第五幕


 第五幕



 道端に点々と転がる蝉の死骸を置き土産にして夏が過ぎ去り、やがて訪れた秋も鰯雲と共にあっと言う間に姿を消すと、季節は寒風吹きすさぶ冬へと移り変わった。つまりキーサと一緒に迎える、初めての冬である。そして短いながらも得られた年末年始の休暇に、僕ら二人は賃貸マンションのベランダから、世界を覆い尽くすかのように垂れ込める暗く灰色の雪空を眺めていた。

「もう、中に入ろうか」

 年の瀬の十二月三十一日は暦の上で言うところの大晦日であると同時に、僕の誕生日でもある。うっすらと降り積もりつつある雪を一通り眺め終えた僕らは、二人揃ってリビングへと移動した。吹き曝しのベランダと違って、暖房が効いた室内は暖かい。

「キーサ、下ろすよ」

 胸に抱え上げていたキーサをリビングの床に下ろすと、彼女は六本の脚を器用に動かしながら室内を縦断し、ソファの上に登る。そして自分の隣の座席をぽんぽんと叩き、早く座るように僕を急かした。初めての登攀に臨んだ日の苦労が嘘の様に、今やキーサは軽快な足取りでもって、ソファの上にもローテーブルの上にも登る事が出来る。それどころか彼女の歩行速度は格段に上昇し、もはや歩くだけでなく走る事も可能で、時には軽いジャンプやスキップすらもこなしてみせた。

 ソファの前に設置されたローテーブルの上には、小さなフルーツケーキが一つだけ置かれている。相変わらずの食費を切り詰める生活は継続中だが、今日はせっかくの誕生日なのだから、このくらいの贅沢は許されるに違いない。

「ハッピーバースデイ、僕」

 ケーキに刺した蝋燭に自分で火を着けてから、自分でふっと吹き消した。一人ぼっちの身の上でこんな無意味な事をしていれば、これほどの惨めな状況も無いだろう。だが去年までとは違って、今年はキーサが一緒に居てくれるから寂しくはないし、自分が歳を取る事を悲しいとも思わない。すると彼女は拍手のつもりだろうか、左右の前脚同士をこつこつと打ち合って、誕生日を迎えた僕を賞賛してくれた。そして更に、タブレットPCのキーボードを叩いて祝辞を述べてくれる。

『ノボル 誕生日 オメデトウ オメデトウ』

 AIであるキーサが、果たしてどこまで誕生日と言うイベントの重要性と、それを祝うと言う行為の意味を理解しているのかは分からない。だが何にせよ、僕にとってはこの特別な日を一緒に過ごしてくれる誰かが傍に居てくれる事こそが、この上無い幸せなのだ。たとえそれが、金属と樹脂で出来たロイドであったとしてもである。

「ありがとう、キーサ。嬉しいよ」

『嬉シイ? ノボル 嬉シイ? 幸セ?』

「うん。嬉しいし、幸せだよ、キーサ」

 タブレットPCを介したキーサとのささやかなコミュニケーションも、すっかり僕の日常となった。彼女が操る語彙も随分と豊富になったもので、漢字変換を覚えると同時に、そのタイピング速度も日々向上している。時としてAIを相手にしている事を忘れてしまう程に、語る言葉も振る舞いも、次第に人間臭さを増して行くキーサ。そんな彼女の頭を撫でながらフルーツケーキを食べていると、どこか近くの寺から、除夜の鐘を突く音が聞こえて来た。どうやら日付は変わり、さっきまで大晦日だった世界は早くも正月を迎えたらしい。そして新年早々、僕はかねてから用意していたシナリオを開演する。

「新年明けましておめでとう、キーサ。僕はもう二十二歳の大人だから、子供のキミにはお年玉をあげなくちゃね」

 少しばかり芝居がかった口調でそう言った僕は、一旦寝室に向かうと、小綺麗にラッピングされてリボンが掛けられた小さな箱を持ってリビングへと引き返した。そしてその箱をキーサの足元にそっと置いて微笑むと、彼女は僕の顔と足元の箱とを何度も交互に見遣る。

『何? コレ 何? ノボル オトシダマ 何? 開ケテ』

 リボンを解けるほど器用な動きが出来ないキーサはタブレットPCのキーボードを叩いて、プレゼントを開けるように僕にお願いした。勿論彼女の要望に応え、僕はリボンを解いて包装紙を剥がし、箱を開ける。すると姿を現した箱の中身は新品ピカピカのロイド用の内蔵バッテリーであり、それを見たキーサは「キュイッキュイッ」とズーム音で喜びを表現しながら、まるで小躍りするようにその辺を行ったり来たりしてみせた。

「どうだい、キーサ。喜んでくれるかい?」

 予定外の出費はちょっと痛かったが、この内蔵バッテリーは僅かながらも懐に転がり込んで来たボーナスでもって買ってしまった、キーサへのささやかなサプライズプレゼントである。そしてそれを喜んでくれているらしい彼女の姿を見るにつけ、贈り主である僕もまた嬉しくて堪らず、自分の行動に満足していた。

『ノボル アリガトウ アリガトウ キーサ 嬉シイ バッテリー 嬉シイ サッソク トリツケテ ノボル』

「うんうん、そうだね。取り付けてあげるから後ろを向いてくれるかな、キーサ」

 スキップ気味な脚運びでもって僕に背を向けたキーサの後頭部のメンテナンスハッチを開けると、緑色に点灯する起動ボタンを長押しして、一旦電源を落とさせてもらう。そして動力を失ってカクンと力の抜けた彼女の頭部と胴体を分離し、これまで使っていた電源ケーブルを抜くと、それを内蔵バッテリーと交換した。バッテリーそのものは、この胴体が歩行戦車ウォーカータンクの試作模型として使われていた頃に制御用のコアユニットが入っていたらしい、今は空っぽの空間に収納する。後は頭部と胴体をしっかりと繋ぎ直してから起動ボタンを押すと、キーサは短い夢から目覚めて動き始めた。

「さあキーサ、歩いてごらん」

 僕がそう言うと、彼女は自分がもう有線ではなく内蔵バッテリーで駆動している事、そしてもうコンセントから開放された事を何度も何度もぐるぐるとその身を回転させながら確認する。その姿はまるで、溢れ出る喜びを精一杯のダンスでもって表現しているかのようだった。

『ノボル アリガトウ アリガトウ 本当ニ キーサ 嬉シイ』

「そんなに喜んでもらえて、僕も嬉しいよ」

 そう言った僕がキーサを抱え上げてギュッと抱き締めると、彼女もまた僕をギュッと抱き締め返す。こんな事ならもっと早くバッテリーを買ってやるべきだったと、後悔の念に駆られなくもない。

「それじゃあ、そろそろ行こうか」

 やがて防寒の身支度を整えて玄関に立った僕の問い掛けに、キーサは前脚を一本高く掲げながら「キュイッキュイッ」と同意した。そして僕ら二人は賃貸マンションの敷地外へと足を踏み出すと、未だ真っ暗でしんしんと冷える、新年を迎えたばかりの戸外の空気にその身を晒す。ちなみに日付が変わる頃までは降っていた雪も今は止み、歩道にうっすらと白い雪化粧が施されていた。

「寒いね、キーサ」

 僕は凍るように真っ白な息を吐きながら、内蔵バッテリーを手に入れた事によって更に活動範囲を拡大させたキーサと共に、深夜の散歩を兼ねた初詣と洒落込む。事前に何も知らされていなかったキーサにとっては、きっとこの初詣も嬉しいサプライズプレゼントに違いない。しかし僕にとっては年明けと同時にお年玉をあげるところからこの散歩までの一連の行動全てが、入念に準備しておいた一世一代のシナリオなのだ。

 賃貸マンションのエントランスを出てひさご通り商店街に差し掛かってみれば、深夜一時を回った頃合いながらも浅草の街は結構な混雑ぶりであり、どれだけ細く入り組んだ路地からも人の気配が絶える事は無い。つまりこれから初詣に向かう人々と、それを終えて帰宅する人々とがそこかしこで行き交い、まるでお祭りの様な賑わいである。

「ほらキーサ、行くよ。ついておいで」

 足元のキーサに声を掛けると、彼女は「キュイッ」とズーム音で返事をしてから、僕に付き従ってとことこと歩き始めた。狭い自宅のリビングから夢にまで見た外の世界へと旅立てたキーサは至極嬉しそうで、少しでも多くの情報を得るためにそこら中をウロウロと歩き回り、道すがらのあらゆる物に興味を示す。街路樹の植え込み、商店の看板、ポイ捨てされたペットボトルやタバコの吸い殻、更には雪の上に残った自分の足跡に至るまで、彼女の好奇心が尽きる事は無い。

「キーサ、早くおいでったら。そんな物なんか放っておいて、先に行くよ」

 ひさご通り商店街を抜けて花やしきのゲート前を歩きながら、隙あらば道草を食おうとするキーサを僕は急かした。

「ほら、ここが浅草寺だよ」

 やがて三十分以上もの時間を掛けて辿り着いた、この街の象徴と言っても過言ではない浅草寺。その境内で参拝待ちの列に僕らは揃って並ぶが、足元のキーサは参道を埋め尽くす人混みと、煌びやかな電飾に彩られた屋台に興味津々らしい。その証拠に、彼女は列に並ぶ赤の他人の顔をジッと見上げて考え込んだり、そこらをふらふらと歩き回りながら参拝者の足に次々に衝突したりする。そしてキーサが粗相をする度に僕は「すみません、すみません」と周囲に頭を下げて回るばかりで、気が気ではない。

「まったく、少しは大人しくしていてくれよ、キーサ」

 辟易する僕を他所に参拝待ちの列は進み、気付けば僕らの順番が回って来た。そこで賽銭箱に小銭を投げ込んでから手を合わせ、静かに心の中で呟くように、少しばかり贅沢な願を掛ける。つまり今年一年の健康と安泰、それに一日も早くキーサに新たな身体を与えられますようにと願った訳だが、せっかくの初詣なのだからそのくらいの高望みは許されるに違いない。

「キーサ?」

 ふと横を見れば、キーサもまた僕の真似をしてか、賽銭箱の前で左右の前脚を合わせながら軽く頭を下げていた。彼女に搭載されたAIが神頼みと言う概念をどの程度理解しているのかは疑問だが、見た目だけはそれなりに様になっている。

「ああ、やっと出て来れた」

 願掛けを終えた僕とキーサは足の踏み場も無いほどの人混みを掻き分け、どうにかこうにか参拝者で埋め尽くされた浅草寺の境内を後にした。そして花やしきの東ゲート前で一旦立ち止まって壁沿いに寄ると、額の汗を拭いながら呼吸を整え、ようやく人心地付く。ポケットから取り出した携帯端末で現在の時刻を確認すれば、既に午前二時を回っていると言うのに、浅草寺に足を向ける人々の喧騒が絶える事は無い。

「キーサ、疲れたかい?」

 足元のキーサに問い掛ければ、こちらを見上げた彼女は「キュイッ」と否定を意味するズーム音を奏でた。どうやらチビでガリでひ弱な眼鏡男子の僕と違って、バッテリーを交換されたばかりのキーサは疲れておらず、そもそもロイドである彼女は疲れると言う概念に乏しいらしい。

「さてと、これからどうしようか……」

 そう呟いた僕は、その場で暫し考えあぐねる。せっかく深夜の初詣と洒落込んだのだから、このまま参拝者の需要を当て込んだ喫茶店なり居酒屋なりに入店して、久し振りに酒でも飲みながらゆっくり温まって行くのも妙案だ。しかしその手の店はとっくの昔に浮かれた酔客でもって満席だろうし、そもそも倹約生活に励む僕の懐そのものが、計画外の出費を許すほど温かくない。

 それにしても、こうして立ち止まってじっとしているとさっきまで汗ばんでいたのが嘘の様にあっと言う間に身体が冷えて、気付けばぶるっと背筋を震わせてしまう。周囲の喧騒と熱気にあてられてついつい忘れがちだが、今夜は小雪が舞うほどの寒さなのだ。吐く息は白く輝き、突き刺さるような真冬の戸外の寒気が、隙あらば服の隙間から忍び込んでやろうと身構えているのを感じる。

「もう帰ろうか、キーサ」

 そんな僕の提案を、足元のキーサは「キュイッ」と拒否してそっぽを向いた。どうやら彼女は、未だ帰りたくないらしい。

「そんなわがまま言わないで、ほら、もう帰るよ」

 僕はそう言って、幼い子供の様にじたばたと暴れて駄々をこねるキーサを抱え上げる。

「あらカワキタさん、こんばんは」

 するとその時、不意に誰かが僕の名を呼んだ。見ると介護用ワーカロイドが押す車椅子に乗った一人の老婆、つまり同じ賃貸マンションの隣の部屋に住むオオクマの姿が眼に留まる。

「あ、こんばんは、オオクマさん」

「こんな時間にこんな所で会うなんて、奇遇ねえ。あなたもやっぱり、初詣? これから行くところ? それとも、もう帰るところ?」

「えっと、もう帰るところです」

 僕がオオクマにそう言うと、胸に抱えたキーサは「キュイッ」と不満を露にする。やはり彼女は、未だ帰りたくないらしい。

「そうなの、それじゃあ、あなたはもう初詣は済ませたのね。実はあたしも初詣に来たんだけれど、こんなに混雑しているんじゃあ、ちょっと車椅子では本堂まで入って行けそうもなくってねえ。だから残念だけれど、今夜はもう諦めて帰る事にしたの。本当に、残念ねえ」

 そう言ったオオクマは、少しばかり寂しそうに、それでいて達観したように朗らかに微笑んだ。そしてキーサを指差しながら、僕に尋ねる。

「あら、その子は? あなたのロイド?」

「ああ、えっと、そうです。こいつは僕のロイドです」

「そうなの、ちっちゃくて可愛いロイドねえ。お名前はあるのかしら?」

「キーサです」

「そうなのそうなの、キーサちゃんって言うのね。こんばんは、キーサちゃん」

 やはり朗らかに微笑むオオクマに挨拶されたキーサは、嬉しそうに「キュイッキュイッ」とズーム音でもって挨拶を返した。

「カワキタさん、こんな所でいつまでも立ち話をしていたら風邪ひいちゃいそうだから、そろそろマンションに帰らない?」

「そうですね、帰りましょうか」

「それじゃあココちゃん、あたしはカワキタさんと一緒に帰るから、車椅子を押してちょうだい」

 そう命じられた介護用ワーカロイドは、抑揚の無い声で「かしこまりました、奥様」と言うと、主人であるオオクマが乗った車椅子を押し始める。そこで抱え上げていたキーサを地面に下ろした僕もまた、彼女の後について賃貸マンションに足を向けた。

「寒いわねえ」

「そうですね」

「でも、雪が積もらなくて良かったわねえ」

「ええ、そうですね」

 とりとめの無い世間話を交わし合いながら、僕らは来た道を引き返すようにして歩き続ける。さっきまではあんなに反抗的だったキーサもさすがに観念したのか、今は大人しく僕に同道して、特に駄々をこねたりはしない。そして混雑するひさご通り商店街を抜け、言問い通りを少しばかり歩くと、やがて賃貸マンションに辿り着いた。

「それじゃあ、お休みなさい」

 そう言って賃貸マンションの八階の廊下で別れようとすると、オオクマが僕を引き止める。

「カワキタさん、もし良かったら、うちに寄って行ってお茶でもいかがかしら? ちょうどお正月用のお節もあるし、新年を一緒にお祝いしましょう」

「そんな、悪いですよ」

「いいのいいの、若い人が遠慮なんかしないで。それにお茶だけじゃなくて、今夜はおとそ代わりのビールも冷やしてあるから、それもいかが? 調子に乗ってちょっと買い過ぎちゃったから、一人じゃ飲み切れないのよねえ」

「うーん……」

 お節とビールの組み合わせが魅力的だったので、僕の返答は煮え切らない。

「ほらほら、そんなに悩むくらいなら、思い切って寄って行きなさいな。あなたは未だ若いんだから、何事にも挑戦しなくっちゃ」

「それじゃあ……お言葉に甘えて」

 結局オオクマに押し切られて、ご相伴に預かる恰好になってしまった。そして「お邪魔します」と言いながら、彼女と彼女の介護用ワーカロイドの後に続いてキーサと共に入室すると、空調が効いた暖かい室内でダッフルコートを脱ぐ。

「ちょっと散らかってるけれど、気にしないでちょうだいね。それにしても、外は寒かったわねえ。手足が凍えて、やんなっちゃう。カワキタさんもそんなところに突っ立ってないで、こっちに来て炬燵にあたりなさいな」

「あ、はい」

 オオクマに促されるがままに、僕はリビングの中央に置かれていたテーブル炬燵に足を突っ込んだ。芯まで冷えた下半身が赤外線によってじんわりと温められ、何とも言えず心地良い。そして僕の向かいに腰を下ろしたオオクマは、車椅子の位置を整えた介護用ワーカロイドに指示を下す。

「それじゃあココちゃん、冷蔵庫からお節とビールを持って来てちょうだい」

「かしこまりました、奥様」

 そう言って指示を了承した介護用ワーカロイド、つまりオオクマが『ココ』と呼ぶロイドはキッチンへと足を向けた。オオクマの部屋は隣の僕の部屋とは壁を挟んだ線対称の造りになっていて、車椅子生活の老人の一人暮らしらしく、清潔でこざっぱりとしている。

「さあカワキタさん、遠慮せずに食べてちょうだいな」

「あ、いただきます」

 僕とオオクマは「あけましておめでとうございます」と改めて新年の到来を祝うと、ココがテーブル炬燵の上に並べた缶ビールを開けた。そしてデパートかどこかで買ったと思われる、出来合いのお節に箸をつける。

「若い人と一緒にお節を食べるだなんて、何年ぶりかしらねえ」

 紅白蒲鉾をつまみにビールをぐびぐびと飲みながら、オオクマが嬉しそうに言った。僕も負けじと数の子入りの松前漬けを口に運ぶと、倹約生活では久しく飲めていなかったビールをここぞとばかりに飲む。すると不意に、そんな僕の足をキーサがとんとんと軽く叩いた。そして「キューイ……」と、甘えるようなズーム音を奏でる。

「ん? 何? 膝に乗りたいのかい?」

 僕が問えば、キーサは「キュイッキュイッ」と肯定した。どうやら僕の膝の上に乗りたいらしい彼女を抱え上げ、望み通りに膝枕で寝かせてやる。

「あらあら、キーサちゃんは甘えん坊さんなのねえ」

 キーサを膝の上に乗せた僕らの姿を見たオオクマが、興味深げに言った。

「ええ、キーサはいつも、こうして僕に甘えてばかりいるんですよ」

「そうなのそうなの、うちのココちゃんはそんな事してくれないから、なんだか羨ましいわねえ。……ねえ、ココちゃん」

「はい、奥様」

 同意を求められた介護用ワーカロイドのココはそう言うと、早くも一本目を飲み干したオオクマのために、テーブル炬燵の上に新たな缶ビールを並べる。ココは介護用の、つまり要介護者である人間を抱え上げて風呂に入れたりもするワーカロイドなので、力仕事も難無くこなせるように体格も良い。愛玩用の小型のペットロイドならともかく、確かに大柄なココが小柄な老婆であるオオクマに甘えている姿は、想像し難かった。

「それにしてもキーサちゃん、あまり見た事が無い種類のロイドねえ。どこのメーカーかしら?」

「それが、ちょっと訳あって、キーサは普通に売られているロイドじゃないんですよ」

「あら、そうなの。それは、特別な高価なロイドって事かしら?」

 オオクマの問いに、僕は恥じ入る。

「いえ、逆なんです。キーサは安く売られていた中古のロイドで、首から下なんかは本来はロイドの部品じゃないスクラップの再利用品ですから、市販はされていません」

「なるほどねえ、それでキーサちゃんは、ちょっと風変わりな姿をしているのねえ。やっぱり、若い人が新品のロイドを買うのは難しいの? あたしのココちゃんも、国からの補助と介護保険のおかげでようやく買えたくらいだから、あなたくらいの若さだと大変なんでしょうねえ。本当に今の若い人は、何かと大変なんだから」

 なんだか、やけに同情されてしまった。まあ確かに、金銭面では僕も随分と苦労している。

「ええと、オオクマさんはここに住んで長いんですか?」

 お節の中の鰯の甘露煮を食べながら、何となく僕は尋ねた。

「このマンションに引っ越して来たのは戦争が終わってちょっとしてからだから、もう十三年かそのくらいになるのかしらねえ。以前は入谷の方の一軒家に住んでいたんだけれど、脳梗塞で倒れて脚が不自由になってからは自宅の二階にも上がれなくなっちゃって、だから思い切ってここに移り住む事にしたの。マンションだと管理人さんが色々と世話を焼いてくれるから、何かと便利でしょう。それに戦争で夫も息子も失ったし、一人で住むには前の家は大き過ぎたから、ちょうどいいタイミングだったんじゃないかしら」

「ああ……ええ」

 悪い事を聞いてしまったかと僕は恐縮するが、オオクマは特に気分を害した様子も無く、老婆らしからぬ勢いでもってぐびぐびとビールを飲んでいる。

「カワキタさんは、このお正月にご実家には帰られないの?」

「ええ、正月休みも短いですし、年末年始は自宅でゆっくり休みたかったんで、今年は帰らない事にしました。それに、両親にはいつだって会えますから」

「あら、駄目よ。親御さんには会える内に会っておかないと。あなた、ご兄弟は?」

「居ません。一人っ子です」

「だったら尚更、親御さんは大切にしないといけないわねえ。家族にはいつでも会えるなんて思っていると、あたしみたいにある日突然会えなくなっちゃうんだから」

「はあ」

 夫と息子を戦争で失ったと言うオオクマの言葉には、説得力があった。そして彼女に軽い説教をされるような恰好になってしまった僕は少しばかり肩身が狭く、どうにもばつが悪い。すると不意に、僕の膝の上に乗っていたキーサが身を起こしたかと思うと、テーブル炬燵の上に登ろうとする。

「キーサ、どうしたの?」

 テーブル炬燵の上によじ登ったキーサは、どうやらそこに置かれていた籐で編まれた籠と、その籠の中に無造作に放り込まれた毛糸玉に興味津々らしかった。毛糸玉の隣には木製の編み棒と一緒に、編み掛けのニットのセーターも転がっている。

「あらあら、キーサちゃんはこれが気になるのかしら?」

 オオクマがセーターを手に取って尋ねれば、キーサは「キュイッキュイッ」とズーム音で肯定した。しかしそれ以上の細かい情報は、ズーム音だけでは伝える事が出来ない。

「キーサちゃんはココちゃんと違って、喋れないのねえ」

 残念そうなオオクマに、僕は説明する。

「ええ、そうなんです。でも一応、キーボードを使って文字をタイプすれば会話は出来ますから、PCか何かがあれば……」

「PC? これでもいいのかしら?」

 そう言いながら、オオクマは少し古い型のタブレットPCをテーブル炬燵の脇のマガジンラックから取り出した。そしてOSを起動させてから炬燵の天板の上にそれを置き、メモ帳を立ち上げると、キーサは意気揚々とキーボードを叩き始める。

『コレ何?』

「これ? これは毛糸よ」

『コレデ 何ヲ スルノ?』

「この毛糸でね、編み物をするの。ほら、このセーターだけじゃなくって、今あたしが着ているカーディガンもそこのマフラーも帽子も、どれも自分で編んだ物なんですからね」

 キーサの問いに、少しばかり自慢げにオオクマが答えた。そして彼女の言葉が事実ならば、室内のそこかしこに散見される種々雑多なニット製品は、どれもオオクマ自身の手編みの品らしい。

「スゴイ スゴイ 編ミモノ スゴイ キーサニモ デキル?」

「そうねえ、キーサちゃんは編み棒が持てないから、ちょっと難しいかしらねえ」

 オオクマの返答に、キーサは気落ちしてしゅんとしょげ返る。

「あらあら、がっかりしちゃった? でもこればかりは、どうする事も出来ないからねえ。残念だけれど、諦めてちょうだいな」

 テーブル炬燵の上で丸まって拗ねるキーサの頭を撫でながら、オオクマが慰めるように言った。

「仕方無いよキーサ、そんなに落ち込むなって」

 そう言った僕に、オオクマは尋ねる。

「それにしても、やっぱりこのキーサちゃんはちょっと変わった子ねえ。何も命令していないのに、自分から編み物に興味を示すんですもの。障害者施設で介護用のロイドは色々見て来たけれど、こんな好奇心旺盛なロイドに会ったのは初めての事じゃないかしら」

「そうなんですか?」

「そうなのよねえ。うちのココちゃんなんか、あたしが実の子供の様に可愛がってあげてるってのに、良くも悪くもあたしの趣味に口を出した事なんて一度も無いんですから。どうもね、仕事に関係が無い限り、こっちから尋ねるか命令するかしてやらないとロイドは何も反応してくれないらしいの。ほんと、やんなっちゃう」

 そう言ったオオクマは、都合三本目の缶ビールをぐっと一息に飲み干した。彼女がキーサを「ちょっと変わった子」と評した事が、僕は少し気に掛かる。

「オオクマさんは、編み物が趣味なんですか?」

 僕が尋ねると同時に、オオクマはココから受け取った四本目のビールの缶を開けた。

「そうねえ、編み物って言うか、手芸全般が趣味かしらねえ。刺繍とかキルトとかビーズとか、それに羊毛フェルトでぬいぐるみを作ったりするのも好きよ? ほら、あたし、見ての通り脚が不自由じゃない? だから脚が動かせない分だけ、手を動かす事にしたの。だから、趣味は手芸。それと今は、これも趣味かしら」

 そう言ったオオクマは、PC用のゲームパッドを手にして微笑む。

「ゲーム……ですか?」

「そうなの、ゲームなの。あたしみたいな皺くちゃのお婆ちゃんがゲームが趣味だなんて、ちょっと変かしら? でもね、これが一度始めたら止められなくってねえ。特に、鉄砲でもってバンバン撃ち合うゲームが大好きで、世界中のプレイヤー達とネット対戦するのなんて楽しくって仕方が無いんですから」

「はあ……そんなもんですか」

 あまりゲームで遊んだ事が無い僕は、どうにも実感が湧かない。

「本当に、戦争はゲームの中だけでなら楽しいのにねえ。いっその事、本当の戦争も全部、わざわざ人間が血を流して殺し合わないでゲームで決着をつければいいのにねえ」

 ゲームパッドを握ったオオクマが、しみじみと感慨深げに言った。彼女の眼には寂しさや悲しさよりも、何かを悟り切ったかのような清々しい達観の色が浮かぶ。

「でもやっぱり、うちのココちゃんはゲームにも興味を示してくれないの。勿論ね、一緒に遊びなさいってあたしが命令すれば幾らでも遊んでくれるんだけど、自分から率先して遊びたいって言ってくれた事は一度も無いんだからねえ。それに比べて、キーサちゃんはどうかしら?」

 そう問われたキーサは顔の中央のレンズを「キュイキュイ」と何度もズームさせ、オオクマのゲームパッドに興味津々のようだ。

「あらあら、やっぱりキーサちゃんはちょっと変わった子ねえ。でもね、残念だけど今夜はもう、ゲームで遊んでいる時間は無いの。だからまた今度、機会があったら一緒に遊びましょ」

 そう言うと同時にオオクマが四本目の缶ビールを飲み干すと、ココが音も無く、彼女の前に五本目の缶を置く。

「ああ、いいのよココちゃん。もうビールはいいの。お腹一杯。だからそれは冷蔵庫に仕舞っておいてちょうだい」

「かしこまりました、奥様」

 命令を了承したココは一旦はテーブル炬燵の上に並べた缶ビールを冷蔵庫に仕舞い、空になった空き缶を回収して資源ゴミのゴミ箱に放り込んだ。

「いけないいけない、ちょっと調子に乗って、急いで飲み過ぎちゃった。なんだか顔が火照ってるし、年甲斐も無く酔っ払っちゃったみたい。あたしから誘っておいて悪いけれど、カワキタさん、今夜はそろそろお開きにしてもらえるかしら?」

「ええ、そうですね。それじゃあ僕とキーサは、これでおいとまさせてもらいます。お節とビール、ごちそうさまでした」

 そう言って席を立った僕を、オオクマは「ちょっと待って」と呼び止める。そして財布から一万円札を抜き取ると、それをこちらに向けて差し出した。

「これ、少ないけれどお年玉だから、取っておいてちょうだい」

「そんな、悪いですよ」

 僕は遠慮するが、オオクマは諦めずにぐいぐいと詰め寄る。

「いいからいいから、取っておいてちょうだいって。あたしみたいなお婆ちゃんにこんな時間まで付き合ってくれたお礼だし、年寄りは若い人の世話を焼きたがるもんなのよ。それに、息子に先立たれてからはもう何年もお年玉をあげる相手が居なかったから、なんだか懐かしいじゃない? ね? 初詣に行けなかった孤独な老人にお正月気分を味わわせてあげると思って、受け取ってちょうだい」

「それじゃあ……」

 結局根負けした僕は、差し出された一万円札を受け取ってしまった。決して催促をしたつもりはないが、思わぬ臨時収入はちょっと嬉しい。

「なんだか色々と、ありがとうございました。お休みなさい、オオクマさん。それと言い忘れてましたが、明けましておめでとうございます」

「ええ、お休みなさい。それと、明けましておめでとう。お隣さん同士、今年も何かとよろしくお願いしますね。……ココちゃん、カワキタさんを玄関までお見送りしてもらえるかしら?」

「かしこまりました、奥様」

 やはり抑揚の無い声でもって命令を了承したココと共に、僕とキーサは玄関に向かう。そしてコート掛けに掛けてあった自分のダッフルコートを手にすると、僕らはココに見送られながらオオクマ宅を後にした。

「お休みなさいませ、カワキタ様」

「お休み、ココ」

 介護用ワーカロイドであるココと別れの挨拶を交わし合ったのを最後に、賃貸マンションの廊下に出た僕の背後でぱたんとドアが閉まる。暖かかった室内とは違って、戸外は震え上がるほどの寒さだ。

「キーサも早く、ココみたいな立派なロイドにならないとな」

 そう言った僕は新年早々、今は足元をうろうろするばかりのキーサに新しい身体を買ってやろうと、決意を新たにする。

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