第四章 great difference―雲泥―

第六十一話 ネスの夢が叶うとき

 ジョース破壊者デストロイヤーエディン・スーラ率いるミリュベル海賊団が、アンナとの約束の地「ナゼリア」に到着したのは、一行がリヴェとリュードの兄弟と別れてから五日後のことだった。


 季節は進み、六月。


「どうしたんだネス」


 船縁ふなべりに手を掛け、海を眺めていたネスに声を掛けたのは、派手な金髪の男──ウェズ・レッダだった。

 彼の強烈な風貌にも、ネスはだいぶ慣れていた。右腕全体に彫られた十字の刺青も、昔アンナに憧れて彫ったものなのだと彼から聞いてからは、抵抗なく受け入れる事が出来た。

 


 ライランデ半島を出港してから、ネスは毎晩ウェズに謝っていた。というのも、この船に『無名むめい』が襲撃してきた際にルークの披露した『歌』を、仲間の誰から教わったのか知りたいというウェズの要望を、ネスはすっかり忘れてしまっていたからだ。

 偶然とはいえ、折角ライランデ半島でルークに会えたのに、その場で突きつけられた事実が強烈過ぎて、ネスはウェズの要望など、頭の片隅にも置いていなかったのだ。


「本当に申し訳ない……」とネスは膝を折ったが、ウェズは思いの外あっさりとしていて、「また会えるだろ。その時に聞けばいいんだから、そんなに謝んじゃねぇよ」と、力なく笑ってみせた。



 そのウェズが、不思議そうに首を傾げてネスを見ている。


「ごめん……。いや、なんか久しぶりに会うなって」

「アンナさんか?」

「うん」


 二週間程度離れていただけなのに、久しぶりと言うには少々大袈裟だ。


(マザコンかよ俺は)


「大好きだな、お前」

「なっ……はぁ!?」

「ハハ、恥ずかしがんなって。俺だってアンナさんのことは大好きだ」


 ネスの肩を軽く叩くと、ウェズは鼻唄を歌いながら、上機嫌で去っていった。


(──大好きだなんて)


 好きなのは好きだ。その感情はもう認めざるを得ない。


 しかし「好き」と一口ひとくちに言っても、ネスのアンナに対するそれは、「恋愛感情の好き」なのではなく、もはや「家族愛」に近かった。アンナはそれを理解していたし、ネス自身も納得できていた。


「おっと」


 船が着岸し、ガタンと揺れる。直ぐに錨は下ろされ、帆も畳まれた。


 眼下に広がるのは、殺風景な煉瓦色れんがいろの湿地だった。商船や客船の類いはおらず、少し離れた背の高い岩の影に、もう一隻海賊船が停泊している。ネスがキョロキョロと首を動かしていると、船員の一人が「海賊船は表の港に堂々と停泊出来ないからな」と教えてくれた。



「あ、あれ!」


 声を上げて陸地側を指差したのはウェズだ。指差した場所とはかなり距離があるが、遠目に見てもそこにいる人物が誰なのかは、容易に確認することができた。


「アンナさあああぁぁぁぁぁぁぁあん!」


 ネスの背後で船員達が大声を上げた。よく見るとその中にはレスカも混じっていた。


 二週間ぶりに会うアンナだ。怪我が癒えたのか包帯は見当たらず、いつものように肌を露出している。黒いホルターネックのミドルドレス姿だが、彼女にしては珍しく、それは胸の下からふわりと生地が広がるゆったりとしたデザインで、よく着ているタイトなドレスではなかった。


「ん、あれ?」


 アンナの後ろを一人、銀髪の背の高い男が付いてくる。歩きながら時々彼女にちょっかいを出しては、その手を叩かれ嬉しそうに笑っている。


「アンナさあああぁぁぁぁぁぁぁあん!」


 船員の一人が縄ばしごを下ろすのも待たず、一人で大声を出しながら、レスカが船から飛び下りた。全力で駆け、彼女はアンナに飛び付いた。



「心配したんだから!」

「……ごめんね」

 申し訳なさそうにアンナが言った。

「怪我は、大丈夫なの?」

「ええ、治療してもらったから」

「よかったあ」


 へなへなと地面に崩れ落ちるレスカ。その間にも船員達が次から次へと下船し、アンナに向かって駆けていく。


「おい! タラップ下ろせ、タラップ! アンナさんを出迎えるのに、こんな縄梯子じゃ失礼じゃねえか!」

 ウェズが大声で指示を出しているのを尻目に、ネスも船から飛び下り、駆け出した。


(まだアンナが乗船するって決まったわけじゃないんだけどな……)


 ネスとアンナがこの船に乗船するのか、それともここでミリュベル海賊団と別れて行動することになるのかは、まだ分からない。アンナの判断次第だ。


(単独行動が好きだってエディンも言っていたし、乗らない可能性の方が高いかもしれないな。というよりもウェズが俺達と行動するなら、船には乗らないんじゃないのか……? まあいいか)


 となると、アンナは一人で──いや、ネスと二人で無名を討つつもりなのだろうか?




「あ、ネスー!」


 叫びながらレスカは両手をぶんぶんと振り、ネスを出迎えた。その態度にネスは少し戸惑う。

 というのも、昨夜までのレスカの表情は暗く、話しかけるのも躊躇われる空気を纏っていた。しかし今朝起きてからは、少しずつ顔色がよくなり、アンナに再会した今となってはエンジンも全開。いつものレスカに戻っていた。


(俺には女心は本当によく分からない……)


 アンナを取り囲んでいた船員達もネスに気が付き、彼のために道を作る。



 ネスの目の前にアンナがいた。



「アンナ……」


 それだけ言ってネスは言葉に詰まった。


(なんだろう、今までとは雰囲気が違うような気がする)


「ネス……ごめん」


 そう言ってアンナは俯いた。「置き去りにしてごめん。不安にさせてごめん。神石ミールも全部は奪い返せなかった、ごめん……」


「そんなに謝らないでくれよ」


 こんなやり取りは、以前にもあったような気がする。声を発していたのはネスで、紡がれていた言葉は真逆だったけれど。

 アンナも同じことを思い出したのか、口許を隠してクスリと笑った。


「そうね、止めるわ」

「うん……それで、いいよ」


 そう言ってネスは恥ずかしそうに頭を掻いた。


「ところで、アンナ……」ネスはアンナの体をじいっと見つめながら言った。「少し痩せた? 太った?」

「どっちよ」


 気のせいか、アンナの胸部の膨らみは増し、腰回りも丸くなったように見える。しかし、顔が少しばかりけているようにも見えるのだ。


「ネス! 女の子になんてこと言うのよ!」


 ネスはレスカに怒鳴られた。その上周りの船員達からも大ブーイングを食らった。


「ごめん、そういうつもりじゃ」

「言い訳など聞かーんっ!」

「いいのよレスカ、こいつは元々こういうやつよ」

 このやり取りも、以前にもあったような気がする。


「後で話すわ」

「話すって、痩せた理由? 太った理由?」

「どっちも違う」

「……?」


 アンナはネスの言動に呆れながらも、控えめに微笑んだ。



「なあアンナ、そろそろ俺のことを紹介してくれない?」


 アンナの後ろでニコニコと笑っている銀髪の青年が、彼女の右肩に手を乗せ、指を艶かしく動かした。すかさずその手をアンナが捻りあげる。


「痛い! でも嬉しいっ!」


 そう言って青年は両手を上げて万歳をし、喜びを露にした。


 この場にいる者全員が、その様子に戸惑った。


(なんだこの爽やか変態野郎)

(変態だ……)


「あれ……ひょっとして、あなた!」


 派手な色のサングラスを額に乗せ、ルーズな雰囲気のつなぎを着た青年の姿を穴が開くほど凝視し、ネスは叫んだ。なんだか見覚えのあるサングラスをかけているが、そんなことよりも重要なことに気が付く。

 銀髪だったので全く気に止めていなかったのだが、その髪の隙間から覗く長い耳は、彼がエルフであるということを証明していた。


「エルフ……! エルフなんですかっ?!」

「ふふ、そうだよ」


 ネスの夢──『いつの日か、本の中でしか見たことのない本物のエルフに会うこと』が、叶った瞬間だった。


「本当に、本物のエルフだ……! すごい、すごい、嬉しいです! でもなんで銀髪?」


 エルフという種族は、皆美しい金髪に、エメラルドグリーンの瞳だというのに、この青年は目映いばかりの銀髪だ。


「ああ、染めているだけだよ。こっちのほうが目立って、可愛い娘がわんさか寄ってくる」

「はあ……そうなんですか」


 ネスの中の『エルフに対するイメージ』が、少しだけ崩れた。エルフとは、もっと真面目な雰囲気の種族なのだろうと、ネスは思い込んでいたからだ。


「なんかイメージと違う……」


 思わず小さく声に出してしまうほどに。


「なあ、アンナぁ、俺もう自分で名乗ってもいいかなあ」


 そんなネスの発言を全く気に止めていない青年は、アンナの両肩に手を添え、彼女の右肩に顎を乗せた。アンナは頭を振って青年を振り払おうとするが、彼はそれを巧みにかわし続けた。


「なんか、すごいベタベタしすぎじゃない?」

「ふんふん、君はネス・カートスだね」

 青年はそのままの体勢で言う。

「そうですけど……? なにか?」

「いやいや、気にしないでくれ。俺の名前はミカエル・フラウン。情報屋だけど医者の真似事もやっていて、アンナの怪我を治したのも俺さ。そして、一番大事なのは、俺はアンナのは────痛いっ!」


 頭突きが当たらない上に、ミカエルの発言に危機感を感じたアンナは、ブーツのヒールで彼の足を激しく踏みつけた。


(『は』ってなんだ? というか、ミカエル・フラウン……? どこかで聞いたような)


「ネス、先に言っておくけど、深入りするんじゃないわよ」


 ネスは久しぶりにこの目で睨まれた。相変わらずだが、怖い。


「なんだよ、照れるなよ」

「照れてないわよ馬鹿」

「可愛いねえ」


 そう言ってミカエルがアンナの頬に触れようとした瞬間だった。


「わあぁぁぁぁぁぁぁぁーっと! 危ないなあ、何するんだよ」


 突如上空から現れた人物に、ミカエルは。彼はその人物が振り下ろした刀の切っ先を、後方にちょんと退いて避けた。


「それはこっちの台詞だ」


 飛行盤フービスを操り、刀を鞘に収めた人物──見覚えのあるミントグリーンの髪の彼は、アンナを抱き寄せミカエルを睨んだ。

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