13
太陽を模した照明から光が降り注いでいる。
礼拝堂に似た白い部屋には弦を弾くような音が波紋のように鳴り、最奥に苦悶の表情を浮かべる神と、それに剣を突き立てる女性の彫像が鎮座している。慈愛に満ちた彼女は何故神を殺さんとしているのだろうか。祈りが聞き届けられず魂を砕かれた憎しみを、その微笑みの裏に隠しているのだろうか。
角も継ぎ目もないベンチに腰掛けて、博士は背後に立つ彼からの言葉を待った。
「……何故あれを監視の外に出した」
「なに、たかが一週間じゃないか。目につく場所に置いておかねば不安なほど過保護だったかね?」
「何を企んでいる。あれも同じ胎から産まれたモノだ、いつまでも従順とは限らんとお前も分かっているはずだが」
「二の舞を恐れていては成長しない。現に彼の性能は再び向上を見せている。さすがは『藤堂の息子』といったところだ」
博士が振り向かないまま続けると、彼は通路を挟んで隣のベンチに腰を下ろした。精悍な顔立ちは真っ直ぐに彫像を見つめ、自身も石であるかのように感情を見せない。
鈴村仁。〈ACT〉を創り上げた男。誰よりも神を憎み、愚かにも戦いを挑もうとする復讐鬼。
「彼女の目覚めはいつになる」
「……なにせ二十年も前に奪われた『魂』だ、観測は困難を極めている」
「聞き飽きた言い訳だ。自分ならば出来ると、そう言ったから手を組んだ」
「出来るとも、充分な時間を頂けるのならばね。ああ、後妻のほうならすぐにでも取り掛かれるが」
「あれを伴侶と思ったことはないし、蘇ったところで意味などない。私的な実験にでも使え」
「そうかい、では遠慮なく。十年ほど待って貰えれば良い結果をお知らせ出来そうだ」
博士が冗談めかして笑うが、鈴村は微動だにしない。
「会長殿が第一号となるほうが現実的かな」
「その時が来るのであればそれでも構わん。この身をどんな異形に変えようとも、彼女を神から奪い返すまでは私は死なない」
鈴村は未だ彫像を見据えたまま、拳を握りしめた。博士は三つ分の音を数えて会話の終了を確かめると、立ち上がって白衣のポケットに両手を入れた。
「ところで、先日のことだが。撒いていた餌がどうやら、じっとしていられなかったようでね」
「……ほう」
「すぐに差し替えたが、隠しきれたとは言いきれない。どうするね」
「いいではないか。予定より早くともこちらには何の支障もあるまい。不祥事の生き証人が一人減るなら有難いぐらいだ」
「ヒヒ、タダ飯食らいは切り捨てると」
「誓約を破り動いたということは私の手を離れるということだろう。どの道死ぬ運命だ」
冷たく言った鈴村が立ち上がり、彫像へと歩を進める。微笑む女性がたおやかに鈴村を見下ろし、その台座を静かに鈴村が撫でた。
「良い報告を待っている」
博士が無言で立ち去るのを咎めもせず、鈴村は光の中で目を閉じた。
*
派手な装飾の薄暗い室内に、鼻にかかった嬌声が響く。ねだっては背中に指を這わせて、悶える身体から甘ったるい匂いが広がる。
生温い感覚は具合が悪いという程でもないが、
「飽きたなぁ」
呟いてキスのかわりに心臓を突いてやると、今日出会ったばかりの名も知らない彼女は数回跳ねて動かなくなった。
シーツでナイフの血を拭き取り、おもむろに彼女の飲みかけの缶ビールに口をつける。
「……苦い」
アルコールの良さはどうも分からない。再びテーブルに戻して、ガラス張りのシャワールームで染み付いた彼女の匂いを洗い流す。
こと切れた売女に優しく布団をかけて、野良は部屋を後にした。
深夜の街は滑稽で面白い。
援助交際の交渉をしている男女の奥では麻薬の取り引きが行われているし、そうかと思えば同じ通りで永遠の愛を誓う恋人たちが幸福を振りまいている。
通りがかった路地裏では、男を滅多刺しにしていた老婆が機動隊によって射殺され、現場が掃除されていくところだった。『奴ら』が生きたまま捕まることは滅多にない。捕まえるより殺したほうがよほど楽だし、捕まえたってまともに会話もできないんじゃ生かす意味が無いからだ。
建物の陰に入ったとたん、涎を垂らしたホームレスが鉄パイプを振りかざしてきた。軽くいなして表通りに放り投げると、異常を感知した監視カメラによって機動隊へと通報が行く。以前なら逃げる暇もあったが、警戒の強まっている今では逃走は無理だろう。
「わー、容赦ないなぁ」
知性の伴わない動きのホームレスを銃弾が食い破るのを眺める。あまり留まっているとこちらも見つかりそうだ。向こうに気を取られている隙に退散するとしよう。
手招く美女を無視しながら眠らない街を歩く。死んだ目の店員が佇むコンビニで売れ残りのあんぱんを二つ買い、野良は街の中心部へ足を向けた。
「ただいま小夜ちゃん」
住処に帰ると、小夜は真剣にパソコンと睨み合っているようだった。声をかけると、表情を柔らかくしてこちらを見る。
「おかえりなさい野良」
「夜食いる?」
「うん、ありがとう」
小夜が外した眼鏡をデスクに置いて頷いた。更に暗く見えちゃうからと言って普段は掛けていないのだが、野良はどちらでも美人で良いと思っている。
テーブルに腰掛けてテレビの電源をつけると、コメンテーターが事件について熱く討論しているところだった。野良についての特集が組まれている。
『……では、先日の事件についてはどう思われますか』
『〈ACT〉の隊員と思われる二人組との戦闘も注目されておりますが』
背景に先日の映像が映し出される。公園内のカメラを使い小夜が民間の放送局に流出させたものだ。狙い通り、世間の注目があの二人に集まっているようでなにより。
「また、ああいうことをするの?」
あんぱんを食みながら小夜が訊ねた。彼女と出会った時には今にも死にそうな顔をしていたが、ずいぶん回復したものだ。希望を持つと人は前向きになれるらしい。
「もう当分はしないかな。二人が世間に認識されたなら、あとは数をこなして盛り上げていくだけさ」
「前に言ってた、エンターテインメントのため?」
「そう。だってこの街、娯楽がなさすぎるじゃない。ギャンブルは規制されてるし、テーマパークだって犯罪の温床になって楽しめたもんじゃないし」
犯罪者に怯えながらただ惰性で働く者達、言葉だけで悦に浸る者達、紙くずの如く使い捨てられていく者達。実に愚かじゃないか。
「現在、世間にもっとも受け入れられているものはなんだと思う?」
「……武力、とか」
「いい線いってる。『死』だとオレは思うんだよね。みんないつ死んでもおかしくないと思って生きてる。目の前で誰かが殺されたって、そんなに驚くことじゃなくなった。余程近しい者じゃない限り、民衆は『死』を特別視しない」
ああ、また誰かが死んだな、それより時間は大丈夫かな、そうやって人々は日常を過ごしている。数十年も経てば異常は異常でなくなってしまうのだ、それがどんなに恐ろしいものであっても。
「だから、『野良』は娯楽になれる。金も時間も要らない、ただ気に入らない奴を教えるだけでそいつが死ぬ。法律だのなんだのは関係ない。自分が嫌いだと思った奴を手軽に殺せるんだから、みんなもう夢中さ」
野良へのリクエストは増える一方だ。利益のため、正義のため、恨み辛み、ただの遊び。抑圧された憂さ晴らしを自らの手を汚さずにできる快楽は中々に中毒性があると見える。
「そして今は次のステージ。そんな便利屋を排除しようとする正義の味方の登場だ。強さは互角、オレが悪で彼らが正義なのは誰でも分かる。民衆はどちらを応援するのかな?」
「……街を、割るつもりなのね」
小夜の的確な言葉に、野良はにっこりと笑った。
「オレたちが殺し合うことで、熱狂が生まれるんだ。野良を殺せ、機動隊を殺せとあいつらがけしかける。狂気の街の出来上がりさ」
人々が殺し合いを楽しむようになったなら、街の秩序は今以上に崩れるだろう。少なくとも機動隊という抑止力は確実に効力を失う。奴らが役立たずになってくれるなら万々歳だ。
「それくらいが丁度いいと思うんだよね。この街は窮屈すぎるよ、もっとみんな自由にならなきゃ! そうして偉そうにふんぞり返ってる〈ACT〉どもと潰し合ってくれたらいい。敵も味方もごちゃまぜの混沌が見られるかも」
「それは……楽しそう、ね」
感情の籠らない声で小夜が呟く。彼女は元々普通の少女だ、野良の考えにについてこれなくても無理はない。それでも野良を肯定するのは、彼女が全てを捧げ野良に付き従うと決めているからだろう。
「ところで小夜ちゃんは何をしてたの?」
的外れな議論を続ける自称有識者たちを画面から消して、話題を変える。
「これ……〈ACT〉の機密データに侵入していたの。さすがに最深部まではまだ行けないけど、このくらいなら」
見せられた様々なデータを参照しながら野良は口笛を吹いた。小夜のこうした技術には大いに助けられている。野良一人ではここまで上手く活動を進めることは出来なかった。
「それで、こんなものを見つけたんだけど」
「んー? 殺傷事件?」
「これ野良の、初めの……」
小夜の声が途切れるのを気にせず、淡々と記された文字を流し読みする。読むにつれ、口角が上がっていくのを感じた。
「ふ、ふふ、あははは!」
ついに声を上げて笑いだした野良を小夜が驚いて見上げる。
「いいね、最高じゃないか! よく出来た報告書だ」
「……じゃあこれは、」
「いいや? 本当だよ」
まだ笑いが収まらない。こんなものを大事に仕舞っておくなんて、なんて滑稽なのだろうか。いっそ全て無かったことにすればいいものを。
「でも」
「向こうがそう言うなら本当なんだろ。それでいい」
「野良……」
「これが『野良』だ。真実がどうかなんて無意味なことさ。形にして残した方に軍配が上がる」
本当はどうだったかなど語る気はないし、訂正したとて闇に葬られるだけだ。そもそも変に同情を向けられては興醒めではないか。
「野良は残忍で短絡的な異常犯罪者。それで充分だろ、君には」
哀れな彼女の人形。今もなお亡霊に取り憑かれこちらを睨む愛しい刺客。真実を知ったときにどんな顔をするのか楽しみではあるが、まだ種明かしには早すぎる。
「これからもっと面白くなるよ、小夜ちゃん。特等席で観ていてね」
「……うん」
小夜の髪を梳いて、野良は微笑んだ。
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