第十幕


 第十幕



 毎年毎年よくもまあ飽きもしないものだと思うが、今年もまた地中から顔を出した蝉の幼虫が羽化して成虫となり、入道雲が立ち上る真っ青な大空を飛び交っていた。そして彼らの命懸けで叫ぶようなみんみんと言う鳴き声が耳に届くたびに、今年もまた盛夏の到来が近い事を僕は思い知る。

 発電の主力エネルギー源が化石燃料から圧縮プラズマ炉に移行して以来、人類文明が排出するCO2《二酸化炭素》の総量はピーク時から半減した筈なのだが、地球温暖化とやらは未だ止まってくれてはいないらしい。かつて永久凍土と呼ばれていた北極圏の氷河地帯も、その半分以上が今では融けて無くなってしまったと言うのに、灼熱の太陽はまだまだ地球を焼き尽くす気満々だ。つまり何が言いたいかと問われれば、この国の夏は、今年もまた茹だるように蒸し暑いと言う事である。

「うわっ」

 玄関のドアを開け、エアコンで快適に冷却された室内から戸外の空気に身を晒した僕は、あまりの蒸し暑さに思わず声を漏らしてしまった。熱を含んだ湿気の塊が全身を包み込むように絡み付いて来て、間髪を容れずにじっとりと全身に汗が滲み始める。もう陽は傾いて夕闇が迫りつつあると言うのに、夏は容赦無くその存在感を主張していた。

「キーサ、もう出るよ」

「ノボル、待って待って」

 少し遅れて、キーサが僕の後について部屋から出る。そしてドアを施錠し終えた僕らはエレベーターで一階に下りると、昼間は管理人が常駐するエントランスを経てから、賃貸マンションの外に足を踏み出した。

「それじゃあ、ちょっと遠いけど歩いて行こうか」

「うん、キーサ、お出掛け大好き! 歩くの、全然へっちゃら!」

 強がりでも謙遜でもなく、実際に散歩が大好きな彼女と手を繋ぎながら、僕は暮れなずむ浅草の街を歩き始めた。とりあえずまずは、国際通り沿いの多くの人々が行き交う街道を、雷門通りと交差する地点まで歩き続ける。茜色に焼けた空を背にした僕らの影がレンガ敷きの路面に長く伸び、その影もまた僕らと同じように手を固く繋いでいた。

 今夜はこれから、初夏から盛夏へと移り変わるこの時期恒例の、年に一度の隅田川花火大会が開催される。そこで僕とキーサは二人揃ってそれを見物するために、隅田川の川沿いまで歩く事にしたのだ。

 やがて雷門通りを東進し、目的地が近付くに連れて、加速度的に道が混雑し始めると同時にそれらの見物客を見込んだ露店もまた軒を連ね始める。どこからか祭囃子も聞こえて来たが、きっとあらかじめ録音されたものがスピーカー越しに再生されているだけで、さすがに邦楽奏者による生演奏ではないと思われた。また街道沿いには多くの提灯が並べられ、そこから発される光が、夜道を明るく照らし出す。そしてそれらの提灯や露店の灯りに目移りしながらも、花火大会の開始まであと三十分ばかりの頃合で、僕とキーサの二人は目的地である吾妻橋に到着した。西の空ではまだ僅かばかりの夕焼けの名残がオレンジ色に地平線を染めており、雲一つ無い夏の夜空は絶好の花火日和である。

 さすがは都内で開催される花火大会でも有数の規模だけあり、どこからこれだけ沸いて来たのかと思うほどの人混みでもって、既に橋は埋め尽くされていた。警察車輌も数多く出動して交通規制が敷かれ、多くの警備用ガードロイドが行き交う人々を誘導する仕事に従事する。未だ花火が打ち上がり始めてもいないのに、橋の上は文字通りの意味でのお祭り騒ぎであった。見物客の中には、僕と同じようなロイド連れも少なくない。

「ちょっとここだと人が多過ぎるから、下の川沿いに下りようか」

「うん、そこ、ちょっと空いてるよ」

 橋まで来る途中の露店で缶ビールを一本買った僕とキーサは、とてもじゃないが立ち止まっていられないほどの人混みでごった返す大通りから距離を取り、川岸へと向かう傾斜地を転ばないように注意しながら駆け下りる。そして橋の上ほどは混雑していない適当な場所に陣取ると、僕は手にした缶ビールのプルトップを開けて、その中身をごくごくと飲み下した。よく冷えた苦味が喉を潤して、じっとりと汗が浮かんだ身体に染み渡るような心地良さが堪らない。倹約生活に励む僕にとって缶ビールは贅沢品だが、年に一度の祭りの夜くらいは、それを賞味する事も許されるだろう。

「それ、美味しいの?」

 キーサが僕の持つ缶ビールを指差して、興味深げに尋ねた。

「美味しいと言うか何と言うか……苦い……かな」

「苦いのが、美味しいの?」

 そう言って、キーサは不思議そうな表情を浮かべる。苦味は人間にとって不快なものとしか認識していないキーサにとっては、それを美味しそうに飲む僕の姿はこの世の謎でしかないに違いない。

「ノボルさん? ノボルさんじゃないですか?」

 その時、不意に頭上から誰かが僕の名を呼んだ。見れば橋の上に立ってこちらを見つめていたのはナガヌマで、彼女は橋の袂を迂回すると、人混みを掻き分けながらこちらへと駆け下りて来る。

「ああ、やっぱりノボルさんだ。こんな所で会うだなんて、奇遇ですね」

 そう言って息を切らせながら駆け寄って来たナガヌマは、花火大会に相応しくも浴衣姿であった。それも白地に淡い紺色が登り上がるようなグラデーションに染められた素地を水に見立て、そこに鮮やかな朱色で泳ぎ回る金魚が描かれた、涼しげでありながら艶やかな柄の浴衣である。

「やあナガヌマさん、奇遇だね。ナガヌマさんも花火見物に来てたんだ。一人で?」

「いえ、大学の友達と一緒に来ていたんですけれど、はぐれちゃって困っていたんです。それでノボルさん、もしよろしければ、あたしと一緒に花火を見ませんか?」

「え? いや、まあ、別に構わないけど……はぐれた友達とは合流しなくてもいいの?」

「はい、帰りに駅で待ち合わせする事にします。ですからそれまでは、一人だと何かと危険なので、ノボルさんと一緒に居させてください」

 微笑みながらそう言ったナガヌマは手にした巾着袋から携帯端末を取り出すと、電話でもって事の顛末をそのはぐれた友達とやらに簡潔に伝えた。そして改めて、キーサを手で指し示しながら僕に尋ねる。

「ところで、そちらのロイドはノボルさんのロイドですか?」

「ああ、うん。僕と同居しているメイドロイドの、キーサって言うんだ。……キーサ、この人が職場の後輩のナガヌマさんだよ。挨拶して」

 僕が紹介すると、キーサは「こんばんは、ナガヌマ」と言って軽く頭を下げた。

「こんばんは、キーサちゃん。お噂はかねがね聞いています」

 ナガヌマもまた、そう言って上品に頭を下げる。たとえ相手がロイドであっても横柄な態度に出ないあたり、彼女の育ちの良さが垣間見えた。

「それにしても、本当に奇遇ですね。ノボルさんは、毎年ここに花火を見に来ているんですか?」

「いや、別に毎年来ている訳じゃないんで、今年はたまたまかな。まあ、自宅から歩いて来れる距離だから、どうせなら近くまで見に来ようと思ってさ」

「と言う事は、ノボルさんのご自宅はこの辺りなんですね」

「うん、この辺りとは言っても浅草寺の反対側の花やしきの方だから、ここまで来るのには徒歩で二十分くらいかかるけどね」

 そう言って、僕は自宅の在る北西の方角を指差す。

「へえ、浅草に住んでいるのって、ちょっと憧れちゃいますね。よろしかったら今度、浅草寺とか仲見世通りとかを案内してくださいませんか? ……ところでキーサちゃん、前にお話をうかがった時のイメージではうちのコテツくんみたいな小さなペットロイドを想像していたんですけれど、こんなに立派なロイドだったんですね。ちょっと驚いちゃいました」

 僕と手を繋いだままのキーサを失礼にならない程度にまじまじと見つめながら、ナガヌマが言った。するとキーサは、胸を張りながら自慢げに言う。

「そうなの、キーサのこの新しい身体、ノボルが買ってくれたの! それまでは小さな身体だったんだけど、ノボルがこの身体をプレゼントしてくれたんだ!」

「そうなんだ。キーサちゃんは、ノボルさんの事が大好きなんですね」

「うん、キーサ、ノボルが大好き!」

 そう言って、キーサは屈託無く笑った。するとそんなキーサに呼応するかのように、ナガヌマもまた朗らかに笑う。どうやらこの二人は、意気投合とは行かないまでも、互いの初対面の印象は悪くないらしい。そして僕はと言えばそんな女二人の様子を横目に、キーサと親しげに言葉を交わすナガヌマに少しばかり嫉妬しながら、右手に持った缶ビールの中身をちびちびと飲んでいた。

「ノボルさん、よろしければそのビール、あたしに一口いただけませんか?」

「え?」

 唐突なナガヌマの言葉に、僕は少し驚く。

「別にいいけど……これ、飲みかけだよ? そこの露店で、新しいのを買って来たら?」

「いえ、構いません。ほら、あたし浴衣だから、今は出来るだけおトイレには行きたくないんですよ。ですから一本丸々飲むのはちょっと多過ぎるんで、一口だけいただきたいんです」

「それじゃあ、もうあと一口分くらいしか残ってないから、残りは全部あげるよ」

 そう言った僕は、中身が残り僅かな缶ビールをナガヌマに手渡した。すると彼女はサンタクロースからプレゼントを受け取った子供の様に、なんだかやけに感慨深げにその缶を眺めてから、そっと上品に飲み口に唇を寄せてビールの飲み干す。

「ごちそうさま」

 ビールを飲み干したナガヌマが、小さく可愛らしいげっぷと共に言った。勿論彼女は、飲み終えた缶をその場にポイ捨てするような非道徳的な真似はしない。

「あら?」

 不意に、ナガヌマが頓狂な声を上げた。見ればいつの間に近付いて来たのか、四歳か五歳くらいのぬいぐるみを抱えた小さな女の子がナガヌマの浴衣の袂を握り締めながら、彼女の顔をジッと見上げている。そして自分が握り締めた浴衣の主が母親でない事に気付いたらしい幼女は、その小さくて可愛らしい顔をくしゃくしゃに歪めながら、火がついたようにわんわんと声を上げて泣き始めた。

「あらあら、どうしたの? 泣かなくても大丈夫よ?」

 目線を合わせるためにしゃがみ込んだナガヌマがなだめようとするが、幼女は泣き止まない。

「迷子かな? 大丈夫だよ、ほら、泣かないで」

 僕もまた幼女をなだめようとするも、子供の扱いに慣れていない僕に出来る事は何も無く、おろおろと狼狽するのみである。そして周囲を取り巻く他の花火の見物客は、いつまで経っても泣き止まない迷子の幼女とそれをあやそうとする僕とナガヌマの二人を、何やら不審げな眼で見つめていた。

「参ったなあ……。とりあえず、迷子だったら花火の運営スタッフか誰かの所まで連れて行った方がいいのかな? 歩ける?」

 そう言った僕は幼女の手を取って歩かせようとするが、彼女はその小さな身体に似つかわしくない力でもって身をよじって僕の手を振りほどき、泣き喚きながらその場を動こうとしない。それはまさに、癇癪を起こした聴かん坊のそれそのものである。

「お嬢ちゃん、迷子なの? だったら、お姉ちゃんとお兄ちゃんと一緒に歩いてくれないかな? 駄目? 歩けない?」

 ナガヌマもまた幼女を歩かせようとするが、やはり彼女はぬいぐるみを抱えたまま立ち尽くし、わんわんと大声で泣きながら一歩も歩こうとしない。

「大丈夫だよ」

 狼狽する僕とナガヌマの二人の間に割って入りながらそう言ったのは、誰あらぬキーサだった。彼女は泣き喚く幼女と相対すると、その手をそっと優しく幼女の頭の上に乗せて微笑む。するとあんなにまでも大声で号泣していた幼女が、ふと何かを思い出したかのように泣き止んだ。そして彼女は顔を上げ、自分の頭を撫でているキーサと視線を合わせると、先程までの態度が嘘の様ににこにこと微笑み始める。

「ほら、大丈夫だったでしょ?」

 驚く僕とナガヌマを尻目に、自慢げにそう言ったキーサは、カーボン樹脂製の外装で覆われた腕でもって幼女を抱え上げた。抱っこされた幼女は、まるで実の母親にあやされているかのように上機嫌である。

「ノボル、この子をスタッフに預ける? 迷子センター、あるかな?」

「え? ああ、うん、そうだね。とりあえず、その辺りに居るスタッフに預かってもらおうか」

 そう言った僕は、幼女を抱え上げたキーサと浴衣姿のナガヌマを連れて、再び吾妻橋の袂へと足を向けた。そして警備用ガードロイドと共に交通整理に従事していた人間の警備員を探し出すと、花火大会の運営本部に在る迷子センターに連れて行ってもらえる事を確認してから幼女を引き渡し、ホッと安堵する。

「バイバイ、もう泣かないでね」

 警備員と共に迷子センターに向かう幼女に、キーサが手を振りながらそう言った。すると幼女もまたキーサに向けて手を振り、不自然なくらい上機嫌なその姿には、不気味な違和感すら覚える。

「ノボルさん、なんだか不思議な子でしたね」

「うん。だけど子供が不思議だったと言うよりは、なんでキーサに撫でられた途端に泣き止んだのかが不思議なんだけどさ」

 人混みの中へと消え行く幼女の背中を見送りながら、僕とナガヌマは訝しんだ。しかし怪訝な眼を向けられたキーサは、至って涼しい顔である。しかも彼女は、幼女を撫でる前からまるでこうなる事を予測しているような口ぶりだったのだから、尚更だ。

「ねえ、キーサ」

「何、ノボル?」

 僕はキーサに尋ねる。

「キーサはどうやって、あの子を泣き止ませたの?」

「気になるの、ノボル? だったら、特別に教えてあげる。キーサはメイドロイドだから、子供をあやすのがとっても上手なの。だから、あのくらいの子供を泣き止ますなんて、朝飯前なんだから」

 キーサは勝ち誇るかのように胸を張りながらそう言うものの、彼女の言葉を僕はどうしても信じられない。確かにメイドロイドは家事全般、そして時には育児に従事する事も珍しくないが、それはあくまでも生粋のメイドロイドに限られた話だ。キーサのように、出自不明のコアユニットが移植されただけのメイドロイドもどきにその機能が備わっているかどうかは、甚だ疑問である。

「そうなんですか、キーサちゃん、すごいですね」

 しかし猜疑心に囚われた僕とは対照的に、どうやら純真無垢なナガヌマは、キーサの言葉を信じたらしい。するとその時、世界が眩い閃光に包まれたかと思うと、夜空に大輪の花が咲いた。そして少し遅れてから空気自体が膨張するかのような轟音と歓声とが、僕の鼓膜と全身を震わせる。

「ノボル、花火始まった!」

 花火が打ち上げられている川下の方角を指差しながら、キーサが叫んだ。彼女の言葉通り、今年もまた隅田川花火大会が始まったのである。

「花火、近くだとすごい綺麗! 音もおっきくて、楽しい! ベランダから見るのとは、全然違う!」

 天を見上げる僕の腕にキーサが抱き付き、手を繋ぐと、楽しそうに声を上げた。

「うん、ちょっと遠かったけど、今年はここまで来て正解だったね」

「だね! うん! 正解!」

「やっぱり花火は、近くで見ると迫力が違うよなあ」

 去年も一応、自宅のベランダからキーサと一緒に花火大会を見物するにはしたのだが、ビルの狭間から小さな光が瞬くのを垣間見るだけの実につまらないイベントだった。それに比べたら、今年はこうして夏の思い出を作りにここまで足を延ばせた事自体が、信じられないほどの幸運なのだろうと思う。

「花火、綺麗ですねえ」

 そう言ったナガヌマが、本当に流れるような自然な仕草でもって、彼女の腕と僕の腕とを絡めて来た。不意に異性に急接近され、驚いた僕の胸の鼓動は高鳴る。

「ど、どうしたの、ナガヌマさん?」

「あら? ご迷惑ですか?」

「別に迷惑じゃないけど……」

 それ以上何も言わず、ナガヌマは夜空に次々と打ち上げられる花火の閃光をその血色の良い肌や艶やかな黒髪に反射させながら、僕と身体を密着させ続けた。僕は右手をキーサと繋ぎ、左腕はナガヌマと絡めていると言う、まさに『両手に花』を体現する格好そのものである。そして暫し、そんな身動きの取れない体勢のまま花火を鑑賞し続けた。

「ねえ、ノボルさん」

 やがて花火大会が始まって一時間ばかりも経過した頃、不意にナガヌマが夜空を見上げたまま尋ねる。

「あたし達って、似ていると思いませんか?」

「え?」

 僕は彼女の言葉の真意が汲み取れず、頓狂な声を上げながら聞き返した。するとナガヌマは、より一層僕に身体を密着させる。

「歳も背格好も似ているし、同じ会社で働いているし……。とにかくあたし、ノボルさんにすごい親近感を抱いているんです。だからこれからも、ずっとノボルさんと仲良くして行けたらいいなって思うんですよ」

「はあ……」

 はっきりと、親近感を抱いていると言われてしまった。異性からそんな事を言われたのは、間違いなく生まれて初めての経験である。もしかしたらナガヌマは、今こうしている間も、僕とデートでもしているつもりなのかもしれない。

「参ったなあ……」

 僕はナガヌマに聞かれないように小声で呟きながら、夜空に次々と打ち上がっては花開く光の祭典を見つめ続ける。


   ●


 特大の四尺玉が連続で打ち上げられたのを最後に、花火大会は終焉を迎えた。

「終わっちゃいましたねえ」

 そう言ったナガヌマが絡めていた腕を解くと、僕に尋ねる。

「ノボルさんは、これからどうなさいますか?」

「え? 僕はこのまま真っ直ぐ、キーサと一緒に帰宅するけど?」

「そうですか。それでしたら、あたしを駅まで送っていただけませんか? この後、はぐれた友達と駅の入り口で待ち合わせる予定なんです」

 ナガヌマの要望を断る理由も無かったし、か弱い女性を無碍に扱う訳にも行かなかったので、僕は「うん、いいよ」と言って彼女と共に歩き出した。勿論、ナガヌマだけではなくキーサも一緒である。そして僕ら三人と同じく駅へと向かう群集と共にぞろぞろと歩き続け、やがて東京メトロ銀座線の浅草駅の正面改札口に辿り着いた。

「あ、あそこに居るのが友達です」

 改札口の少し手前でナガヌマがそう言った通り、確かにこちらに向かって、数人の若い女性達が手を振っている。どうやら彼女の友達と言うのは全員女性で、男性は一人も含まれてはいなかったらしい。

「それでは、今夜はどうもありがとうございました。友達とはぐれた時はどうなる事かと思いましたけど、ノボルさんと会えてとても楽しかったです。本当に、ありがとうございました。またいつか、今度は二人きりで遊びに行きましょうね」

 ナガヌマはそう言って、深々と頭を下げた。そしてくるりと踵を返すと、そのままこちらを振り返る事も無く友達の元へと駆け寄って行ってしまい、やがて駅前の喧騒と雑踏の中へとその姿を消す。

「ナガヌマ、行っちゃったね」

 僕と手を繋いだままのキーサが、少しばかり寂しげに言った。

「そうだね。それじゃあ、僕達ももう帰ろうか」

 そう言った僕と共に、キーサは帰宅の徒に就く。そして来た道を引き返すように混雑する雷門通りを二人並んで歩き続ければ、やがて浅草の街でも最大の大通りである国際通りへと至った。

「ねえ、ノボル」

 国際通り沿いの歩道を歩きながら、キーサが尋ねる。

「ナガヌマ、ノボルに親近感を抱いているって言ってたよね? 仲良くしたいって言ってたよね?」

「ああ、確かそんな事を言ってたね」

 僕もまた、歩きながら答えた。するとキーサは前置き無く、いきなり核心に触れる。

「ナガヌマ、ノボルの事が好きなのかな?」

 それは、僕自身があまり考えないようにしていた事だった。他人から好かれていると言う状態が、子供の頃から孤独を友として来た自分にとってはどうにも実感が沸かないのである。そしてまた、これもまた実感が沸かないのだが、ナガヌマは僕らが似ているとも評していた。きっと彼女は自分と似た境遇の人物に好意を抱くタイプの人間、つまり俗に言う『類似性効果』や『類似性の法則』とか言うやつに影響を受け易い女性なのだろう。

「分からないよ。彼女が僕を好きかどうかなんて、考えた事も無い」

 僕は率直に、胸の内を吐露した。

「ノボルは、ナガヌマと結婚するの?」

「しないよ。ううん、出来ないよ。どうせ僕なんかナガヌマとは釣り合わないし、ましてや結ばれる訳も無いんだ」

 僕はそう言って、自嘲気味に笑う。

「じゃあノボルは、キーサと一緒に居て幸せ?」

「キーサと? ああ、勿論幸せだよ」

「だったら、ナガヌマと一緒に居る時は幸せじゃないの?」

 そう言ったキーサの問いに、僕は答えない。そしてその代わりに、彼女に問い返す。

「どうしてそんな事を聞くの、キーサ?」

「だって、キーサは人間じゃないから。だからノボルは、同じ人間のナガヌマと一緒に居た方が、幸せなんじゃないの?」

 そんなキーサ言葉を聞いた僕は、寂しげに笑うばかりだ。

「駄目だよ、僕は彼女を幸せに出来ないし、僕自身も幸せになれないんだ」

 僕はそう言って、ますます自嘲気味に笑う。

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