第八十一話 内緒話は紅茶と甘い菓子を添えて
「ベル!」
思いがけず倒れ込んだベルリナに駆け寄るアンナ。
「大丈夫です……大丈夫です。この術は
アンナがベルリナに触れようと手を伸ばすも、彼女は片手を上げてそれを制し長く息を吐くと、ソファへ深く腰掛け天を仰いだ。
魔力は魔法使いと魔術師だけが持つ、特別な力。それぞれ生まれ持った魔力の器に応じて魔力量が決まっているので、それを増大させることは
この魔力量が多い者ほど、高度な魔法を使いこなすことが出来る。ベルリナ・ベルフラワーは生まれ持った魔力量が特別に多く、禁術に近いこの「母体転移」もギリギリ使いこなすことが出来るのだ。
「アンナ……さん……」
「なに?」
息も絶え絶えに言うベルリナに、恐る恐る近寄るアンナ。
「お願い、忘れていませんよね?」
アンナが口を開くよりも早くそろりと立ち上がったベルリナは、大きく腕を広げると──
「えいっ!」
かばっ、とアンナに抱きついた。
「至福。柔らかい。最高」
小柄なベルリナがアンナに抱きつくと、丁度お目当ての位置に顔が填まるのだ。
「う……まあ、約束だし……仕方ないか……」
どうしたものかと宙を彷徨うアンナの両手は、最終的にベルリナの両肩へと添えられた。
「ベルリナさん、すごいなあ……」
ベルリナの行動に、レスカまで呆れ返ってしまう始末である。
「ちょっと、アンナ」
満足したのか、ベルリナがアンナの胸から顔を上げたのを見計らい、声を上げたのはマリーだった。
「なに、姉上?」
姉の纏うただならぬ空気に違和を感じ取ったアンナは、訝しげに彼女を見つめた。
それを見てベルリナも、そっとアンナから体を離し、ソファへと腰を下ろす。
「それ、まだ持っていたの? どういうつもり?」
立ちあがりアンナに詰め寄ったマリーは、彼女のドレスの裾をスッと、引き上げた。
左太股にバンドで固定されていたのは、美しい装飾の施された短刀だった。
「これはレンのでしょう?」
「あたしのはこっちにあるわよ」
言ってアンナは、同じ様に右太股に固定されている短刀を素早く抜いた。
デザインはそっくりな短刀だが、持ち手にはめ込まれた宝石が違う。はめ込まれているのは持ち主の誕生石で、それは誕生祝いに祖母アリアが孫たちに送った物だった。
「そういう意味じゃなくて──」
ペリドットがはめ込まれた左側の短刀を睨み付けながら、マリーは言う。
「あなたを苦しめたその短刀を、持っている意味を聞きたいのよ」
十八年前の内乱時──この短刀を使って
捨て置かれたこの短刀をアンナは拾い上げ、己の物とし、共に戦って来たのだった。
「兄上に対する憎しみを忘れない為よ」
忘れたかった。忘れるべきだった。頭では理解していた。
現に、あの時のことを夢にみては目を覚まし、恐怖と寂しさのあまり、その都度男に体を求めてきた。
一時的でもいい、この絶望の沼から自分を引き上げて、誤魔化してくれるのならば、忘れさせてくれるのならば──と。
それがエリックだったことも、シナブルだったこともあった。
「もう、いいじゃない」
「いいわけないでしょ!」
アンナは怒鳴る。姉を睨み付けながら、両手で彼女の襟首に掴みかかった。
「フェルは……一人で死んだのよ。ヴェルミヨンだって、マンダリーヌだってそうよ! フォードは……この腕の中で死んだの! それを……許すなんて!」
「アンナ様ッ!」
エカルラートが割って入る。アンナとマリーの肩を掴み、無理やり引き剥がした。
「お止め下さいッ!」
「いいのよエカルラート──────アンナ」
「なによ」
逆上し、アンナは髪を逆立てている。強く握られた拳からは、血が滴り落ちていた。
「苦しむあなたを、一人で全てを背負っているあなたを……見守ることしか出来ない、こっちの身にもなりなさいよ! あなたは……母上の気持ちを考えたことがあるのッ?!」
「母上……」
アンナは思い出す。自分もナゼリアの町にいた時に考えていたではないか──傷付く自分達を見て、母はどんな気持ちだったのだろうか、と。
「あの時母上は、フェルの死も受け入れられないままレンに腹の子を殺されて……目の前であなたまであんな目にあって……いいえ、それ以前から母上は! いつだって仕事仕事といって傷付いてばかりのあなた達を見て、どれだけ心を痛めていたか!」
マリーの言う通りだった。
幼い頃から後継者として──次期国王として、特別厳しく育てられたアンナ。そんな妹を見て、可愛い妹の負担を少しでも減らせればと、敢えて激しい戦いの中に身を置き続けた兄レン。同じ血色の髪を持った弟のフェルメリアスは、アンナに
「母上はいつも言っていたわ。『こういう国に嫁いだのだから、受け入れないとね』って。優しい母上が、どれだけ心を殺して傷つくあなた達を見てきたか!」
「姫様、大きな声を出されては御体に障ります。どうぞお掛け下さい」
「……エカルラート」
臣下に促され、眉間を押さえながらマリーはソファに身を預けた。言うまでもなく、術を施された彼女はアンナの代わりに身重の身。
「ごめんなさい……言い過ぎたわ」
「いや、あたしこそ何も分かっていなかった……ごめん」
「私に謝る必要はないわ。そうね、式までに母上と少し話をしなさいな」
「……そうするわ」
下を向いていたアンナが、ハッとして顔を上げた。振り返り気まずそうに目を伏せると、逡巡した後に口を開いた。
「ごめんなさい、ベル。客人の前で騒がしくしてしまって」
「気にしてませんよう」
「そう……ところで、レスカは?」
すぐ傍のソファに座っていた少女の姿がいつの間にか消えていた。
「先程お手洗いだと言って席を外されましたよ?」
エカルラートの言葉に、アンナとマリーは驚いて唇をへの字に曲げた。
「ちょっと白熱し過ぎていたみたいね」
「姉上がね」
「な、なにようっ」
と、マリーが頬を膨らませたところで、レスカが戻ってきた。気のせいか、少し足取りがふわふわとしているようにも見える。
「レスカ、大丈夫?」
若干顔の青いレスカを見て、アンナは心配そうに声を掛けた。
「だ、大丈夫ですよ!」
「……そう?」
顔の前でひらひらと手を振るレスカ。
「そうだ! そんなことより!」
パンっと顔の前で手を打つレスカ。相変わらず切り替えの早い少女である。
「アンナさん、聞きたいこと……と、相談したいことがあるの!」
「ん、なに?」
ソファに座り、冷めた紅茶に口をつけようと手を伸ばすアンナ。すかさずエカルラートが入れ直した熱々のそれを彼女に差し出した。
「ありがとう」
「いいえ」
アンナの向かいで一足先にティーカップに口を付けていたマリーは、美味しそうに目を細めている。
エカルラートはレスカにも座るよう促すと、淹れたての紅茶と菓子をレスカの前に差し出した。
コーヒーテーブルの上に広げられた甘い香りを放つ菓子達に、レスカは釘付けである。
「で、レスカ、なに?」
ドライフルーツ入りのパウンドケーキを頬張るレスカを、アンナは横目でチラリと見やる。
「さっきちょこっと見えたんだけど、アンナさんの左脇腹の格好いい刀傷、何なのかなあって。他の所には傷なんて無いのに、あれだけ異様に目立っていたから」
「ああ……あれね」
「私も気になりますうっ!」
気まずそうに目を反らしたアンナの視界に、素早くベルリナが侵入する。
「ベルまで…………はぁ……」
ベルリナの熱い視線から逃れる事が出来ず、アンナはただ溜め息をつくことしか出来ない。
「「聞きたい! 聞きたい!」」
「声を重ねなくてもいいから!」
「「だってー!」」
握りこぶしをブンブンと振る様子まで、見事に揃えるベルリナとレスカ。
「いいけど、面白くも何ともない話よ?」
「アンナさんの話が、面白くないわけがないんですう!」
と、腕を組み何故か得意気なベルリナ。
「はあ……これはね、昔ちょっと……エリックと出会った時に刺されたのよ」
「「……」」
「跡が残りそうな傷は嫌だから、綺麗に治療してきたんだけど……この傷だけは、
「「重っ……」」
流石の二人も、語ったアンナの表情を見て、これ以上踏み込むべきではないと察したようだ。話の続きを催促することもなく、目の前の菓子を黙々と口に詰め始めた。
「ん、それでレスカ。相談っていうのは?」
もじもじと、柄にもなく恥ずかしそうなレスカの態度にアンナは首を傾げながらフィナンシェを口に運ぶ。
「ええっと……えっとね……」
口を開いたレスカは、恐る恐る言葉を紡ぎ始めたのだった。
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