子どものような大人のような

 立ちくらみが治るように、徐々に視界が戻っていく。


 ――さっきとは違う、白い部屋。


 移動した先、視界に広がるのは、またもや白い部屋だった。


 だがさっきの部屋と違い、床は大理石のように冷たく磨かれていて、目の前には黒く大きな玉座が見える。


 そこに体育座りをして拗ねている白い女――。


「なんで連れてきたのよ、ブック。ワインは合わせる顔がないから嫌だって言ったのに」


 体育座りの足をバタバタさせて拗ねる。

 仕草が子どもだが、声がお母さんのような声なのでギャップが凄い。


 ブックと呼ばれた人物はブラック・クイーンであり、これもホワイト・クイーン、ワインによってつくられたあだ名である。


 ブックは翔太の手を離し、ワインの頭にチョップをくらわせる。


「痛い⋯⋯」


「ワイン、いじけても無駄だ。契約の挨拶はワインに言うことになっているだろう? 私じゃ駄目なんだよ」


「うぅ、ブック酷いわ。ぐすん」


「泣き真似したって無駄だぞ」


「むぐぅ」


 この二人が魔界を支配しているはずなのだが、会話がそう見えない。

 ワインは子どものようで、対照的にブックが大人に見える。


 まるでクイーンというよりは――親と子。


 むぐぅと言ったきり、うーんとかうぅとか言って挨拶が始まる気配が無い。


 これでは埒が明かないので翔太から挨拶を始めることにした。


 体育座りで拗ねているワインの前まで歩き、適度な距離をとって姿勢を正す。


「き、君――」


「佐藤翔太と言います。この度シルバー・クイーン、シルクと契約しましたことを、挨拶に参りました」


 ブックは驚いた顔をしたままで、ワインもキョトンとしている。


 翔太は内心「やばい、これ俺から言っちゃいけないパターン!?」と焦っているが、ポーカーフェイスでなんとか隠した。


 ワインは自分が拗ねていて話が進まなかったことに気付き、体育座りをやめ、玉座から降りて立つ。

 立ってから自分の両頬を叩き、気持ちを切り替えた様子だ。


 初めてしっかり正面から見たワインは、とても整っていてクイーンだと一目でわかる。


 少しタレ目気味の目に、ブックと同じガーネットの色をしている瞳。

 元から口角が少し上がっていて、その口元がより優しさを醸し出していた。


 服装は白をベースに、赤い薔薇が書いてあるワンピースドレス。

 腕や足元の生地が透け感のある生地で、大人っぽさや色気が感じられる。


 そんなワインが玉座から立つと思ってなかったのだろう、翔太のポーカーフェイスが若干崩れた。


「ワイン、しっかり挨拶を済ませるんだぞ。私は仕事があるからこれで失礼する。佐藤翔太くん、シルクをよろしく頼むよ」


「はい」「わかったわ」

 

 そう言い残してブックは消えた。瞬間移動魔法を使ったのだろう。空間が歪んだのが翔太の目でも確認できた。


 さっきまで拗ねていたワインと二人きりになった翔太。なんとなく気まずい空気が流れる。


「えっと、その」


 またまた埒が明かないと思ったのか、口を開いたのは翔太だった。


 喋った途端ワインの肩がビクッとして、それを誤魔化すようにまた両頬を叩く。

 その叩いた音に今度は翔太がビクッとして、まるでコントでもしているようだった。


「ふふっ。お互いびっくりして笑えちゃうわね」


「びっくりしてすみません。その、挨拶は受け取ってもらえたでしょうか」


「ええ、ちゃんと受け取ったわ。ブックが連れてきたってことは試練も合格だったってことでしょうし」


 受け取ったと言ってもらえて、翔太は肩の荷が降りるように安堵する。

 あとはワインから聞かれる質問に答えるだけだ。


「では今からいくつか質問をするわ。素直に答えてね? もしわからない、忘れた、ってことなら魔法で記憶を見るわ」


「記憶を見るって⋯⋯はい。わかりました」


 昔の嫌な記憶を見られたくない。恥ずかしいところを見せたくない。

 どんな質問をしてくるのか未知数で、翔太は固唾(かたず)を呑んだ。


「ではまず一つ目。翔太くんは何歳?」


「二十五歳です。とはいっても八月二十一日が誕生日なので、すぐに二十六歳になります」


 もっとぶっ飛んだ質問がくると思いきやありきたりな質問でひとまずホッとする。

 ワインが美麗な笑みで「あと一ヶ月後くらいじゃない。おめでとう」と言い、翔太は言葉をつまらせながら「ありがとうございます」と答える。


「二つ目の質問。契約するにあたって仕事を辞めてもらわないといけないんだけど、翔太くんの職場は翔太くんがいなくなってもやっていける?」


 前言撤回。


 ぶっ飛んだ質問ではないが、早速翔太の地雷を踏み抜いてきた。

 翔太が安堵した瞬間、正面から射抜かれたみたいだ。


「あ、えっと。その」


 あからさまに動揺している翔太に、ワインは美麗な笑みで問い詰める――。


「分からない? それともいえない? 魔法を使って私が見たほうが早いかしら?」


 勝手に体が身震いする。


 どう答えるのが無難なのか、なんて答えれば質問を掘り返してこないのか。


 短い時間で頭をフル回転させ、その結果――、


「俺がいなくても⋯⋯代わりはいると思います」


 嘘でも本当でもないあやふやな返事になった。


「そう、ならよかったわ。もし起業したての社長さんだったらどうしようかと思って」


「いままでそういう人がいたんですか?」


「いないわね」


 ワインは「でも最近は若い学生でも起業してる子がいるって聞くからもしかしてと思って」と続けて言う。

 このままこの話が続くのはまた地雷を踏み抜かれそうだったため、翔太は「次の質問はなんですか?」と言って話を逸らす。


「えっと次は三つ目の質問ね。翔太くんはなぜシルクと契約を結ぶ気になったの? 理由はなに?」


 契約を結んだ理由。


 ――ただ魔法が使ってみたかった。どうせこのまま生きていても変われないから、なにか自分が変わるきっかけがほしかった。


 なんて理由がこの歳で言えるはずがなく――、


「人助けしないかと言われて、人助けしようと思ったから⋯⋯ですかね」


 これまた嘘でも本当でもないあやふやな返事。


 実際は人助けの前に「そこのクズ野郎」が入るが、そんな言葉をここで言えるはずがない。


「そう。なるほどね」


 ワインはそう言いながら黒い玉座に座る。


 その行動に意図があるのかはわからない。

 わからないが、――鳥肌が立った。


 翔太があやふやな返事をした相手は、この魔界で一番権力をもつ存在だ。

 きっと魔法の精度も桁違いで、シルクとは比べ物にならないだろう。


 そんな相手にあやふやな返事をした。

 正直に真実を話すのが怖い、その理由だけで。


 悪いことが大人にバレそうになってハラハラしている子どものように目が泳ぐ。


 その姿を見てワインは――、


「翔太くん、正直に話してくれない?」


 と、またも美麗な笑みで言った。


「正直に言えば怒らないから」と言うようなその口調で、翔太の脈を早くしていく。


 バレていた、やはり本当のことを話さなければいけないのか。


 翔太を試すようなガーネット色の瞳がこちらを凝視してくる。

 それに耐えられなくなり、翔太は黙って目を逸らした。


「あら、話してくれないのね。残念だわ、ワイン泣いちゃう」


「泣くのは勘弁してください⋯⋯」


「――なら話してくれない?」


「⋯⋯」


 首を横に傾けて執拗に聞いてくるワイン。口調だけが優しい尋問のようだ。


 ワインから放たれる威圧が真っ白の部屋を飲み込み、翔太は今にも倒れそうになる。


「⋯⋯なかなか話してくれないのね。意志が固いのはいいことだけれど、ここでは曲げてくれないかしら」


 美しい平行眉を歪めて聞いてくる。

 今度は顔面のインパクトがすごい、こんなにも美しい人に頼まれている。


 それでも自分では言いたくなくて――、


「そんなに知りたいなら魔法でもなんでも使って記憶を覗けばいいじゃないですか。最初言ってたでしょう? わからないとか忘れたとかなら魔法で覗くって」


 翔太はゆるゆると首を振りながら言う。つい、言ってしまった。

 本当はこんなこと言ってはいけないし、口答えだ。


 翔太の良心が痛み、こんなこと言いたくないのにと、そう思った。


 ワインは少し驚いた顔をしてから、ふふっと笑い、話し始める。


「翔太くんはなにか勘違いしているみたいね。私が『話して』と言うのは、貴方の口から貴方のことを聞きたいのよ。魔法で心を覗いたり、過去を見たりするのは野暮じゃない? ワインは貴方の話したことを信じる。でも貴方が嘘をついたり、はぐらかしたら意味がない。だから本当の話を貴方の口から、聞かせてほしいの」


 ――自分の口で話してこそ会話でしょ?


 そう言わんばかりの顔で話をしているワインを見て、翔太は自分が恥ずかしくなる。


 ――なんで、こんなんになっちまったんだろうな。俺は運がなかったのか。


「魔界のクイーンに対して無礼なことをしてしまったこと、誠に申し訳ないです。⋯⋯少し長くなりますが、それでも聞いてくれますか」


「時間はたっぷりあるわ! お茶でも飲んで、話を聞こうじゃない」


 ワインがパチンと指を鳴らして魔法を使う。


 すると翔太とワインの間に白い椅子と白いテーブル、テーブルの上には紅茶とクッキーが置かれていた。


「さ、翔太くんも座って、お話を聞かせて頂戴」と言い、ワインが玉座から椅子に移動して座る。

 翔太は驚きつつ、断るのも無下だと思いワインの後に椅子に座る。


 ティーカップに注がれた紅茶は、今までに嗅いだことのない匂いがする。

 カップを持って匂いを嗅いでいると、ワインが「飲んでみて」と言うので恐る恐る一口飲んでみることにする。


 ゴールドの装飾が施されたカップに注がれた薄桃色の紅茶を一口、飲み込む――。


「お、美味しいです」


「そうでしょ? 魔界で育てている紅茶の中で一番美味しい紅茶なの! それなりにお値段もするんだけど⋯⋯おもてなしするにはちょうどいいでしょう?」


 一番おいしい紅茶。

 そんなものを飲ませて頂いていることを申し訳なく思い、翔太の肩は上がりっぱなしだ。


 それを見かねたワインは紅茶を一口飲んで、


「最初はあまり堅苦しい喋り方じゃなかったけれど、堅苦しい喋り方になってる。気を抜いて喋ってくれないかしら」


「いや、でも――」


「でもじゃない。もっと気さくに、私のこともワインって呼んでほしいなぁ?」


「わ、わかった。ワイン」


 女性経験の少ない翔太に対して小悪魔的なねだり方は効果抜群だ。断れるわけがない。

 

 翔太はクッキーを一口食べて、紅茶を飲んで。

 断片的な過去を、鮮明になるように思い出し、話をする。


「俺は少し優しすぎる性格で、それが自分を傷つけていたんだ。他人に優しくしたら、優しくしてくれると思っていた。それがいけなくて――」


 時々、涙が浮かんで声が裏返る。


 その度にワインは「ゆっくりでいいのよ」と言って、喋れるようになるまで待ってくれる。


 今まで誰にも打ち明けることがなかった過去の苦痛を、噛み砕いて溶かして地へ返すように。


 ゆっくりゆっくり、話をした。

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