魔界転送魔法――開始

 ガチャガチャ⋯⋯。


「ん⋯⋯朝、か」


 カーテンの外が明るい。


 翔太がゆっくり起きあがってカーテンを開けると、通勤に向かうサラリーマンが歩きスマホをしていた。


 パジャマから私服に着替えているとあくびが出る。

 昨日あんなに早く寝て、起床時間は七時。久しぶりにこんなに寝たし、ぐっすり眠れた。それなのにあくびが出る。昨日どれだけ疲れていたのか。


 そして普段運動をしない翔太は全身筋肉痛になっていた。

 私服に着替えるだけで肩が痛かったり腰が痛かったりする。


 着替え終わって少しストレッチをして。

 朝ごはんを食べようと寝室のドアを開けると、コーヒーの香りが漂ってきた。


「あら? 案外早起きなのね。翔太の分のコーヒーは作ってないから自分でどうぞ〜」


 寝癖もなく、寝起き感もなく、全身筋肉痛でもない完璧美人なシルクがそこにいた。顔がいい。


 物音がしたのはシルクがコーヒーを作っていたからだと推測する。


「まずはおはようだろ。言われなくても自分で作る」


 シルクは「おはようって言い忘れていたわ」と言い、コーヒーを飲む。

 昨日の夜あったベッドはなく、ちゃんとソファに戻っていた。


「朝ごはんはご飯派かパン派かどっちだ? シルクの好み似合わせて作るよ」


 二人分の朝ごはんを用意するため聞くと、シルクはこちらを向いて――、


「しばらくおにぎりしか食べてなかったから、久しぶりにパンがいいわ。食べたいものが出てくるなんてお店みたいね」


 ふふっと笑いながらパンを楽しみにしているシルク。

 それを見て翔太は圧倒的彼女感を感じていた。


 毒舌でツンツンしてなければ理想の彼女⋯⋯いや、彼女というよりはヒロインだろうか。


 どうしてもシルクがせかますのヒロインにしか見えない翔太は、なぜ似ているのか考えつつパンを焼き、いつものスクランブルエッグを作る。


「シルクは病気にならないんだったよな? それじゃアレルギーとかもないのか?」


 翔太は特にアレルギーもなく、健康そのものだ。


「シルクはアレルギーもないわね。本当にできすぎの体よ。人間もシルクみたいになればいいのに」


「そうだな、正直羨ましいぜ」


 魔法が使えて不死身で、病気にならなくてお風呂に入らなくてよくて、トイレにも行かなくていい。こんなにいい体はほかにないだろう。


「まぁ、シルクみたいな人間が産まれたら、医学の実験台にされるでしょうけどね」


「それもそうだな」


 不死身の人間が産まれたら実験台もいいところ。

 世界的ニュースになるだろうし、普通の生活はできないだろう。


 そう考えると今のままがいいと思う翔太だった。


 そうこうしているうちに、朝ごはんができた。

 部屋にはコーヒーとパンの香ばしい香りが漂っている。


「美味しそう⋯⋯!」


 シルクが目を輝かせ、テーブルに並んだパンとスクランブルエッグを見ている。


 朝ごはんはコンビニのツナマヨおにぎりだったシルクにとって、温かい朝食は珍しいものだから無理もない。


「「いただきます」」


 息の合ったいただきますをして、二人揃ってパンに齧り付く。

 サクッといい音が鳴って、口いっぱいに小麦とバターの味が広がった。


 スクランブルエッグも一緒に食べるとさらに美味しく、ケチャップの酸味もいい具合にマッチしてとても美味しい。


「これなら毎朝食べられるわ⋯⋯この卵に輪切りのウインナーとか入れても美味しそうね」


「そりゃよかった。アレンジ可能だし、目玉焼きにしてもいいしな」


 有意義な朝ごはんを堪能して、シルクは満足そうだ。

 ご馳走様でしたと言って、食器を片付けて。


 さてなにをしようかと思ったとき――、


「翔太が魔法を使えるようになるには、契約の挨拶として魔界に行かなければならないのだけれど⋯⋯魔界には一人づつ行かなくてはいけないのよ。最初に私が行ってくるけれど、その後一人で大丈夫かしら?」


 と、シルクが言う。

 魔界に一緒に行けないのは契約のデメリットの影響で、翔太も忘れてはいなかった。


 が、契約の挨拶に二人で行けないのは謎が残る。


「一人でも大丈夫だけど、魔界に行ってなにをすればいいんだ? 着いた先から移動しないといけないとかあったら今のうちに教えてくれよな」


 魔界に着いて、ホワイト・クイーンに直接会えればいいが、会いに行かないといけないとなれば別だ。全く知らない土地なわけで、迷子になるのは間違いない。


 それを聞いたシルクは、クスクス笑いながら。


「魔界の行先も決められるから安心しなさい。意地悪なんてしないから大丈夫よ」


 フラグのように聞こえるが、大丈夫だろう。常識ある人間、否、クイーンズだと思いたい。


「魔界に着いたら目の前に母様がいると思うから、自分の名を名乗り、シルクと契約したと話しなさい。そしたら母様が質問してくるはずだから、それに答えればいいだけよ」


 両親に挨拶に行く結婚の挨拶みたいだなと思う翔太。現在進行形で独身なわけだが、大丈夫だろうか。


「服装は今のままでいいから安心しなさい。私は正装に着替えるけれど。まぁ、あまり緊張しなくてもいいわ。母様に会えばきっと緊張してたのが馬鹿らしく思えてくるだろうし」


 緊張してたのが馬鹿らしく思えるとはどういうことなのか検討もつかない。

 もしくはシルクなりの励ましのようなものか。


「今から魔界に行くのか? 結構朝だけど、あっちの時間とか大丈夫か? それにこの服装ってTシャツにジーパンで本当にいいのかよ、スーツとかに着替えたほうがいいんじゃ――」


 心配性の翔太に呆れたシルクは大きなため息をつき、翔太の肩に手を置いて言う。


「心配しすぎよ。魔界は地球より時間が二時間早いの。今は八時位だから、あっちは十時位ね。母様は早起きだから絶対起きてるわ。それに小学生の女の子だってできたことなんだから、なにも心配することないわよ」


 ぽんぽんと肩を叩かれ、なんとなく気持ちが楽になる。


 安堵した翔太を見て、シルクは正装に着替えた。


 昨日言っていた『衣装魔法』だろうか。


 一瞬でマントとほうき、広いつばの帽子を身につけていた。

 マントは透け素材の白色で、所々に黒いリボンで飾られている。

 ほうきには銀色のリボンが飾ってあり、帽子は黒色の生地に、銀色のリボンが飾ってあった。


「十五分くらいで戻ってくるはずだから、ゲームでもして待ってなさい」


「そんな悠長にしてられねぇよ!」


「あらそう? じゃあ行ってくるから大人しく待っているのよ」


 家でお留守番をするペットに言うみたいにシルクが言うと、一息ついて魔法を発動させた。


「魔界転送魔法――開始」


 そう唱えた瞬間、なにかに吸い込まれるようにしてシルクが消えた。魔界に行ったのだろう。


「あんなにあっさり、消えて、行っちゃうんだな⋯⋯ははっ、やっぱり魔法って凄いわ」


 重いものがストンと落ちた感覚、プツンと緊張が切れたような、そんな感覚があって、少しだけ笑いが止まらなかった。


 ――――――――――――――――――


 目を開けると、そこは真っ白な部屋だった。


 平衡感覚がおかしくなるような、どこから光が出ていて影があるようでわからない、本当に真っ白な部屋。


 床は大理石のように固く、冷たく。壁はどこにあるのかがわからない。


 そんな部屋に一つ、玉座がある。この部屋にふさわしくない、真っ黒な玉座が。


 その黒い玉座に座る一人の女性。


 女性はとても白く、まるでこの部屋から産まれたかのようだった。


 その女性はシルクに気づき、コツコツとヒールの音を立てながら近寄って――、


「シルク⋯⋯!? シルクじゃない! また一段と可愛くなった気がするわぁ、で? 今日はどんな要件で来たの? お土産とかもってきてくれてたりするの!?」


 この洗練された部屋にふさわしくない人物。


 そう、この白い彼女こそが――、


「か、母様⋯⋯近いです。お土産は少し時間がなくて今日はないんです。申し訳ありません。⋯⋯じゃなくて! 今日は契約についてお話が!」


「えー近くでもっとシルクを見ていたいの! いいじゃない、なかなか会えないんだからぁ⋯⋯もっと頻繁に会いに来てくれればいいのよ?」


「ですから契約についてお話が!」


 この魔界を支配し、管理し、統制をしている。


 そしてシルクなどのクイーンズを造った、母である人物。


 まるでそうとは見えない、この人物こそが。


 ――ホワイト・クイーンである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る