19

 夜空に吐いた息が消えていく。瞬く白い星々が粉雪のように見えて、司はぼんやりと濃紺を眺めた。

 端末の時計が一秒ごとに点滅する。あと十秒。あと五秒。

「……あけおめー。今年もよろしく」

「……よろしくお願いします」

 手すりにもたれかかって圭が小さく言った。

「味気ないな」

「年越しなんてこんなものだろ」

「地元じゃ毎年お祭り騒ぎだぜ。何かにつけてはしゃぎたがるんだ」

「……そんな気分にはなれないよ」

「今回ばかりはね。色々ありすぎたし」

 深夜の屋上は静まり返って、街も今夜は落ち着いている。久々の静かな夜、というわけだ。

「自分の部屋でゆっくりしたかったなあ」

「仕方ないよ。帰れば新年どころじゃなくなるだろうからね」

「まったく傍迷惑な話だ」

 ため息をつくと、圭も肩を竦めて同意を示した。

 司と圭は現在〈ACT〉の社員寮に仮住まいしていた。理由は民間メディアに目をつけられたからだ。どこから情報が漏れたのか、ある日帰ると記者がアパートを包囲していたのだ。さすがにカメラの中帰宅する気にもなれず、引き返して博士に助けを求め今に至るというわけである。

 二人で手すりに上半身を預け暗い敷地内を意味もなく見下ろしていると、背後で屋上の扉が開く音がした。

「やあ、ここにいたんだね。ハッピーニューイヤー」

 現れたのは博士だった。ダウンジャケットを羽織っているが中の服装はいつも通りの白衣だ。仕事を抜け出してきた、という所だろうか。

「明けましておめでとうございます」

「新年だというのに浮かない顔だね?」

「まあ……」

「確かに苦難の連続ではあった。だが今くらいは、無事に新年を迎えられたことを祝おうじゃないか」

 博士はにこりと笑って、手に持った瓶とグラスを掲げた。

「未成年なんすけど」

「安心したまえ、ノンアルコールだ」

 受け取ったグラスに黄金色の炭酸飲料が注がれる。司と圭は顔を見合わせると、陽気な博士と乾杯した。

 

「クリスマスイブ以来、野良の出現情報はない。おそらくは圭クンが与えた傷が原因だろうね」

「三日にいっぺんは鬼ごっこを始めてたんで、ようやく一息つけるって感じかな」

「ヒヒ、お疲れ様。だが聞いた限り致命的な怪我にはならないだろうね。傷が癒えれば再び活動を再開するだろう」

「それなら今度こそ息の根を止めるだけです」

「……ずいぶんやる気だね」

 圭の好戦的な発言に博士が少し驚いた表情を浮かべた。

「チームメイトをやられたんじゃ黙ってられないっすからね」

「ああ、彼か。本当に気の毒だ、野良の標的になってしまうとは」

 博士は残念そうに首を振った。宗太の成績は聞き及んでいたらしく、優秀な戦士になっただろうに、と肩を落とした。

「技術部では義肢の開発にも力を入れ始めている。彼の脚を上手く補助出来ないか考えてみよう」

「そりゃ心強い。ぜひお願いします博士」

 少しでも宗太が夢から遠ざからずに済むなら、それに越したことはない。圭の視線からも期待が感じとれた。

「不幸中の幸いといったところか、彼のおかげで野良の仲間の素性も判明した。目撃情報をまとめたところ、彼女は野良の出現する近辺にいることが多かった。上手く索敵して彼女だけでも捕らえることが出来れば、少しは彼の戦力を削げるかもしれないね」

「……あの女性、学生だと聞きましたが」

「暁女子高校の二年生らしい。年齢的に見れば三年生ではあるんだが、一年前に失踪したため留年扱いということになっているね」

 司は一瞬見かけただけなのではっきりとは分からないが、宗太が小夜と呼んだ彼女は理性的に見えた。なぜ野良に付き従っているのだろうか。それに、今までの妨害が彼女の仕事だとすると、ずいぶん優秀なハッカーであると感じる。暁女子高校は授業の一環としてサイバー系の技術を学ぶとは聞いているが、そこまでの技術が身につくものなのか。

「彼女もまた天才と呼ばれる部類の人間であったらしい。交友関係が希薄だったので人間性については分析しきれていないのだが、成績は非常に優秀だった」

「戦闘面の天才とサポート面の天才が手を組んじゃったわけだ」

「その通り。理由はどうあれ、彼らがコンビでいる限りワタシたちは翻弄され続けるということさ」

 やれやれ、と博士はグラスを回した。少し残ったジュースがゆらゆらと波打つ。

「彼女を異常犯罪者とするかは議論の最中だ。出来れば即射殺は避けたいが……野良の仲間となると保証はできまい」

 異常犯罪者はその場での射殺が許可されている。司たちは正式な機動隊ではないため制限されているが、そういった現場には何度も立ち会ったことがあった。

「……博士。琴葉ちゃんの父親についてはどうなってるんです?」

 異常犯罪者の話題で思い出した。彼は司を刺しただけなので異常犯罪者の枠には入らないが、状態だけ見れば紛れもなくそのものだ。彼女でさえ射殺の対象となるなら、今後の父親の扱いも気になってくる。

「症状については、おそらく外的な要因であろう、としか言えないね。もう本人はまともな会話も出来ないし、原因について覚えている様子もない。正直お手上げだ」

「じゃあ、治療は」

「当分無理だろう。精神の狂いを治すのは容易ではない。元凶が特定出来ないとなると手の打ちようがないんだ。彼はもはや人ではなくなってしまったと言わざるを得ないね」

「あの父親の処置はどのように? 彼も異常犯罪者ということになるんですか」

「……あれは、予備軍という分類になるのだろう。今後高い可能性で、そうなると。症状の緩和が見られない限り拘束や監視が解かれることは無い。娘には気の毒だが」

「そう、ですか」

「近年野良を除きほとんどの異常犯罪者は共通して『あのタイプ』だ。なにか原因となるものがあるのは間違いない。だが、それが病なのか、洗脳なのか。はたまた別の何かなのか、解明には未だ至っていないんだ。射殺許可も原因究明の妨げとなっていることは否めない」

『十人以上の殺人を犯した者』が異常犯罪者の条件だ。だが、明らかに『そう』見えた場合、現行犯でなくても機動隊による拘束は可能で、『命に関わるような危害を加えようとした場合』のやむを得ない射殺もまた許可されていた。判断は現場で行われるため、事実がどうだったかの検証はされない。つまり『なりかけ』を調べる機会もそうそう訪れないということだ。詳しく知るほど非道な法案だと司は感じた。

「疑わしきも罰する、ってか」

「残酷なことだ。だがそうでもしなければ治安が保てないのも事実。……恐ろしい街だよ、ここは」

 呟いた博士の表情はどこか虚ろに見えた。司も日ヶ守に入学しなければ現状をよく知らずに人生を終えたかもしれない。地元にはほとんど関係のなかった存在だ。

「……少し話がずれたが。これからキミたちには野良の相手の他、彼女の拘束にも目を向けてもらうことになるだろう。だが彼女、『小夜』についてはなるべく傷つけないようお願いしたい。古川クン、だったかな? 彼によればまともな話の出来る人のようだからね」

「おそらく戦闘面では素人でしょう。なんとかなると思います」

「女の子殴るのは気が引けるからね」

「よろしい。紳士的に頼むよ」

 博士は頷いて、空いたグラスを回収した。

「いやぁ、早速こんな話で済まなかったね。そろそろ解散としよう、今日は冷える」

 いつの間にか仕事の話で時間が過ぎているとは、どこぞのサラリーマンのようだ。司は冷えた指先を擦り合わせた。

 屋上を降り、借りている部屋の前で立ち止まる。博士の好意で一番広い部屋を用意してくれたのだが、今の司たちには寝るだけの部屋と化しているので少々もったいない。

「博士は?」

「残念ながら徹夜だ。正月休みなど幻さ、ヒヒ」

「……お疲れ様です」

「ああ、おやすみ二人とも。ゆっくり休めることを祈ってるよ」

「おやすみ博士」

 先ほど虚ろに見えたのは暗がりだったせいなのか、今見せている表情に翳りはない。博士はこれから徹夜だというのに軽い足取りで戻って行った。

「冷えたな、なんか飲むか」

「ココア買ってあるけど」

「いいね。お湯沸かすよ」

 せめて三が日くらいは休息を取りたいものだ。野良も正月休みであることを期待しながら、司は上着を手繰り寄せた。

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