思い出のラーメンと祖母の存在
翔太が今、手際よく作っているのはインスタントではないラーメンである。
中華出汁を使ってスープを作り、麺は鍋のシメに使うような生麺。刻んだネギや半分に割ったゆで卵、メンマを添えて、最後に海苔を乗せれば完成だ。
実家で暮らしていたとき、休日のお昼ご飯として祖母がよく作ってくれた一品である。
――玉ねぎとかネギを切ると、どうして目が染みるの?
小学二年生の翔太は、そう叔母に問いかけたことがある。
叔母の得意料理の親子丼を作っているとき、翔太は手伝いをしていた。
そのときネギを切ることを任され切ってみたはいいものの、ネギが目に染みて、切ったはずのネギは繋がっていた。
ネギが切れていないのが悔しくて、今度は玉ねぎを切った。
やっぱり目に染みる。
そこで叔母に質問したのは自然な流れだった。
今は亡き叔母は言う。
――翔ちゃんはまだ背が小さいから染みるんだよ。今使っている台が要らなくなるくらい身長が伸びれば、まな板との距離が遠くなって染みなくなるの。
玉ねぎの成分が、とか、ネギの成分が、なんて言わずにそう言った。
そのことを翔太は鮮明に覚えていて、身長が伸びれば染みなくなるんだとずっと思っていた。
「おばあちゃん⋯⋯俺、身長伸びたんだけどな」
翔ちゃんと呼ばれていたあの頃より、随分大きくなった。
――成長した自分の姿を見てほしかった。ずっと長生きして、結婚するまで、曾孫が産まれるまで、曾孫が成長するのを見てほしかった。
親が共働きで叔母と二人きりの時間が多かった翔太にとって、叔母は母のような存在だった。
――翔ちゃん、人に優しくするのよ。優しくしていれば、翔ちゃんのことを悪く言う人なんかいなくなる。優しくした分だけ、いつか自分に返ってくるわ。
翔太の祖母は不整脈が原因で心肺停止になり、死亡した。
翔太がまだ小学五年生の冬。
雪が降りそうな寒空の中、家に帰ると、叔母がキッチンで倒れていた。
急いで駆け寄るが、既に遅く、死亡していた。
キッチンには夜ご飯のおでんが作ってあって、お茶とお茶菓子があった。
きっとおでんを作り終えて一息しようとしたのだろう。
お茶を注いだ直後に倒れてしまったのだと、翔太にも理解できた。
暫くなにも考えられなくなって、はっと我に返る。
固定電話を取って、急いで救急車を呼んだ。
数分すると救急車のサイレンが聞こえて、救急隊員が翔太に駆け寄る。
『君! 一人かい? お家の人は仕事?』
『⋯⋯おばあちゃんが。どうしよう。僕のせい。早く、もっと早く帰っていれば』
『大丈夫。君のせいじゃない』
救急隊員は翔太を落ち着かせるように、ぎゅっと抱きしめ、背中をさする。
数名の救急隊員が叔母の状態を見て、既に死亡していることに気付く。
自宅で突然死、又は死亡した場合救急車ではなく警察が来ることになるため、救急隊員は警察を呼び、家に警察が来て救急隊員は帰って行った。
その後、急いで帰ってきた両親と一緒に病院へ行って、祖母が亡くなっていることを知る。
両親は泣いていたし、翔太を責めることは言わなかった。
それでも翔太は自分の責任を感じ、胸のもやもやが取れず、暫く学校を休んだ。
――僕がいなければおばあちゃんはお母さんたちにこき使われることもなかった。夜ご飯だってお母さんたちが作ればいいのにおばあちゃんに全部任せるから。僕がもっとお手伝いをすれば。
叔母の不整脈はストレスが原因で、決して翔太が悪い訳ではない。悪い訳ではないのに、自分を責めずにはいられなかった。
お葬式などが全て終わり、翔太は久しぶりに登校した。
相変わらずこき使ってくる同級生。叔母に言われた通り優しく接した結果がこれだ。
――僕は普通のはずなのに。おばあちゃんに言われた通り優しくしてるのに。
月日が経つ。小学校を卒業し、中学生になった。
とはいえ小学校のメンバーが中学校に上がってきただけで、なにも変わることがなかった。
教師が見て見ぬふりをするのも一緒。こき使うことはないが、助けもしない人も一緒。なにも変わらない。ただ歳を重ねただけの子どもに見えた。
――俺はなんのためにこんな生活をしているんだ。召使いでもなければメイドでもない。お前たちと一緒なのにどうして違う扱いを受けなきゃいけない?
祖母を亡くした時から突っかかっていたモヤモヤが、中学三年生になって答えを見つけていく。
――おばあちゃんは母さんにもう嫌だっていえばよかった。なんでずっと我慢して堪えて、従ってたんだ。あんなのおかしかった。
優しさは自分を傷つける。叔母がそうだったように、反抗できなくなれば死んでしまうかもしれない。そんなの許せなかった。
「あのときからか。自分が変わらないと周りが変わらないって気付いたのは」
中学三年生になって受験があった。
酷い教師を見返すために、自分のような生徒に寄り添える教師になるために。進学校と言われている高校に入り、友達もろくにつくらずひたすら勉強をした。
それからのできごとはプロローグに書いてある通りの人生。
「完成っと。麺伸びちゃうから早く起こして早く食べてもらわないと⋯⋯」
思い出に浸っているとラーメンが完成した。
このラーメンは叔母の作る料理の中でも一位二位を競うほど好きな料理だった。
このラーメン以外も、祖母のレシピは全て紙に残していて、祖母が亡くなってからそれを全て譲り受けた。
何度も読んで覚えたレシピ。今ではレシピを見なくても作れるようになった。
早くこのラーメンをシルクに食べてもらいたい。
そう思ってソファを覗くとそこにシルクはおらず、寝相が悪いのか床に落ちた。
一瞬、倒れていたおばあちゃんの姿がフラッシュバックしてドキッとする。
だがこれはちゃんとシルクで、呼吸もしている。
それにシルクは不老不死のため死ぬことはない。
安堵した翔太の頭に一つ、疑問が浮かぶ。
シルクはソファから落ちたため床で寝ているわけだが、一切音がしなかった。プラス床が揺れるような感覚もなかった。
ただ集中していて気が付かなかっただけなのか。
もしかするととんでもなく体重が軽いのではないか?
そう気になって――、
「⋯⋯ラーメンできたから起きろよ。麺伸びるぞ」
持ち上げて起こそうと考えたが、背中を叩いて起こすことにした。
翔太は運動を怠っているため筋力がない。
レディを持ち上げて重いなんて思ってしまっては男の名が廃る。それに抱えたときにシルクが起きたらなんて言われるかわからない。
要するに、ヘタレでできなかったようだ。
シルクは翔太の呼びかけに小さい声で「分かったわよ」と言うが、ほぼ寝言。目があいていない。
今日の朝、翔太より早く起きてコーヒーを飲んでいたシルクは何処へやら。
「もう知らないからな? 麺伸びきってぶよぶよになって、箸で持ち上げたときに切れても知らないからな」
本当は今すぐ美味しい状態で食べてほしいが、自分も食べたいのでシルクは放っておくことにする。
「いただきます」
きちんと挨拶をしてからいたたく。
シルクは翔太の言葉に反応しているようだが、起きてはこない。ゴソゴソと動いてはいるようなのでもうすぐ起きるだろう。
ここで最後のひと押し。
「あーやっぱ美味しい。おばあちゃんのレシピで作ったラーメン美味しいなぁー」
美味しいと言われたものに釣られて起きてくるだろう。
安易な考えだが、食事も魔力の回復に有効のため、シルクはムクっと起きた。
「ラーメン作ってくれたのね⋯⋯もう食べれるのかしら」
目を擦りながらこちらを見てくるシルクに、またも圧倒的彼女感を感じる翔太。
「食べれるぞって起こしたのに起きなかったのはシルクだぞ?」
恥ずかしくなってラーメンを啜ったが、
「むせてるけど大丈夫なの⋯⋯? せっかく作ってくれたんだしすぐ食べるわ」
フラフラしながらダイニングテーブルに移動してくる姿も、寝起きが弱いせかますのヒロインにそっくりで。
「いただきます」
そんなシルクと二人で、夫婦箸を使って。叔母が残してくれたラーメンのレシピを啜るのがなんとも不思議で、でも味はいつもの味で。
「んー美味しいわ!」
「だろ?」
有り合わせの物で作ったとは思えない程美味しい。
それは当たり前のことで――、
「このラーメンが美味しいのは優しさが入ってるから――おばあちゃんからレシピだけじゃなく、優しさも受け継いだからな。美味しいのは当たり前だ」
優しくて料理が上手なのが祖母だから、それを受け継ぐのは翔太にとって当然のことで。
「翔太の優しさがお祖母様譲りなのは初耳だけれど、お祖母様はきっと、素晴らしい女性だったんでしょうね。こんなに美味しいものが作れるんだもの」
素晴らしい女性。完璧な女性。
その女性は今、天国で元気にやっているだろうか。
転生したらRPGの世界に行ったとか、異世界に行ったとか。そうだったら面白そうだが、あの女性には安らぎを与えてほしい。天国で待っていたお爺ちゃんと幸せに、平凡な日々を。
翔太は心からそう願っている。
「さ、いっぱい食べて魔力回復してくれよな? 今日の夜に備えないと」
「そうね。これ食べたら早く寝ないと」
「食べてからすぐ寝ると豚になるぞ」と言う翔太に対し、シルクは「不老不死は体型も変わらないのよ」と笑い、お茶を飲んだ。
――天国のおばあちゃん。もし魔法に失敗したら死ぬかもしれない。そうなったら天国でこのラーメン作ってほしいな。俺二杯でも三杯でも食うから。大きくなったところ見てほしい。
死亡フラグともとれる発言を心の中で、天国に向けて言う。覚悟は決まったようだ。
図書館練習を実行する夜まで、のこり八時間をきっている――。
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