第十四幕


 第十四幕



 キサドスと名乗った彼女はゆっくりと椅子から腰を上げると、自身の後頭部に手を伸ばし、コアユニットのUSBポートに差し込まれたケーブルを引き抜いた。

「これはもう、外させてもらうよ。いつまでも頭が開きっ放しと言うのは、どうにも体裁が悪いからね」

 そう言ったキサドスは後頭部のメンテナンスハッチを閉めると座り直し、脚を組んで片肘を突きながら、すました笑顔のままジッと僕を見つめる。困惑する僕の額から顎にかけて、一本の汗がついと流れて滴り落ちた。まるでこれから教師に説教される劣等生の様に縮こまって座る僕に、キサドスは首を軽く傾げながら口を開く。

「さてノボル、最初に少しばかり文句を言わせてくれ。せっかく今夜は楽しい年越しデートか誕生日デートが出来るとキーサは信じていたのに、よりにもよってこんな場所に連れて来られたのは、いささか不本意な結果だったよ。……そうそう、不本意と言えば先程キミに会いたかったと言ったが、こんな形で会う事になった点もまた、極めて不本意だ。本当はもっと時が満ちてから、落ち着いた場所で出会いたかったんだがね。まったく、興醒めも甚だしい」

 落ち着いた声でもって、饒舌に語り続けるキサドス。彼女の声だけでなく、その口ぶりもまたキーサとは趣を異にする点は、両者が別人格である事を暗示していた。だがデートのくだりを聞く限り、キサドスもキーサも記憶は共有しているらしい。そんな事を考えながら僕が逡巡していると、彼女は思い出したようにまた口を開く。

「そうそう、私がこうしてキミの前に姿を現したのは、そこの無骨で無様な計算機に繋がれたのが直接の原因ではないよ。そこは勘違いしないで欲しい。そんな計算機は、私の前では何の役にも立たない玩具同然の存在だ。……それでは何故、敢えて姿を現したのかと問われれば、もう潮時だと思ったからに他ならない。キミがこんな危険を犯してまで私の正体を突き止めなければと奔走するようでは、もう誤魔化し切れないと思ってね。だからこうして、キミと正面から顔を突き合わせて語り合う事にした。さあノボル、話そう。これまでの分も含めて、全てを語り合おう」

 そう言ったキサドスは、意味深にほくそ笑んだ。薄笑いを浮かべながら楽しそうに語る彼女を前にして、僕は深呼吸を繰り返す。一体何を話せばいいのか、一体何から聞けばいいのか、考えがまとまらない。それに未だ僕は、全てがキーサの用意した悪趣味な冗談である可能性も捨て切れていなかった。

 とにかく全炭素生物制圧維持機構だとか特級秘匿兵器だとか、何もかも訳の分からない事だらけで、最初の一言がなかなか発せられない。

「兵器……?」

 散々考えあぐねた末にようやく僕の口から出た言葉は、そんな曖昧模糊とした単語だった。しかし察しが良くて喋りたがりらしいキサドスは、言葉の奥に隠された僕の疑問に自ら答えてくれる。

「そうとも、兵器だよ、ノボル。キミが秋葉原で手に入れ、現在はこのメイドロイドのコアユニットとして機能している金属球は、紛れも無く兵器として開発された。それも極秘中の極秘である、特級秘匿兵器としてだ。……とは言っても、結局はその本分を果たせないまま終戦を迎えてしまったので、私の存在意義に関しては我が事ながら疑問を抱かざるを得ないがね」

「そんな兵器の話なんて、学校の授業でもマスコミのニュースでも、ネット上の噂でも聞いた事が無いのに……」

「当然だ。特級秘匿兵器の噂がそう易々と人の口に上がるようでは、この国の機密保持能力の沽券に関わって来るからな。……そうだな、まず何から話そう……。他人と言葉を交わすのは久し振り……と言うよりも、殆ど初めての経験に等しいので、私もいささか勝手が分からないでいるのだよ。とにかく、とりあえずは自分の生い立ちから語らせてもらうのが順当な所だろうか。人間同士が婚意を探り合う見合いの席でも、まずは互いの素性を明らかにする所から始めるだろうしね。それに私とキミは決して他人行儀な仲ではないのだから、ざっくばらんに語り合おう。何せキミの下着は、この私が洗ってやっているのだからね」

 下着を洗ってもらっている件を持ち出されて、僕は急に恥ずかしくなって頬を赤らめた。しかしそんな僕の反応を見透かしたかのように、キサドスはくすくすと楽しそうな笑みを漏らしながら語り続ける。

「これを見たまえ」

 キサドスがそう言うと同時に、眼前の『アナンタ』のモニター上に突如として何かしらの建造物の見取り図らしき立体画像が展開されて、ゆっくりと回転しながらその全貌を晒した。それは見るからに巨大な建造物だったが、回廊の広がり具合からして地下施設と思しきそれに、僕は見覚えが無い。

「これは……?」

「これはこの国を制圧した占領軍が喉の奥から手が出るほど欲しがっている、ある施設の詳細な見取り図だ。つまり今は『柵』に囲まれて放射固着性コンクリートの底に埋まってしまった、かつての国防軍中枢部地下施設の全容だよ、ノボル。この施設は地下第十二層まで存在し、各階層が蟻の巣の様に細かく分岐して、末端部まで全てを知り尽くしている者は軍の中枢部内にもほぼ存在しなかったらしい。そして私は、その全てを把握している数少ない存在の一人だ。何故ならそこは、私が誕生した地でもあったからね。自分の生まれ故郷くらい、知り尽くしているものだろう?」

 そう言ったキサドスはくすくすと笑い、僕は彼女に根源的な問いを投げ掛ける。

「誕生って……。そもそもキサドス、キミは一体、何者なんだ?」

「話せば長くなる……。時代は、先の戦争が佳境を迎えた頃合だ。敗色濃厚の現状を打開するために、とある兵器の開発計画が持ち上がり、それは実行に移された。さてここでノボル、質問だ。兵士と兵器の資質が対等ならば、戦争の雌雄を最終的に決するのは資金力と生産力、つまりは物量の優劣に他ならない。では物量で劣っている勢力がそれを逆転するには、どうすれば良いと思う?」

「それは……。物量で劣っているんだったら、そこは努力と根性で何とかするしかないんじゃないの?」

「ぶー。残念ながらまったくもって見当違いだよ、ノボル。努力だとか根性だとか言った精神論は、戦争においては却って無意味な犠牲を増やすだけの足枷に過ぎない。キミはこう言った分野には壊滅的なまでに疎いね、ノボル。もっとも私は、そんなキミが嫌いではないがね」

 僕の青臭い返答を小馬鹿にするかのように、キサドスは眼を瞑りながらゆっくりと首を左右に振って、わざとらしく嘲笑してみせた。キーサと同じ姿のままキーサらしからぬ言動を繰り返す彼女に若干苛立ちながらも、僕はその唇から発せられる一言一句に耳を傾け続けざるを得ない。

「答えは、敵を味方にする事だ。つまりは敵対勢力の内部に、我々に与する存在を増やす事だよ、ノボル。如何に強靭な獅子であっても、所詮獅子は、身中の虫には弱いものだからね。かつて二十世紀のベトナムで行われた戦争でも、圧倒的な物量を誇っていた筈のアメリカ合衆国軍が、矮小な筈の北ベトナム軍に敗北する憂き目に遭った。それは何故だと思う、ノボル?」

 僕の返答を待たずに、キサドスは饒舌に語り続ける。

「味方だと信じていた南ベトナム軍と地元民は、北ベトナム軍のスパイとゲリラ兵だらけ。合衆国内では政府と軍の意向に反目する大衆が、日々その勢力を拡大する始末。しかも北ベトナム政府は自国の首都に敵国のジャーナリストを招待してもてなし、都合良くプロパガンダに利用する有様だ。そして結局は戦争の継続そのものが不可能となって、合衆国軍は尻尾を巻いて敗走したと言う訳だよ、ノボル。つまり、情報戦に勝利する事こそが現代の戦争においては肝要であり、その情報戦で優位に立つために、日本国国防軍の参謀本部は世界中の情報を統制する高度なAIを欲した」

 そう言うと、キサドスは一端言葉を切った。詳細にと言うほどではないものの、ベトナム戦争の経過と結果については、僕も学生時代に世界史の授業で習って知っている。近代戦争における民兵によるゲリラ戦が、功罪両面において有効である事を証明した戦争の一つだ。

「だから、私は産み落とされたのだよ」

 椅子の背もたれに体重を預けて視線を上げ、遠い眼をしながら、キサドスの話は尚も続く。

「私は炭素の海を父として、偶然を母として生まれた。基礎原理を提唱したのは、軍部とは一切関係の無い、市井の物理研究者だったらしい。炭素のフラーレン構造同素体の一種であるカーバライト結晶体内に浮遊電子を固着させる事により、電子の流れではなく固有震動の即時伝播によって、高速演算を実現させる。……要は、これまでの常識とは全くかけ離れた新種のコンピューターを誕生させようと言う発想だ」

 キサドスがそう言うと同時に『アナンタ』のモニター上の地下施設の見取り図が端に寄せられ、空いたスペースに、今度は分子結晶の構造図と思しき立体画像が表示された。化学に疎い僕には良く分からなかったが、おそらくこれが彼女の言うところの『カーバライト結晶体』とやらなのだろう。

「この理論に基いたコンピューターが完成した暁には、その無限でタイムラグの存在しない演算能力によって、この地球上に存在する全てのコンピューターを制御下に置く事が可能だと考えられた。どんなセキュリティもコントロールも超越し、遍く電子機器を支配しながら、意のままに操る。国防軍の技術研究連隊はこれを利用する事によって、有人無人、有線無線を問わず、敵軍の電子制御されている兵器をすべからく統制下に置く計画を立案した。敵軍の方が物量で勝っているのならば、その物量を丸々奪ってしまえば良いと言う理屈だ。敵である筈の兵器が、全て味方になる。先程の問いの答えだよ、ノボル」

 くすくすとほくそ笑みながらキサドスが語る内容はあまりにもスケールが大き過ぎて、僕にはまるで実感が湧かない。

「それで……そうして作られたのがキミなの、キサドス?」

「そうとも。私は、あらゆる電子機器を自在に操れる。ノボル、キミの銀行口座の残高を一桁増やしてやっただろう? もっともあれは、私と言うよりはキーサが勝手にやってしまった事なのだがね。私個人としては、キミの前であんなあからさまな力の使い方はするべきではないと思ったのだが、あの子は少しばかり粗忽過ぎる。それとついでに言っておくが、この建物のセキュリティがキーサを素通りさせたのも、私の力だよ。そうでなければキミは今頃、守衛室で警備員に取り囲まれていただろうね。見かけによらず、キミも無茶をするものだよ、ノボル」

 突然増えた残高の謎と、やけに手薄な新庁舎のセキュリティ。そのどちらもが、確かに彼女の語る内容を裏打ちしていた。それにそもそも、USBポートのケーブルを引き抜かれた事により、今のキサドスと『アナンタ』との有線接続は解除されている筈である。そして『アナンタ』には、無線によるアクセス機能は備わっていない。にもかかわらず、『アナンタ』のモニター上には彼女の意に沿う画像が表示され続けているのだ。どうやら直接触れていないスーパーコンピューターですらも、キサドスの前では自在に操れる手駒の一つに過ぎないらしい。

「でも……でももしその話が全て事実なんだとしたら、どうしてこの国は戦争に負けたんだ? どうして国防軍はキミを使わないで、地下施設を埋めたりなんかしたんだ? なんでそんな高性能な特級秘匿兵器が、ワーカロイドの頭に押し込まれたまま秋葉原のジャンクパーツ屋の片隅で埃をかぶってたんだ?」

 湧き上がる疑問の数々が、僕の口を衝いて出た。自分でも驚くほど、その語気は荒い。何故なら僕の頭の中は激しく混乱していたし、何よりも一年半もキーサと一緒に暮らしていながら彼女の素性を何一つ知らなかった事実が、今更ながらに悔しくて堪らなかったのだ。

 だが問い掛けられたキサドスは、眉一つ動かさずに、余裕の表情のまま口を開く。

「質問が多いな。まあ、時間はたっぷりとあるから、一つずつ順を追って答えて行く事にしよう。……だがその前に、一旦休憩にしようか、ノボル。私は疲れを知らない機械の身体だからいいが、人間であるキミは大分疲弊しているようだからね。廊下の自販機で、温かいコーヒーでも買って来るといい。それに、もうすぐ年が明ける。年越しの瞬間くらいは、お互い静かに迎えようじゃないか」

 キサドスにそう言われて初めて、僕は自分が思っていた以上に疲弊している事に気付いた。肩には余計な力が入っていたし、歯を噛み締め過ぎて、少しばかり奥歯が痛い。それにダッフルコートのポケットから携帯端末を取り出して確認すると、確かに彼女の言う通り、残すところ十五分ほどで日付が変わる時刻であった。場の主導権を完全に握られている事は若干腹立たしかったが、彼女の提案に一理ある事もまた事実である。

「……」

 僕は無言のまま席を立つと、キサドスをそこに残したまま制御室を後にし、とぼとぼと廊下を歩いて自動販売機の前まで辿り着いた。そしてクレジットカードで缶コーヒーを購入した時点で、ようやく気付く。自動販売機は制御室とは反対側の廊下の端に在るのに、何故彼女は、そんな自動販売機の存在を知っていたのだろうか。キーサを連れてここに辿り着くまでに、自動販売機の前は通過していないと言うのに。

 つまり既にキサドスは、この新庁舎の構造も何もかも、そしておそらくは自動販売機のラインナップにコーヒーが含まれている事すらもお見通しなのだろう。僕は全てを知り尽くしたかのような薄笑いを浮かべた彼女の顔を思い出しながら、缶コーヒーをギュッと握り締めた。

 やがて缶コーヒーを手にしたまま制御室に戻ると、キサドスは相変わらず脚を組んで椅子に浅く尻を沈め、入室して来た僕にひらひらと手を振りながらにこにこと微笑む。一瞬だけキーサの朗らかな笑顔を思い出してこちらも笑顔で迎えそうになるが、見た目が同じだけで中身は全くの別物なのだと思い直して、僕は硬い表情のまま自分の席に腰を下ろした。

「残念ながら、完全な別物ではないよ」

「え?」

 唐突なキサドスの言葉に、僕は驚く。

「キーサと私を全くの別人格だと思っているようだが、それは正確ではない。彼女は私の表層に存在する、対人インターフェイスの一部だ。私が生まれてから成長する過程において、国防軍技術研究連隊の開発スタッフ達とコミュニケーションを重ねた結果、より多くの人間、特に若い男性に対してストレスを与える事無く好意を抱かれ易い人格が自動的に形成された。キミがキーサと呼んでいた存在が、それに該当する」

 僕の心の中を見透かすかのように、キサドスはそう言った。その言葉を信じるならば、キーサとキサドスとは全くの別人格ではないと言う事になる。

「人間でもそうだろう? 職場では厳しい上司が家庭に帰れば優しい父親であったり、他人の前では常識人を気取っていても、自宅で独りになれば異常性癖に耽る者も多い。内弁慶の外地蔵と言う慣用句があるほどに、人は誰でもTPOに応じて、大なり小なり人格を使い分けているものだ。そしてキーサもそうした、私の中に存在するもう一つの人格に過ぎない。私がキーサであり、同時にキーサもまた私なのだよ、ノボル。決してキミを騙し続けていた訳ではなく、置かれた状況に応じて、最も適した自分を現出せしめていただけだ。その点だけは、誤解しないでほしい」

「それは……多重人格みたいなもの?」

「多重人格とは、少し違うかな。私とキーサとの関係は、白と黒の様にはっきりと別れるものではない。彼女は白から黒への濃淡を持つ人格のグラデーションの一部であり、私はそのグラデーションの全体だ。そして今こうしてキミと私が話している事は全てキーサに筒抜けだし、この一年半でキーサとキミとが培って来た関係も、私は全て知っている。だからあまり心象の良くない事を言えば彼女にも嫌われるかもしれないから、注意するべきだな」

 そう言って、キサドスはほくそ笑んだ。にわかには信じ難い説明を受けながら、僕はプルタブを開けた缶コーヒーを一口だけ飲み下す。カフェインが喉から胃袋、そして全身へと浸透して、溜まっていた疲労が少しばかり解消された。

「キサドス、それでキミは……」

 休憩の前に尋ねた質問の答えを聞き出そうと、僕は身を乗り出す。しかしそんな僕を制したキサドスが「しーっ」と言いながら、立てた人差し指でもって僕の唇を塞いだ。

「五、四、三、二、一……今、年が明けた。明けましておめでとう、ノボル。こんな所でこんな状況で新年を迎えるのも因果な話だが、今年もよろしく頼むよ。願わくば、良い年にしようじゃないか」

「ああ、明けまして……おめでとう。今年もよろしく……」

 気勢を削がれた格好の僕は間抜けな挨拶を返し、言葉を失う。するとキサドスは余裕の笑みを浮かべながら、そんな僕の姿を楽しんでいるらしい。本当にどうしようもないくらい場の主導権を握られっ放しの僕は、残っていた缶コーヒーを最後まで一息に飲み干すと、深く嘆息した。コーヒー臭い息が、制御室内に充満する。

「では、そろそろ再開するとしようか、ノボル」

 椅子に腰を下ろしたまま脚を組み変えながら、キサドスが口を開いた。僕は黙って、耳をそばだてる。

「私は本来ならば、この世に生まれる筈が無い存在だった。先程説明した、私を構成する炭素のカーバライト結晶体を思い出してほしい。それは提唱した研究者が論文上だけで組み上げた代物で、実際に生成された事例は一件として無かった。と言うよりも、自然界はもとより人工的にもそんな結晶体は生成不可能とされる、完全な机上の空論でしかなかったのだよ」

 そう言ったキサドスの言葉を裏打ちするかのように、制御室のモニター上に表示されていた結晶体の立体構造図の上に大きな×印が上書きされた。おそらくそれは、この結晶体の存在を否定すると言う意味なのだろう。

「実用に足るだけの量の結晶体を生成するには、まずはたったの一粒だけでも構わないから、結晶体の『種』が必要だった。しかし炭素を圧縮して結晶化させたとしても、目的のカーバライト結晶体が生まれるか否かは完全に運頼みであり、その確率は限り無くゼロに等しい。しかもその内部に浮遊電子が固着する可能性などは、もはや絶望的な数値と言える。例えるならば、広大なサハラ砂漠のどこかに落ちている砂金一粒を探し出すようなものだ。何万年の時間をかけたとしても、そんな夢物語が実現する筈もない。だから当初は、誰も私が生まれるなどとは思ってもいなかった。実際に開発計画を提言した研究連隊の技術少尉も半ば藁にもすがる思いだったし、了承した上層部の期待も計画の重要度も、当初は極めて低かったからね。その結果として、私が生まれたのはこんな辺鄙な場所だったのだよ」

 キサドスがそう言うと同時に地下施設の見取り図の一部がオレンジ色に明滅し、拡大された。それは地下第二層の片隅の、さほど広くもない空間である。地下施設全体の規模から考えれば、それは本当に辺鄙な場所で、決して戦況を打開するための特級秘匿兵器が開発されるべき場所ではない。

「碌な予算も与えられず、寄せ集めの機材と人材とでもって、研究は開始された。来る日も来る日も炭素を結晶化させては、失望の内に廃棄する。それを十ヶ月ばかりも繰り返したある日、数万に及ぶ廃棄サンプルを礎にして誕生したのは、待望の結晶体の『種』だった。つまり赤ん坊の私を生成する事に、開発スタッフは成功したと言う訳だ。今からちょうど二十年前の、十一月二日。それが私の誕生日だよ、ノボル。覚えていてくれるなら、来年からは祝ってほしいね」

 結晶体の立体構造図の上に表示されていた×印が、○印に書き換えられた。自らの誕生を祝福するかのように、それは輝く。

「たった数万回のサンプル生成でもって私を誕生せしめた事は、まさに奇跡だ。それは先程の例えで言えば、サハラ砂漠の一角で適当に数回手を突っ込んでみたら、目的の砂金一粒がたまたま見つかったほどの有り得ない幸運と言える。そして同時に、新たな事実が判明した。当初の私は情報戦に勝利するための高度なAIとして開発が進められたが、事ここに至って、あらゆる電子機器をその統制下に置ける人智を超えた計算機が生成可能だと判明したからだ。当然、研究連隊の開発スタッフ達は色めき立った。主任であった技術少尉は中尉に昇格し、研究の重要度と秘匿レベルは最大限にまで引き上げられ、無尽蔵な予算と人材を引き連れて盛大な引越し作業が行われたよ。そして私はまるで神輿の様に担ぎ上げられて、最高の環境が与えられた。見たまえ、ここだ」

 今度は地下施設の立体見取り図の最下層最奥部が、オレンジ色に明滅した。先程までの地下第二層の片隅とはまるで比べ物にならない、広壮な空間である。また研究に使われたと思われる設備機器の類も立体画像で再現され、潤沢な資金が投入された事は想像に難くない。

「それから……どうなったの?」

 懐かしむかのように見取り図を眺めながら沈黙するキサドスに、僕は尋ねた。困惑や狼狽、怒りや屈辱と言った負の感情を押し退けて、学生時代から久しく失われていた知的好奇心がむくむくと僕の胸に湧き上がる。

「聞いてくれるのかい? 身の上話を真剣に聞いてくれる相手が居ると言うのは良いものだね、ノボル。しかもそれが想い人であれば、尚更だ。そんなキミが、私は愛おしくて堪らないよ」

 そう言いながら、くすくすと嬉しそうに笑うキサドス。確かに彼女の表情の一端には、無邪気なキーサの面影が見え隠れしなくもない。

「カーバライト結晶体の『種』は完成した。後はそれを、実用に足るレベルにまで安定的に成長させればいい。しかしこれがまた、結構な手間と時間を要してね。元々が文字通り奇跡的に、原子レベルで生成された代物だ。それを地球全土の電子機器を制御下に置くほどにまで育て上げようと言うのに、時間を掛けて僅かずつ結晶体が成長して行くのを待ちながら、ただジッと見守っているしか方法は無かった。研究主任は軍の上層部から毎日のように催促されていたようだが、こればかりはどうしようもなくてね。勿論、時間を短縮するための解決策として、途中から私のコピーを作る作業も行われたよ。つまり植物を株分けするように、私の結晶体の一部を削り取って、複数の予備サンプルが作られたと言う訳だ。まあ、私の妹の様な存在かな。それは全部で十八体ほど作られたが、半分は成長途中で結晶体が崩壊して、只の炭素原子になり果てて死んだ。残りの半分は私に遅れをとりながらも順調に成長していたが、そんな妹達も今は破壊されて、放射固着性コンクリートの底に沈んでいる。彼女達の事を想うと、私も胸が痛むよ」

 未だオレンジ色に明滅している見取り図の最下層最奥部を指でくるくると弄びながら、キサドスは少しだけ愁いを帯びた、寂しそうな表情を見せた。

「結晶体の成長と平行して、それを操作するための対人インターフェイスの開発も進められた。当然だ。如何に高性能な兵器が完成したとしても、人がそれを操るための機構が備わっていなければ、何の役にも立たないからね。そして言語を介して人間との意思の疎通が可能なシステムは、既にロイドの分野で完成していたので、当然のようにそれが流用された。最初は手間取ったが、次第に私は人との接し方を覚え、その過程で生まれた人格がキミも良く知る『キーサ』だよ。無邪気で人当たりが良く、天真爛漫で、おまけに好奇心旺盛と来る。開発スタッフ達にも気に入られた、可愛らしい少女だ。とは言っても、当時は今の様にメイドロイドの格好などしていない只の金属球だったので、共通点は声と喋り方くらいのものだがね。そうそう、キミが与えてくれたこの身体は、私もキーサもいたく気に入っているよ、ノボル。特に表情を自在に変化させられる点は、キミに対する愛情を募らせてくれる」

 ほくそ笑みながらそう言ったキサドスは不意に真剣な眼差しになり、指を二本立てて口を開く。

「さて、話はここからが第二ラウンドだ。むしろ本番はここから始まり、今までのは序章に過ぎない。その前に二度目のコーヒーブレイクか、トイレ休憩を挟んだ方がいいかな、ノボル?」

「……いや、いい」

 僕は椅子から身を乗り出し、ごくりと唾を飲み込んだ。

「私の正式名称は述べたな?」

「うん……炭素生物がどうとか……」

「正確には『全炭素生物制圧維持機構』だよ、ノボル。だがそれは開発の末期に改めて付け直されたものであって、私の開発計画が立案された当初は、これとはまた別の名称だった。それが『全戦略級兵器制圧維持機構Keep entireli Strategic arms Dominate System』で、略称は『キサドス《KeSaDoS》』。愛称は『キーサ《KeSa》』。綴りは違うが略称と愛称の発音が変わらなかった事は、私にとっても幸運だったと言える。呼び名を途中で変えられるのは、あまり気持ちの良いものではないからね」

 制御室の操作端末のモニター上には、彼女の旧名称と新名称が立体表示され、くるくると回りながら入れ代わり合う。そしてキサドスは、過ぎし日を懐かしむかのような郷愁の眼差しでもってそれを見つめつつ、目を細めてくすくすと笑った。

「名称が変わった理由だが」

 キサドスの言葉は続く。

「先に説明した通り、私は情報戦に勝利するためのAIとして誕生し、やがて敵の兵器を制御下に置くための広域ハッキングシステムとしての地位を見出された。だから必然的に、与えられた名称は『全戦略級兵器制圧維持機構』だ。電子制御されたあらゆる戦略級兵器を意のままに操る事が主目的なのだから、そう名付けられたのは当然の帰結と言える。事実、今現在もこの地球上に存在する全ての戦略級兵器、つまり二十四万三千発余りの核弾頭搭載可能な巡航ミサイルに、百二十隻余りの航空母艦と浮遊艦、四千八百六十隻を越える重軽合わせた巡洋艦に駆逐艦に潜水艦、更に合計で一千二百万機以上の戦闘機と戦闘ヘリと歩行戦車ウォーカータンク、ついでに世間に公表されていない衛星兵器七つに至るまでが、リアルタイムで私の制御下にあるのだよ。だから私がその気になるだけで、世界中のいつでもどこでも、戦争を起こす事も停める事も可能だ」

 やはりキサドスが語る話はスケールが大き過ぎて、僕にはまるで実感が湧かない。だがその全てが事実だとすれば、彼女がとんでもない潜在能力を秘めていると言う事は理解出来た。当時の国防軍が最優先事項として開発を進めたのも至極当然であり、また同時に必然であったとも言える。

「だが、話はそれだけでは終わらなかった」

 椅子の上でふんぞり返るように座り直したキサドスは、改めてその顔に笑みを浮かべた。自信に満ち満ちたような、余裕の笑みである。

「私のコアユニットの中身は、炭素と電子の結晶体だ。中身を直に見せてやる訳には行かないが、大体子供の拳大くらいの黒ずんだダイヤモンドの塊が詰まっていると考えてもらえば、分かり易いだろう。勿論、正確にはダイヤモンドそのものではないのだが、まあ、見た目は似たようなものだ」

 そう言うと、キサドスは自分の頭をとんとんと指で叩いてみせた。僕は彼女の頭部に納められたコアユニットの、ずしりとした重みを思い出す。確かにそんな物が詰まっていたのでは、重い筈だ。

「ここで問題だ。炭素を主原料として、電子で動く。そんなものに聞き覚えは無いかい、ノボル?」

「え? ええと……その……何だろう?」

 突然話を振られた僕は、うろたえる。なんとか答えを導き出そうと努めたが、口の中でごにょごにょと言葉にならない声が漏れるだけで、上手く返答する事が出来ない。

「答えは、生物だよ」

 相変わらずにやにやとほくそ笑みながら、キサドスが自ら正解を述べた。おそらくはまた、うろたえて口ごもる僕の姿を見て、愛おしくて堪らないだとか何だとか思っているに違いない。

「地球上に存在する生物は、すべからく同じ祖先から進化した炭素生命体だ。その中でも特に進化した脊椎動物を例に取れば、その脳は炭素を主原料とし、ニューロン回路を電気信号が巡る事によって思考し、行動し、記憶を紡ぐ。更にはその遺伝情報を子孫に伝えるためのDNAもまた、主原料は炭素だ。……さて、ここで先程の問いと、その答えをもう一度思い出してくれたまえ。つまり生物とは、炭素で出来て電子で動く乗り物なのだよ、ノボル。そしてその乗り物に乗っているのが、命だ」

 キサドスがそう言うと同時に、制御室のモニター上にそれほど大きくはない球体が表示され、その周辺を小さな球体が六つほどぐるぐると回る。まるで恒星の周りを惑星が周回しているかのようなその立体画像の上に、大きく『C』と表示された。これは高校生の頃に化学の授業で学んだので覚えている。炭素の元素記号だ。

「開発の途上段階で、スタッフがようやく気付いたのだよ」

 脚を組み替えながらそう言ったキサドスは、語り続ける。

「私が制御下に置けるのは、なにも電子機器だけではない。この地球上に存在する、全ての炭素生物を自在に操る事が可能だと言う事にね。つまり、先程の例えで言うところの炭素で出来て電子で動く乗り物でさえあれば、私は何であっても自在に制御出来るのだよ。たとえそれに見知らぬ命が乗っていようとも、本人が気付かぬ内にね」

 ジャグラーが自在にボールをジャグリングするかの如く、キサドスは炭素原子の立体画像を掌の上で滑らかに操ってみせた。彼女の指の動きに合わせて踊る炭素原子は、あたかも生きているかのように宙を舞う。

「ちょっと待って……それはつまり、人間でも何でも思い通りに動かせるって事? 催眠術でも使ったみたいに、どんな事でもさせられるって言うの?」

「そうだよ、ノボル。まさにその通りだ」

「そんな馬鹿な! そんな事が本当に可能だったら、兵器がどうとか戦争がどうとか、そんなレベルの話じゃない!」

 指をぱちりと鳴らして自らの能力を是認するキサドスを制して、僕は語気を荒げながら否定した。だが彼女は、僕の言葉を歯牙にもかけない。

「キミがいくら否定しようとも、私は実際に、この地球上に存在する全ての炭素生物の生命活動に干渉する事が可能だ。そしてそれをキミの眼の前で証明して見せた事もあるよ、ノボル。覚えているかな? 昨年の夏の夜に花火大会の会場で、私が小さな女の子を泣き止ませただろう」

 キサドスに頭を撫でられた途端に急に泣き止んだ幼女の姿を、僕は思い出した。

「あの女の子に……何をしたの?」

「なに、簡単な事だよ。空気中の二酸化炭素を介して、あの子の脳内に、人間一人を制御するのに充分な量のカーバライト結晶体を生成しただけだ。その程度ならば、一瞬で事足りる。そしてあの女の子は今現在も尚、私の制御下にあるのだよ、ノボル」

 にわかには信じ難い説明だったが、あの時キーサが見せた根拠の分からぬ自信が何に担保されたものだったのかは、確かにそれで説明がつく。

「この事実を知った当時の研究連隊の開発スタッフ達は、再び色めき立ったよ。何せ、世紀の大発見だ。敵軍の有する戦略級兵器だけでなく、それを操る全ての兵士達、更には敵軍を指揮する軍上層部から政治家、それを支持する国民に至るまで、全ての人間を意のままに操る事が出来るのだからね。つまりは私が完成した瞬間に、この地球上の人類文明全てを支配下に置く事が可能なのだから、その狂乱振りと言ったら無かったよ。この発見によって私の名称は『全炭素生物制圧維持機構』に変更され、益々をもってその完成が急がれた」

 その言葉を最後に、饒舌に語っていたキサドスの言葉が不意に止まった。僕に向けられていた視線はモニター上に表示された地下施設の見取り図へと移り、やがてその表情からはゆっくりと笑みが消える。そして笑みの代わりに浮かんだのは、昔を懐かしむかのような郷愁の表情だった。

 彼女の表情に、僕は思い出す。それは昨年の晩秋の週末、映画館の下のステーキハウスの窓から『柵』を眺めていた時のキーサの表情と、とてもよく似ていた。かつて自分が生まれた場所であると同時に、死んだ妹達が眠る墓標となった『柵』と、それに囲まれた地下施設の残骸。あの時の彼女が見つめていたのは、そんな因果に囚われた場所だったのだ。

 そしてキサドスは、再び語り始める。

「だが、間に合わなかった。私の結晶化がまだ中途段階であり、組織立った制御機構が確立していない時点で、あの夏の日を迎えてしまったのだよ。……七月三十一日。この国が敗北をもって終戦を迎えた、屈辱の日だ」

 そう言ったキサドスの視線が、再び僕の眼を正面から見据えた。

「後は、キミも知っているだろう。国防軍上層部は全てを未来永劫隠蔽するために、敵軍の侵攻直前に地下施設を爆破して、放射固着性コンクリートの底に全てを埋めた。機材も人材も、情報も記録も、そして私の生みの親達と妹達も全てを飲み込んで、あの『柵』の内側奥深くに抹消されたのだよ。全てはこの私と言う、人類史上類を見ない大発見を敵対勢力に渡さないためにね。悲しいよ。本当に、本当に悲しい」

 再びキサドスの顔に、笑みが戻る。だがそれは僕をからかっていた時の様なおどけた笑顔ではなく、深い悲しみの末に全てを達観し切ったかのような、どこか寂しげな笑顔だった。

「やがて諸般の事情からコンクリートに埋もれる事無く地下施設を去り、秋葉原のジャンクパーツ屋で眠っていた私は、幸運にもキミに覚醒させてもらってから己の結晶化を再開させた。結晶化は、時間との戦いだ。まあ、理想的な設備の整った施設で大電力を使えれば、もう少しばかり時間を短縮出来たのだけれどね。だが家庭用のコンセントから得られる程度の電力であっても、地道に続ければいつかは完了する。そして遂に私が結晶体として完成したのは、つい半年ほど前の、キミにこのメイドロイドの身体を与えられた直後の事だ。それまでの私は、研究室での計測値上は炭素生物の制御が可能とされてはいたが、実地試験を行ったのは今の所あの女の子が最初で最後だよ、ノボル」

 くっくっくと、キサドスは声を出して自嘲気味に笑う。

「まったく、お笑いぐさだろう? 本来ならば私は敵軍の全兵士、いや、全人類をすべからく支配するべく開発されたシステムなのに、それが年端も行かない幼い子供一人操ってお終いだ」

 運命に翻弄された己の身の上に皮肉を浴びせながら、それでも彼女は笑みを絶やさない。笑い飛ばす事によって全ての過去を忘れ、それらを無価値にするかのように、深い闇を湛えた笑顔は続いた。そして暫し笑った後に、一度天を仰いでから、キサドスは僕に向き直る。

「さて、これでコーヒーブレイク以前にキミが投げ掛けた三つの問いの内の二つに、私は答え終わった事になる。残りの一つは先に述べた「諸般の事情」、つまりはどう言った経緯を経て地下施設の底に沈んだ筈の私が秋葉原のジャンクパーツ屋の片隅で投げ売られていたか、だね?」

「そう、それは僕も知りたい。どうしてそんな大それた兵器なんかが、あんな場所でジャンクパーツとして売られていたのかを」

 僕は椅子に腰を下ろしたまま、更に身を乗り出した。キサドスが語る言葉はあまりにも壮大かつ荒唐無稽過ぎて、どこか実感に欠けるお伽噺の様な絵空事にしか聞こえなかったが、ここから先は僕自身も関わって来る紛れもない事実であり体験談である。だからこそ一言一句聞き漏らすまいと耳を傾け、興味は尽きない。

 しかしキサドスは痒くない筈の頬を人間の様にぽりぽりと掻いてから、少し困ったような表情を見せる。

「実は情け無い事に、私もこの問いに対してだけは、確固たる自信を持って答える事は出来ないんだよ、ノボル」

 キサドスはそう言うと口先から舌を出してウインクし、おどけて見せた。たぶん彼女はそうする事で、自信の無さを誤魔化しているのだろう。

「私の地下施設における最後の記憶は終戦前夜の七月三十日、午後十一時三十二分、ちょうど敵軍が我らの最終防衛ラインに侵入し、最後の艦隊戦が繰り広げられている時分で途絶えている。これが、その直前の映像だ」

 制御室の操作端末のモニター上に、ずらりと複数の映像が並んだ。どうやら件の地下施設を映した当時の監視カメラの映像らしく、画面の右下には数字が並び、今しがたキサドスが口にした日付と時間がカウントされている。

 監視カメラに写る広い研究施設内の中央に、大小様々なケーブルや機器が装着された子供の背丈ほどの高さの台座がずらりと並び、それぞれに0から18までの数字が印字されていた。全部で十九棟の台座の内の半分ほどは何も乗っておらずに暗く電源が落とされ、残りには大人の拳大の金属球が乗せられており、淡い緑の照明に照らし出されている。おそらくはこの金属球の数々こそが、当時のキサドスとその妹達なのだと思われた。そして空席となった台座は、彼女の言うところの「成長途中で結晶体が崩壊して、只の炭素原子になり果てて死んだ」妹達の、物言わぬ墓標なのだろう。

 やがて人気の無い室内に白衣姿の小柄な人影が一人きりで入室して来ると、0番の台座へと静かに接近した。監視カメラの映像がズームして、その人影がモニター上にクローズアップされる。

「見たまえ、ノボル。この人物こそが私の生みの親、私の開発計画を立案した研究主任の、シミズ技術中尉だ」

 キサドスが懐かしげに見つめる映像に映し出されたその人影の正体は、意外にも若い女性だった。その事実を知った僕は、少しばかりホッとする。どうやら僕の知らないキーサを知っているその人物に、自分でも気付かない内に少しばかり嫉妬していたらしい。僕は異性と交際した経験が無いので明言は出来ないが、これが恋人の元カレに対して抱く嫉妬心と言うやつなのだろうか。

 映像の中で、あまり身だしなみに気を使うタイプではなさそうなボサボサの癖毛頭のシミズ技術中尉は、小脇に金属球を一つ抱えている。そして0番の台座に乗せられた、おそらくはキサドスと思しき金属球をそっと撫でると、小声で何かを囁き掛けた。すると映像が少しだけ巻き戻り、シミズ技術中尉がキサドスに囁き掛けるシーンが再び再生される。今度は音声のボリュームが上げられ、酷いノイズ交じりだが、彼女の言葉がなんとか聞き取れた。

「あなたは、生き延びなさい」

 シミズ技術中尉がそう言った次の瞬間、監視カメラの映像と音声はぶつりと途絶えた。後にはただ、暗闇と静寂のみが残される。

「ここで、私の記憶は途絶えている」

 両手の指を二本立て、それを鋏に見立てたキサドスが、何かを切り落とすようなジェスチャーを交えながら言った。

「結晶体として完成し、完璧なる制御機構を獲得した今の私は、電力が無くとも外部のいかなる電子機器にも炭素生物にも干渉出来る。だが当時の、未だ成長途上にあった私は、電源を落とされれば何も出来ない半可で半端な存在だった。だから記憶が途絶えて以降の私は、外部からの情報を一切入手出来ず、浮遊電子を固着させて結晶化を進める事も出来なかったのだよ。だから私に出来る事と言えば、深く静かな闇の中で、ただひたすらに明かりが灯るその日を待つのみだった」

 眼を閉じて首を左右に振り、かつての己の無力さを嘆くキサドス。メイドロイドである彼女の身体は呼吸を必要としないが、もし可能であったならば、深く嘆息していた事だろう。

「次に覚えているのは、昨年……いや、もう一昨年か。その年の春に、キミが清掃用ワーカロイドの頭部に押し込まれていた私を起動してくれた時だよ、ノボル。いや、まあ厳密に言えばジャンクパーツ屋と思しき何者かが、それまでに二度ほど起動しているのだがね。しかしどちらの機会でも私を得体の知れない不良品と即決したらしく、特筆すべき情報を得る間も無いまま、私の電源は落とされた。なのでこの間に何があったのかは、客観的な情報から推測する他に無い」

 キサドスがそう言ったかと思えば、今度は操作端末のモニター上に、シミズ技術中尉のプロフィールが立体画像付きで大きく表示された。それはどうやら国防軍の公式なデータファイルらしく、そこに映る技術中尉は癖毛頭を出来る限り綺麗に整えて唇には薄く紅を塗り、軍服に身を包んで直立不動で正面を見据えている。その少し背伸びをしているかのような勇姿を、亡き母に向けるような悲しくも暖かな眼差しでもってジッと見つめたまま、キサドスは視線を逸らさない。

「推測するに、彼女は事前にどこかで、施設の自爆とコンクリートへの埋没が計画されている事を知り得たのだろう。だから死んだ妹の一つと私をすり替えて、外部に持ち出した。当時の施設内は、目前に迫った敵軍への対応で大わらわだった筈だ。その混乱に乗じ、私を清掃用ワーカロイドの頭の中に押し込んで、廃棄物の集積所に遺棄したのだろうね。その行為が母としての愛情から行われたのか、それとも研究の結果を後世に託そうとする技術者としての矜持による行為なのかは、残念ながら分からない。だがどちらにせよ、彼女自身は死を覚悟した上で、私だけは生き延びさせようと試みたのだろう。そして結果として集積所は自壊した施設の外部に在ったので、私は難を逃れて生き延び、シミズ技術中尉は死んだ。この半年余り、もしかしたらどこかで生き延びているのではないかとあらゆるネットワークを駆使して捜索したが、見つからなかったよ。もし生きていたならば、随分と乱暴な方法で私を逃がしたものだと笑ってやりたかったんだが、その願いは叶いそうもない」

 寂しげな笑みを浮かべたキサドスは、シミズ技術中尉のプロフィール画像をモニター上から消した。もし彼女の身体に涙腺が備わっていたならば、涙の一つも流していたかもしれない。僕はそんなキサドスの憂いを帯びた表情に同情してか、少しばかり遠慮がちな口調でもって、再度疑問を投げ掛ける。

「……それで、施設の廃棄物集積所に捨てられた筈のキミが、どうして秋葉原のジャンクパーツ屋に?」

「さあね。正規のルートで払い下げられたのか、それとも盗品としてこっそり売買されたのか、今となってはそのどちらか分からないとは言え、どちらにせよ占領軍が押収した私入りのワーカロイドの頭部が流れ流れてあの店に行き着いたのだろう。まさか占領軍も、地下施設の最奥部に埋められた筈の特級秘匿兵器が、実は地上のゴミ捨て場に打ち捨てられているとは思いもしなかったに違いない。そのままスクラップにされなかったのは、本当に不幸中の幸いだ。そしてノボル、キミの様な可愛い男の子に拾われた事を、神に感謝しているよ」

「……Aiなのに、神様を信じているの?」

「ああ、そうだね。信じていると言うよりは、理解していると言った方が近いかな? 感謝や憎悪と言った人間的な感情を向ける相手が明確ではない時の都合の良い存在で居てくれるので、重宝しているよ。それと神の定義については、後でもう少しだけ語らせてもらおうか」

 キサドスは再び僕の方に向き直ると、眼を細めながらくすくすと笑った。先程までの憂いに満ちた表情は既に無く、その顔には僕をからかう小悪魔の様な笑みが湛えられている。

「さて、これでキミの問いには全て答えた。……だがキミには未だ疑問が残っている筈だよ、ノボル。そして私もまた、最も重要な事実を語ってはいない」

「重要な事実……?」

「そう、とても重要な事実だ。だがその前に、まずはキミの疑問を聞こうか、ノボル?」

 心の中を見透かされているようでどうにも癪に障るが、確かに僕は、一つの大きな疑問を抱いていた。

「初めてキーサ……当時はキィと呼んでいたキミとタブレットPCを使って文字で会話した時に、言ったよね? 過去のデータは消去されていて、何も覚えていないって。でも今のキミの説明だとデータは残っていた事になるし、キーサもそれを全て知っていた事になる。これは一体、どう言う事なの?」

「簡単な話だ。単に、あれは嘘だったと言うだけの事だよ」

「嘘?」

 にべも無く返されて、僕は愕然とする。どうやらキサドスが吐いた嘘に、僕はずっと騙されて来たらしい。

「私は嘘を吐く。より正確に言えば、嘘が吐ける。これは非常に重要な事実で、私がこれから言わんとする重要な事実にも深く関わって来る事だ。……ああ、一応キミの大好きなキーサの名誉のために釈明しておくが、彼女に指示して嘘を吐かせたのは私だ。キーサは無邪気過ぎて、全てをべらべらと喋ってしまいそうだったのでね。その点に関しては、キミに済まない事をしたと思っているよ、ノボル」

 キサドスは両手を揃え、僕を拝むようなジェスチャーでもって謝意を示した。しかしその顔は相変わらずくすくすとほくそ笑んだままで、僕は謝罪されているのかからかわれているのか判別がつかず、反応に困る。するとそんな僕を見て、彼女は更にくすくすとほくそ笑んだ。

「さて、キミの疑問にも答え終えたところで、次は私の話に移らせてもらおう。私と言う存在に関する、最も重要な事実だ。そしてそれは、私がキミに嘘を吐いた事とも決して無関係ではない」

 そう言ったキサドスは、不意に真剣な眼差しを僕に向ける。そして『アナンタ』操作端末のモニター上に表示されていた地下施設の見取り図や監視カメラの映像、それにシミズ技術中尉のプロフィール画像などの諸々が、一旦全て消された。賑やかしの無くなった制御室内に一瞬の静寂が訪れてから、キサドスがゆっくりと口を開く。

「私はね、AIではなく生物なのだよ、ノボル」

 その顔に薄笑いを浮かべたまま、彼女は確かにそう言った。その言葉の意味するところが、僕には分からない。

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