第六十二話 悪魔との再会

「エ……エリック!?」


 ネスとアンナが同時に叫んだ。


 渦中のエリックは煙草の煙を吐き出し、それをミカエルに投げつけて彼を睨んだ。


「おっと、煙草は駄目だよエリック」

 受け取ったそれを手の中で燃やし尽くしながら、ミカエルはクツクツと笑った。

「お前にどうこう言われる筋合いはないな」

「へえ……君はまだ知らないのかい?」

「……? なんのことだ」

「あのね、エリック」彼の腕の中で、ごそごそと身を捩りながらアンナは口籠る。「あとでちゃんと話すから、今は待って」

「──わかった」


 エリックはそっと腕をほどき、アンナを解放した。

 皆の輪の先頭にいたエディンがアンナをちらりと見やり、彼女に無言の圧力をかけた。


 睨み合った二人は、視線のやり取りだけで会話をする。


(エリックにちゃんと話せよ!)

(うっさいわね! 分かっているわよ!)



「そうだ、エディン」


 アンナは無限空間インフィニティトランクから錆色さびいろ神石ミールの付いたピアスを取りだし、それをエディンに放った。


「これしか取り返せなかったの。忘れないうちに返しておくわ」

「……ああ、すまないな」

「気にしないで」


 ということは、他の四つの神石は『無名むめい』に奪われたままだということだ。

 ネスはそっとアンナの表情を盗み見たが、想像通り彼女は悔しそうな顔をしていた。 



「ところで、ねえエリック、どうして」


 悔しそうな顔から一転、アンナはエリックの顔を見てひどく戸惑っていた。彼女だけではない。エリックの唐突すぎる登場に、その場にいる皆が驚きざわついていた。


「誰だあいつ」

「俺知ってる! エリック・ローランドだろ、情報屋の」

「アンナさんとどんな関係なんだ?」

 などと皆口々に言い合っている。


「エリックさんはアンナさんの婚約者フィアンセだよ」


 ウェズの言葉に皆が「ええええええええっ!」と声を揃えて叫ぶ。

「お前らなあ……うるさいぞ。先に船に戻っていろ」

 船長命令だ、逆らった者は晩飯抜き! というエディンの怒号に、船員たちはしぶしぶ船へと足を向ける。


「アンナさ~ん! 待ってるからね~」

 というハイルのねちっこい声に、アンナは手を上げて応えた。


「レスカ、お前も戻るんだ」

「なんでよー! ウェズは残るのに?」

 レスカは頬を膨らませてエディンに突っ掛かった。

「ウェズは……ちょっとアンナと話があるんだ」

「何それー! ズルい!」

「いいから戻れ。船長命令だ」

「っちぇー」


 物凄く不満です、という表情を顔に貼り付けて、レスカはその場を離れていった。



 残されたのはネス、アンナ、エディン、ウェズ、ミカエル、そしてエリック。


 レスカの背が遠くなるのを待って、エリックが口を開いた。


「探していたんだ、ずっと。ブエノレスパに君を迎えに行った時、エディンから怪我をしたと聞いて、心配で──」


 少し焦りを感じさせるエリックの口調。アンナの戦った相手が兄のレンだということを、エリックは危惧していた。


「ミカエルが治してくれたし、もう、大丈夫よ」

「──兄上は」

「後で話すわ」

「そればっかりじゃないか」

「今この場では話せないもの」

「そうかい。ところでアンナ、少し痩せたかい?」

「……それも後で話すわ」

「痩せた理由を?」


 先程ネスと交わした会話とは若干違っていたが、繰り返される同じようなやり取りに、ネスとウェズは揃って笑い声を上げた。


「俺はそろそろ失礼するよ」


 皆から少し離れたところにいたミカエルが、頭の後ろで手を組み、つまらなそうに言った。


「色々ありがとう、ミカエル」

 とアンナが言うと、

「こちらこそ、毎度」

 とミカエルが片手を上げて返した。

「アンナ」

「なに」

「死ぬなよ、絶対に」

「当然」


 何故だろう、淡々とした二人の会話に、ネスは背をぞわりと撫でられるような感覚を覚えた。


「そんじゃあ皆さん、ごきげんよう」


 紳士のように御辞儀を済ませると、銀髪のエルフ──ミカエル・フラウンは、足早に街の方へと歩き去って行った。



「さてこれでやっと本題に入れるな」


 ミカエルの姿が完全に見えなくなったところで、エディンが口を開いた。耳のいいエルフが近くにいては、話したいことも話せない。

 尤も、この程度の距離ならば、ミカエルは聞き取ろうと思えば、聞き取ることが出来るのだが。


「ウェズ、ネスにはちゃんと話したんだったな」

「ああ」

「エリックに聞かれても構わないか?」

「ああ」

「わかった」


 エディンはアンナの真正面まで歩いていき、立ち止まると頭を下げた。ウェズもそれに倣う。


「何の真似?」

「頼みがあるんだ、アンナ」

「何よ」

「ウェズをお前たち二人に同行させてやってほしい」


 二人というのはネスとアンナ、二人のことだ。多忙なエリックが同行出来ないことくらい、エディンには分かっていた。


「嫌よ」

「頼む、理由を聞いてくれ」

「断るわ」

「どうしてだ」

「……」

 目を逸らしたアンナは何も答えない。

「またお前は何も言わないのか」

「……」

「おい!」


 冷静な口調だったが、エディンはアンナの胸倉を激しく掴んだ。ほんの少しだけアンナの体が持ち上がる。

 ネスとウェズが止めに入ろうと、口と足を動かしかけたが、肝心のエリックは険しい顔で腕を組んだまま微動だにしなかったので、二人は踏みとどまった。



「……嫌なのよ」

「え?」

「もう、大切な人を失いたくないのよ」


 アンナの言葉にエディンは驚き、彼女の胸倉から手を放した。


「怖いのよ。自分のせいで、誰かが死ぬのは──もう、懲り懲りなのよ」


 十八年前に、大切な人々を失った彼女。それを自分のせいだとずっと責め続け生きてきた彼女は、自分の傍に大切な人を置くこと──以前に、人を大切に思うことを恐れていた。

 しかし今の彼女には大切な人が、守りたいと思える人があの時以上に増えてしまった。


──葛藤。


「ネスは、連れて行くのにか」

「ネスは……『俺は絶対に死なない』と言ってくれたから」

「そうか。話してくれてありがとう」

「アンナさん、俺は……!」


 アンナとエディンの会話に、ウェズが割って入る。


「アンナさんが俺のことを大切だって言ってくれるのは、すごく嬉しい。『あの時十一年前』救ってもらったこの命、俺も大切にして生きてきた。けど、今回は──!」


『リリリリ!』


(──ん?)


『リリリリ!』


 聞き覚えのあるこの音。ネスは直ぐにそれが、アンナの通信機の受信音だということに気が付いた。

 アンナは出る気がないのか、ウェズの言葉の続きを待っているようだったが、あまりにも音がしつこいので、舌打ちをすると「はい」と言って耳に手を当てた。


『あ、翁、翁、やっと出ましたよお』


 丸っこく柔らかな印象の声の主が、立体映像と共に現れた。

 騎士団の制服。ラベンダーグレイの髪を肩の上で前下がりに切り揃えた女性だ。細い目をにこにこと弛緩させていたが、アンナに一睨みされると、エメラルドグリーンの瞳を凝らして、気まずそうに身を引いた。


『あらー、翁、なんだか御取り込み中だったみたいですよ。いいんでしょうか?』

『構わん構わん』


 映像の後ろの方で、椅子に腰掛けたまま翁が軽くあしらった。


「いや、構うわよ! 大事な話をしていたっていうのに、何よ。ていうか誰よ」

『怒られたじゃないですかー』

 

 彼女は背後の翁を一瞥すると、『こほん』と改まり、頭を下げた。


『第二十騎士団長ユミリヤ・ユキヤナギです。同じティリスなんですもの、戦姫さんとは仲良くしたいのだけど』


 ふふっと上品に微笑むと、ユミリヤは細めた目を少しだけ開いてぐるっと周りを見渡した。


『翁、翁、ネス・カートスさん、アンナ・F(ファイ)・グランヴィさん、エディン・スーラさん。三名ともいらっしゃいますよ。それにあとは……可愛らしい男の子と──あら、エリック・ローランドさんもいらっしゃいます』

「か……可愛らしい男の子!?」


 すかさずウェズが反応した。消去法を取るまでもなく、それは彼を指す言葉だったからだ。しかし流石のウェズも場の空気を読んだのか、それ以上の突っ込みは入れず、むぐぐ、と口を噤んで引き下がった。


『エリック・ローランドがおるのか? おーい、ゼア! 聞こえたか?』


 どうやら通信機の向こう側には、画面に──というか、立体映像として現れてはいないが、他にも複数の人物がいるようだった。


「ゼアって……ゼア・ゼフィランサス第六騎士団長?」


 ネスはブエノレスパで出会った、左目に眼帯をした女性のことを思い出した。


『ゼアー、聞こえとらんのかゼアー! エリック・ローランドじゃとよ! 左目の、恨みの一つでも言ってやりいや』


(左目──眼帯──エリック?)


 首を捻ってネスはエリックを見つめた。彼は大して興味がないようで、顔色も変えずに様子を伺っている。


『何も言うことなどありませんわ』


 姿は現さなかったが、通信機の向こう側で、ゼアはきっぱりと言い張った。

『十一年前にこの左目が潰されたのは、わたくしが未熟だったゆえのことです。寧ろ、わたくしが恨みを言いたいのはイリスの──いえ、イシュファーのことですわ』


「なあアンナ、十一年前って……ひょっとしてだけど、騎士団壊滅事件ってやつのことかな?」

 恐る恐るネスは小声でアンナに問うた。

「そうよ」

 と、アンナは言うと少し背伸びをして、ネスの耳に手を当てて小声で続ける。

「あたしが当時、第五騎士団長だったイリス・イベリスの夫を殺したのを、インパチエンス家とその分家が恨んでるってわけよ」

「ああ……なるほど」


(だからあの時、イリスはアンナを睨んだのか)


『まあしかし、ですわ。今この状況で長々と恨み節を吐くつもりはありませんわ。わたくしも、そのくらいはわきまえております。では』


 ゼアの言葉はそこで途切れた。結局エリックは表情を崩さず、言葉を発っすることもなかった。


 虐殺王子──というのが昔の彼の二つ名だった。


 勿論ネスもそれを思い出し、アンナに再度声を掛けようとしたが、突然発せられた大きな「くしゃみ」によってそれは中断された。


『すまんすまん!』


 くしゃみの犯人は翁。


 場の空気が少しだけ弛緩した。


『本題に入るぞい。破壊者デストロイヤーの今後の指針についてじゃ』

「ちょっと待って翁」

 肩の高さで小さく挙手をするアンナ。

『ほい戦姫いくさひめ

「今ここで話したら、恐らくミカエル・フラウンの耳に届く」

『やはりあやつがおったのか』

「やはり?」

 怪訝な顔をしてアンナは翁を睨んだ。

「とりあえず──エディン、船に一旦乗せてもらって、翁の話を聞くってのはどう? ウェズのことはその後よ」

「ああ、いいぞ」


 アンナとエディンのやり取りに、ウェズは目を輝かせた。きっと内心では『タラップ出しておいてよかったぜ!』とガッツポーズをしているに違いない。 

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