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「藤堂のことも言ってられんな……」
宗太はけたたましく鳴る警報を聞きながら腕を組んだ。
しかし言い訳がましくなるが、今回は不運の遭遇なのだ。所用でコンビニに立ち寄り、店を出たまさに目の前で事件は起きたのだから。
マシンガンを携えた三人組が下卑た笑いとともに走り回る。あの様子だと素面ではないだろう。酒か薬か、それとも心の病か。
宗太は周囲の人々が屋内に避難するのを確認しながら、どうしたものかと思案した。端末を見やると、機動隊が駆けつけるのはあと二分後。敵の手には弾数の充分なマシンガンが三丁、宗太には盾も武器もない。
何も出来ないのは口惜しいが、機動隊を大人しく待つことにしよう。あの類の犯罪者を下手に刺激するのは好ましくない。圭と司の二人が以前特別表彰を受けたことが頭をよぎったが、実績を急いて命を危険に晒すほど宗太は愚かではない。
三人組は時おり銃を構えては壁に向かって乱射することを繰り返している。どうやら奴らは殺戮に飢えているわけでは無さそうだ。
気分が高揚したのか、一人が縦横無尽にマシンガンを振り回し始めた。宗太は嫌な予感がして、コンビニの床にうつ伏せに張り付き叫んだ。
「伏せろ!」
宗太の読みがあたり、振り回した状態のまま奴は引き金を引いた。予測不可能な動きで弾が飛ぶ。コンビニの窓が砕け、壁が削れ、隠れる客の何人かが被弾した。
「く……っ」
降り注ぐガラス片から急所を守る。腕の隙間から覗き見ると、三人のうち二人がアスファルトに倒れ込んでいた。乱射の巻き添えを食ったとみえる。一人残った男が空になった銃を放っていまだ愉快そうに笑っていた。
なんと凄惨な景色だろうか。宗太は狂気に呑まれた犯罪者と、諦観に満ちた無関心な民衆に歯噛みした。
パキリ、とガラスを踏む音が空虚な路地に響いた。宗太は音の発生源を探して身を乗り出した。穴だらけになった軽自動車の横で女学生がひとり、身じろいで逃げようとしている。奇跡的に弾には当たらなかったようだが、腰が抜けたのか体を引きずるようにしていた。
男が彼女を見つけ、不気味に笑う。肩を揺らしながら、倒れた仲間の銃に手を伸ばす。
宗太は床に散らばるガラスを拾って駆け出した。それを男に向かって投げつける。一瞬動きを止めたのを視界の端で確認して、女学生の元に走る。宗太が女学生ごと車の陰に倒れこんだと同時に男が発砲し、弾が跳ねる音と共に宗太の側頭部に衝撃が襲った。
「突撃!」
機動隊が到着し、路地になだれ込む。男は標的を変え機動隊に銃口を向けたが、引き金が引かれることはなく、機動隊の一撃によって射殺された。
「う……」
顔に手をやり、怪我の有無を確かめる。左頬に軽度の裂傷。跳弾が眼鏡にあたり吹き飛んだようだ、視界が微かにぼやけている。宗太は垂れる血を拭って、固まったままの女学生を引き起こした。
「怪我はないか」
「はい。あなたのほうこそ」
「これくらい問題ない。日常茶飯事とも言える」
宗太が笑顔を見せると、女学生は戸惑ったように頷いた。動きに合わせて濡烏の長髪が静かに揺れる。知的な瞳が宗太を見上げた。
「助けてくれてありがとうございます」
「いや、当然のことをしたまでだ。無事で良かった……、む」
女学生はハンカチを取り出して、そっと宗太の頬に当てた。
「汚れてしまう」
「いいえ、使って。返さなくて大丈夫ですから」
女学生はどこか憂いを帯びた表情で宗太にハンカチを握らせた。そういえば彼女の制服には覚えがある。確か日ヶ守学園と同系列の女子校だ。
「すまないな」
「……わたし、もう行かないといけないので」
「そうか。……良かったら名前を教えてくれないか?俺は古川宗太という。古い川に宗教の宗、太いと書く」
女学生は面食らったように宗太を見つめると、躊躇いがちに口を開いた。
「小夜、です。小さな夜」
「さよさん。素敵な名前だ」
「ありがとう。それじゃあ、気をつけて」
女学生は頭を下げると、封鎖の解除に合わせて走り去っていった。宗太はハンカチで頬を押さえながら、しばしその後ろ姿を見送った。
「可憐だ……」
ぽつりと零れた宗太の呟きは、事後処理の作業音に掻き消された。
*
今日は休日だ。ということは、ゆっくり料理ができるということだ。
「うまっ……これは売り出せるレベル……」
司は出来上がったカヌレの味見をして独りごちた。
入学してから二ヶ月弱が経った。街は相変わらず騒がしく、圭には容赦なく叩きのめされ、授業は難しくなる一方だが、多少余裕は出てきた。
小洒落た紙袋に渾身のカヌレを入れる。毎週のように作っているうちに妙にハマってしまった。司は紙袋と皿に載せたカヌレを並べて写真を撮ると、紙袋に入れたほうを持ち軽やかな足取りで家を出た。
すぐ隣のインターホンを鳴らす。しばらくして、どこか面倒そうな声が返事をした。
『はい』
「ハーイ、アタシよ」
『……間に合ってます』
「カヌレ作ったからお届け。プロ並みと言っても過言じゃないね」
無言でスピーカーが切れる。中で動く気配がして、控えめにドアが開いた。ここで無視せず開けてくれるのが彼の優しいところだ。
「君は何を目指してるんだ」
「戦闘も料理も出来たら軍人として最強だろ」
「求められる料理のベクトルが違う」
圭は渋々といった体で紙袋を受け取ったが、司は彼が満更でもないことを確信していた。初めの数回より格段に素直に手を出すようになったからだ。
「……何度くれても見返りはないよ」
「単なる趣味だし。感想教えてくれれば」
司が笑って言うと、圭は黙って紙袋を見つめた。
「今食べてもらっても全然構わないけど」
「……後で戴くよ。じゃあ」
「ほーい、また明日な」
静かにドアが閉まった。今日も無事にミッション完了だ。予想よりも早く効果が現れているのを感じて、司は上機嫌になった。
時刻は午後三時前。日没にはまだ早く、このまま家で過ごすのは少々もったいない。司は端末で事件発生の速報をざっと見ると、久しぶりに街の探索に出かけることを決めた。
日曜日ともなると、いかに物騒な世の中といえど外出する人が多くなる。当然、それに比例して事件も増える。昼下がりの街はいつも以上に騒がしかった。
封鎖と封鎖の合間を縫い街を歩き回る。目的は主に、地図に表示されないような通路の発見だ。厳密には建物の隙間などで道と呼べるものでは無いのだが、これを知っているとなにかと便利なのだ。
「さすがにここは狭すぎるか……」
室外機で埋まるビル裏を眺める。断念して洋服店の建ち並ぶ通りに戻ると、人混みの中に見知った顔を見つけた。
「あれー、小野さん」
「あ、藤堂くん!」
こちらに気づいた琴葉の表情がぱっと明るくなった。手には洋服ブランドのロゴが入った袋を持っている。
「買い物?」
「うん、お洋服……安かったからつい」
照れたように琴葉がはにかむ。やはり彼女は笑っているのが似合う。
「そうだ小野さん、このあと用事ある?」
「え?ううん、今日は何もないけど」
「なら、ちょっとお茶でもどう?」
司が誘うと、琴葉はきょとんとした顔で頷いた。
「授業、どう?」
近場のカフェで司がそう切り出すと、琴葉はゆっくりカップに口をつけてから眉を下げてため息をついた。
「座学はね、なんとかついていけるんだけど」
声音から落ち込みが滲み出る。
「でもやっぱり、実技が難しくて……。古川くんにあんなに教えて貰ってるのに、全然だめで」
先週から授業でナイフを取り扱うようになった。体術と並行しているので覚えることはかなり多い。司は相性がよくそれなりにやっていけているのだが、琴葉は元々体術でつまずいていたのもあり完全に置いてきぼりだった。
「チーム戦も守られてばかりだし、迷惑だよね」
「いや、それは全く気にしなくていいよ。小野さん敵見つけるの得意で助かってるしさ」
「そう、かな。でもそれだけじゃ駄目だよ、もっと一人でも大丈夫にならなきゃなのに」
琴葉は意味もなくスプーンでコーヒーをかき混ぜた。ガムシロップも入れずブラックで飲むとは意外だった。
「私、元々運動とか向いてないし。学園に入るべきじゃなかったかな」
「……小野さんはどうして日ヶ守に入ろうと思ったの?」
苦手を自覚しながら入学したのなら、相応の事情があるのだろう。司が遠慮がちに尋ねると、琴葉はしばし黙り込んだ。あまり聞かれたくない部分だっただろうか。
「私ね、お父さんと二人暮しだったの」
「……うん」
「お父さんが仕事をして、それで暮らしてたんだけど。結構貧乏でね」
琴葉は苦笑を浮かべた。
「去年の冬かな、お父さんが怪我しちゃって。仕事が出来なくなったの。受験も諦めて、これからの生活どうしようってなってたんだけど」
「……ああ」
話の流れに得心がいって司は相槌を打った。琴葉も頷く。
「日ヶ守学園は入学金免除だし、助成金も貰えるでしょ? 初めは高校行かずに私が働くって言ってたんだけどね。助成金の額見たら、お父さんが」
不意に言葉を切って琴葉が俯く。司はメロンソーダを飲みながら続きを穏やかに待った。
「……お金のために、なんてよくないよね。古川くんみたいに強い気持ちもないし、あんまり守りたいってものも無いの。だから上手くいかないのかな」
メロンソーダの氷が溶けて涼し気な音をたてる。司は琴葉のつむじを見つめながら、頬を掻いた。
「気持ちとかはあんまりさ、関係ないと思うよ。オレだってこの国を守りたい!とかそういうの全くないし」
司の動機は機会があるなら一発くらい殴ってみようといった軽いものだ。宗太のように国の未来について云々という崇高な志は持てないし、心のどこかで馬鹿らしいとも思っている。
「お金貰えるから嫌々通ってるってわけじゃないんでしょ?」
「もちろんそんなこと思ってないよ!全然、今の生活嫌いじゃないの。楽しいことも多いし……。でも心のどこかで、そんな気持ちがあるんじゃないかって思ったら申し訳なくて」
琴葉は勢いよく顔を上げて否定したが、再び自信なさげに体を小さくした。司はストローの紙袋を弄びながら、萎んでしまった琴葉にかける言葉を探した。
「オレはたとえ金のためでも構わないと思う。大事なのは志より実力なんじゃないかな」
「実力……そうだよね、私実力もないのにこんなこと」
「ストップ。入学試験の時、覚えてる?」
「……うん」
「オレらあの時五十人はいただろ?全員があの試験を受けてさ、入学してみたら全員で二十人で、その半分くらいが中等部から進学した奴らじゃん。てことは、オレと小野さんはかなり厳選された中にいるってこと」
「そう、だね」
入学試験は、スポーツテストに似たものだった。様々な測定をして、身体能力をくまなくチェックされた。司は男子としては可もなく不可もなくという数値だったはずだが、明らかに司より結果の良かった男子はクラスにいなかった。基準がよく分からないが、おそらく数値の高い順に合格するというわけでもないのだろう。
「それに合格したってことは、小野さんにも何か能力があるってことだよ。今は直接体を動かす授業しかやってないから分からないだけで、ほら、後々銃とかも習うだろ? まだ向いてないって決まったわけじゃないよ」
「そうなのかな……」
「古川の言葉を借りるけど、鍛錬あるのみって感じ。体力作りは上手いこといってるみたいだし、一朝一夕で実感できるもんでもないと思うな」
琴葉は小さく頷いた。
「鈴村の言い方はストレートすぎたけど、あれはつまり気にすんなってことだよ。天才くんが育ててくれるってんだから、甘えて自分のペースでやったらいいんだよ」
「……そうかな。待っててくれるかな」
「古川が引っ張ってくれるし、オレもできるだけ背中押すし。大丈夫だって」
司が親指を立ててアピールすると、琴葉は少し表情を緩ませて丸めた背中を伸ばした。
「まだ続けてもいいのかな」
「……いいに決まってるじゃ〜ん! これからだよ、二ヶ月で決めつけるのはよくないってウチ思う〜!」
「……ふふっ、中学の友達にそういう子いた」
「一緒に頑張ってこーよコトハちゃん〜」
「うふふ、ちょっと動き気持ち悪いかな」
「え〜ヒド〜イ」
「あはは」
琴葉は肩を震わせて笑い始めた。中学のときからこの手の喋りをするとウケがいいのだ。司もつられて笑い合った。
「ごめん、ふざけた」
「……ううん、ありがとう。あんまり深く考えなくても大丈夫なんだって思った」
「そうそう、お堅いのは古川だけで十分だよ。オレたちはよちよちの一年生なんだからあの二人と比べたら駄目だって」
琴葉はすっきりした表情で頷いた。日を追う事に辛そうになっていく琴葉を見ていた身としては嬉しい限りだ。
「藤堂くんて面倒見いいね」
「気まぐれだけどね」
「ふふ、おかげで少し楽になった。……うじうじ悩んでる暇なんかないよね、私もっと頑張る」
気力の戻った瞳で拳を握る琴葉を、司は頬を緩ませて眺めた。彼女の一生懸命なところは見ていて満たされるものがある。失礼かもしれないが、昔飼っていたハムスターが車輪を回す様子を観察していたときの気持ちに少し似ている。
「わ、こんなに時間経っちゃった。ごめんね付き合ってもらって」
「全然。誘ったのオレだし。ちょっと暗くなってきたし寮まで送ろうか」
「いいよ、近いし! 古川くん秘伝の道選びでね、私まだ封鎖に引っかかってないんだ」
自信満々に琴葉が言う。圭もそうだが、どんな技術を持っているのか確かに彼らの選ぶ道はほぼ安全だ。
「そう? じゃ、帰り気をつけてね」
「うん! ほんとにありがとう、えっと……司くん!」
「お、名前呼び嬉しいな。どういたしまして琴葉ちゃん」
司がおふざけでなく名前を呼ぶと、琴葉は輝くような笑顔を見せた。
人混みの中背伸びしながら手を振る琴葉を見送って、司は自宅へと足を向けた。日が落ちれば街中は危険地帯だ。早いうちに帰ろう。
不意にうなじのあたりに刺さるような感覚を覚えて、司は反射的に振り返った。
雑踏が夕日の色に染まっている。特に警報が鳴る様子もなく、誰かがこちらを見ているというわけでもない。司はしばらく行き交う人々を眺めて、虫にでも刺されたかなと結論づけると首をさすって再び歩き出した。
野良猫がじっと司の背中を見つめていた。
立ち去る姿を愉快そうな瞳で見つめていた。
甘い声で呼ばれた野良猫は、すっかり忘れてしまったように司から顔を背けると、そのまま暗い路地へと消えていった。
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