第十話 賑やかな三人組

 ブルジョン街道に程近い、アマルの森の西寄り。


 背が高く太い木々の枝に、人の形をしたものが二つ。一人は淡い桜色の短髪の少女。もう一人は肩のところでぱつんと切り揃えた髪が目を引く青年。前髪も同じく一直線に切り揃えている。


「あぁ、なんて素晴らしいんだろう。流石はブルジョン街道、この木々の青々しさ、新緑の香り……咲き乱れる花もまた美しい……そうは思わないかい、テーベ」

「うーん。わたしにはよくわからないなぁ」


 テーベ、と呼ばれた少女がぎこちない笑みを浮かべる。高所にいるので、短い髪の毛とスカートの裾がふわふわと揺れている。


「任務中とはいえ、まさかこの街道を訪れる日がくるなんて、夢のようだよ。心が洗われるようだ」


 青年は胸に手をあて、大きく息を吸い込む。


 眼下には見渡す限り広大な大地が広がっている。季節の草花がバランスよく植えられ、その間を縫うように、うねうねと細い道が一本。それに寄り添うように 遊道線フリーレーンが一本。二本の道を挟み込むように等間隔に行儀よく木々が整列している。

 街道のずっと西側には、目にも眩しい真っ青な海が見える。


「ナルビーは木とか、お花とか大好きだねえ。わたしもお花は好きだけど、それ以上にカリストが好きだからなあ」


 テーベはえへへ、と恥ずかしそうに微笑んだ。幼さの残る顔立ちとその笑みに、ナルビーは頬を緩ませた。


「お前たち、何さぼっている」


 ソプラノとアルトの中間のような、透き通った声が唐突に二人の背後を貫いた。二人が振り返ると、一本後ろの木の枝に、一人の女が立っていた。頭の上の方で束ねた 菫色すみれいろの艶やかな長髪が、風に遊ばれている。


「エウロパぁ!」

「そう、私はエウロパ」


 エウロパはその場から大きく跳び跳ねると、二人を飛び越え、森寄りの木の枝に着地し、びしっとポーズを決めた。

 三人の左の首筋には、ダフニスと同じく獣の爪で引っ掻かれたような、目を引く刺青が彫られている。


「相変わらず美しいね、エウロパ。まるで夜空に浮かぶ星のごとく、今日はまた一段と煌めいているね」

「ありがとう。クロウ様に伝えておく」

「もちろんテーベ、君もだよ。君の微笑みは、花の蕾がそっと開くような、柔らかな可愛らしさがあるからね」

「ありがとう。カリストに伝えておくね」

「いや、それはよしてくれ。僕がカリストに殺されてしまう……」

「そんなことないよ。カリストは優しいよ」

「いやテーベ、そういう意味ではなくてだな」

「そんなことより」


 と、エウロパが割って入る。


「お前達は一体ここで何をしている。 戦姫いくさひめとネス・カートスの追跡は我々の役目のはずだが」

「うん、それがねえ、ちょっと色々あってねえ」

「色々?」


 エウロパは首を傾げ、視線をナルビーに投げた。


「我々の主様は所用で一日ばかり休暇を取っているのだ。なんでも、弟君の誕生日だとか」

「ケーキの試作、美味しかったよねえ」

「ああ、あれは絶品だったな」


 二人共腕を組んで、うんうんと頷き合っている。


「お前達と話をしていると、なかなか前進しないな。お前達の主が休暇を取っていることと、お前達がここにいることと、どういう関係があるのだ」

「おいおいエウロパ、そのぐらい察してくれよ」

「……というと」

「僕らも休暇中なのだ!」

「なのだあ!」

「折角だからこの地方の名所、ブルジョン街道に観光に来たのだ!」

「来たのだあ!」

「そしたら偶然、君たちのターゲットである二人を見つけたのだ!」

「見つけたのだあ!」

「休暇中だからな、横取りする気はない!」

「気はないー!」

「明日ここで我が主様と合流することになっている!」

「のだ!」


 二人は右手を腰に当てると、びしぃっとエウロパを指差した。



 三人の間にひゅうっと冷たい風が吹いた。



「やはりお前達と話をすると疲れるな。とりあえず私の視界から消えてくれ」

「エウロパひどおい」


 テーベが立ち上がり、エウロパの立っている枝に飛び移ろうとした次の瞬間──!


「きゃああっ! 何あれ!」


 矢の形をした紅蓮の炎が、テーベに向かって目にも止まらぬ速さで飛んできた。前方にいたエウロパは腰の刀を抜くと、彼女を庇うように飛び出し、その矢を切り落とした。矢は真っ二つに折れ、霧のように消失する。


「……戦姫め」


 エウロパは真っ黒になった刀を鞘に戻しながら吐き捨てるように言った。


「おいおい。ここからあそこまで、どれだけ距離があると思っているんだ。噂以上の化け物だな、あの女」

「朝の真っ黒な炎もびっくりしたけど、すごい 神力ミースだねえあの人」


 テーベの背中側の森に目をやると、一部が大きく抉りとられていた。そこには何もなく、ただ真っ黒な空間が広がっている。真っ黒な空間は海には届かず、陸との境界線で、ぷつんと途切れていた。

 その光景を眺めながら、テーベは伏し目がちに「わたし、あの人とは戦いたくないな」と呟いた。


「なんとも弱気だな。お前ともあろう者が情けない」


 そう言ったエウロパの横に、テーベが飛び移る。彼女は軽やかに身を翻し、片足で枝に着地した。


「だって、あんな跡形もなく燃やし尽くされたら、流石のわたしでも復活できないでしょ。それは嫌だもの」

「大丈夫、テーベ。あれは私が倒すから。それが叶わなかったら、我が主様が倒してくれる」


 エウロパの言葉には自信が目に見えるように溢れており、心の底から主を信頼している口ぶりだった。先程までの抑揚のない棒読みのような話し方とはまるで違い、語調に感情が添えられている。


「ありがとう。エウロパは優しいね」


 そう言って微笑んだテーベの笑顔は、誰が見ても同年代の少女のそれにしか見えなかった。とても殺戮の道具として扱われているようには見えない。


「さて、二人ともどうする。こちらの居場所は敵さんに筒抜けと見える」


 ナルビーは腕を組んで唸り声を上げた。


「私はここでクロウ様を待つ。それが使命だから」


 先程の感情はどこへ行ったのか、エウロパの言葉から抑揚は消えていた。


「わたし達もここで主様待たなきゃだよね。でも時間はまだまだあるし、下に降りて観光でもする?」


 小さな頭の乗った細い首を傾げ、テーベはナルビーに意見を求めた。


「イエス観光! 流石はテーベ、そうこなくてはな!」


 観光、という単語に反応したのか、ナルビーの顔色が変わった。どうやらその単語がテーベの口から出てくるのを、心待ちにしていたようだ。


「では行くぞテーベ! ブルジョン街道が僕を呼ぶ声が聞こえるのだっ」


 高笑いをしながらナルビーは、背の高い木の枝から躊躇なく飛び降りた。テーベもそれに続く。


「エウロパ、またねー」

「また」


 す、と右手を上げ、エウロパは小さくなっていく二人の姿を見送った。


「相変わらずお気楽な奴等だな」


 腰の刀を鞘から抜いた。刀身は変わらず真っ黒で、とても使い物になりそうにない。



(クロウ様に頼んで新しいものと替えてもらおう、訳を話したら分かって下さるだろう)



 そう言い聞かせて納得し、刀を鞘に戻すと、エウロパは足元の枝に腰を下ろした。


 森の間をゆっくりと歩くテーベとナルビーの姿を見つけた。仲睦まじげに肩を揺らしながら笑っている声が、ここまで聞こえてきそうだ。人ではない自分。人ではない二人。同じ生き物なのに、どうしてこんなにも違うのだろう。同胞の中でも、あの二人は特に感情表現が豊かだ。まるで人間のようだとエウロパは思う。自分も二人のように感情を上手く表現できたらいいのに。


 その光景に気を取られ、珍しくエウロパは周囲への警戒を怠った。──次の瞬間、二本目の炎の矢がエウロパの背後を襲った。

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