part.8-4 それが『世界』と分かるまで
時間を遡ること数分、栞の記憶が戻る前の事である。
「どうだ?何か思い出せそうか?」
イヴァンカが栞にそう聞いた。栞は辺りを見渡してその景色を目に焼き付ける。
「……」
しかし、ここで『レイジフォックスに襲われた』という記憶がどうしても浮かばない。頭では理解していても栞にはその自覚が無かった。
「……すみません、よく覚えていないです」
言って栞は俯いた。何とか思いだそうと記憶を遡るが、やはり以前の記憶は真っ白になっており、考えれば考えるほど虚無感が栞を襲う。
「……そうか、丁度ここで君はレイジフォックスに襲われていたんだ。私が君に話しかける頃には既に意識が飛びかけていたんだが……」
それを見たイヴァンカがその時の状況を話し始める。聞くと、スライムと共にレイジフォックスから逃げているのをイヴァンカが目撃して助けられたらしいが、やはりいずれの内容も栞の記憶に無かった。
「私とお姉ちゃんは、ここで出会ったんですよね?」
「ああ、丁度この辺りで君がレイジフォックスに襲われていてな……」
イヴァンカは実際に栞が襲われていたであろう場所に立って状況を実演するように話す。それでもなお、栞の記憶が蘇ることは無かった。
「……ごめんなさい」
「うーん、やはりダメか……」
イヴァンカが諦めて帰ろうとした、その時——、
「翔太、後ろ!!」
急にイヴァンカが大声を上げる。その声に釣られて栞も後ろを向くと、翔太の後ろにクイーンフォックスが腕を上げて彼を睨んでいた。
「ぐふっ!?」
次の瞬間、翔太がクイーンフォックスに突き飛ばされてしまう。地面に叩きつけられた翔太はうつ伏せに倒れてしまった。
「はああああ!!!」
イヴァンカがレイピアを抜き、クイーンフォックスめがけて突進していった。栞は間髪入れずに翔太の元へと向かう。
「翔太さん、無理しないで!」
翔太の元へたどり着くと、起き上がろうとする彼の手助けを行う。彼の背中はクイーンフォックスの爪で抉られ、赤い線がその軌跡を伝っていた。
「……ひっ!ち、血が……」
その血を見た途端、栞の目の前は真っ赤に染まる。視界は何も見えなくなり、頭は全ての思考を拒絶した。
「ち、血が……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
やがて真っ赤な視界は収束し、横方向の赤い線となる。線の先にはレイピアの切っ先が見えた。
「これは……一体……」
レイピアの切っ先はその赤い線を辿る様に動き、赤はそのレイピアに吸われるように消えていった。そして視界を遮っていた赤い何かは、遂に消えていったのである。目の前には一匹のレイジフォックスとそれに奇襲を掛けるイヴァンカがいる。
「これは……私の過去の記憶……?」
栞はそう呟いた。そして、失われていた彼女自身の記憶が逆再生でその目に映し出されていった。レイジフォックスに襲われていた事、その前にスライムと出会ったこと、誰も居ないまま草原を彷徨っていた事、異世界転生した事、そして自分が自殺したこと……栞が持っていた過去の記憶、それら全てが一瞬にして蘇っていく。
「私は……」
栞がそう呟くと、目の前にあった視界が収束していった。
◉ ◉ ◉
「……っ!!」
栞が目を覚ますと、自分が倒れていたことに気付く、状況を理解出来ないまま起き上がると、イヴァンカがクイーンフォックスと戦っていた。翔太はその手に握る剣を杖にしてどうにか立っている状態であった。
「……ギャアアアアアア!!!」
不意にクイーンフォックスが鳴き出し、翔太を睨み付ける。次の瞬間、クイーンフォックスは翔太めがけて突進していった。
(兄さんが危ない!!)
そう思った栞だったが、恐怖で足がすくんで動けなかった。兄を救いたい、その一心で栞は恐怖を払拭する方法を模索する。思い至った記憶は『自分自身が自殺した』という内容だった。
(そうだ、私は死んでいたんだ……!)
そう思った栞はその足を一歩前へ前進させる。『自分は既に自殺している、だからこの命はもう不必要な物なんだ』——その想いを無理矢理に作り、恐怖を遮る。そして遂に栞は翔太の前へ立った。
「……兄さん、逃げて!」
そう言う栞は、決して兄の顔を振り向かない。クイーンフォックスの行く手を阻み、精一杯の威嚇をする。その顔には涙が伝い、大きく広げられた両腕の先には、震えるほど強く握られた拳があった。
「大丈夫、私は大丈夫だから……私なら……死ぬことが出来るから……!!」
涙を浮かべた栞の瞳はクイーンフォックスの顔をしっかりと捉えていた。
◉ ◉ ◉
「私なら……死ぬことが出来るから……」
そう口にする栞は、決して僕『佐伯 翔太』の方を振り向かない。
「し、栞!?お前、記憶が……」
そう言いかけて僕は言葉を止める。そうだ、目の前にクイーンフォックスがいる。今はそんなこと言ってられない!
「兄さん、早く逃げて!!」
そう言う栞は決してそこから動かずに、クイーンフォックスを待ち構えている。当然、僕はそんな言葉に従うわけに行かなかった。栞の言葉を無視して彼女の左肩に手を掛ける。
「……ギャアアアアアア!!!」
次の瞬間、クイーンフォックスが僕らめがけて突進してきた。僕は最後の力を振り絞って栞を右側へ無理矢理押し倒す。
「……兄さん!?」
「させるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
栞を押し倒した後、僕は握る剣を大きく振りかぶった。その動きはクイーンフォックスにとって不意を突いた形となり、その前脚に剣を突き立てる事が出来たのだ。
「ギャウン!!」
右側の前脚に剣が突き刺さったクイーンフォックスはその足を引きずる様に逃げていったが、対する僕の方もクイーンフォックスが飛びついてきた反動で吹き飛ばされる形となってしまう。
「……ぐはっ!!」
そのまま地面に叩きつけられた僕は、その瞳を静かに閉じた。
続く……
TOPIC!!
アモールの薬草
『アモールの泉』内でのみ入手することが出来る薬草。
アモールの泉内には傷を癒やす働きを持つ薬草が自生しているが、
その薬草が泉の魔力を受けることで薬草本来の効能に加えて
魔力による回復効果が上乗せされる為、回復力が非常に高い薬草を生み出すことが出来、
重傷であったとしても命さえあれば回復出来る、と言われるほどである。
回復力が高い薬草であるものの、植物自体の成長が非常に遅く、
薬草の花が枯れてからようやく魔力を吸収し始める為、生産速度が遅く、
数ヶ月〜1年に1度しか採る事が出来ない。
花が枯れて種が出来上がる頃には魔力を吸収している為、
魔力を吸った薬草は種を付けているかどうかで見分けられる。
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