第155話 女将さんとの別れ
急遽決まった旅立ちに向けて慌ただしく買い物を終え、宿を引き上げるための準備や明日の支度、その他諸々の雑事をアレコレ済ませているうちに、随分と遅くなってしまった。
明日は朝の開門時間に合わせて出る予定なので早く寝ないと。でも……。
「まだ起きていらっしゃるよね、女将さん」
「多分、大丈夫だと思いますけど。どうしました?」
「ご挨拶しておきたいなと思って。早朝はお忙しいだろうから、お時間をいただくのも申し訳ないし。この時間なら人目もないし、今のうちにちょっと行ってこない?」
「いいですね。女将さんにはお食事面で特にお世話になりましたし、私もちゃんとご挨拶がしたかったんです」
そうだね。大食いのリノのことを気にかけてくれて、いつも大盛りとかオマケとかしてくれてたもんね、女将さん。
「うんうん、そうだよね。じゃあ行こっか」
「はいっ」
と言うわけで、この町へ来た初日からずっとお世話になっている女将さんに最後の挨拶をするため部屋を出た 。
静まり返った廊下を通って一階へと降りていくと、食堂の灯りはすでに消えていた。
さすがに人影もなかったけれど、奥にある厨房からはまだ光が漏れている。
女将さんはそこにいるのかな。そう思って厨房の入り口まで行って見てみたところ、やっぱりいたのは彼女だった。
いつも、こんな時間まで一人で後片付けをしていたんだ……。
冒険者も大変だけど、宿屋の女将さんっていうお仕事も体力勝負なとこあるよね……大変そうです。
「女将さん」
「おや、ローザちゃんにリノちゃん。珍しいね、こんな時間に降りてくるなんて?」
ソッと呼びかけると、磨いていたらしい大きなお鍋から顔を上げて、いつもの屈託のない笑顔を見せてくれた。
「お忙しいところすみません。今、少しお話できますか?」
「勿論、いいともさっ。どうしたんだい?」
エプロンで手を拭きつつ、すぐに要件を聞きにこっちへ来てくれる。優しいなぁ。
短い間だったけど、いつも本当の家族のように親身になって接してくれたんだよね。それがどんなに嬉しかったことか……。
異世界でハードな冒険者稼業が続けられたのも、女将さんが毎日作ってくれる美味しいお料理とあったかい笑顔があったからだといっても過言じゃないと思うんだ。
お母さんみたいに思っている優しい女将さんと、突然、お別れするのは辛い。
でも、ちゃんと伝えなきゃ……ね。
「あの、女将さん。実は私たち、明日この町を出ていくことになりました」
「え」
「とってもお世話になりました。最後にどうしても一言、きちんとご挨拶をしておきたくて……」
「私もです。女将さんの美味しいお料理、大好きでした。毎日美味しいものが食べれて幸せで……もう食べられないと思うととっても悲しいですけれど、でも本当にありがとうございました」
私に続けてリノもそう言って感謝の気持ちを伝えた。
「ローザちゃん、リノちゃん。やだねぇ、もうこの子達は。あたし相手にそんな畏まった挨拶なんてしないでおくれよっ」
慌てて手を振って止めるように言った。
「でも、そうなのかい……もう、明日にはねぇ。ありがとね、わざわざ挨拶しに来てくれてさ」
「女将さん……」
「嬉しいよっ。そりゃあこれから寂しくなるけどねぇ」
いつも陽気な女将さんに、しんみりとした口調でそう言われるとこちらも寂しくて、涙ぐみそうになる。
「ご連絡がこんな急になってしまって。個人的に色々なお仕事をいただいていたのに……すみません」
「いいんだよっ、ローザちゃん」
申し訳ないと謝ったら、元々、宿に泊まっている間だけという約束だったんだから気にするなと、笑い飛ばしてくれた。
手作りの香草塩や、森で採取してきたもの……チーズ茸とか魔物肉とかをギルドで売るよりもいいお値段で時々、買い取ってくれたんだよね。
女将さんは何も言わなかったけれど、新人冒険者で常に金欠だった私達の事、心配して気にかけてくれてたんだと思う。
特に香草塩は高値で定期購入してくれてたから、とても助かってた。美味しく味が整うからと宿で出す料理によく使ってくれていたのも知っているし、料理スキル持ちの女将さんに愛用してもらえてうれしかった。
「冒険者っていうのは、いつかこの町から旅立っていく……そういうもんだからね。分かっているからさ」
「女将さん、ありがとうございます。そう言っていただけると助かります」
多くを語らずとも理解を示してくれる女将さんの懐の広さに、ジ~ンとする。ありがたいよね。
「それでこれなんですけど、私達二人からお世話になったお礼ということで受け取っていただけませんか?」
自分達用に作っていた、保存食のドライフルーツと乾燥させた各種茸を詰め合わせた袋を差し出す。
何かお礼をしたいとリノと二人でアレコレ考えたんだけど、私達の手持ちの中で何とか用意できそうだったのはこれくらいしかなくて。
一応、両方とも魔法で乾燥処理してあるし、庶民のお店で普通に売っているものよりは味も品質もプラスになっていると思う。
この世界では食品を加工する時に魔法を使うと美味しさが増すし、料理スキルを持っている女将さんならきっと、付加価値に気づいて上手に使ってくれるはず。
「あらあら、まあまあっ。いいのかい、こんなに貰っちゃっても?」
「ええ、是非どうぞ」
「それじゃあ、折角の二人からの心尽しだ。ここは遠慮なくいただいておこうかねぇ? ありがとね、ローザちゃん、リノちゃん」
そう言って、喜んで受け取ってくれた。良かった。
そして最後に、女将さんから頼まれたのもあって、初めてもらった仕事である香草塩を手持ちにある分だけ全部、売ることになった。
正直、借金生活に突入している身としてはとっても助かる。
なんか、最後までお世話になっちゃったなぁ。
「とにかく二人共、冒険者って職業は常に死と隣り合わせの仕事なんだからね、気をつけるんだよ?」
「うん、女将さん」
「二人で仲良くね」
「はい、そうします。油断せずに頑張りますね」
「うんうん、それがいいっ」
ニカっと笑って激励してくれる。あったかい励ましに、胸がいっぱいになる。やっぱり女将さんってお母さんみたい……好きだなぁ。
だからこそ、お互いの身の安全のためにも言えないことがある。
女将さんの事は信じているし、本当は隣のジニア村に一か月行くだけで、この町に帰ってくる予定だということを伝えてしまいたいんだけど。
でも、それを口にしてはいけないのは分かっていた。
もしかしたら、彼女を私達の事情に巻き込んで危険に晒してしまうことがあるかもしれないからね。
言いたくないけど、私には美形揃いで長寿のエルフ族という、悪徳商人の心を鷲掴みにする魅力があるし、私達二人共、権力者に狙われやすい『幸運』スキルを持っている。
知らない情報は渡しようがないから、言わない方が安全なんだ……。
「明日の朝は忙しくてちゃんとご挨拶出来ないかもしれないって思ってたから、こうして最後にお話出来て嬉しかったです」
「うんうん。それはあたしもだよ、ローザちゃん。二人のことは、この町で冒険者として真面目に一生懸命、頑張っている姿をずっとみてきたからさ。何だか、娘みたいに思ってたからねぇ」
「……女将さん」
「子供の旅立ちを家から送り出すときの親の気持ちって、こんな感じなのかね?」
少し照れくさそうにしながらも、しみじみとそう言われた。嬉しい、そんな風に思ってくれてたんだ。
「私達もです。私もローザも、いつも優しく見守ってくれている女将さんのこと、本当の家族みたいに思ってました!」
「リノちゃん……」
「だから、お別れするのは悲しいです。でも、またいつかここに、ただいまって帰ってくることができたらいいねって二人で話していたんです」
「ああ、そうだねぇ。そりゃあいいっ。いつかまた、元気で再会できることを祈っておこうかね」
「はい、女将さん!」
約束を胸に、三人とも笑顔で頷き合う。
「それじゃあ二人共、元気で」
「女将さんも……」
「あぁ、がんばんなよ!」
「「はいっ」」
最後まで笑顔でお別れの挨拶出来て……良かった……。
宿の部屋へ戻り、二人してベッドの上に寝っ転がる。
「ご挨拶できて、よかったね」
「はい。これで心置きなく明日、旅立てます……よね」
「……うん」
約二ヶ月、おおらかで元気な女将さんのいる夢見亭で過ごしたんだと思うと感慨深い。
なんだかこの宿が、異世界での自分の家のような気分になっていた。
借り物の部屋での生活だったけど、この町で初めて出来た同世代の女友達とルームシェアをして、仕事も一緒にやって……そんな毎日が当たり前になってた。
ここにいると、冒険から無事に帰って来れたんだと実感できて安心してた。
そんな生活も、もう終わる。
「じゃあ、そろそろランプ消すよ?」
「はい、お願いします」
「おやすみ、リノ」
「おやすみなさい、ローザ」
この町で過ごす最後の一日は慌ただしくて、感傷に浸る間もなかったけれど……でも、これでよかったかもしれない。
そう思いながら、ふうっとひとつ大きな息を吐くと、明日に備えて体を休めるために目を閉じたのだった。
―― 第一章 辺境の町 完 ――
――――――後書き――――――
読者の皆様、ここまで、何度も更新が止まる中、お読みいただき本当にありがとうございます! ようやく第一章の完結まで書くことが出来ました。
前回のご挨拶で、後一話ほどで第一章が終わるとしていましたが、終わりませんでしたね……すみません。次回から、第二章に入ります。
多分、また少しお時間をいただくことになると思いますが、これからもどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m♡
飛鳥井 真理
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