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『■■■■年に発生した殺傷事件についての記録』
『本件は■■■■年■月■日に起こった、日ヶ守学園の教員一名と生徒五名を含む十六名が死亡した事件である。
午後■■時■■分、教員一名生徒六名が市街地パトロールを行っていたところ、逃走中の異常犯罪者二名と遭遇。交戦となる。
異常犯罪者は特別手配中の凶悪犯であり、当時の生徒達には命の危険があったが、教員は戦闘の続行を指示。混戦状態となる。
生徒1が異常犯罪者Aに捕縛され、人質となる。残った生徒達は救出を提案するも、教員はそれを却下。機動隊の到着を待つように指示する。
その後異常犯罪者Bより「逃走経路を確保出来なければ人質を殺す」といった旨の脅迫を受けるも、機動隊は沈黙。教員も待機を続けるよう生徒達に指示する。
膠着状態が続く中、生徒1が自力で脱走を試みる。この時点で機動隊は到着しており、軽い援護で生徒1は救出される状況だった。
しかし異常犯罪者二名が突如自爆を試み、結果生徒1を巻き込み爆発炎上する。
この爆発により心肺停止状態となった生徒1に関し「機動隊と教員の判断ミス」とした生徒2が逆上。その場にいた教員と生徒、機動隊合わせて十五名を殺害した。
生徒2はその後逃走。本部は生徒2を準一級異常犯罪者と認定した。
それから不定期に当該生徒の姿が目撃されているが居場所の特定には至っていない。
事件発生から約八ヶ月後、当該生徒は本部へ声明文を投函。自身を『野良』と称し、無期限の殺戮を予告した。』
『この情報は本部の決定により、技術部■■■において厳重に保管することとする』
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「古川、妹尾くん逃がした」
『了解、対処する』
宗太に無線で報告しながら、後ろ手に木板を掴んで背後からの弾を防ぐ。間髪入れず距離を詰めて、司は焦る木下を進行方向に蹴り飛ばした。
「琴葉ちゃん」
『はい!』
琴葉の返事と同時に膝をついた木下の側頭部にペイント弾が命中した。
「二班木下、脱落」
『上だ』
圭の声を聞いて後方に飛び退く。初撃を躱された井上が流れるようにこちらへ攻撃を仕掛けるのを、司は後退しながら受け流した。
「殴るの躊躇っちゃうな」
「馬鹿にしないで!」
井上がポニーテールを揺らして容赦なく司の顔面を狙う。しなやかな体躯が回し蹴りを繰り出して司はあっという間に袋小路に追い込まれた。
「いやー強い」
井上は司より身長が高くリーチも長い。体術も他より随分達者で、中等部五位の実力をひしひしと感じた。彼女は強くこちらを睨みながら警戒して間合いを取った。これまでの司のやり方もしっかり勉強してきたようだ。
「鈴村はまた隠れてるのね」
「いやらしいだろ?」
「舐めないでほしいわ」
井上が司のダミーナイフをしのいで今度は顎を狙ってくる。半身を引いて避ければそこを裏拳が襲う。模擬戦なのに殺気が伝わってくるのが恐ろしい。
「っ、」
足技を捌ききれずナイフを取り落とす。ここぞとばかりに井上が襲いかかり、司はその凶暴さに苦笑した。壁を蹴って後ろに回り込むも、その動きすら捉えられて着地狩りされる。なんとか転がって踵を避けたが、仰向けに組み敷かれてとうとう身動きが取れなくなった。
「……っ、さすが」
「あと八秒ね」
身を隠す圭への警戒を怠らず井上が不敵に笑った。
『井上さん狙います!』
琴葉の宣言が司の耳を掠める。ほぼ同時に、放たれたペイント弾が井上の左胸に直撃した。
「きゃっ!?」
「やるねぇ」
怯んだ隙に司は井上の拘束から抜け出した。残り四秒といったところだったか、なかなかいい仕事をする。
「二班井上、脱落」
「一体どこから……」
「おつかれ」
司はナイフを拾うと悔しげに唸る井上を置いて移動した。遠くの物陰に隠れていた琴葉とジェスチャーを交わしていると、宗太から苦しげな無線が入った。
『すまん、落ちる。西口が行った』
「えっマジ?」
「五班古川、脱落」
『ごめんなさい! 木下くんの銃回収されちゃった』
宗太の脱落と共に琴葉からも無線が飛ぶ。今回の戦闘はチームにナイフと銃器一人ずつというルールで行われている。相手チームに回収されれば武器を失うが、その前に味方が取り戻せば続けて使用が可能だ。
「僕が出る。小野は索敵に回って」
司が立つ場所の隣の木箱から圭が降り立って指示する。圭は司をちらりと見ると、またすぐに視線を背けた。
「妹尾は?」
「たぶん上を通ってくる。西口を叩いておびき寄せる」
「オッケー」
司の了承を合図に二人走り出す。圭が出てきた当たりから観覧席が多少騒がしいが、ここ数戦の間にファンでも増えたのだろうか。
『二人の前方に西口くん見えました。銃所持』
「了解。妹尾を警戒」
『はいっ』
圭が指を振って合図する。司は頷いて、銃を構える西口の前まで駆け抜けた。足元をインクが掠める。
「げっ鈴村!」
照準を司に合わせた西口が続いて飛び出した圭に悲鳴を上げる。このままでは司を追う隙に近づく圭に倒されるが、司も西口に向かって走り出したので圭だけに構うわけにもいくまい。
『妹尾くん降ります』
琴葉の言葉通り妹尾が圭に飛びかかる。琴葉の狙撃が着地点に飛ぶが今回は外れだ。司は西口の腕を蹴り上げて圭の背後に滑り込んだ。
「六?」
「五だ」
圭と小さく言葉を交わして、司はナイフを空中に置くと再び西口に殴りかかった。圭がそのナイフを受け取り妹尾の刃を受け止める。攻撃をいなし、打撃を加え、五秒で地面を蹴ってお互いの敵を交換した。
「うわっ」
西口が崩れる。圭が投げてよこすナイフを受け取り柄で妹尾の胴に一撃。代わりにナイフの一閃を右腕に食らうが四肢への攻撃はセーフだ。西口の腕を捻じ曲げる圭が拾った銃を構え、それに妹尾が意識を取られた。
「そいやっ」
「ぐっ!」
気持ちよく背負い投げが決まった。
「二班西口脱落。……妹尾も脱落だな、そこまで」
まるでスポーツ観戦のように歓声が上がった。圭のほうを見るがどうでもいいとばかりに肩を竦めるだけだ。司は息をついて、上方の足場を飛んできた琴葉に手を貸した。
「今回もすごかったね二人とも!」
「琴葉ちゃんも狙撃どんどん上手くなるじゃん」
「敵が目の前にいないと落ち着いてできるから」
琴葉がはにかみながらスナイパーライフルを抱く。奇しくもいつぞやのアドバイス通り、彼女は銃器の分野で才能を開花させたようだ。
「今回も勝ったな。カバーありがとう」
フィールドから出ると手を上げて宗太が迎えた。
「前々回は早々にやられちゃったからね。借りは返したってことで」
「ああ。それにしても二人の連携がどんどん研ぎ澄まされていくな」
「そう?」
「この盛り上がりを見ても明らかだ。お前は伸びるとは思っていたが……」
宗太が感慨深い、としみじみ頷くのを流して司は無言の圭を振り返った。ピースサインを出して見せたが圭は一瞬こちらを見ただけで顔を背けてしまったので、司は頬を掻いて微妙な空気を誤魔化すしかなかった。
「ねえ、なんでずっとオレの方見ないの」
「……」
「無視までするじゃん……」
「話すことがないだけ」
やっと返してくれた声も素っ気ない。
「あ、ずっとおやつ作ってないから? ごめん忙しくてさ」
「……違う」
「次の休みに作るよ、リクエストある?」
「違うから」
特殊パスで研究棟のドアを開けると、圭は短く言って先に行ってしまう。司は閉まりかけるドアに同じくパスをかざすと小走りで後を追った。
三週間ほど前、司が圭と共に訓練するようになってから彼はずっとこんな調子だ。訓練中や授業では特に支障ないが、以前はぽんぽん進んでいた会話のキャッチボールがほとんど一方通行なのだ。司は割と喋るほうなので無言の空気が微妙に気まずく感じる。
「圭くーん」
「……」
「なあ、そんな照れなくていいよ」
「照れてない」
「嘘だ、急にしおらしくなっちゃって。友達できて照れくさいんだろ」
覗き込んだ圭の横顔が司を避ける。先回りしたり横をうろついて目を合わせようとするが圭は頑なだ。だんだん楽しくなってきた。
「……しつこいな」
「アイコンタクトは大事なことだし」
「今は必要ないだろ」
「日々のコミュニケーションが高度な連携に繋がるんだよ」
「君のそれは気味が悪いんだ」
「えっショック。目を背けるほど?」
「自分の胸に聞けよ」
「曇りなき友情の現れなんですけど」
多少普段のような会話になってきたところでトレーニングルームについた。圭がドアを開けると、博士と二台並んだマシンが出迎えた。
「あれ、場所移動したんすか」
「オーバーホールのついででね。新機能も追加してみたんだ」
圭が若干嫌そうな顔をしたが見なかったことにしよう。司は促されるままヘッドセットを装着した。
「入ったらそのまま待機してくれ」
SF物のコクピットのようなマシンに乗り込み、一音で一定のリズムを刻むピアノを聴く。やがて眠りに落ちるように、司は電子の世界へと転移した。
どういう仕組みなのか見当もつかないが、最高レベルの技術であることは間違いないだろう。五感は現実そのまま、痛みも感じるのに今立つここは虚構だ。司は手を握ったり開いたりしながら博士の指示を待った。
『では空間のリンクを始める。違和感があれば接続を停止してくれ』
はるか天上から博士の声が響く。司の足元を光の線が走って、すぐ隣に壁を生み出した。
「お、すげえ」
「……」
壁が取り払われると、そこに圭が現れた。容姿も、さっきまでの複雑そうな表情もそっくりそのままだ。
『上手くいったようだ。ダミーデータでは再現に限界があるからね』
これまでのトレーニングには味方としてお互いの行動パターンを流し込んだモデルを使用していたのだが、決まった動きしかできず難儀していた。これで本物同士連携が取れるというわけだ。
『それとこれはまだ精度が甘いが『野良』のデータだ。彼は最近よく姿を見せてくれるからね、実装に持っていけたよ』
前方にノイズが走り、『野良』が現れた。司の記憶と同じ、猫面をつけて不気味な笑みを浮かべている。
『インストールは完了しているから、二人のタイミングで挑戦してくれ』
「ありがとうございます」
圭が礼を言うと、博士が設定を弄ったのか、『野良』の虚像は揺らめいて消えた。
「……じゃあ試運転かねてどこいく?」
「君の好きなステージでいい」
「よーし言ったな?じゃあチュートリアルでお願いします」
仮想空間での戦闘にはまだ慣れきっていない。眼前の文字をなぞって、司は圭と共に訓練ステージへ踏み込んだ。
ひとつずつステージの難度が上がっていく。敵が増え、制約も増えるがどうということはない。司が危なくなれば圭が来て、圭に隙ができれば司が埋める。何度も繰り返し、お互いの動きを覚えていく。司は今までにない、静けさの中の高揚を感じた。
二人とも存外熱が入ったか、その日のトレーニングを終えたのはもう日が沈むかといったところだった。
「お、雨止んでる」
「呑気に空なんか見てるなよ」
「はーい」
司は間延びした返事をしながらも気を引き締め直した。圭と二人、慎重に敷地内から出る。
登校と帰宅が最も危険な時間だ。いつまた『野良』が仕掛けてくるか分からない。通り過ぎる路地、店の屋根の上、封鎖壁の設置場所。どれだけ気を配っても足りないほどだ。奴の神出鬼没さは博士からも念押しされたぐらいで、たとえ街中の監視カメラを総動員しても捕捉は難しいとまで言われた。
「やばいもんに目つけられたなぁ」
「……君はつけられる必要がなかった」
「そうかもね。でもどうせ顔は覚えられてるだろ、そんなに変わらないさ」
二本前に通り過ぎた大通りで警報が鳴る。圭が警戒心を強めたのを感じながら、司は圭に寄って半歩後ろに位置どった。
「奴は本当に一人だと思うか?」
「……」
「博士は分からないって言ってたけど。カメラのハッキングやら封鎖壁の操作やら、一人じゃ難しいと思うんだよ」
「奴が仲間を作るとは考えにくい。でもあのときはタイミングが良すぎた。可能性はあるだろうね」
「今後仲間と出てこられたらやばそうだな」
「……たとえ仲間がいても戦うのは奴一人だよ」
「どうして?」
「奴の力量が分からないわけじゃないだろ。あのレベルが簡単にもう一人出てくると思う?」
「……ああ、自分より弱いなら仲間がいてもいなくても同じか」
「軍隊だって言うなら利用はするかもしれないけどね。奴がやってるのはただの人殺しだ、徒党を組んでやる事じゃない」
「そりゃそうだ。じゃあ仲間カッコカリはサポート専門てわけね」
「それでも厄介なことに変わりはない。〈ACT〉のセキュリティを難なく突破するようなハッカーがいるとしたら」
「しかもそれが奴と別に動くんだとしたら、もうお手上げだな」
大通りの事件が収束した旨の速報が端末を震わせる。司と圭が歩く通りを大型の軍用車両が走っていき、その後を人権保護団体の車がスピーカーで喚きながら追いかけていった。
久しぶりに雲の切れ間が見えた日暮れの街は、帰宅を急ぐ人々で溢れている。一際高くそびえる放送局のビルが煌々と、巨大ディスプレイにCMを表示させていた。
「今日も来ない……か」
「家についても安全とは言えないけどね」
呟く司を圭が窘めたところで、頭上の明かりが点滅した。CMが不自然に途切れ、軽快な音楽と共にディスプレイが見知った猫面をでかでかと映し出した。
『はーい、帰宅途中の皆さんこんばんは!』
「……!?」
司は圭と共に立ち尽くして呆然とビルを見上げた。
『オレは今巷を賑わせている話題の男、野良だよ! 今日はご挨拶のために電波をジャックしてお送りしていまーす!』
野良が手を振って楽しげに話す。異変に気づいた通行人が徐々に足を止め、ビルの周辺に人だかりが出来た。
『そこのキミ、ムカついて殺してやりたい奴はいないか? そこの意識高めなオジサン、腐った国会議員をぶちのめしてやりたくないか? そんな殺意を抱えた皆さん!このオレ、野良におまかせ!』
周囲のざわめきが大きくなる。圭が博士に連絡を入れ、司は万一のことを考え襲撃を警戒した。
『世の中の殺したい奴、このオレが殺してあげよう。辟易してるだろ? こんな気の休まらない世界。腑抜けた政府は殺そう。うざったい犯罪者共も殺そう。気に入らない上司も使えない部下も邪魔なクラスメイトもみんな殺そう。嫌な奴のいないスッキリした朝を迎えようじゃないか』
「だめだ、出ない」
「……今ごろてんやわんやかもな」
『というわけで野良はただいまリクエストを募集中! お悩み相談はこちら、オレのラジオで受け付けているよ〜! まあすぐに規制されちゃうかもだけどその都度復活させるから色んなメディアをチェックだ!』
野良が手のひらを上向けて、表示されたアドレスを示す。まるでアーティストの番宣だ。悪戯か、どうなってるんだ、という囁きが広まる。
『しっかり覚えてね。オレは野良。気ままな犯罪者。これから世をちょっとだけ賑わす、愉快な男さ』
野良はそこまで言うと両手を振ってディスプレイから消えた。すぐに元のCMの続きが流れ出したが、ビル前の困惑は収まらず、司たちもしばらくその場に留まった。
「やってくれるね」
「……僕らだけを狙うつもりはないってわけか」
「もしかして気を遣われたのかも」
「冗談じゃない」
圭が珍しく吐き捨てるように言った。司としても特に嬉しいとは思わない。しかし奴がリクエストをこなしていくというなら結果として今のように一日中ピリピリする必要はなくなるかもしれない。まあそれだけ人が死ぬかもしれないということでもあるが。
「ラジオにリクエストが殺到しなきゃいいけど」
「……」
圭が押し黙って歩みを再開したので、司たちはどよめくビル前通りを後にした。
日が沈み、濃紺の夜が訪れる。静かに、確実に、街が殺意に染まっていく。
この日から、街の様子は少しずつ変わっていった。
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