっ!」
ライムグリーンの薄明るい緑髪の少年が、バタバタと足踏みをしながら叫ぶ。
「こら! ルーティアラ! スティファン! アンナ様が困っているだろう」
その仲裁に入ったのは、背の高い男だった。少年のものよりも少し濃いめの髪は、柔らかくアップにしており、その剥き出しの額の下には縁なしの眼鏡が乗った高い鼻。
「フォン
まとわりつく二人の子供を優しく引き剥がしながら、アンナは義兄に頭を下げた。
マリーローラーンの夫──フォン・F(ファイ)・グランヴィ。物腰が柔らかな彼の眼鏡の奥の目元は、非常に優しげであった。
「賑やかですねえ」
「ですねえ……」
この光景に少しばかり圧倒されているベルリナとレスカ。お目当てのマリーの姿は見当たらず、そわそわと目線があっちへこっちへと動き回っている。
「お騒がせして申し訳ありません、ベルリナ様、レスカ様。ルーティアラ、スティファン、ご挨拶は?」
「可愛いですね、ベルリナさん……」
「ええ、私も今全く同じことを言おうと思ってました」
レスカとベルリナが子供達をしげしげと眺めていると、金髪の少女ルーティアラが「あー!」と大きな声を上げた。
「おねえさん、ライル族! それに魔法使いなの!」
「あー! ほんとだほんとだ! すっごーい!」
ルーティアラの声に連れて反応するスティファン。二人はレスカとベルリナの周りをパタパタと駆け回っている。
「騒がしくて、ごめんなさい」
そんな中、部屋の奥から悠々と現れたのはアンナの姉──マリーローラーン。
肩にかからない長さの、娘と同じ色の髪。母親似の秀麗な目元、目にも鮮やかな色を乗せた薄い唇──絵に描いたような美しさを兼ね備えた彼女は、客人達を一瞥すると、にっこりと微笑んだ。
「美しい……」
溜め息混じりに呟いたのはベルリナだ。彼女が女性好き──ということはさておき、現ファイアランス王国において、暗殺部実力トップのマリーローラーン──彼女の姿を拝むことは、そう容易くはないのだ。
ベルリナはそんな念願の彼女の姿を目に焼き付けようと、一歩、また一歩とマリーとの距離を縮める。それを不思議そうに見つめるマリー。
「さ、立ち話もなんだし、どうぞ中へ」
何かを嫌なものを感じ取ったマリーは、体をスッと反らすと、客人達を部屋の中へと招き入れた。
「それじゃああなた、しばらく子供達をよろしくね」
「ああ、任せておいて。たっぷり遊んでくるよ」
ネクタイやシャツを子供達に引っ張られ、困り果てた様子のフォン。「それでは失礼します」と挨拶を済ませると、そのまま子供達に引きずられるようにしてその場を後にした。
「どうしたのよアンナ」
腰に手を当て、遠退く義兄たちの姿を見つめるアンナ。
「いや、別に」
「別にって顔、してないわよ」
「……ほんっと姉上はこういうとこ、鋭いわよね」
「これでもあなたの姉だもの。そのくらい分かるわよ」
で、どうしたの? と片目を瞑るマリーには敵わないなと観念したアンナは、溜め息混じりに本音を漏らす。
「いいなって思ったのよ──家族って」
「らしくもないことを言うのね」
「そう言われるのが分かっていたから、言いたくなかったのよ」
今まで散々、数え切れないほど他人の命を奪い──その者達の家族を絶望させ、世間からも憎まれ続けている殺し屋の彼女。
その口から、まさかこんな言葉が出る日が来ようとは。
「でも……まぁ、あなたも、
言いながらマリーは、アンナの下腹部にそっと触れた。
「姉上」
「なに、改まって」
広い廊下にいるのはアンナとマリーだけだ。窓から入る光によって、足元の絨毯には長い影が室内にまで伸びている。
「面倒事を押し付けて、ごめんなさい」
姉の方を向き頭を下げたアンナの影は、彼女の動きにつられて腰の部分で半分に折れた。
「頭、下げすぎよ。父上にもそんなに下げたことないんじゃない?」
「からかわないでよ」
顔を上げ、恨めしそうな声でアンナは言う。
「それにね、アンナ」
「──なに?」
「こういう時は、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうって言うのよ」
「そう……じゃあ、ありがとう、姉上」
「じゃあって何よじゃあって」
そう言って笑った姉につられて妹も笑う。
姉は久しぶりに見る妹の自然な笑顔に内心驚きつつ、彼女を変えてくれたのは誰なのかと考えながら──部屋のドアを閉じた。
*
「さてと、それじゃあ早速始めましょうか」
王の間ほど豪奢すぎない、少し控え目なマリーのプライベートルーム。
その窓際に置かれた布張りのソファに、アンナとマリーは対面するように座った。
「ベルリナ様とレスカ様は、どうぞこちらへお掛け下さいませ」
音もなく現れた背の高い女性に、レスカは驚きながらも促されたソファへ腰掛けた。ベルリナは
「エカルラート」
マリーに名前を呼ばれた彼女──エカルラートは、ソファの中心にあるコーヒーテーブルに紅茶と菓子を並べ終えると、深々と頭を下げた。
「申し遅れました。エカルラート・グランヴィと申します」
国王エドヴァルドの妹──カメリアの娘である彼女は、アンナよりも一つ年下である。母の名のような美しいカメリアピンクのベリーショートヘアーに、少しつり上がったアーモンド型の瞳、きつく結ばれた唇。
王妃ネヴォアスの姪ヴィウィや、シナブルとルヴィスの母サンが身に付けていた物と同じ、女性物のスーツを身に付けている彼女。その上からでも分かるくらい、彼女のスタイルは抜群であった。
「魅力的です……」
呟いたベルリナを、アンナは目敏く睨み付けた。
「ベル、さっさと──」
「分かっていますよう」
さて、とベルリナは立ち上がるとアンナとマリーを一瞥し、今までとは別人のように真面目な顔付きになった。
「アンナさん、マリーさん──それでは始めますが、よろしいですか?」
「ええ」
「よろしく頼むわ」
「分かりました、では──」
ベルリナは上着──騎士団の濃いグレーの軍服を脱ぐと、それをアンナの膝に広げて掛けた。
「服を捲って、腹を出して下さい」
アンナはベルリナの気遣いに驚きながらも、黒いドレスの裾を腹の上まで引き上げる。対してマリーはアメリカンスリーブのトップスにセパレートのパンツ姿。小花柄のトップスの裾を引き上げると「これでいいの?」と小首を傾げた。
「はい。すみません、少し失礼します」
ベルリナは胸の前で両手を合わせると、一人で握手をするようにそれをきつく握りしめた。
「ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩ」
その場の誰にも理解不能な言葉を早口で唱えると、彼女の両手は柔らかな黄金色の光に包まれた。
「きれい……」
呟いたレスカの横を通りすぎ、光輝くその右手をアンナの腹へと伸ばすベルリナ。人差し指でそこに触れると、輪を描くように何やら書き始めた。これもまた誰も見たことのない文字で、かなりの速さで書き終えたベルリナは、今度は左手で同じ様に、マリーの腹へとそれを書き上げた。
「ⅩⅩⅩⅩⅩ ⅩⅩⅩ ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩ ⅩⅩ!」
バッとアンナへ向けて右腕を突き出すベルリナ。すると──
「えっ……あ…………」
アンナの腹からすうっと出てきたのは、片手に収まる程度の大きさの、眩い光を放つ白っぽい球体。
「ベル……これって」
「そうです」
球体が腹から完全に出ると、少し膨らみを増していたアンナの腹部は自然な形へと萎んだ。数ヵ月前の、今まで通りの引き締まった腹を見つめた彼女は、少し名残惜しそうに球体を見た。
「では、マリーさん」
「ええ、いいわよ」
「ⅩⅩⅩⅩⅩ ⅩⅩⅩⅩ ⅩⅩⅩ ⅩⅩⅩⅩ!」
マリーへ向かって突き出したベルリナの左腕に引かれるようにして、その球体はマリーの腹へと向かい、そして──
「へえ……」
ゆっくりとマリーの腹へと吸い込まれていった。
「さて、アンナさん。私が死んだ時の為に、この術の解除条件を決めねばなりません」
「死んだ時の為?」
「はい。私が生きていれば、この三人が揃えばいつでも術を解除することが出来ます。しかし、私が命を落としてしまったら、条件を設定していないと解除できないのです」
「あんたが死ぬなんてことがあるわけ?」
冗談を交えない口調でアンナは言う。ベルリナがこんなことを口にするのを初めて聞いたが故である。
「ありますよ。魔法使いとはいえ、肉体の転移魔法を使う前に心臓や頭を貫かれれば、普通に死にます」
「そう……そうね、じゃあ──」
アンナが提示した母体転移の解除条件。
一、戦いが無事に終わり、せかいのおわりを阻止し、全てを見届けることが出来れば自然解除することが出来る。
ニ、マリーの命が危うくなった場合、無条件で自然解除することが出来る。
三、アンナが命を落とした場合でも、子はマリーの中から転移されない。
四、アンナが術の解除を望んだ場合、一から三に当てはまらなくても解除することが出来る。
「ちょっと待ってよアンナ。三なんて、あり得るの? 何を弱気な──」
「姉上、聞いて」
「なによ」
萎みきってしまった腹を見つめながら、アンナは言う。
「何が起こるか分からないもの。その子まで道連れにしたくはないのよ」
「それ、説明になってないわよ」
「保険よ。あたしだって、もう昔のように強くない。最強の殺し屋だなんて呼び名は、ただのお飾りだもの」
「…………そう、わかったわ」
「では、これでよろしいのですね」
アンナとマリーが頷いたことを確認すると、ベルリナはとびきり長い呪文を唱え、最後に大きく手を打った。
パァンっという音が消え沈黙が訪れると、二人の腹に書かれていた文字は消え失せた。
「お疲れ様でした」
長く息を吐き出すと同時に、ベルリナは崩れ落ちるようにソファへ倒れ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます