魔法の練習、開始――

 一時間ほど喋り続け、湯気がたっていた紅茶は冷め、お皿の上は空っぽに。


「シルクと出会うまでの話はこのくらいだ」


「なるほど⋯⋯翔太くんはとっても優しい人だということがわかったわ」


 クズ野郎のくだりだけは言わなかったが、翔太の生い立ちについては全て話をした。


「そろそろ帰らないとシルクが心配しちゃうわね」


「シルクなら『遅かったわね』くらいしか言わない気がするけど」


「確かにそうね」


 ワインは「シルクのことよく理解してるじゃない」というように笑い、それにつられて翔太も一笑した。


 魔界に来て約二時間は経っている。

 本当ならば質問が終わり次第すぐ帰るため、確実に三十分はオーバーしている。


「じゃあ帰るために魔法を使うわ。心残りはある?」


「ないな」


「そんなキッパリないって言われると少し寂しいわね⋯⋯それじゃあシルクのこと、よろしくね」


「わ、わかった」


 一口だけ余っていた紅茶をワインが飲み、翔太の手にワインの手を重ねる。


 ――帰ったら魔法が使える。


 ワインの行動にドギマギしつつ、早く魔法が使いたい少年心が疼く。


「最初から上手くいくとは限らないけれど、想像力を働かせて魔力を込めれば使えるわ。シルクは厳しいだろうけど、頑張って魔法を習得してね」


「了解だ。話、聞いてくれてありがとう」


 最後にお礼を言ってしばらくお別れだ。


 ワインは「お土産に魔力をあげるわ」と言って、翔太の手に魔力を込める。人肌の空気が手と手の間を漂うような感覚がする。

 ゲームのHPを全回復してくれるキャラように、魔力を全開まで回復してくれた。


 ワインは椅子から降り、翔太もワインを見て降りる。


「じゃあ、またね。翔太くん」


 今日見たワインの笑顔の中で一番可愛らしい笑顔でそう言う。


「また会いに来るよ」


 翔太もぎこちないくしゃっとした笑顔でそう言った。


 刹那、空間が歪むのを感じ、目の前が暗くなる。

 本当に帰るんだなと感じ、目の前が明るくなるのを心待ちにしていると、あの紅茶の香りがした。


 ――あの紅茶、美味しかったな。


 心残りがあるとすればあの紅茶と、あのクッキーだろうか。


 そんなことを考えていると目の前が明るくなってきた。

 立ちくらみから治るような、視界がだんだん鮮明になって――、


 ――――――――――――――――――


「⋯⋯遅かったじゃない。おかえりなさいなのよ」


 一瞬びっくりしたのか肩がビクッとなっていたが、すぐにいつものシルクになる。


 シルクと目があったとき、少し安堵したのを見逃さなかった翔太は――、


「ふっ、やっぱりツンデレだな」


「ツンデレじゃないのよ!」


「はいはい」


「はい、は一回で充分だわ」


 ツンデレといじり、ムッとなるシルクを見ていた。


 帰ってきて感じる湿度や温度、わずかな風、雑音。

 それらがあの部屋では感じられなかったことを改めて実感した。


「契約の挨拶も済んだことだし、ワインから魔力のお土産も貰った。今すぐ魔法を使いたいんだが、準備はしてくれたか?」


「ワインって⋯⋯母様のことを呼び捨て⋯⋯まぁいいわ。翔太の魔力が膨大になって帰ってきたのはそういうことなのね。準備はできてるから早速はじめましょ」


 シルクはそう言って名前を書いた魔法書を開いて差し出す。


「まずは杖を使わない魔法から練習するわよ。一ページ目に書いてある操り魔法は杖を使わなければいけないから、二ページ目の『浮遊魔法』を練習するわ」


「なんで杖を使う魔法からじゃダメなんだ?」


「浮遊魔法のほうが、翔太にはやりやすいと思っただけよ。あんまり気にしなくてもいいわ」


 杖を使う魔法は『対象に対して悪意をもって使う』ため、優しい翔太には扱いづらいと思ったようだ。

 これはシルクなりの不器用な優しさであって決してこの場では理由を告げないだろう。


 翔太は杖を使って魔法を使ってみたいと思っていたが、シルクの方針に逆らわず従うことにする。


「浮遊魔法⋯⋯どんな効果がある魔法なんだ?」


 浮遊といえば物がゆらゆら動いているイメージだが、人まで浮かすことができるのか。どのくらいの大きさまで浮かすことができるのか。


「浮遊魔法は物を浮かせて移動することができる魔法よ。というかいちいち聞かなくても魔法書を読めば全て書いてあるかしら。きちんと読んでおくことね」


 魔法書はクイーンズとその契約者のみが所持しているワインが作った魔法の教科書であり、魔法の使い方が細かく記されている。


 つまり魔法書さえあればクイーンズが傍にいなくても自主練習ができるというわけだ。


 最も契約のデメリットで、翔太はシルクと一緒にいるときにしか魔法は使えないのだが――。


 シルクが翔太に渡した魔法書には、浮遊魔法の詳細がこう書かれていた。


 ――――――――――――――――――


『浮遊魔法』物を浮かせて移動させる魔法。

 ・遠隔で使う魔法。


〈大まかな魔法の使い方〉対象の物に魔力を飛ばして、浮遊させる。

〈練習方法〉対象の物に意識を集中させ、魔力を集めて物に飛ばす。集中させた意識を保ったまま、声に出して唱える、または心の中で唱える。

〈対象にできる物〉自分の体より小さい物。

〈練習に最適な物〉本。

〈練習に最適な場所〉図書館。

〈使えるようになるまでの平均期間〉約三十分。

〈できるようになるコツ〉魔力を集めるのは額がオススメ。額に力を込めるようにすると、手に込めるより周りにバレにくい。額に集めるには、眉間にシワを寄せるイメージで力を込めると集まりやすい。唱えた後は眉間にシワを寄せずに楽にしましょう。そのほうが疲れにくくなります。


 ――――――――――――――――――


 翔太は一通り目を通してなんとなく理解したようだ。


「ちなみに。前の飛行魔法みたいに意識を込めすぎると、今回は物が爆ぜるから気をつけなさい。シルクはフォローしないわよ」

 

「お、おう⋯⋯まかせろ」


 シルク流ピクニックに行ったときのことを根にもっているようだ。「ちなみに」と言うときのアクセントがそれを物語っていて、前みたいな失敗はできないと思う翔太。


 練習に最適な物は本だと書いてあるため見渡すと、最近買ったばかりで本棚にしまってなかったラノベに目に止まった。


 歩いて三歩の距離、本棚までは五歩の距離。

 歩いてしまったほうが早いに決まっているが、魔法をかけて動かしてみることにする。


 もし失敗してこの本が爆ぜたら、また新しく買わなければいけない。

 そうならないためにも慎重に、かつ、きちんと魔法が発動できるように。


 ――体内を巡る、血とよく似たものに意識を集中させる。


 今まで気付くことのなかったソレを魔力だと認識し、対象のラノベに意識を集中させる。


 眉間にシワを寄せ、そこに魔力を少し、できるだけ少量づつ込める。


 少しするともう注がなくてもいいような、そんな気配を悟り、魔力を注ぐのを停止。


 あとは唱えるだけ。


「浮遊魔法――開始」


 刹那、ラノベが少しだけ浮いだけ空中にとどまっている。

 ゆらゆら揺れているわけでもなく、空中に棚があるかのように静止していて――、


「あら? 爆ぜなくてよかったじゃない。脅しが効いたのかしら」


「う、浮いてる!! 爆ぜずに浮いてる!!」


「翔太は本当に少年みたいね。また意識を集中させて動かしてみなさい」


 浮いたのを見てテンションが舞い上がり、つい集中が途切れたが全く落ちる気配がない。

 シルクに言われた通り、また意識を集中させ、浮いているラノベを本棚に入れるイメージをする。


(もう少し上に浮かせて、縦向きに。背表紙を手前にするために向きをくるっと変えて⋯⋯そのまま本棚へ押し込む。押し込みすぎて本棚自体を動かさないようにゆっくり動かして、ほかの本と一緒になるように揃える。⋯⋯よし、丁度いい場所に置けた。これで魔法を解除すればオーケーかな)


「浮遊魔法――解除」


 解除と言った瞬間、本がストンと少し落ちて、重力が働く。

 いつの間にか肩に力が入っていたようで、深く息を吐き、力を抜いた。


「お疲れ様。ちゃんとできるじゃない。飲み込みが早そうで助かるわ」


「コツを掴めた気がするよ。魔力を込めるときにリミッターみたいなのがあるっぽくて、それに従えば大丈夫? みたいだ」


「それを忘れないようにして、もう少し肩の力を抜きなさい。力(りき)みすぎよ」


 べた褒めしてくれはしないが褒めてくれている。

 翔太は魔法が成功して安堵し、自分で魔法が使えたことに嬉しくなった。


「もう少し力抜いて練習続けてみるよ。ちなみに新しい魔法の種類が出るにはどのくらい練習すればいいんだ?」


「魔法書が認めるまで上達すれば新しい魔法が浮かび上がってくるわ。それと⋯⋯」


「それと?」


「もうコツを掴んだみたいだし、今日の夜、図書館に忍び込んで魔法の練習をするわよ」


 ――図書館に忍び込んで練習をする。


 翔太の頭は一瞬ハテナで埋まったが、すぐに意味を理解した。


「不法侵入して練習するってことか!」


 図書館に忍び込むのは容易にできるだろう。

 しかし監視カメラに写った時点でバレてしまうので、追加で魔法を使わなければいけない。 それにシルクは今日、上級魔法である魔界転送魔法に人間界転送魔法を使っていて、魔力の消費がいつもより多い。


 もし翔太が大きく失敗をすれば、残りの魔力ではカバーできないだろう。


「明日の夜に行った方が魔力も回復していて安全。今の魔力ならぎりぎり帰って来れるくらい。翔太が失敗したら帰りは歩きになるか、最悪魔力切れでシルクが倒れるか。そのときは翔太に任せるけれど――」


「ちょ、ちょっと待て。シルク。それならなんで安全な明日にしないんだ? バレたら俺は死ぬんじゃ」


 バレてしまえば契約者である翔太の存在が消され、この世にいなかったことになる。

 そんな高リスクの提案をシルクがしてくるのが、翔太には不思議でたまらなかった。


 一気に降り注ぐ責任感と不安。

 翔太が失敗しなければいいだけのことだが、さっきのはまぐれで次は失敗するかもしれない。


「でも心配しなくても大丈夫。シルクだってちゃんと考えているもの。対策は既に用意してあるわ」


 シルクは至って冷静に、どこか自慢げに喋る。


 ――対策が用意してあるならば問題ない。


 そんな風に、翔太は楽観視できなかった。


「失敗しない確証はない、逆も然りだ。その対策がなんなのか言ってくれないと納得できない。命がかかってるんだからな」


 真面目で真剣な眼差しをシルクに向ける。

 シルクはバツの悪そうな顔をして目を逸らした。


「言ってくれないのか?」


「⋯⋯シルクは今から昼寝をするわ」


「え?」


「睡眠や食事で魔力がつくられるのよ。少しでも魔力があったほうがいいでしょう?」


「なんだそういうことか。わかった、俺は昼ごはん作るよ」


 シルクは「ありがとう」と言ってソファに横になる。

 一分ほどで寝息が聞こえ、眠りについたのを悟る。


 翔太はうまく言いくるめられたような、話を逸らされて行くことが決定してしまったような気がしてならなかった。


「今日、どうしても図書館に行かなきゃダメな用事があったのか⋯⋯?」


 寝るのがとてつもなく早く、もう眠ってしまったシルクに問いかける。


 勿論返事はない。ただの独り言のようだ。


 どうして今日なのか。対策はなんなのか。

 考えに考え、昼ご飯の準備としてネギを切る。


 ネギのツンとした匂いが、翔太の目に染みた。

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