2

 一音だけのピアノが鳴っているようだ。

 耳鳴りにも似たそれは一定の時を刻んで、波紋のように辺りに反響する。無彩色の果てしない空間で、圭は呼吸を繰り返した。

『ステージ43。……3,2,1,GO』

 無数のグリッドが壁を、敵を編み上げる。圭は一息で距離を詰め、三体の人型を破壊した。

 線でできた街を駆ける。敵の出現を予測し、攻撃を躱し、一秒でも早く倒す。焦らず、最短で、仕留める。

 二十体を破壊したところでブザーが鳴る。眼前にタイムが表示された。

「ふ……」

 圭は息を吐いてヘッドセットを外した。無機質な四角い部屋が低い起動音を響かせて出迎える。マシンから降りてペットボトルを手に取ると、ドアの向こうから白衣が姿を見せた。

「またスコアを更新されてしまったね」

「博士」

「レベル調整はどうだい? ランダム性にも改良を加えたんだが」

「問題ないです」

「それは良かった。近々、新しいエネミーも追加しようと思ってね」

 博士がペンで金髪の頭を掻く。

「新しいエネミーですか」

「ああ。キミの戦闘データを流し込んでモデリングを進めているんだ。いいものになりそうだよ」

 博士は楽しそうにくつくつと笑った。圭は水を飲んで一呼吸置いてから訊ねた。

「奴の……『野良』のデータはないんですか」

「数年前のログが無くはないが如何せん精度が低くてね。ここ一年は妨害で映像も残らない、複製は難しいな」

「そうですか」

「……坊ちゃんも大変だねぇ。母君の執着心に付き合うのは辛くはないかね」

 圭はすぐに答えずに、タオルに顔を埋めた。博士は肩を竦めると、マシンと端末を接続して整備を始める。

「ワタシはキミひとりで始末をつける必要はないと考えているよ。キミが心から彼のことを殺したがっているというなら止めはしないがね」

「……これは僕の意思です。そう教育を受けたからではなく、僕がやりたいと思っていることだ」

「本当かい? 幼少からずっと戦う術を叩き込まれてきたのだろう。それしか出来ない、の間違いではないかね」

 キーボードを軽やかに叩いて、博士は意地悪く笑った。眼鏡のレンズに無数の数列が反射している。

「キミはまだ若い。このまま、『野良』と戦って死ぬだけの人生にするのは惜しいのさ。キミにはもっと多くの可能性があるはずだ」

「……」

「もっと踏み出したまえよ。もちろん戦いから離れろとは言わないとも。キミにはひとり以外の選択肢があるということさ」

「……あえて取らないだけです」

「いいや、それはいけないね。無理にでも手を伸ばすべきだ。ひとりでは彼には勝てない」

「確かに奴は強いですが、仲間はかえって障害になります。僕がもっと訓練を積めば奴ひとりくらい」

 マシンからコードを取り外し、博士が圭に向き直った。その瞳は圭を見透かすように細められている。

「彼はひとりではないよ。彼の背には誰かがいる」

「……? 『野良』の背後に組織があると?」

「ヒヒ、違うさ。彼は確かに単独で行動するが、そういうことではない」

 博士はゆっくりと歩き、圭の肩に手を置いて微笑んだ。

「キミにも分かる時がくるだろうさ。その答えはおそらく、すぐ傍まで来ている」

「……」

「そういえば高等部の生活はどうだい? ワタシはスクールでの集団生活に縁がなかったのだが、楽しいものだと聞いてるよ」

 ぱっと手を離して、博士はわざとらしく話題を変えた。圭は言葉の真意を問いただそうと口を開いて、首を傾げる博士に微笑まれそれを諦めた。

「特に。中等部と変わりはないです」

「でも一人暮らしを始めたんだろう? 体調管理は上手く出来ているようだが気分はどうかね」

「……母の声が聞こえないのはいいです」

「ヒヒ! ワタシのほうは今も毎日聞いているねぇ、彼女の神経質な声」

 博士は思い出したように時計を見て、いけない、と呟いた。

「お喋りが過ぎたようだ。怒鳴られないうちに戻るとしよう」

「ええ、……ご忠告ありがとうございました」

「まあ年増の説教と思ってそれとなく覚えていてくれたまえ。それでは」

 白衣を翻して博士は退出していった。静寂を取り戻した部屋に圭が取り残される。


 ひとりでは勝てないと博士は言った。では仲間がいれば勝てるのか。仲間という存在は手足とは訳が違う。所詮独立した個では、連携に限界が生じるものだ。それでは奴には勝てない。奴は、こちらの数が多いほどその凶悪性を増すだろう。

 仲間は奴に利用されるものだ。だから、ひとりでなくては。

 圭はひとりで、『野良』を殺さねばならない。



「は……はぁ……!」

「あと二周!」

「小野さんがんばー」

 よく晴れた日だ。まばらな雲がゆったりと上空を漂っていく。残念ながら木々のそよぐ音も鳥の囀りも聞こえず、代わりにサイレンと轟音がこだまする環境ではあるが。

 司はずり落ちたジャージの袖をまくり直して、必死に走る琴葉に手を振った。

「オレも走るわ」

「ノルマはこなしたのに殊勝なことだな」

 司は熱血教師ばりに仁王立ちする宗太を置いてグラウンドに駆け寄り、琴葉と周期を合わせた。

「ラスト一周ファイト」

「う……うん……!」

 琴葉の表情はとても辛そうだ。やはりこの華奢な体にグラウンド十周は無理があるのではないか。

「よーしそこまで!」

 走りきった琴葉は肩を上下させて座り込んでしまった。タオルと水を渡すと、彼女は荒い息の合間に小さくお礼を口にした。

「うむ、先週よりタイムが縮まっているぞ。その調子だ小野」

「や……やったぁ……はは」

「おつかれー」

「お、鈴村」

 宗太が近づく人影に気づいて声を上げる。司も視線の先を追うと、ジャージ姿の圭がこちらに歩いてきていた。

「古川じゃ駄目だったの」

 開口一番、圭は若干不服そうな声を出した。

「すまないな鈴村。思ったより二人に差が出てきてしまったのでな……俺は小野のほうにつくので、藤堂を見てやってほしいんだ」

「どーも、お手数おかけします」

「……こっちだ」

 司がわざとらしく手を合わせると、圭は呆れたように顔を背けた。

 グラウンドから少し離れ、砂の敷かれた場所で立ち止まる。圭はジャージの上着を脱ぐと、砂の上に立った。

「型は覚えてるんだろうね」

「たぶん」

 圭に倣って司も上着を脱ぐ。向き合って構えると、空気が張り詰めた感覚がした。

 圭の拳をいなす。司の攻撃が難なく止められ、返される一撃を皮一枚で躱す。授業で習ったとおりに、圭が技を繰り出してくる。司は型を教える浅野の姿を思い出しながら圭の動きに合わせ続けた。

「……っ」

「まだ固い。まあ覚えは悪くないみたいだけど」

 上がった息を整える。圭のほうは表情ひとつ変わっていない。

「繰り返す必要はないね。次の段階にいく」

「次?」

「構え」

 気を張り直す間もなく圭が再び打ち込んでくる。司は焦りを押し留めて迎え撃った。

「でっ」

 圭が放った変則的な攻撃をいなしきれず、地面に膝をつく。途中から明らかに手が追いつかなくなっていた。

「オレまだ素人なんだけど……」

「教えられた型はあくまで一例だ。丸暗記だと応用が効かなくなって痛い目を見る」

「勉強になります」

 強打の入った脇腹を擦りながら立ち上がる。

「やめる?」

「……もう一回お願いしまーす」

「そう」

 間髪入れず圭が襲いかかった。


「ここで右手が空くな?そうしたら、こう」

「はい!」

「よし。小野は小さいが、その体格差が強みになる。嫌な動きかたを教えてやろう」

 グラウンドに戻ると、琴葉と宗太が不思議な体勢で動きを止めていた。

「む、戻ったのか藤堂。ずいぶん汚れたな」

「手厚くご指導頂きました」

 切れた口元を拭う。習って数週間の者にこんな仕打ちがあるだろうか。体のあちこちが痛む。

「だ、大丈夫? 私絆創膏あるよ」

「ありがと小野さん」

「鈴村についていけるとはやはりセンスがあるな。俺のライバルとなる日も遠くないだろう!」

「はいはい光栄です」

 琴葉から絆創膏を受け取り、宗太を適当にあしらう。メンタルが強いのか知らないが司がどんどん適当になっても気にする様子がない。

「終わったなら帰るけど」

「そうだ、俺とも手合わせしてくれないか」

 さっさと帰ろうとする圭を宗太が引き止めた。圭は歩き出した足を止めて、少し考えてから了承した。

 先程の砂場に移り、対面する二人を琴葉と座って眺める。

「強い人たちの手合わせって、ドキドキするね」

「ね」

 思わず小声になって話す。場の緊張感が司の時の比ではない。

「ふっ!」

 宗太から動いた。流れるような動きで二人ともが攻撃を繰り出していく。司の知らない型だ。いや、そもそも型ではないのかもしれない。

 眼鏡を外したこともあるだろうが、宗太の顔はいつもと違って見えた。双眸に強い光が灯り、圭のほうも真剣味が増している。やはり型などではない。相手の行動を読んで最適な動きをしている。

 どれだけ攻防を繰り返したのか、弾けたように二人が距離を取った。息は上がっていない。宗太と圭はお互いを見据え、不意に力を抜いて姿勢を正した。

「ありがとうございました!」

 宗太が力強く頭を下げ、圭も静かにお辞儀をした。

「すごい……」

 琴葉がため息混じりに呟いた。司も圧倒されていた。どのくらいの時間だったのだろうか、一瞬に感じた。

「ああ、充実した放課後になったな!」

 満ち足りた顔の宗太に眼鏡を返す。視力にハンデがあってあそこまでできるのか。司はようやく宗太の実力を体感した。

「また腕を上げたな鈴村。俺ももっと精進しなくては」

「じゃあ今度こそ帰るよ」

「あ、お、お疲れ様っ」

 琴葉が慌てた様子で圭に声をかけた。そういえば今まで大した会話が出来ていなかったように思う。

「……うん」

 圭は短く答えて、すたすたと行ってしまった。琴葉のほうはそれでも満足したようだ、嬉しそうに頷いた。

「んじゃオレも。おつかれ」

「ああ、動いた分飯を食えよ」

「へーい」

「お疲れ様藤堂くん」

「バイバイ小野さん」

 寮組の二人に手を振って、司は小走りで圭のあとを追った。


「女子苦手だったりすんの?」

 追いついて背後から声をかけると、圭は肩越しに司を見てまた視線を戻した。

「なんでそうなる」

「だって小野さんと全然話さないし」

「向こうが話しかけてこない」

「そりゃおまえとっつきにくいからな」

 交差点の赤信号に引っかかり、圭はいつもと違う方向に曲がった。信号待ちで事件に巻き込まれる確率は高めだ。

「もっとニコニコしてみろよ。モテるかも」

「必要ないね」

「まあ彼女作る余裕はないよなー今のとこ」

 道路の幅ギリギリの戦闘車両が金属音を鳴らして通り過ぎていく。そういえば事件発生の速報が届いていた。

「あ、そういや来週ある対抗? ってやつは何」

「チーム戦だよ。四対四で全滅させるまでの時間を競う」

「まじか。オレらいけそう?」

「僕と古川でどうとでもなる。好きに動けばいい」

「オレ後衛には向かないと思うんだよね。古川と小野さんで守ってもらうとかどう?」

「……自信があるようだね」

「そこは微妙だけどさ」

 宗教勧誘の女性がチラシを差し出してくる。悪いが神だのなんだのにはあまり縋らない質だ。

「まあ妥当ではあるよ。素人二人を固めてちゃすぐ落ちる」

「落ちたあとにお二人で片付けてもらっても構いませんけど」

「班員の切り捨ては減点対象だ」

「ふーん」

「来週のチーム戦は肉弾戦だ、君も多少は動けるだろ」

「武器使うこともあるんだ」

「当たり前だ。授業が進めば銃も扱うようになる」

 遠回りをして元の通学路に戻る。コーヒーの香りが鼻をくすぐった。

「じゃー頑張ってみますか」

「足は引っ張るなよ」

「はいはい。あ、おまえマカロン食わない? 思ったより多く出来ちゃってさ」

「……なんでそんなもの作ってるんだ」

「一人暮らしってなんか作ってみたくなるじゃん」

「限度を学べよ。この前だって作りすぎたって押しつけてきたじゃないか」

「生チョコな。美味かった?」

「悪くはなかった。でもそういう問題じゃない」

「じゃあ持ってくわ」

「おい」

 司は一方的に話を終わらせると、顔をしかめる圭を置いてアパートの階段を駆け上がった。

 当然、考え無しに多く作っているわけではない。料理のお裾分けは引かれそうだが、同じ手作りでも好きな菓子類なら受け取ってくれるだろうという目論見なのだ。

 圭は甘い物が好きだ。朝通学するときには苺ミルクを飲みながら出てくるし、昼休みにはキャラメルをつまんでいるし、帰り道にあるケーキ屋ではいつも歩く速度を緩めて眺めている。司がいないときは買っているかもしれない。

 そうした観察を経て実行した、前回の第一回お裾分け作戦はまんまと成功した。悪くなかったという感想も頂いた。レシピサイトと幼少から料理を教えてくれた母に感謝しよう。今回は第二回だ。

「……いらないよ」

 司が予想以上の出来に思わず写真まで撮ったマカロンを持っていくと、圭は鞄を置きながら苦い顔をした。

「いやめっちゃ出来いいからさ」

「そういう問題じゃないって」

「食べたら感想教えてな。そいじゃまた明日」

「ちょっと……」

 圭にマカロンを半ば強引に押しつけ、司は笑顔でドアの隙間から手を振った。ドアが閉まって十秒。圭は出てこない。今回も成功ということにしよう。

 仲良くなるには食べ物だ、とは母の教えだ。司は仲良しこよしという雰囲気を特に好いているわけではないが、圭とは仲良くなってみたくなったのだ。地元にはいなかったタイプの人間なので純粋に興味があった。

 司はほのかな楽しさを感じながら、端末を起動して次に作るスイーツに思いを巡らせた。

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