第4話 名前で呼んで

「ごめん、ほんとに、ごめん。私、アキトのこと何にも考えてなかった。自分が満足したいがために勝手に戦いを吹っ掛けて挙句の果てに苦しませて…」

 俺のためにきれいな水を運んできた少女は、先ほどから壊れた人形のように同じセリフを繰り返していた。その言葉の重さで自らの行動を戒めるように、俯いてぼそぼそと半ば呟くように謝罪を続けている。そして俺としても、というか第三者視点から見て彼女の言葉は事実だった。俺としてはそんなことないよ、君のせいじゃないよ、そう言ってあげたい。しかしそれは軟弱なやり口だ。結局それは誰も幸せにしない。ただその場を凌ぐだけにしかならない。いずれ同じ過ちを繰り返し、相手は同じように落ち込むのだろう。改める機会を与えることを怠けたせいで相手を傷つかせてしまうというのは俺としても避けたいところだった。だから彼女の言葉を否定はしない。実際死ぬかと思ったし。今首が繋がってるのか不思議なくらいだ。

 ただそれでも年端もいかぬ、俺と同じか少し下くらいの少女をそうやって謝らせ続けておくのも些か忍ばれる。

「あー…なんだ、その。いいですよ。気を付けてくれれば。悪気があったんじゃないんですよね?」

 こくこく。力なく頷く少女はそれでも元気がなさそうだった。罪悪感に打ちのめされているのが分かる。何も感じずに済まされても釈然としないが、ここまで落ち込まれてもこちらとしても落ち着かない。反省は大いにしてもらいたいが。

 涼やかな風が頬を撫でる。火照った体もようやく落ち着きを取り戻してきた。木陰というのはやはり動物が休憩するために存在しているに違いない。激しい運動の後はすぐに休息をとることが大切なのだ。思いっきり吐いた手前、今更感は正直否めないけれど。

「その、どうしたら許してくれる?なんでもする、から…」

 しおらしくなった少女は叱られる子供のようにちらりと俺を上目遣いで見やる。初対面の時の仏頂面はもはやなく、年相応の少女らしいあどけない表情だ。

 反省しているのか、何か詫びをしないと気が済まないらしい。個人的にはここまで反省してくれているだけで十分なんだけどな。

「本当に大丈夫ですって。あと女の子が簡単にそんなこと言っちゃだめですよ。この世界には善良な人しかいないわけじゃないんですから。そんなこといったら誰がどんな要求してくるかわからないじゃないですか」

「いい。誰にでもは言わない」

「今言ったじゃないですか。それ口癖になったら本当にだめですからね」

 説教みたいなことを言ってしまったが、本当にあり得る話なのだ。それは物語だけの話じゃない。現実世界でもそんなことが毎日いたるところで行われている。パワハラやセクハラ、売春、そんなニュースが日常的に飛び交う時代だ。残念ながらまともな人間ばかりではない。ましてや彼女は非常に可憐で美しく、気高い。そしてこうしたギャップも兼ね備えている。モデルとしてもアイドルとしても売り出せるほどのポテンシャルを持った少女だ。よからぬことを考える人間がいないとも限らないし、常識人を自負している自分でさえ、一瞬邪な考えが脳裏をよぎった。自分でも最低だと思うが、俺とてそういう年頃だ。一端にそういったことへの興味もある。無論手を出すような愚行を犯すつもりはないが。

 少女は俺の言葉をかみしめるように少し逡巡し、そして俺のほうへ向きなおる。

「アキトだから、言うの。他の人になんて言わない」

「…?なんで?もしかして俺の知り合いだったりします?」

「しょ、初対面だけどっ、でも傷、つけたんだからわかるでしょ?」

 正直に言って意味が分からなかった。傷をつけることとその発言はどうして結びつくと思ったのだろうか。どことなく怒っているような気すらするが、何を怒っているのか、どうして怒っているのかは分からない。

 少女は顔を少し紅潮させて視線を斜め下へとずらしている。有り体に言ってその様子は可愛い。すごく可愛い、が。今の俺には言葉が釈然としないという点の方が気になっていた。

「もうっ、とにかく。誰にでも言ったりしないししてないから。大丈夫。それで、どうしたら許してくれる?」

「じゃあ、その。この世界と君のことについて教えてくれませんか?あまり現実味の無い話で申し訳ないんですが、俺、気が付いたら見ず知らずの場所にいて」

 初めて会った時、俺が口にできなかった内容を改めて伝える。妄言を言っていると思われるか、通報されるかの二択…否、斬り殺されるかの三択だと思っていたのだが、案外少女は真剣に話を聞いてくれた。もしかしてこういうことはありふれていることなのだろうか。

「――そう。それは困ったことになった。アキトはこれからどうするの。帰る方法が分からないんじゃむやみやたらに動き回るのは危険…どうしたの?そんな驚いた顔をして。もしかして私の顔に何かついてる?」

「あぁ、いや…自分でも何言ってるかわかんないのに信用してくれるんだな、ってちょっとびっくりしてただけです。自分でも現実味の無いことを言っていると思っているので意外だったんです」

 俺が苦笑と共に返した言葉に少女は首を傾げる。まるで今の俺の発言の方が理解できないとも言いたげだ。

「だって、アキトが嘘を吐くメリットは何もない。それだけ。アキトの話だと、ここで見かけた獣人たちはあなたにとってなじみのない存在。その中で出会ったじいさまと私という同じような純人類。その対象が友好的…とはごめんなさい、言えないかもしれないけど、会話に応じようとしている状況。下手に嘘をついて関係を悪化させるのは得策ではない。そうでしょう?」

 少女の目は全てを射抜くようだった。遥か地平線、それどころか宇宙の果てまで見透かすようなその瞳は、俺をここまで連れてきたお爺さんとそっくりだった。

「はい…俺としてもこうして会話ができるかどうか怪しい生物よりは幾分か安心できますので」

「アキト。その、他人行儀な喋り方はやめて」

「…そうですか、じゃなくてそうか?いやまぁ確かに同年代くらいだとは思うけれども。でも一応見知らぬ土地で助けてもらったわけだし…」

 まぁ正直そういうのは建前で、双子の妹以外の同年代の女の子に敬語を使わなかったためしがない。明らかに年下だと分かった状況では別だが、大人びている子供相手なら小学生でも敬語を使うような人間だ。角を立てたくないからな。だから敬語を使うことに純粋に慣れていない。だからなるべくチャレンジはしたくないのだが――

「あと、私のことはヒナミって呼んで」

 更に外堀を埋められた。というか天守閣に乗り込まれた。ええい家来どもは何をしておるのだ。というのは冗談として、かなりきつい。正直に告白しよう。向田アキト17歳、童貞である。噂では彼女を4、5人抱えていると言われているがんなわけあるかと。むしろ指一本触れられません。女性は怖い。

「あの、苗字とかは」

「ん~内緒。だってアキト、苗字で呼ぼうとするはず。だから秘密にする。ヒナミ。れっつせい、ヒ・ナ・ミ」

「ひ、ヒナミ?これで、いいのか?気恥ずかしいんだが」

 自分でも情けないくらい顔が真っ赤になっているのが分かる。初対面の女子相手とはいえ恥ずかしがりすぎではないだろうか。その様子を見て満足げに目の前の少女ヒナミは微笑んでいる。なんだか負けている気がして悔しいが、どうしたって対抗できないので耐え忍ぶほかにない。

「そう。それでいい。じゃあじいさまのところに行こ。じいさまは話せば分かってくれるはず。さ、ついてきて」

 そういってヒナミは俺の手を握る。さも当たり前かのように。でもそれは俺にとっては初めての感覚で。柔らかい女の子の小さな掌なんて生まれてこの方握ったこともない。妹は勉強ができる俺を憎んでぐれてしまったからあまり触れたこともない。

 だからその感覚は俺にとっては初めてにも等しいものであった。

 当然紅潮する頬。それを隠すようにそっぽを向くとヒナミに周りこまれてしまった。「アキト、かわいい」

「…うるさい」

 ヒナミはご機嫌だった。それはもう完璧に。鼻歌すら歌っていそうな勢いだった。この世界にも歌という文化があるのかは分からないが、音符が見えるくらいにはうきうきであった。そんな姿が更に年相応の可愛らしさを加速させるのが非常にずるい。年頃の男子としては意識せざるを得ない。こうして俺に取り入って騙すか殺すかしようとしていると言われてた方がまだ現実味がある。男子というものに抵抗がない思わせぶりな女子なのだろうか。それとも一定数いる、純粋に俺に好意を抱いてくれている女子なのだろうか。後者だったらいいなと若干思うが俺にはそれを判定する術はない。何せ童貞なのだから。豆腐の角に頭をぶつけて死ぬくらい難しい。いやそれ以上だ。

「アキトはさ。どうして向こうに戻りたいの?」

 先ほど通ってきた道を戻るようなルートで寺の様な建造物の中を歩く。通路の隅々に奇妙な意匠が施されているが、やはり何度見てもどこか懐かしさを覚えるようなそんな空間だった。そこを歩いていると、前方を行くヒナミから質問。

「どうしてってそりゃ、家族とかいるし…。勉強とかやらなきゃいけないことが山積みだからな。母さんは一人で俺と妹を支えてくれたんだから俺が恩返しをしなくちゃいけない。俺が支えてあげないとな。そのために今は頑張ってる」

 父を早くに亡くした俺にとって、記憶にある親の姿とは母親しかない。物心つく頃には遺影でその姿を残すのみだった。そんな俺たちを女手一つで育ててくれたのが俺の母親だった。苦しい思いをしながら毎日何時間も働いているくせに、俺達には涙一つ見せなかった母親。才能を生かすことで母が楽になるならと、ずっと才能を発揮し続けてきたが、それでもまだ足りない。

 それが、俺の戻らなければいけない理由だ。

 だからいずれ戻る方法が確立されれば、俺はヒナミとも離れることになる。それは少し寂しいことだ。だからなるべくヒナミと俺が仲良くなる前にその方法を見つけ出さねばならない。そう思った。

「でもそうなったらヒナミとはもうお別れになっちゃうのか」

「それは、困る」

「困ると言われましても。どうして」

「それは…」

 ヒナミは少し口を噤んで、何かを迷う仕草をする。言うべきか言わざるべきか。それを今必死に吟味しているかのようだ。顔が少し赤くなった。息でも止めているのだろうか。苦しそうではないからそういうのでもなさそうだが。

「アキトは、私の、だから。もう、そうなってるから。だから、困る」

 今度は俺が赤面する番だった。その言い方はまるで告白ではないだろうか。恋愛小説とかくらいしか情報源がないから一概にそうだとは言えないのかもしれないが、ヒナミほど可愛らしい女の子にこんな風に言われたら誰だってこうなってしまうに違いない。たとえそれが同性であっても。

 ヒナミは俺から顔を背け、少し歩幅を大きくして歩き出した。二人だけの空気に耐えられなくなったのかもしれない。けれども顔を背けた分、手を握る力は強くなっていた。より一層彼女の手の感触が伝わってきて、露骨に狼狽えてしまう。今攻撃を受けたら先ほどまでのように回避し続けることは不可能に違いない。

「ほら、着いた…よ。じ、じいさま。入ってもよろしいですか?」

 途中から別の方向に曲がって進む事一分程度。こんなに広い場所だったのかと内心驚きを隠せないでいるが、それ以上に見れば見るほど日本らしい雰囲気の建造物だ。ふすまや縁側など、日本古来の内装がいたるところに見て取れる。服装といい、立ち振る舞いといい、この建物といい、なんだかここに呼び寄せられる予定があったのかと勘ぐってしまうほど、見慣れた建物だった。無論、今までのように理解できない複雑な意匠が施されているところもあったが。

 多くの部屋があり、そのどれもが十分に手入れされたものであったのがまたすごいと思った。管理だけでも相当骨が折れるだろうに。

 その中でもひときわ大きな部屋の前でヒナミは声を上げた。程なくして内側から『入れ』と、厳かな声音が返ってくる。

 どうやらここは先ほどのお爺さんの部屋ということらしい。

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