3
生まれた時から、生き方を決められていた。
お稽古、受験、交友関係。全て両親の言いなりだ。わたしという自我は認められず、両親の目にはわたしがただの人形としか写っていなかっただろう。
わたしより二年ばかりあとに生まれた妹は、全てが自由だった。好きなことをして、好きな人と遊んで、わたしよりよほど大事にされていた。
試験でたった一問、間違えただけだった。満点を取れなかったわたしは父に殴られ、母に叱責された。そのときついに、わたしは折れてしまった。
ふらふらとネオンの中を歩く。こんな夜中に街を歩くなんて初めてだ。制服のままだから、そろそろ補導されるだろうか。まだ帰りたくない。もう、あそこには帰りたくない。
行くあてもなくさまよって、狭い路地に入った。足元を濡らす水溜まりが背後の明かりに照らされている。無気力にその先を辿って、わたしはそこに人が倒れていると気づいた。
「こんな夜に出歩いてちゃ危ないよ」
死体を踏みつけて、猫が囁いた。
ああ、その鈍く光る爪で、わたしのことも引き裂いてくれないだろうか。操られるだけのわたしを、どうか終わらせてくれないだろうか。
「家出でもしたのかい、お嬢さん」
優しい声で猫が笑った。
ああ、どうか、わたしを。
「……いいよ」
警報が鳴り響く夜の中、わたしは自由を手に入れた。
気ままな野良猫に手を引かれて──。
*
「いいか。四班は全員中等部からの手練だ。さすがに一筋縄ではいかないだろう」
宗太が真面目な顔で司と琴葉に言い聞かせた。
「藤堂は鈴村の動きをよく見ろ。位置取りの基本は覚えているな」
「うっす」
「おそらく相手は前衛をこう配置してくるだろうから……」
宗太は戦闘エリアの略図を示しながら話す。司の頭にはあまり話が入ってこないので、なんとなくかいつまんで覚えることにしよう。難しいことはそこまで得意ではない。
「そして小野は無理をするな。己の過信は命取りだ、自分のできることを再確認しろ」
「はいっ」
琴葉が緊張した面持ちで頷く。宗太は彼女に頷き返して、一人離れて待機する鈴村に視線を向けた。
「こんなところでどうだ鈴村」
「いいよ。あとは始まってから調整する」
「この無線スイッチどこ?」
「……ここだよノロマ」
「サンキュー」
司が持て余していたイヤホン型の無線を圭が弄って投げ返した。近未来的なデザインは直感が通じなくていけない。
四人は準備を整えると顔を見合わせて、訓練場に向き直った。
サッカーコート程もあるかという広い屋内に、木箱や鉄板が乱雑に配置されている。身を隠す場所がこれだけあると戦闘は複雑化するだろう。二階部分には教師の浅野と待機中の生徒達が並んで、こちらを見下ろしていた。
相手チームは障害物に阻まれて確認できない。司は涼しい顔の圭をちらりと見て、肩を数度回して体を慣らした。
「僕は上で姿を晒す。君は」
「左から?」
「……、ああ。一分くらいはもってくれよ」
「了解」
戦闘開始を知らせるブザーが鳴った。
ルールは相手チームを全員行動不能にすること。視界の悪いフィールドも、上からは丸見えだ。相手と戦闘を行い、拘束などで十秒身動きをとれないことを確認した浅野が脱落を宣言する。
司たちの相手は四人ともが戦闘慣れしている。圭と宗太がいるといっても、未だ未熟な司と琴葉を抱えていては苦しいのではないだろうか。
司は足音を潜めてフィールドの中央付近に陣取った。ところどころに鉄板や木板が落ちていて、うっかりすると踏んで音を鳴らしそうだ。
ガタリ、と木箱が揺れて、少し遠くで黒髪が揺れるのが見えた。フィールドの一番高いところに圭が立つ。今の彼には敵の位置が良く見えるだろう。
『接近二人、裏取りが一人。右警戒』
無線が圭の声で知らせる。短く宗太が応えた。
『藤堂、戦闘準備。そっちに一人逃がす』
「はいよ」
高台から圭の姿が消えた。何かが倒れるような音と共に小さく呻き声が聞こえた。
「四班土田、脱落」
浅野が眠そうな声で拡声器を震わせる。
『裏取りを発見した。対処する』
宗太と琴葉も戦闘を開始したようだ。琴葉が上手く動けるといいのだが。
司は体を低くして前方を覗き見た。微かではあるが足音がする。その音は次第に近づいて、こちらを警戒する様子もなく通り過ぎようとした。
蹴り出した司の足に躓いて相手が倒れこんだ。そのまま拘束に移ろうとするが失敗。司は狭い空間で体勢を立て直した相手と対峙した。確か梅原といったか。
「悪いが本気で行かせてもらうよ」
「わあ怖い」
梅原が司の胸倉を狙ってくる。司は右手でそれを防ぎそのまま掴んで、体を回転させ梅原の鳩尾あたりを肘で突いた。
「ぐっ」
梅原が後退する。上手く入ったようだ。本当に容赦なく打ちのめしてくる圭に比べればどうということはない、と司は思った。
「五班小野、四班志麻、脱落」
浅野の言葉にはっとする。琴葉がやられてしまったようだ。
『すまない、守りきれなかった』
悔しげな宗太の無線が飛ぶ。だがそれに答える暇もなく、司は梅原の攻撃をなんとか躱して距離を取った。
「新人相手にどうしたどうした〜?」
「この……」
司が煽ってやると、梅原はわかりやすく怒って向かってきた。決定打はぎりぎりのところでいなしているが、そろそろ司の集中力が切れそうだ。
梅原の頭に気持ちよく蹴りが入った。はずだが、どこか手応えに違和感があった。梅原は蹴りを食らいながら、にやりと笑った。
司の背後にもう一人が現れる。いつの間にか自陣への侵入を許していたらしい。ダメージを受け流していた梅原とに挟まれ、司は猛攻に対処しきれず木箱に叩きつけられた。
膝をついて一秒。梅原が押さえにかかる。司は身構えて、梅原の背後を見て笑顔を取り戻した。梅原が気づいて、警戒と共に振り返った。
そこには誰もいなかった。
「うっ……」
司の拳が梅原の顎を撃ち抜く。脳が揺れれば立ち続けるのは困難だ。崩れ落ちる梅原を視界から外して、司は奇襲をかけてきた、おそらく早川に向き直った。
「仕切り直しだ」
若干の焦りを見せる早川がこちらを睨む。これでも毎日のようにしごかれたのだ、甘く見てもらっては困る。
「調子に乗るな!」
「上に気をつけなよ」
「もうその手には」
司に襲いかかった早川は、台詞を最後まで言えずに地面へ押し倒された。上から飛び降りてきた圭によって。
「……ほんとに来た」
司は思わず素で呟いた。特に無線では知らせていなかったはずだが。
「ぐう……」
「あれだけ時間を稼げば来るよ」
早川を組み敷いて圭は当然、といった顔をした。
「四班梅原、早川脱落。そこまで」
ブザーが鳴り、頭上からまばらな拍手が司たちを労った。
開始地点に戻ると、肩を落とした琴葉と腕組みをした宗太が出迎えた。琴葉のほうはあまりに落ち込んで今にも泣きそうだ。
「藤堂が残るとはな。よくやったぞ」
「あざーす」
「わた、私……ごめんなさい何も出来ずに……」
琴葉の小さな手が握り締められる。一人だけ脱落してしまったことが余程堪えたようだ。
「小野はよく動けていたぞ。日々の成果が出ていた。カバーしきれなかった俺の落ち度だ」
宗太が励ますが、琴葉は俯いたままだ。
「とりあえず上に戻ろっか、小野さん」
「ごめんなさい……」
「オレだって鈴村いなかったら落ちてたからさ」
「でも、私ほんとに足でまといで」
「くどい」
遮るように圭が放った言葉で、琴葉がびくりと跳ねた。圭は背を向けたまま、こちらを見ない。
「ご、ごめ」
「経験なしの素人が脱落しないほうがおかしいんだ」
「え……」
「君は特に秀でてる訳でもない。向こう一年、君が脱落し続けたとしてもそれは想定内だ」
「う」
「僕と古川がどうにでもするって何度も言ってるだろ。君は君のできることをすればいい。今君のできることは何?」
圭が琴葉の方を向いて、問いかける。
「えっと、敵影の監視と敵の妨害、です」
「今回それはできた?」
「……敵が来たのを古川くんに教えて、志麻くんが私に気を取られてる隙に古川くんが倒してくれて」
「できてるじゃないか。なら君の役割は十分果たせてる。落ち込む必要があるの?」
琴葉はようやく顔を上げて、圭を見つめた。
「ない、です」
「ならこの話は終わりだ」
「はい。ありがとう、鈴村くん」
「……礼を言われる事はしてない」
圭は再び背を向けると、一人で二階へ上がっていってしまった。琴葉は胸の前で両手を握りこんで、ひとつ深呼吸をした。
「次は頑張ります!」
「うむ、いい心がけだ。できることも増やしていかねばな!」
「はい!」
二人でガッツポーズをする宗太と琴葉に笑みを零しながら、司は二人の背中を叩いて退場を促した。
「ずいぶん長く喋ったじゃん」
「必要なことがあれば言うだけだ」
「鈴村くんが歩み寄ってくれてオレはうれしいなぁ」
「何様だよ」
校庭のベンチに座る圭の肩に手を置こうとして払われる。司は今日のおさらいをする宗太と琴葉を眺めながら、圭の隣に腰掛けた。
「オレのほうの働きはいかほどで?」
「一人に手こずりすぎだ。梅原はそこまで強くない」
「手厳しいなー」
「……二対一で踏みとどまったのは悪くなかった」
「お、褒められた」
「褒めてはない」
宗太の指導に熱が入る。それに応える琴葉を見て、よくあのテンションについていけるなと司は思った。
「いつも天才くんにボコられてるから鍛えられたんだ」
「その程度で驕るなよ」
「もちろん。これからもご鞭撻の程よろしく。見返りにシュークリームはどう?」
「……やっぱり作りすぎた云々は嘘だろ」
「バレた?」
「あんな頻度で押しつけられて疑わないと思うのか」
「プリンの味上手くいってただろ?」
「……」
圭がため息をつく。司は楽しくなって笑い声を漏らした。
「僕を餌付けしようとするな」
「美味かったんだ。やったぜ」
「……何が楽しくて」
「む! 鍛錬はいいのか二人とも!」
宗太がこちらに気づいて声を上げる。圭は言いかけた言葉を放棄して立ち上がった。
「やるよ」
「ういーす」
司は伸びをしながら反動で立ち上がると、少し憮然とした態度の圭を鼻歌交じりで追った。
*
「ドクター、進捗はどうです」
薄暗い地下の一室で、神経質な声が反響した。壁の一面はガラスが張られ、その向こうで真紅の鯨が悠々と泳いでいる。
「手を尽くしてはいるがね。ずいぶん腕のいいハッカーを雇ったようだ」
どこか楽しそうな声で博士が言った。
「なぜ今になって。『あれ』はずっと単独だったはずです」
「さあ、なにか心境の変化でもあったんじゃないかい?ワタシも驚いているよ」
「……忌々しい。どこまで私を煩わせれば気が済むのか」
イラついた足音が鯨の前を往復する。
「先日ご子息と話をしたよ。一人暮らしは順調らしい」
「データは受け取っています。数値が少しでも落ちるようならすぐに知らせてください」
「また閉じ込めて管理するかい? 育つものも育たなくなるよ」
「ドクター。貴女の仕事は別にあるでしょう。くだらない事のために契約を棒に振るおつもりですか」
「ワタシはいち科学者として忠告しているまでさ。外部からの刺激は心身の成長を促す大切なものだ」
鯨がゆったりと漂いながら部屋を覗く。博士は幾何学的な造形のテーブルに置かれた金魚鉢を眺めた。爬虫類と哺乳類を混ぜたような生き物が餌を求めて鉢の底を這い回った。
「……我が社はなんとしても『あれ』を屠らねばなりません。負の遺産を抱えたままでは次の段階へ移ることもできない」
「そのためにはご子息の力が必要不可欠だ。しかし彼が伸び悩んでしまえばキミたちは手詰まりだろう?」
「今更社会に出したところで彼が変わるとは思えません。幼少期から物事に関心のなかった子供です」
突き放す声が冷たく響く。鯨が鳴いて部屋の前を通り過ぎていった。
「自由は彼をかえって迷わせます。あの子はただ従う私たちの駒であればいい」
「その傲慢のために若い命を蔑ろにするのかね」
「……」
水槽からの光を受けて青く染まった室内に、重く沈黙の帳が下りる。鉢を這い上がった生き物が力尽きて再び底に沈んだ。
「わかった。この話はここまでにしようじゃないか。キミとは良き友でありたい」
「……引き続き、よろしくお願い致します。結果が出るのを待っています」
「ああ、それではまた」
博士は一礼すると退室した。地上の施設とは打って変わり黒色の長い廊下が続く。
「我が社、ね。ヒヒ、『野良』が生きていて困るのはキミ個人も同じだろう」
硬質な廊下に博士の軽やかな足音が響き渡った。
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